Barkarole! メモリア20

 とりあえず、ルキアはファルシオン邸に近づかないことを条件として、帝国本部の一室に居座ることとなった。
 オスカーは腕組みして、室内をイライラしたように歩き回っている。
「……少佐、落ち着いてください」
「おちついてるっ!」
「…………」
 ルキアは出された紅茶の入ったカップを、手もつけずにじっと見つめていた。
(おかしい。眠くならない)
 あれだけ魔術を使ったのに、やはり睡眠を欲しない。トリシアと体を繋げた時は眠れたのに、魔術による疲労が一切ないのはおかしい。
(あんなに使ったのに)
 とっくに眠っていてもおかしくない。
 ゾッとして顔色を悪くしていると、ちょうどマーテットがばぁんと派手にドアを開けて入ってきた。
「お、オッスの旦那! ルッキーの見張り?」
「ボケ!」
「う、うわぁ、機嫌わるいなぁ」
 露骨に嫌がるマーテットを、ルキアは表情を明るくして歓迎した。
「ちょうどいいところに、マーテット!」
「ギャア! なによなに!? ルッキーから歓迎されることとか一度もなかっただけに、こわい!」
 慌てるマーテットに、ハッとしてルキアはソファに座りなおした。
「すみません、取り乱しました」
「……えっと、トリシャなら無事だけど」
「? トリシアのことは尋ねていませんけど?」
「??? え、あ、そ、そぅ。顔色悪いから、てっきり心配してるものかと思っちまったぜ」
「屋敷には強力な結界を張っていたので、大丈夫だと思うんですけど」
「そ、そーだな。あれは、うん、強力だった」
 目を逸らされるのがなんだか気になったが、ルキアは本題を切り出すことにした。
「マーテット、身体の調子がおかしいみたいなんです」
「ん!? どうした?」
 反射的にニヤッと笑うマーテットに、ルキアは真面目な顔で申し出る。
「眠くならなくて」
「? 不眠か?」
「いえ、違うんです。魔術による睡眠作用がなくなったんです」
「…………ハ?」
 マーテットとオスカーが、同時に声をあげて停止する。そして、わっと二人はルキアのもとに押し寄せた。
「どういうことだ、ルキア!」
「ルッキー! 診せろ!」

 難しい顔をして、ルキアの身体を診察していたマーテットが、青い顔でうかがってくる。
「おまえ……こんな状態であんな魔術使ってたのかよ……」
「相当悪いんですか?」
「ばっかじゃねーの! 結界魔術使っといて、変に思わなかったのかよ!?」
「思いましたけど」
 それだけだった。
 マーテットはルキアに服を着るように促す。壁際にいたオスカーが渋い表情でマーテットを見遣った。
「で、結果はどうなんだ、マーテット」
「……最悪だね。そのうち、肉体が破裂するんじゃねーの?」
「お、おい! どうにかできないのか!」
「…………」
 無言のマーテットの態度に、オスカーが蒼白になる。しかし、ルキアは二人の様子に逆に冷静になってしまった。
「方法が、ないわけではないんですよね? マーテット」
「まあな。ルッキーは、気づいてるんだろ」
「はは、まあ」
「? だったらその方法を……!」
「少佐、方法は数多にあるんです。ですが、自分の症状からすれば、時間の猶予はあまりない」
「……ルッキーは、ドレを実行するんだ?」
 マーテットがふて腐れたような声を出す。ルキアはその様子が珍しくて、つい、笑ってしまった。
「ちょっと試したいことがあるんです。屋敷に戻る許可は下りませんか?」
「? 急ぐのか? 必要なものがあるなら、持ってきてやるぞ」
 オスカーが必死に言うので、ルキアは穏やかに微笑む。二人とも、すごく心配をしてくれている。
「では、少佐にお願いします」

 残されたマーテットは、向かい側に座るルキアを睨んでいた。
「そんなに睨んでも、何も変化しませんよ、マーテット」
「もっと早くに言ってくれれば、ほかの方法も試せたのに! 実験する機会がっ」
「本当にあなたは素直ですね。まあ構いませんけど。
 元々見えにくかったので、完全に見えなくなっていると気づくのが遅かった自分も、悪いです」
 ルキアは、視界の右側が完全に絶たれていることに気づかなかった。マーテットに指摘されて、先ほど気づいたのである。
「あれか? 遺跡の時に、モノクル壊れた時のことで、おかしくなったんだろ?」
「そうでしょうね。体調が良すぎたことを、不審に思わなければならなかったのに」
「はー。ま、ルッキーのことだから、おれっちにも何かして欲しいことがあるんだろー?」
「よくわかりましたね」
 にっこり微笑むと、マーテットが物凄く嫌そうな顔をする。
「手伝ってもいいけどさー、おれっちに見返りはあるわけ?」
「では、シェリル=パイルドを引き渡す、というのはどうでしょう?」
「!? どこにいるのか、わかってんのか!」
「予想が当たればですけど。半死半生でよければ、捕まえますが」
「………………いいだろう。シェリル=パイルドを必ず生きたまま捕まえろ」
 薄く笑うマーテットは、極悪な表情だ。

 一時間もしないうちに、ドアが開かれて、オスカーとともにローブを纏った小柄な人物が入ってきた。フードの下から、待ち構えているルキアの姿を見て、安堵の息を洩らす。
「ルキア様!」
 駆け出すトリシアに、ルキアは微笑む。
 コンコン、とドアがノックされた。開いたドアを叩いたのは。マーテットだ。
「準備かんりょーだぜ。じゃ、やるのかよ?」
「ええ」
 ルキアは頷き、立ち上がった。



