Barkarole! メモリア22

 慌しくなったので、シェリルは身構えていた。来るだろうなと予測はしていたが、思ったよりも早い。
(思い出すなぁ。たった一人で、将軍の命令を無視して乗り込んでったことを)
 どうせ今回も、なにも考えずに乗り込んできたのだろう。
 薄く笑うシェリルは、視線をドアのほうへと向けた。
「いらっしゃい」
 そう声をかけると、ドアがゆっくりと開いた。
 立っていたのは、長い淡い青の髪を持つ、絶世の美貌の少年だ。幼い体躯は、あの出来事から変わっていないように思える。
「ひどいな。ここに居た人たちを殺したのかい?」
「まさか。眠らせただけですよ」
「…………この広大な敷地の人間全部を?」
「ええ」
 自信たっぷりに頷くルキアは、いつも右耳にチェーンを引っ掛けてつけている片眼鏡がない。もはや、あれでは済まない状態なのかもしれない。
「来ると思っていたよ。キミの屋敷に現れれば、なにか対策をしてくると思っていたからね」
「……あんなに痛めつけたのに、懲りませんね」
 冷徹に言ってのけるルキアに、シェリルは笑った。ずるり、と動く。
「本当だよ……ひどいじゃないか、ルキア。あんなによくしてやったのに、あの仕打ちはないね」
「……命を取り留めただけでも、いいと思ったのですが」
「アハハ! そうだろうねぇ。キミは殺すつもりだったもんね!」
 笑うけれど、ルキアはまったく表情を変えない。不気味なくらい、無表情だ。
 ルキアには笑うような出来事ではなかっただろう。なにせ、人を殺そうとしていたのだ。
「でも情けはかけてくれただろう? 『こんな姿』でも生きていられるくらいにはね」
「どうですかね」
「おかげで少し動くのも一苦労する」
「あなたの得意な『人形』を使って補えるでしょう?」
 その通りだ。簡単に人形を作り上げるためには『骨格』が必要になる。第一部隊の医務室には、不気味なほど骨格が置かれていた、もちろん人形のための。
「キミに人形の作り方を教えたのは私だ。わかっていて、攻撃しただろう?」
「ええ」
 冷徹に応じるルキアに、本当に笑いが止まらなくなる。
 人体に詳しいシェリル。だからこそ。
 シェリルの背後から、なにかが動く気配がする。それはシェリルに酷似した人形だった。シェリルの肉体の一部を使い、その魔力を流し込んで作られた存在。
 五体満足の人形は、今までのシェリル人形とは違い、表情が動かない。いいや、どこかその虚ろさは、目の前のルキアに似ていた。
「キミの髪も混ぜてあるんだ。キミの力は大きすぎて、耐えられるような人形に調節するのが大変だったけどね」
「……それは、同意します」
 冷たい表情で立っているルキアは、ゆっくりと視線を動かす。
「あなたは最初から『どこか敵国』の間者だった。軍属になったのも、情報収集のためですよね」
「確認する必要はないだろう?」
「改めてと思いまして。
 あなたは優秀な医者です。軍属になったからには、身元はきっちりと調べられているでしょうし。ああでも、『最初からそのつもりで誰かがあなたと組んでいた』なら、話は違いますね」
「帝国は大きな国だ」
 シェリルは陰になっている場所から囁く。ルキアからは、ドアの外の廊下からの光の陰で見えない。けれども、知っているだろう。『どんな姿』でシェリルがいるのか。
「大きすぎて、腐りすぎていて、つまらない」
「腐っている?」
「格差がひどすぎる」
「だとしても、『あなたはそんなことを気にする性格ではない』でしょう?」
「そうだね」
 くすりと笑う。
 貴族の者が、自分たちより下の平民の現況を本気で嘆くことは少ない。
 踏みつけている者は、踏みつけられてる者の気持ちなどわからないから、そこに立っていられるのだ。
「だが気にならないのかい? この国に、キミが守る価値があるかい?」
「…………」
 ルキアは視線を伏せる。彼は表情を消すと美貌が増す。より、人形に近い印象になる。
「その問いかけは懐かしいですね」
「何度も、同じ部隊にいた時に尋ねたけれど、『今』は違うかな?」
「いいえ。答えは同じ。価値はあります。それは、自分が帝国軍人だから」
「アハハ! さすがだよ、ルキア! キミは何も変わってない!」
 高らかな笑い声とともに、シェリルの体が人形に持ち上げられる。髪の毛は、ほぼ残っていない。火傷で醜く覆われた頭部と、手足をもがれたその姿は、その姿で……生きているとは思えないほどに、ひどい。
 光に晒されたその姿を見ても、ルキアは表情を動かさなかった。彼自身がわかっていてしたことだから、心を動かすわけはない。
 傷をすべて塞ぎ、優秀な医者に診せてもここまでしかシェリルは回復しなかった。これが限界だったのだ。
 人形で失った部分を補うことは、できなかった。できないように、ルキアは攻撃したのだ。シェリルが人形遣いだとルキアは気づいていたのだ。気づいていて、それを利用した。
 損傷がひどすぎて、人形の骨格を使えばシェリル自身はその反動で身動きが逆にできなくなる。それを見越しての攻撃だった。
「身震いしたね! キミは本当に天才だよ。毎日医務室で骨格を眺めていて、私から術を学び、それだけでは終わらなかった。キミは周囲を『敵』と認識しているよね、常に」
「そんなことはしていません」
「しているんだよ。裏切る可能性をいつも考えている。誰も信用してない。だからキミは孤独で、だからこそ変わることができない」
「……変わります」
「変わってないさ!」
 はっきりと言うシェリルの、潰れかけた瞳は、狂気を宿して爛々と輝いている。
「いいえ」
 ルキアは囁きと同時に、伏せていた視線をあげた。その足元に、紫の輝きを宿した魔法陣が出現する。繊細なレースのようなそれは、「見える」者には畏怖と、羨望を与えるだろう。
「変わるものなんです」
 かすかに、笑む。
 それだけだった。
「いつまでも『同じ』では、あなたも、失望するでしょう?」
「?」
 違和感が、した。
 眼鏡をつけていないこともおかしいが、目の前のルキアがあまりにも……そう、あまりにも。
 全身の血が沸騰しそうなほどの、まばゆい怒りが、シェリルを染めた。
「ルキアぁぁああああああああ! どこまで人を舐めてんだあああっっ!」
「ふふ。おっと、そちらの『人形』を相殺するくらいの力を、今の自分は所持しています。なにせ、創造主の魔力をかなり与えられていますから」
 遠慮なくルキアがここまで来られたことを、もう少しいぶかしむべきだった!
