Barkarole! メモリア19

 ランドール=コルビの屋敷の玄関ホールまで来て、ルキアはとりあえず案内してもらった兵士に礼を言ったが、彼は慌てて駆け去ってしまった。
 コルヒに何か罰を受けなければいいけれどとぼんやり考え、オスカーがなんとかするだろうと丸投げしてきたことに思考を移らせる。
 オスカーがあの場で何か言いたげだったのだから、きっと任せたほうがよかったのだ。自分は、余計なことをしてしまうだろうし。
 早々に屋敷に戻りたいところだったが、屋敷には強固な結界を張っているし、おそらく誰か見張りについているから過剰な心配をするものではないだろう。
(まあでも。一般市民を巻き込むのはよくないですよね)
 思わず、カッとなってしまった。
 よくないなあと思いつつ、ルキアは姿が見えないが、視線を向けられていることに微苦笑を浮かべてしまいそうになる。
 昔は、こうやって遠巻きにしてみてくる者たちの考えがよくわからなくて、「何故ですか?」と問い詰めたことがあった。わからないから、理解したいから……そういう行動に出たのだが、すべては裏目にでることとなった。
 綺麗すぎて怖いと……悲鳴をあげて逃げられた。
 招かれたその屋敷のメイドがそうなのだから、ほかの大人たちもそうなのだろう。そのメイドは解雇になったようだ。余計なことをしなければよかった。
 ルキアが幼い頃、両親は今の両親であり、外聞を気にするタチではなかったが、様々なものに興味があるルキアのためにとわりと気安い宴には参加してた気がする。いわゆる、ホームパーティーのようなものだ。
 幼心にも、さすがにルキアは感じ取ってしまった。自分も異質だが、貴族たちはこぞって両親を良くは思っていないことを。
 誰かに教えられるよりも、気になることは調べてしまう性格のルキアは、辞書には載っていないことを知りたがった。そして「泣く」という行為が自分には欠落していることを確信する。
(……そういえば、いじめられたんでした)
 招かれたパーティーで、年上の少年たちに囲まれたことがある。難癖をつけてきた気がするが、父親がすぐに見つけて事なきを得た気がする。
 なぜ自分がいじめられたのかをルキアは考えた。容姿が特殊なこと。両親は下級貴族であること。色々と考えて、なぜそうなったのかも考えた。つまりは、ひとという生き物は、順列をつける生物であるとそこに至った。
 人間に限らず、優劣をつけるのはどんな生き物でもあることだろう。優劣、というものを考えて、ルキアはあれこれと悩んだような気がする。まず、彼の中で大事な存在は両親しかなかった。周囲の人間は彼を敬遠するので、仲良くなることがなかったからだ。
 では両親は大事で、ほかはどうでもいいかというと、そうでもない。命は大事なものだというし、その価値は等価である。だが。
 順番をつけなければ、手から零れ落ちていく。
 全部を大事にはできない。全部を選ぶということは、できない。
 健康診断に行った病院で、魔力測定器が爆発した。それがきっかけとなり、ルキアは魔法院へと入学することにした。学ぶことは好きだったし、自分に向いているものを探すのは楽しい。
 友人を作ることはいいと判断したので、様々な者に声をかけたが、ルキアは孤独なままだった。ただ、ルキアはそれが孤独だと認識することはなかった。
 オスカーと同期で入ったのだが、彼はルキアよりも年上で、貴族としてもルキアの家よりも格が上だった。同じ授業を受けることが多かったし、友達の多いオスカーを眺めては、不思議に思ったものだ。
 魔法院に入ってわずか一ヶ月で、ルキアは将来が確定された。呼び出された学院長室には、帝国軍の軍服を着た老人が居り、学院でもトップの講師たちがこぞって首を揃えていた。
 尋ねられた、というよりは、確認したような、そんな……内容だった。
 自分の知らないところで未来が決定されたのだが、ルキアはそこに特に何も感じなかった。13歳になるまでに軍人になるための必須科目を強制的にとることにもなったし、勉強量も増えた。
 誰かに必要とされるなら、そうしようとルキアは考えた。べつに感謝されたくてしていたわけでもないが、特に目的意識もなかったので、道を決められたことは逆にありがたい事だったのかもしれない。
 軍人になるにあたって、ルキアの深層意識は変わった。まず、優劣……つまり、優先順位が変わった。軍属になるまでは方針は変えないつもりだったが、ルキアは軍人というものになるために、皇帝は別としても、国民を優先する意識になった。
 国民の中でもさらに優劣をつけた。まずは、一般市民。それも、武力を持たない者を優先的に意識するようになった。
 一般市民の中での優劣が終われば、あとは簡単だった。彼の中では軍人が一番、価値のないものになった。だから、自分もそこに含まれる。
 ルキアの両親と、トリシアは力のない一般市民だ。守る順位は高い。だから、ルキアは頭に血がのぼった。冷静さを失うくらいになるとはちょっと思っていなかったが、予想よりはわりと短い時間ですぐに立ち直ったように思う。