 かちん、とまずは黄金の片眼鏡をはずす。突然訪問したオスカーに言われるままについて来たトリシアは、案内された小部屋を不思議そうに見回した。
 軍の本部に入ることも初めてだったが、医務室にさらに連れられたのは意外だった。
(ルキア様、調子でも悪いのかしら)
 ドアの外には、オスカーとマーテットが立っている。見張りをしているようだ。
「あ、あの、ルキア様?」
「トリシア、時間があまりないので、許可だけください」
「? なんの許可でしょう?」
「自分の妻になるか、ならないかを」
「っ」
 ぎょっとしたトリシアを見据えて、ルキアは続ける。
「これから、この部屋の内外の音を遮断します。続けて、あなたに強い魔術を使わなければなりません」
「………………やります」
 トリシアの決断に、ルキアのほうが戸惑ったようだ。彼は心配そうに伺ってくる。
「いいんですね?」
「はい。でも、嬉しい」
「? うれしい?」
「私でも、ルキア様の役に立てることがあるんですね」
「……そういう言い方は、好きではありません」
 ルキアは視線を伏せる。まるで、拗ねた子供のようだ。
 彼はゆっくりと上着を脱ぎ、近くの椅子にかけた。トリシアにベッドに腰掛けるように目で促す。
 彼の右眼に、魔法陣が浮かび上がった。途端、ざわついていた室外の音が一切聞こえなくなる。
「損得勘定で、あなたを妻にしようなんて、ひとかけらも思っていません」
 苛立ったようなルキアが、トリシアの目前にくる。彼は迫るように、トリシアに近づいた。
「役に立つかどうかなんて、どうでもいいんです」
「わかっています」
「……わかりました。覚悟ができているようなので、降参です」
 苦笑するルキアが、そっと距離をとった。ぷちぷちと、シャツのぼたんをはずしている。
「今からあなたに、魔術をかけますが……かなり痛いと思います」
「いたい、ですか」
「はい。一時的ですが、その」
 なぜか、ルキアが手を止めて真っ赤になっている。さすがにトリシアは怪訝そうにした。
「び、びっくりする、かと」
「びっくり?」
「あと、このことを少佐もマーテットも知っているので、あとでからかわれる可能性も大きくて」
「???」
「あ! でもなにをするかは、少佐は知らないので、たぶん、大丈夫かなって思うんですけどね?」
「は、はぁ」
 ルキアは、何かを決意したように顔をあげる。まっすぐに見つめてくる彼は、どこか苦しそうだ。
 ずいっと、彼は身を寄せてきた。
「大丈夫。頑張ります」
「? がんばるって、なに、を」
 震えるルキアの手が、重なる。
(ルキア様が、ふるえてる……)
 なにが怖いのかと顔をあげたトリシアの唇が、塞がれる。そのままベッドに押し倒された。
「優しくします。初めての時より、もっと。もっと、あなたを、丁寧に、扱います。だって、そうしないと」
 悩ましげな表情で、ルキアは見下ろしてきた。あまりにも壮絶な美貌に、トリシアは息をするのを忘れていた。
「自分の思考が、めちゃくちゃになりますから……!」
「…………」
「あ、あの、脱がせますよ?」
「っ!」
 カァ、と赤くなってトリシアは唇を尖らせる。「どうぞ!」と突き放すように言い放って、されるがままになった。
 衣服を丁寧に脱がせてられて全裸になったトリシアは、天井だけを見つめていた。ルキアを見れば、きっとまた呼吸困難になってしまう。
 つつつ、と彼の指が肌の上を滑る。
「陣を描いていきます。くすぐったいと思いますけど、我慢してくださいね」
「はい」
 ぎゅ、と瞼を閉じた。
「『揺れる命の灯火よ』」
 反響するような言葉は、呪文だろう。ルキアの指先が心臓の上で動いている。
 まったく痛みは感じないが、恥ずかしい。こんなに明るいところでまじまじと見られているかと思うと、羞恥に逃げ出したくなった。
 囁きのような小声は、続く。自分に魔術のことはわからないが、ルキアが懸命にやっていることだけはわかった。
(恥ずかしがってる場合じゃないけど、う、ううー! やっぱり恥ずかしい! ルキア様、足を持ち上げないで!)
 隅々まで触られてさすがにぐったりした頃、ルキアが覆いかぶさってきた。
「ではいきます。痛いので、しっかり手を繋いでくださいね」
「っ、はい!」
 反射的にぱちりと瞼を開けると、驚いたルキアの顔が目の前にあった。汗だくの彼は、目が合った途端に真っ赤に顔を染めて、瞳を泳がせた。
「う、ま、瞼は閉じていてください!」
 言われたとおりに瞼を閉じる。ルキアがなぜか深呼吸していた。
「? ルキア様、そんなに緊張しないでください」
 心配になってしまう。何をされるかよくわからないが、ルキアが取り乱してはいけないだろう。
「ちょ! あ、あなたは緊張しないんですか?」
「? 何をされるか明確に聞いていないので」
「っ、か、身体を繋ぐんですよ!」
 必死になって叫ぶルキアの言葉が、きちんと理解できた瞬間、トリシアは上半身を起き上がらせた。そうしようと、した。
 ルキアがぐっと力を込めてきたので、完全に動きを止められてしまった。
「繋ぐ段階では痛くありません。繋がっている間が、痛いですよ」
 宣言されてからは、トリシアはしっかりとルキアに握られた手に力を込めた。
[Pagetop]
inserted by FC2 system