 シェリルは悲鳴に近い怒号をあげる。
「殺してやる殺してやるぞおおおおおお!」
「その言葉は正しくありませんね?」
 微笑むルキアの表情がいびつになった。
「『壊す』のが正しい。もちろん、あなたの人形たちも壊します。それが創造主に与えられた自分の使命」
 人形は常に一つの命令しかきかない。限定された命令が端的であればあるほど、人形は与えられた魔力の消費をおさえて長時間動ける。……そう、今まさに、シェリルの目の前にいる、ルキアの人形のように。
「くそおおおおおおお! どこまで! どこまで私を馬鹿にすれば気が済むんだ!」
「創造主はあなたを馬鹿にはしていません。どのような相手も、馬鹿にしたことはありませんが」
「本当に、はらわたが煮えくり返る……! 人形で私を仕留めようなど……っ、」
「……あなたは頭に血がのぼると、本当に話を聞きませんね」
 囁きは歌へと変わる。ルキアは言葉ではない言葉を紡ぐようにうたう。
 両の瞳に魔法陣が浮かび上がった。
「あなたが、自分の得意分野で攻撃されると逆上するのは好都合です」
 でも。
「マーテットとの約束があるので、あなたの命は消しません」

 我に返った時は、静まり返っていた。
 なにが起きたのか、床を這いつくばっているシェリルにはわからなかった。
 見回そうと視線を動かす。視界の隅に、完全に動きを停止して四肢をだらんと投げ出しているルキア人形の姿があった。おそろしいと思う。ここまで人間を模倣させた人形を作れることが。
 与えられた魔力が消え去り、徐々に与えられた肉体の一部であろう何かが、消え去っていく気配がする。
(すべての人形が破壊された? ではなぜ?)
 事態が理解できない。
 足音がした。かつかつと、まっすぐにこの部屋に向かってきている。
「こんばんは」
「?」
 誰だ?
 顔をあげたそこには、一人の青年が立っている。長い、淡い青の髪を無造作に後頭部の高い位置で結い上げている、帝国軍の軍服の男だ。ただ、上着は纏っていない。
 白い手袋に、右目には金縁のモノクル。紅玉のような瞳の彼は、微笑んだ。
「お、ま……ぇ」
「すみませんが、あなたはここで『終わり』です」
「……?」
「命は繋ぎましょう。ですが、あなたの感情も、心も、ここで停止させます」
 死がそこに在る。
 恐怖で震えるシェリルに、男は優しい声で囁く。
「最善で、そして、残虐ですね。でも、どうせ壊れるなら、先に壊しておいてあげたほうがいいと……思ったんです」
 情けをかける?
 いいや違う。
 思い描いたその人物ならば、否定をするだろう。狙いがある。目的があるから、手段を選ばない。
 ああそうか。そうなのか。
 シェリルは震えた声で笑った。笑うしかなかった。
「そこまでして、おまえは『守る』のか……」
「ええそうです。天秤は、傾くものですからね」
「……変わったね」
「言ったでしょう? 選んだモノを、優先する……と」
 答えは変わらないが、選んだものが変わったのだろう。
 シェリルは乾いた笑いを洩らし続ける。目の前の美しい青年は、死の化身のようだった。
「個人的には、あなたにはここで死んでいてもらいたい。あの時も、そう思ったのは本心からですよ。将軍に止められましたが、息の根は止めるつもりでした」
「は、はは……」
「どうしてなんですかね。あなたたちは、常に何かに期待をする。それが細い、今にも切れそうな糸であっても、手を伸ばして得ようとする」
「…………」
「確かに綻びというのはどこにでもできます。完全など、ありはしません。でもね」
 ゆっくりと近づいてくる青年は、なにも映していないガラスのような瞳で告げた。
「『敵』になるなら、その望みは抱くべきではありません」
「こわい、ねぇ……。はは。キミは誰からも望まれる存在なのに、キミは常にそれを否定する。在り方を強制されているのに、それを疑問にすら思わない。
 ……キミ、もしかして本当は誰よりも狂っているんじゃないかい?」
「そういう考えに至ったということは、あなたには相当異質に見えているんでしょうね、今の自分は。それでいいんです。あなたと、自分は、立っているところが違うんですから」
 自覚したようで安心しました、と青年は穏やかに笑う。
「二度と『こちら』に来ようとしないでください。……ああもう、そんなことも考えることすらできなくなりますけど」
 青年がモノクルをゆっくりと外す。まっすぐにシェリルの瞳を覗き込んできた。至近距離からの、攻撃だ。
 直接、それは脳を攻撃する――――!
 闇に堕ちたわけではない。白い光に導かれたわけではない。あるのは……虚無。
[Pagetop]
inserted by FC2 system