 彼らは国の為に命を捧げる存在ではない。守る対象だ。ルキアを支えてくれる、数少ない存在だ。
 屋敷に張った結界を、シェリルが突破できるとは思わない。そういうふうに、作り上げた。守る為に作るのだから、容赦はしない。隙も見せない。
 シェリルはああ見えて、用意周到だ。脱獄したのも、なにか理由があるだろうし、それを手助けする後ろ盾は元々あったのだろう。
(逃げた、のではなく……消えた、と考えるほうが合っているのかもしれない)
 壁に背を預けて、ルキアは腕組みをする。
(消えた、と考えるなら、前の時に使ったように、人形を替え玉にしたんでしょうけど)
 すり替わっていたのだと思うのではなく、ルキアの屋敷にきたのが元々人形だと考えれば……。
(そもそも、牢に入れられていたのが『本物』だとも考えにくいんですよね。うーん)
 まあそんなところは、自分が考えるべきものではない。
(トリシアに興味を持つなんて、十中八九、自分が婚約したからですよね……)
 オスカーには散々反対されていたし、これからの彼女のことを考えれば、あまり褒められた行為ではないのだろう。
(こんな時に)
 舌打ちしたい気分だ。トリシアを守ってくれる人を増やさなければならないというのに、こんな時にシェリルという存在が邪魔をする。
 夜会や宴に出れば、間違いなくトリシアはいい標的になるだろう。両親と同じように、いや、それ以上に酷い嘲笑を受け、孤立してしまうだろう。
「…………はぁ」
 溜息を吐く。自分にできることなど、たかが知れているから、頑張らなければならない。
 足音が聞こえて、オスカーが戻ってきたのだと顔をあげた。予想した通り、玄関ホールに続くエントランスに、オスカーが現れてこちらを見た。
「早かったですね」
「コルビ大尉は、命令が下されて、従ったに過ぎないだろうしな」
 駆け寄ってくるオスカーに、頷く。
「んん? おまえ、眉間に皺が寄ってるぞ? 考え事か?」
「え? あー、はい。トリシアのことを少し考えていました」
 途端、オスカーは心配そうに眉をさげた。
「ま、まぁ、あの子は本当にただの一般市民だしな……おまえが心配になるのもわかるけど」
「は?」
「え? は、ってなんだよ? 違うのか? 安否を心配してたんじゃないのか?」
「いえ、べつにもう安否は心配していませんよ。どうやっても、今の状態で屋敷に敵が近づくことはないでしょうし。
 心配なのは、彼女のこれからですね」
「これから?」
 首を傾げるオスカーに、はい、とルキアは応じる。
「少佐が言っていたことを思案していました。これから彼女は大変になるでしょうから、自分にできることは何かと……あれ? 少佐、なんで項垂れているんですか?」
「…………おまえのその、絶対的自信はどこからくるんだよー……」
「目先のことしか考えてない少佐とは違います」
「うお! おまえ、嫌味を言うようになったな!」
「? 嫌味ってなんですか? シェリルみたいなことは、今後も起こります。一々反応するのもどうかと考え直していただけですよ」
 そうだ。惑わされてはいけない。
 歩き出したルキアに、オスカーも続く。ルキアは屋敷に戻ってはいけない命令が出ている。それに対して反抗するなら、拘束する許可も出ていた。
 つまり、ルキアに動かれては困るなにかがあるのだろう。ならばそれに従うだけだ。何者であろうとも、あの結界を打ち破ることはできない。ルキアの家族も婚約者も、あの屋敷から出なければ安全だ。
(トリシアは慣れていないから外に出そうですけど、両親が止めるでしょうしね)
 彼女にもっと信頼されなければ。
「少佐、申し訳ないのですが」
「ん?」
「助けて欲しいことが、あります」
 驚いたように、オスカーが目を丸くしてルキアを見つめていた。

**

 ソファに座っていたシェリルは「おや」と洩らす。
「傀儡が2体同時に壊された、か。予想した通り、ファルシオン邸には強力な結界が張り直されたようだ」
 くすりと笑うシェリルに、奥のソファに座る人物が軽く震えながら尋ねた。
「ルキア=ファルシオンは本当にこちらに寝返るのか!? 婚約者を人質にとるという作戦はもう駄目だろう!?」
「駄目だろうね」
 シェリルはあっさりと肯定する。
「見張りについている『ヤト』がいることも判明したし、さて、どういう手で動こうか」
「シェリル……」
 にやにやと笑うシェリルに、男は言う。
「ルキア=ファルシオンは、かなり難しい子供だと聞いたことがある。ずっとあなたを匿っていたのは、彼を手に入れるためだ」
「ええ、この好機を、おそらく見逃す手はない。一番最初に動いた我々が、このままルキアを手に入れる」
 魔法院に居た頃から、シェリルたちはルキアの存在を狙っていた。いや、おそらくは他の組織も、他国もそうだろう。
 ルキアが『ヤト』に異動になる前に、壊滅させたあの出来事を、シェリルは思い出す。今でも思い出すたびに興奮する。
 命令だからと遂行できる人間は、僅かだ。その一握りの人間の中に、あんなに強力な魔力を持つ子供がいる……こんなにうまみのある存在はないだろう。
