Barkarole! メモリア23

 からだが、おもい。くるしい。
 全身が痛い。つらい。
 まるで水中をもがいているよう。
 必死に手を伸ばすけれど、ああ、光が見える。
 ふ、とトリシアは瞼を開けた。ハッとして目を瞠る。起き上がったそこは、見慣れない森の中だった。
 目の前に広がる景色の中で、ぽつんと、人の影が林の奥に見える。
 荷馬車の上からトリシアは起き上がって闇の中で目を凝らすしかない。
 なにが起こったかなど、明白ではないか。うっすらと、馬車を包むように光の膜が張ってある。
「これ」
 知らず、ぎゅっと握り締めていたのはルキアの上着だ。そうだ。彼はどこへ行ったのだろうか。
 視線を元に戻すと、人影がこちらに動いた。歩いてくる。
 徐々に姿がはっきりしてくる。長い髪を無造作に黒のリボンでまとめている青年は、トリシアの視線に気づいて顔を瞬時に赤らめて困ったように笑った。
 青年に続いて、マーテットとオスカーもこちらに戻ってくる。マーテットは何かを抱えていた。
 わかる。
 なにが、「ちょっと」だ。
(すごく、です)
 大人の姿になるなんて、反則だ。
 長身の美貌の青年は、なにひとつ変わっていない。あの紅玉のような瞳と、長い淡い青い髪。
「ルキア様……!」
 慌てて身を乗り出すと、腰に激痛が走った。
「っっつー!」
 悲鳴をあげて動きを停止する。な、なんだ? なにが起こった?
(腰!? どこにもぶつけてないわよ!)
「大丈夫ですか、トリシア」
 穏やかな、落ち着いた声。多少低くなってはいても、まぎれもなく彼の声だ。
 トリシアは顔をあげる。ばち、と目が合ってしまった。途端、はらはらと涙が零れた。
「っ、あ、ちょ、え!? なんで泣いてるんですか? どこか痛いんですか!?」
「う、うぅー」
「ま、マーテット! トリシアを診てください!」
 背後を見遣って言う彼の言葉に、マーテットが顔をしかめた。オスカーもどこか呆れたような顔をしている。
「いいけどさぁ……。たぶん、痛みで泣いたとは違う気ぃするけど」
「は!? では、一体なにで泣く、と」
 そこで彼の言葉は途切れた。トリシアが慌てふためいている彼の掌を掴んだからだ。ゆっくりと、青年がこちらを見てくる。
「ルキアさまぁぁ」
「えっ、あ、はい」
 何度も頷いてしっかりと両手を掴んで握ってくれる。彼は、彼はまぎれもなく、ルキアだ。
「いたかったですぅぅ……」
 涙声になるトリシアは、まるで自分が子供みたいに彼に甘えているのだと気づいたが、止められなかった。
 こわかった。いたかった。それでも、彼が無事でよかった。
「びっくりしま、したぁぁ」
「えっと、この姿は一時的なものなので、もうちょっとしたら魔力切れで元に戻りますよ」
「うわああああああ」
「あ、あの、泣き止んでください……ど、どうしたらいいのでしょう……」
「……とりあえず、おまえはさっさと荷台に乗れ。お嬢ちゃんは混乱してるだけだ」
 ばしっ、とオスカーがルキアの背中を叩いた。ルキアははずみで前のめりになるが、なんとか堪えて荷台にひらりと飛び乗った。
 トリシアを抱きしめてくれる。ひたすら泣いているだけのトリシアを、困ったように、背中をぽんぽんと撫でてくれる。
 同じように荷台に飛び乗ったマーテットを確認し、オスカーが御者台に乗って馬を前進させた。
「いづっ、いたっ」
 普通の馬車と違うので、揺れがひどい。ダイレクトに腰に痛みが響いて、トリシアがわあわあ喚く。すると、ひょいとルキアが膝の上に乗せてくれた。
「後遺症が残ってるんですかね……。大丈夫ですよ、トリシア。こうしておきますので、少しは衝撃が和らぐでしょう?」
「うわ、キモッ!」
 マーテットがギャァ、と悲鳴をあげて御者台のほうへと寄った。さすがにトリシアは顔を赤らめるが、痛みと混乱と涙で、もうわけがわからない。
 ぎゅう、とルキアにしがみつくと、確かに衝撃はあまりこなくなった。よしよし、とルキアが背中をさすってくれる。
「あとで診てやるから、あんまこっちくんな」
 しっしっ、とマーテットが手を振る。わけがわからないようだが、ルキアは大人しく荷台の隅に寄った。
 流れていく景色を眺めながら、ルキアはぽつりと呟く。
「すみません、色々心配かけましたよね」
 囁いてくる彼の腕の中で、小さく頷く。
「魔力が切れて元に戻ると、おそらく長時間眠ってしまうので、今のうちに話しておきます」
「…………」
「シェリルは、第一部隊の軍医をしていた男でした。医者で、しかも前線配置でしたので、腕は確かでしたよ?」
 え、男?
