Barkarole! メモリア17

 押し黙ったままのルキアは、連れてこられた家屋の前に停車した馬車から降りて、背後に続くオスカーを肩越しに見上げる。
「少佐、いい加減その表情をやめてくださいよ」
 唇をへの字に曲げ、いまにも泣き出さんばかりの表情の情けないオスカーを、呆れたように見つめた。
「もうやだ……」
「やだ、って……作戦中ですよ、少佐」
「作戦中でもだよッ!」
 馬車から降りて、ダンダンッとその場で足踏みする。とてもではないが、三十代の男のやることではない。
 オスカーはすぐさま頭を抱えた。
「おおお、こんなことがバレたら、俺は、俺は……!」
「? なんだかよくわかりませんが、少佐は苦労してるんですね」
「おまえのせいだよ、おまえのおおおおお!」
 人差し指を突きつけられ、ルキアは半眼になる。
「駄目ですよ、少佐。指を突きつけるのは、あまり褒められた行為では……」
「うるせーっ! おまえ、ほんっとヤなやつだよな!」
「はぁ、まぁ」
「なんだそのわかってない顔はーっ!」
 やだもー! と全力で悲鳴をあげるオスカーを一瞥してから、ルキアは軽く首を傾げた。
 どうやら馬車の中で、昨夜のうちにやっていた作業を話したことが原因らしい。徐々に彼の顔が青くなり、途中でぶるぶる震えていたのだが……。
(聞かせろとしつこく言ってきたのは少佐なのに)
 途中で「ギャー!」と悲鳴をあげたと思ったら、そのまま両耳を塞いで馬車のすみっこに寄って小さくなっていた。……なんなんだ。
 家屋のドアに手をかけて、ルキアは開く。軋んだドアの先は薄暗く、見えない。人の気配はするので、誰かが待ち受けているのはわかっているのだが。
 ずんずんと奥に進む。人の気配があるほうへと。
 家屋の中は、光が入らないようにしてあった。窓という窓は、おそらく塞がれているはずだ。
 ここはどこあたりだろう?
(太陽の位置から場所を割り出すのは難しいですね。下町なのは、確かでしょうけど)
 かなりの距離、ルキアの屋敷から離されたのは間違いない。これでは愛しい婚約者や、家族のもとへすぐには駆けつけることができない。
(自分でも、さすがに空は飛べませんからね……)
 人の気配がある部屋のドアに手をかけると、開けた。蝋燭の明かりに照らされて、見覚えのない男が待ち構えていた。軍服を着ているから、軍人なのだろう。
「ファルシオン少尉、お待ちしていました」
 敬礼をすることから、自分より階級が下なのだと理解する。
 ちら、とルキアが足元に目を遣った。ルキアはそこから一歩も動かない。
「こんにちは。あの、どちらさまでしょう」
「今回の作戦内容に関わるので、そこはご容赦ください」
「……そうですか」
「? おいルキア、なんで部屋に入らないんだ?」
 背後から、追いついたオスカーが声をかけてくる。ルキアは肩越しに見上げてから、室内の男に視線を戻す。
「……いえ、室内に罠があるので……どうにも、ね」
「えっ」
 目を剥くオスカーと違い、男は動揺したように顔を強張らせた。
 ルキアの、金縁の片眼鏡の奥の紅玉の瞳にぼんやりと魔法陣が浮かび上がる。……「みえる」。
 足元の、床に描かれた陣は囮だ。こちらではなく……あちら。男の手前にある蝋燭のほうが問題だろう。
(幻影……)
 人の思考を麻痺させ、強く訴える魔術があの蝋燭にかけられている。炎が揺らめくのをじっと見ていると、徐々に意識がぼんやりとしていくだろう。
