Barkarole! メモリア25

 トリシアが婚儀のためにあれこれと悩んでいた一週間の間に、彼女には見えていないが事態は進行していた。

 無事に婚儀が終わったその足で、ルキアは王宮に居た。もちろん、『ヤト』の面々もだ。
 ライラは冷たい瞳でマーテットを見た。
「それで? おまえの人体実験はうまくいっているのか? 変態医者が」
「生きてはいるけど、生きてるだけだからなー。……ルッキーめ」
 小さく悪態をつく。
「おいルキア、マーテットに何をしたんだ?」
 そっとロイに尋ねられ、直立姿勢のルキアはそ知らぬ顔をする。
「約束をきちんと果たしたのに、気に入らないみたいなんです」
「なにが! クソッ!」
 マーテットはかなりご立腹らしく、右腕を振り上げてぶんぶんと回している。
「しかし、よくシェリルの身柄をこちらが受け取れたものだ」
 低い声で言うのは、髪をオールバックにした姿勢のやけにいい男・ヒューボルトに痩身の男・レイドも頷いている。
「情報源としては無価値と判断されたのだ、陛下が」
 ギュスターヴの言葉に、ほかの面々が一斉に黙ってしまう。皇帝陛下に拝謁をしたことなど、一度くらいしかないというのに……。
 ルキアがギュスターヴに尋ねる。
「……今回のことで、なにか収穫はあったのでしょうか?」
「その問いの答えは存在していない、少尉」
「わかりました」
 あっさりとルキアが引き下がる。つまり、関わるなということだ。
 皇帝直属の部隊『ヤト』。特殊部隊とされる精鋭の面々だが、様々な制約を課せられているために色々な許可を得ている。
 だがあくまで彼らは軍属であり、軍人の中の者にすぎないのだ。管轄外だというのは最初からわかっていたし、彼らとしても、今回の事件は『終わった』こととして処理されるだろう。
「理解はした。が、納得はできないな、大佐。仮にも、ルキアを個人的に名指ししたのだろう?」
「ララ姐さん、つっつくんだ……」
 マーテットが呆れているが、その横に立つロイも、ライラ同様に納得はしていない。
 あっさりと今回のことに興味を失っているルキアやヒューボルト、オルソンのような態度の者よりは、納得していない雰囲気の者のほうが多い。
 実際、オスカーはルキアの屋敷の結界を解除させられているし、マーテットやロイも見張りをこなしている。
 ライラたちとて、遊んでいたわけではない。各自、出された指示に従っていたのだ。
「誰も彼もが、ルキアみたいに大人しく引き下がるとは思わないでもらいたい」
 激烈にライラが怒っていることに気づき、今回のことには口を挟むつもりのなかった男性陣以外は、やや青くなった。
 顔の半分が火傷で覆われているライラは、鞭の使い手としても有名だが、女性を卑下されるのをことのほか嫌がる性格の主だ。
 我関せずという顔で、ルキアやヒューボルトは、いつの間にか壁際に立っているオルソンの横に並んで立っている。避難したようだ。
「リンドヴェル准尉、なにか納得できないとでも?」
「できかねる! 今回の件では、ルキアの婚約者の身柄が危険だったそうだが」
「それは違う。万全の警備がされていた」
「わかりやすい嘘をつかないでもらいたい。婚前の一般市民を囮にするなど、いくらなんでもやりすぎだ!」
 どうやらライラはトリシアが巻き込まれたことに対してかなり憤っているようだった。そろり、とマーテットとオスカーが揃ってルキアに視線を投げた。無言で瞼を閉じているルキアは、なんの反応も示さない。それはそうだろう。今回のことを考えれば、結局のところトリシアにもっとも犠牲を強いたのはルキアになるのだ。
「今日の婚儀も、予定を早めたそうだな? わかりやすすぎて反吐が出る!」
 思わず、というか、ライラは腰にあった鞭を構え、パーン! と床に打ち付けた。反射的に反応してしまう男性陣など知ったことではない。
「シェリル=パイルドの捕縛は、なにかの隠れ蓑だったのは理解しよう。追求する気もない。
 だが、『ルキアを利用するために手段を選ばない』のは『なぜだ』?」
 強引すぎることは、明らかだった。それに、作戦も幼稚でずさんだ。わざととしか思えない。
 目的がなにかはわからない。おそらくルキアは目くらましに使われた。別の事件を、出来事を隠すために。
「准尉、納得はしなくてよい」
 低い声で、静かにギュスターヴが言う。
「答えは存在していないと、さっき言った。ルキアもまた、納得している」
「私は納得しない!」
 強情なライラを一瞥し、ギュスターヴは嘆息した。そして、背後に声をかけて扉を開けさせる。
 ぱちぱち、と拍手をしながら入ってきた男に、ライラが強張った顔をした。瞼を閉じていたルキアが開き、ちらりとそちらを見遣ってまた瞼を閉じた。
「な、なぜ殿下がこのような場所へ……」
 第一皇子・フレデリックは怠惰な様子で全員を見回す。弟とは違って、少し灰色がかった金髪の美貌の青年は、相変わらず顔色が悪かった。
「ライラは元気だな」
 どこか愉悦の色を瞳に浮かべると、ライラが押し黙った。第一皇子の趣味が、他者を虐めるというものなので、逆らわないほうが得としたのだ。
「ああそうそう、ルキア、結婚おめでとう」
「まったく祝福していない声音ですが、ありがたく頂戴いたします」
 あっさりとルキアがそう応じたため、さすがにオスカーが「ぎええええ」と悲鳴をあげた。
 フレデリックはつまらなそうな顔をする。
「相変わらずだな。結婚式当日に仕事でここまで来るなんて、夫の風上にもおけない」
「職務を放棄するわけにはいきませんし、妻には事情を説明しています」
「…………やはり、おもしろくない」
 ぼそりと舌打ち混じりに呟かれたのを全員聞いてはいたが、誰もツッコミを入れなかった。入れたが最後、彼にいじられまくるからだ。
 実の弟を毒殺しようとした回数は両手の指の数をとうに超えている。これで本人は、殺さないように手加減しているつもりなのだから始末におえない。
「まああれこれと納得はいかないことが多いだろうが、私が来訪したことに免じて、『忘れろ』」
 もはや逆らえないとわかり、誰も反論しようとはしなかった。わざわざ皇子まで出てこられては、黙るしかない。
 全員がちらりとフレデリックを見遣る。覇気のない後継者である彼は、欠伸をしてからぼんやりと笑う。父親からなにか言われてここに来たのは明白だが、不気味だ。
 なにかあるだろうと警戒する面々に、皇子はわざわざ様子見をしてから口を開いた。
「しばらくおまえたちには、やってもらいたいことがある。勿論これは、陛下の命令だ」