 ルキアを見上げるが、彼はトリシアの戸惑いに気づいていないようだった。
「自分はほぼ毎日将軍の特訓で医務室に通っていたので、シェリルと対話する機会も多かったのです。
 彼が明確におかしな発言をするようになったのは、ある任務がきっかけでした。その任務内容は話せませんが、彼は、やけに自分を誘ってくるようになりました」
「さそう……?」
「ええ。その時は、おかしなことを言うのだなくらいしか思ってませんでしたが、はっきりとわかったのは……彼が事件を引き起こしたからでした」
 事件? でもきっと、その内容も教えてもらえないのだろう。
「概略すると、シェリルはとある国と内通していたのです。つまり、間者、ですね」
「え……」
 では「誘われていた」というのは……敵国に寝返るということなのでは?
 まじまじとルキアを見ていると、彼は微笑した。
「大丈夫。断ったから、自分はここにいます」
「あ、はい」
「その『事件』で、自分ははっきりとシェリルに誘われましたが、断りました。戦闘になり、彼を殺すつもりで攻撃しました」
「…………」
「殺すつもりだったのですが、将軍に止められまして……ですが、正直彼は長くもたないだろうなと思っていました」
「どうして……?」
「……彼の肉体を、かなり破損させたからです」
 端的な説明なのは、内容を語りたくないから、ではなく……ただ事実を述べているだけなのだろう。破損、なんて味気ない言い方をするのは、べつにトリシアに配慮したわけではないはずだ。
「将軍が止めなければ、あのまま塵にしていたでしょうし」
「……生きたまま捕まえるという方法をとらなかったのですか?」
 情報を引き出すためには、そのほうが効率的だろう。ルキアはちょっと眉をさげる。
「捕まえて拷問しても、なにか吐くとは思えなかったので」
「そう、ですか」
 ルキアがそう判断したのには、きっとそういう考えに至った理由があるのだろう。
「死ぬと思っていた相手が、牢に入ったと聞いた時……引っかかりましたけど、深く詮索しなかったんです。それはもう、自分の手から離れたものだったので」
「…………」
「そして、今回シェリルは脱獄したという。変だなって思いました。自分の屋敷に彼が現れた時、不思議だったんです。五体満足でいたのが」
 言葉の選択を、ルキアは正しくしているのだろう。
(破損……五体満足って……)
 どれほど容赦なく彼がシェリルに攻撃したかなど、想像できてしまう。いや、彼はシェリルを敵と判断したのだ。仕方ない。
 彼は帝国の軍人で、帝国にあだなす存在を……放置できない立場にあるのだから。
「自分は違和感こそありましたし、その時はっきりとは感じていませんでしたけど……予感、というか、直感しました。シェリルは、人体に詳しい医者でした」
「…………」
「軍医だからってわけではないですが、シェリルは医務室にいくつか、人体模型を置いていたんです。模型、というか……人形ですね」
「にんぎょう……」
「ええ。人間そっくりに作り上げることができるんですよ? 魔術師の腕によるんですけどね」
「そうなんですか」
「シェリルの医務室には、やたらと多かったんですよ……人形の『元』が。あの頃は、そういう趣味なんだと思っていたんですけど……『事件』の時に、シェリルが自分の身代わりに人形を使うのを見ていたので……屋敷に現れたのは偽者ではないか、と推測しました」
「…………」
「本人が直接攻撃してくることはできないだろうなと思っていたので、屋敷に強力な結界を張りました。案の定、人形が来たようでしたし」
「ルキア様……」
「……自分は、実は体調が良くなくて」
 ぼそりと洩らした言葉に、トリシアはどきりとしてしまう。そうだ。トリシアを本部に呼んだのも、そのためだったのだ。
「ほら、トリシアと遺跡に行ったでしょう? あの時、片眼鏡が壊れたのは覚えています?」
「はい」
「あのことを境に、魔術を使ってもあまり眠くならなくなっていたんです。おかしいなって、思わなければいけないのに……忙しくて、そんなことを気にかけることすらできなくなっていた」
「…………」
「ふつうに睡眠はとれるんですけどね、ただ、魔術のために深い眠りがなくなってしまって……。屋敷に強力な陣を敷いた時に、はっきりとおかしいと思って」
「そ、それは……直るんですか?」
「なおってます。あなたが治してくれたんですよ、トリシア」
「?」
 ぱちぱちと瞬きをするトリシアに、ルキアは微笑してくる。
「これは一時的な症状ですから、噴き出す魔力をどこかにやらなければならなかったんです。
 シェリルを探索するために、まずは人形を作りました。これは、数分程度で作ることが可能ですし、そっくりにできるほど魔力を大量につぎ込みました。
 そして、トリシア。ヒントをくれたのは、あなただったんです」
「え? 私、ですか?」
 信じられない。
 驚いていると、ルキアは照れたように視線を泳がせた。
「あなたと、その、身体を繋げたとき、魔力による身体の負担が減ったんです。体内の魔力循環に性交をする方法は教わっていたんですけど、それだけじゃ……不安で」
「そう、なんですか?」
「だって、あなただけに頼りっきりになったら、それこそ……」
 言いかけて、ルキアはごほごほと言葉をわざと濁した。彼にしてはかなり珍しい。
「あの、あなたと、四六時中抱き合うはめになるというか……そんなこと、さすがにちょっと……」
「っ!」
 意味を理解して、トリシアの全身が真っ赤に染まる。つまりは……彼の調子が良くなるまで付き合うこと、になるのだ。そういうことを、する。
 ルキアは申し訳なさそうにしてしまう。
「発情した動物みたいですから、ちょっと……と思いまして、じゃあべつの方法も組み合わせてやれば、もっと良くなるのではと思ったんです」
「?」
「人形です。自分そっくりの人形を一体作り上げました。身体を動かす動力としてかなり魔力もつぎ込みましたし、これはいい案でしたね。一時的な消化にもなりました。
 そして、えっと、あなたと……つ、つ、繋がりました。その時に、自分のほうにもちょっとした仕掛けをしまして」
「仕掛けって、その成長した姿ですか?」
「はい。元々、自分は魔力が大きくて、成長も遅かったですし……。成長速度をあげて、体内を巡る魔力循環速度をあげたんですよ」
 せ、成長し過ぎではないだろうか。背もぐっと伸びているし……あれ? でも見た感じ、二十歳くらい?