 ルキアは内心、苦笑してしまう。……最強の魔術師と、天才だと言うわりに……こんな小手先の術に自分が引っかかると思っているところが……驚くべきことだろう。
「……あの、こんな策を弄せずとも、事情を話してくだされば協力はしますが」
「ひっ」
 反射的に男が悲鳴をあげる。……見破ったルキアに、畏怖したのだろう。
 ……この反応が、「当たり前」なのだ。
(…………そうですね。ええ、そうでした)
 トリシアと一緒にいると、心地よくて忘れてしまいそうになる。……異端の、自分を。
(参りましたね。でも今更、わざとらしく罠に引っかかるのもどうかと思いますし)
 ああ、空気が読めないとまた言われるのだろうか。
 とりあえず部屋には踏み込まずに話を続けよう。
「作戦内容の詳細を知りたかったのですが……今回の発案者は誰ですか?」
 男は完全に怯えている。オスカーがさすがに不憫に思ったのか、後頭部を掻いた。
「あー、えっと、もうバレたんだし、どういう流れかは言った方が身のためだと思うぞ?」
(身のため、ですか。確かに、命令が遂行できなければこの兵士は、上の者から罰せられる可能性があります)
 なるほどと頷いていると、オスカーがちらちらとこちらを見ているのに気づいた。
「? 少佐?」
「えっ!? あー、うん。言ったほうが、いいぞ?」
(なぜ2回も……)
 よくわからないことをしている、少佐は。二度も促す必要性は感じられなかったのだが。
「……少尉を、一時的ですが拘留せよと……」
「拘留? あの、自分はなにかしたのでしょうか?」
 言ってくれれば、まぁ……納得できれば従う心積もりできたのに。これではまるで、自分が納得しないみたいではないか。
 青ざめている兵士は、こちらと目を合わせようとしない。
「自分の家族を囮にするというのは、もう納得していますからそこまで青くならなくても大丈夫ですよ」
「っ、し、知りません! 私は、ただ、命じられてここに居ただけなので……!」
(うーん、困りました。なぜ彼だけなんでしょう? ん……?)
 小さなこの家屋を、何人かが取り囲んでいる。
(……あぁ、彼が囮なんですね。気づかないとでも思っているんですかね……)
 今度こそ、わざと捕まったほうがいいだろうか。
 そもそもなぜ、ルキアが反逆でもすると思っているのかわからない。命令ならば、従うのに。
(? 自分が従わないと思っている人物? 誰でしょう……)
 もちろん、『ヤト』のメンバーではない。それに、皇帝一族も外される。軍の人間だろうが、ルキアのことを上辺でしか判断していない……また、甘い判定をする人物……。
 だがそもそも、ルキアの交友関係は狭い。だから見当もつかなかった。
 ふいに脳裏で閃き、ルキアは目を細める。
「……なるほど。全員まとめて閉じ込める気なんですかね……。少佐や、見ず知らずの兵士では」
 自分の足かせにすらならないというのに――。
 声が小さくなった最後のほうは、誰にも聞き取られていないはずだ。無意識に出た言葉だが、聞くものが聞けば、また無神経だのなんだの言われるだろう。
(『血の呪縛』を使わないのは、『ヤト』のことを知らないからでしょうね)
 あれさえ使えば、簡単にルキアに命じることができる。……最重要機密だから、トリシアにも言えないことだが。
 ああほんと。
「嫌になりますね」
 ぼそりと洩らした言葉は、怖気が走るほど低くて冷たいものだった。
 ああ本当に、嫌になる。次から次に、新たな感情が湧き出してきて、制御できなくて、苛立って、どうしようも、ない!