 この約一ヵ月後、帝都エル・ルディアを震撼させる事件が起こる。だがそれは、城下の、そして下町の者たちには知られることなく、始まって、終わった出来事だ。
 この時点で、ルキア、マーテット、オスカーはなにも命令が下らなかった。個別に呼び出されたのは、オルソン、そしてライラの二名だけだった。

***

 婚儀を終えても、トリシアは新婚旅行に行くことはできなかった。ルキアが長期休暇をとれないからだ。
 結婚して、やることが増えた、覚えることも増えた。それを除けば婚約中とたいして生活は変わらなかった。
 ルキアは結婚式の2日後には弾丸ライナーに乗って、また嘆願書を送ってきた遠くの集落へと出かけてしまった。相変わらず彼は困っている民を見捨てない、素敵な軍人のままだ。
 困ったことに、トリシアとの結婚が予定を早められたため、ルキアと懇意にしたいという貴族たちからこぞって夜会への招待状が届いた。
 どう返事をすればいいのかわからず、トリシアは右往左往してしまう。ルキアの両親は、そもそも踊ることに楽しみを見出せないからと出席を断っていたという変わり者夫婦だし、ルキア本人も、今まで招待状がきて出席したのは両手の指の数で足りるほどだという。
 そもそもルキアが遠征でいない中、トリシアだけが出席するのはまずいのではと思うことも多く、丁重に断りの手紙を出していた。
 しかし、夫の不在を理由にできたのは、一週間が限度だった。さすがに茶会への誘いは、トリシア単独なので断る理由がない。
 元々が平民の出自だからこそ、トリシアは自分がどういう目で見られるか予想はつけていた。貴族に限らず、女性というのは自分よりなんらかの理由で「劣る」と判断した相手にはとことん冷たいものだ。
 孤児だったことで、平民時代も卑下の目で見られることもあったので、たいして怖いとは思っていない。されることも、だいたい想像できる。
 相談すべき相手は、夫であるルキアだ。だが彼はここにはいない。
(どうしよう)
 悩んで、結局はルキアの両親に相談することにした。彼らは揃って、参加しなくても痛くも痒くもないから大丈夫と言ってくれたが……。
(でも、私が参加しないとなると……ふつうはルキア様の評判をもっと下げる結果になるわ)
 貴族の一員になったのだから、無理をしてでも参加するべきだろう。トリシアは決意をして、茶会に出ることにした。

 結局、予想通りにことは運んだ。終始、侮蔑の目と、柔らかい悪口に包まれて、最初の茶会は終わった。
 華やかな貴族の女性たちは、次第に行動をエスカレートさせていく。なにせ、トリシアには抵抗することができないのだ。
 10日ほど経過してから、度々帰還してはすぐに出かけてしまうルキアが、神妙な顔をしていたことが、異変の始まりだった。
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