(え、ええっ!?)
 二十歳くらいだけど、わりとまだ幼い。照れ臭そうな表情はどうしても可愛らしく見えてしまうし、ど、ど。
(どきどきするー!)
 ぎゃああああああ、とトリシアは内心取り乱した。
(は、二十歳じゃない! よく見ればなんかまだ若いし……)
「無事に成長していけば、魔力のほうも大丈夫だとこうして結果が出ましたし……。あの、時々はトリシアに、その……手伝ってもらうかもしれないですけど、トリシア?」
「へっ!? あ」
 じっと見ていたことにやっとルキアが気づいたようだ。
「あ、あの……大丈夫ですか? 顔が赤いですけど、熱でも……」
「ええええ!? あ、だだ、だ大丈夫ですよ!」
「それに、遺跡でのことは不測の事態でした。自分の意志で魔封具を外した時にはこんなことにならなかったので、自分もちょっぴり焦りましたよ。
 たぶん、それほど迷惑はかけないと思いますから」
 そうだろうか?
 トリシアはまじまじとルキアを見つめた。
 あの遺跡で、ルキアの魔力が暴走したのを初めて見たが、彼の同僚たちはそうではなかったような雰囲気だった。
(いえ、違うわ。暴走することはあっても、その後にこんなふうになることがなかったんだ)
 何かが、彼に変化をもたらしているのだろうか?
「………………あ、の」
 じっと見られていることに、ルキアが言葉をどもらせる。ハッとしてトリシアは慌てた。
「ち、違うんです! べつになにかあって見つめていたわけでは!」
「いえ、べつに構いませんけど。成長したら、やはりおかしいですか?」
「ど、どこもおかしくないですよ!」
 むしろ危険度があがっている気がする。本当に見れば見るほどルキアは美人だ。
「よ、よかった。不思議ですね。トリシアが自分より小さいと、戸惑います」
(ててて照れながら言うのやめてええええ!)
 身を縮こまらせていると、ルキアは真面目な表情に戻った。
「あまり詳しくは言えませんけど、シェリルはもう、あなたを狙ってはきません」
「? 私、狙われていたんですか?」
「はい」
 さらっと言われて、トリシアはぎょっとしてしまう。ルキアはトリシアの頬を、愛しく撫でた。
「これからだって、あなたはこういう命の危険にさらされることがあります。それでも……それでも選んでくれたから」
 すごく、すごく……照れ臭そうに笑う。トリシアの心臓は破裂しそうなほどだった。
「自分は、精一杯あなたと生きようと思います」
 反射的に、トリシアはルキアの衣服を掴んでいた。ぎゅう、と。
「遺書なんて、やめてくださいね……」
「あれを見たんですか?」
「簡単に死ぬなんて、嫌です」
 苦笑気味に彼は呟く。
「約束はできませんけど、善処します」
 本当に彼は残酷だ。真実しか口にしない。
 でも、生きると言ってくれたのだ。今はそれだけで、充分だった。
「あ」
 呟いた瞬間、ルキアがぐっと前屈みになる。
「る、ルキア様!?」
「す、すみません……そろそろ魔力が尽き……」
 一気にルキアの肉体が縮んでいく。苦しそうに顔をしかめて、瞼を閉じている彼の外見が、見知ったものになる。
 だぶだぶの開襟シャツとズボンで、彼は力なく笑う。
「予想より、戻るのが早かった、です、ね」
 膝の上のトリシアは、慌ててどけようと体を動かすが、ルキアに抱きしめられてそれができなくなってしまった。
「すみません、この、ま、ま……」
 言いながら、もたれかかるようにしてルキアが眠ってしまった。
 呆然とするトリシアをがっちりと抱きしめているので、動けない。
 大事で大切で、たまらないというような彼の気持ちが伝わってくる。
(……やっぱり、敵わないなぁ、ルキア様には)
 自分にできることはなんだろう。きっとそれはやはり、すごくすごく、少ないだろう。
 それでも、諦めたくはなかった。
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