 シェリルの配属部隊にルキアがきた時は、どういう子供なのだろうと興味があっただけだ。噂通りの存在かどうか、見定めようと思った。
 想像以上の異常ぶりに、シェリルは快感をおぼえたほどだ。こんなに素晴らしい存在はいない、と。
 どんな甘い誘いにも惑わされないルキアは、本気で異常に思えた。彼は、からっぽなのだ。魔力を満たされたただの器なのだ。使い道を正しく選べる者が必要だ。
 だから誘ったのに、ルキアは断った。帝国に居る家族を奪っても、きっと彼の意志は覆らない。
 そんなルキアが、強引に婚約したという。ならばこれを使わないわけにはいかない。
(だがルキアは意識せずに狡猾だった。やつの婚約者は、意図せず、あの屋敷から外にほとんど出ていない)
 婚約者の娘は、それに気づいていないだろう。ルキアは外に出るなとは言っていないだろうし、自由を束縛するような行為は一切していないだろうからだ。
 多忙のルキアは屋敷に不在が多い。それを好機だとみるのは馬鹿だ。あの男は、餌を籠の中に放置して出て行くような、間抜けではない。
 最強の檻の中に、毒餌を用意して……待ち構えるようなものだ。
 不在が多くなるから、自然と屋敷の家族たちは屋敷から出なくなる。自給自足の環境が整っていることも、それを手助けした。
 不在は多いが、ルキアは必ず帝都に戻ってくる。彼の家族たちは、彼を愛するがゆえに、待つことを選択した人々だ。婚約者の娘も、同じように感化されているだろう。
「くくっ。本当に、あいつは恐ろしい子供だよ」
 第一部隊にいた頃、ルキアはまめに手紙を実家に送っていた。ただの定期報告だと本人は言っていたが、屋敷には強力な結界が張ってあった。その調子を確かめていたのだろう。
「トリシアちゃん、か。会ってみたいけど、会わせてくれないだろうなぁ」
 くるくると、掌におさまるサイズの水晶玉を弄びながら、シェリルはわらう。
「ああ、でもあいつを手に入れたら、会えるかな?」
「トリシア? ルキア=ファルシオンの婚約者か……。だが、たかが平民の娘風情に、利用価値などそれほどないだろう?」
「わかってないなぁ。階級なんてもんじゃ、ルキアは動かない。あいつはただ受動的に生きているだけ。それなのに、珍しく率先して行動してただろぉ?」
「???」
「トリシアちゃんは、ルキアのアキレス腱になる要素がある。あいつは異性を好きになるような生き物じゃないからね」
 ふふふと笑うと、男は怪訝そうにする。
「やつの医務室通いは、大変助かっていたよ。ほんと、将軍に感謝しまくったね!」
 内心、笑いが止まらなかった。汗臭い指導をする老いた将軍は、シェリルのことなど眼中になかった!
 おかげでルキアと色々話もできたし、彼の詳細な情報も得られた。親しく声をかけ、親身になってやった。だが。
 最後の痛烈な彼の言葉を思い出し、シェリルは腹がよじれてしまうほど、げらげらと笑い声をたてた。
「あの子供は! どんな人間でも受け入れるが、ひどく欠損している欠陥品なんだよ!」
 身体にどこにも異常は見当たらないし、とてもではないが、測定した魔力がおさまっているとも思えない。普段は、右目につけている眼鏡で魔力を抑え込んではいるが、アレが作られる前はどうだったのだろうか。
 一度、尋ねたことにルキアはあっさりと教えてくれた。べつに隠しているつもりはないという。
 右眼はもう、ほとんど見えないそうだ。
 おかしいとシェリルは思った。あれほどの魔力を、右眼ひとつで代価にできるわけがない。なにかあるはずだ。魔術による睡眠などでも、代価には程遠い。
 肉体を代価にしているのが一部ならば、ほかの部分ではないのか。トリッパーのように、何かが欠損しているのではないか。
 欠落者、というのは確かにルキアには当てはまる。帝国人にしか発症しない病のようなもので、感情が著しく鈍くなるのだ。だが。
(ルキアのは、そういうレベルじゃない)
 感情の機微は、確かに察知する能力が低くみえる。周囲の感情もまったく気にもしないのも、それゆえだろう。
 ルキアはそもそも、激情に長時間流されないのだ。熱して冷めやすい、というのが当てはまるかもしれないが、度が違う。
 もしも、あの子供がそうではなくなったとしたら……きっとソレはなにかの兆しだと思う。
「時期的にみて、遺跡探査から戻ってすぐだと聞いたけど? 婚約したのは」
「ああ」
「ふぅん。遺跡でなにかあったかな」
 トリシアという他者を、完全に認識した瞬間があったはずだ。女性を、性別が違う人間くらいにしか認識していなかったルキアが、結婚したいと思うことなどないと、帝国の誰もが思ったはずだ。
「フフッ。面白いなあ。ほんと、オモシロイ」
「笑っている場合か……」
「わかっているよ。笑ってる場合じゃないね。でも、さ」
 知っている。
「ルキアの肉体は、そう長くはもたないだろうよ」
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