「ルキア? おい、ルキア!」
 背後から肩を捕まれ、揺すられる。ルキアは「なんですか」と応じた。
「しっかりしろ! ぼんやりするな!」
「ぼんやりしてませんよ。ただ、なんというか、破壊的な感情なんです」
 できないことはない。できることのほうが多いのだ。
「ね、眠いのか!?」
「ねむい?」
 そういえば、魔術を使いすぎると眠くなる。その作用のことを、失念していた。
(一ヶ月……)
 それ以上が経過しつつあるのに、眠くならない。純粋な睡眠は肉体が欲するが、魔術による睡眠は、まったく起きていない。
 調子がよすぎて、不気味になってしまう。ぞくりとして、ルキアは苦笑してしまった。
「困りました」
「ルキア?」
「はは。マーテットに相談したら、また実験体になれとか言われますかねぇ」
「お、おい大丈夫か? なにか幻覚でも見てるのか? お、おーい!」
 不安に震える声が聞こえるが、ルキアには届いていなかった。彼の見ている先は、怯える下級兵士だけだ。彼はぶるぶるとみっともなく揺れている。
 よく、理解できない感情だ。
 まあいい。相手側の要求を呑みさえすればなんとかなるだろうと判断し、ルキアはきびすを返す。オスカーの腕の下を、身を屈めて通り過ぎ、それから外に出た。
 もはや周囲は闇に塗り潰されている。街灯がまともに設置されていない区域に連れて来られたらしい。
「ん?」
 すいっと周辺に視線を遣る。ルキアの右目には「みえて」いる。張り巡らされてる陣が、あまりにも多い。
(魔術に依存しすぎですね。万能の力ではないというのに)
「自分を捕まえたいなら、正々堂々、正面から来たらいいのに」
 こそこそと。
 なぜか、不愉快な気持ちになる。ささくれ立った心に、ルキアは怪訝そうにするしかない。
「うぅ、なんだか食あたりを起こしたような気分です」
 眉間に皺を寄せて唸る。一度俯かせてから、あげた顔。その瞳には魔法陣が浮かび上がっている。
「足止めするつもりか、なんなのか知りませんけど。隠れていないできちんと出てきて話をしてください。
 宣言します。これから、ひとつずつ壊していきますよ」
 言い聞かせるように言葉を吐き出し、ルキアは一歩、前に踏み出した。



 震える手で持つ手紙の文字を、もう何度も繰り返してみている。
「ゆ、遺言状……」
 真っ青になったトリシアは、彼が、己の財産を両親とトリシアに遺すと記している文字を目で追う。
「ど、どうしてこんなもの……」
 命はあげられませんけど。
 ふいに彼の声が蘇り、トリシアは手紙を落としてしまう。
 彼が命を捧げる相手は――国と皇帝だ。
 どうしようもないことだって……ある。彼は軍人で、この帝国のために働くことにしている。だけど、そんな。
 その時だ。バチィ! と激しい音がした。眩い光がカーテンの隙間から室内を直撃する。
「な、なに?」
 驚愕するトリシアは、すぐさま振り返ってカーテンを開けた。空が、半円の形に光っている。
 この屋敷を覆うように、光の文字がくるくると躍るように舞い、美しい輝きを放って守りの力を発揮していた。
「な、なにが起こって……」
 窓を開け放ってバルコニーへと飛び出す。そして見つめた先、光が一際激しく主張しているそこには、人間がいた。玄関正面の、あの細い小道に。
 ルキアが戻ってくる、あの細い道の真ん中に、侵入を阻まれた人物が雁字搦めの状態で浮いている。
「あれ、は」
 桃色の長い髪。シェリル=パイルドだ。
 薄笑いを浮かべている彼女は、こちらをまっすぐに見ている。爛々と光る瞳で、トリシアだけを見つめている。
「こえー! ルッキーってばこんなの仕掛けてたわけー?」
 白衣を軍服の上に羽織った、ぼさぼさ頭の青年がひょこひょこと歩きながら、シェリルに近づいていた。その後ろには、寡黙そうな金髪の青年・ロイが続く。
「おっそろしー……。こんな複雑な魔術、よく気づかれないように仕掛けてたなー。恐れ入るよ、ほんとに」
「昨晩の時点ではなかったはず。では、その後に仕掛けたということか」
「いや、あのねロイロイ。感心するところじゃないからね?」
「なぜだ。やはりあいつもただの阿呆ではなかったか」
「……ロイロイって、時々思うけど、大丈夫?」
「なにがだ?」
「…………」
 マーテットは渋い顔になるが、すぐに気を取り直して空中に拘束されているシェリルに向き直る。
「えーっと、てか、ほんとに本人なわけー? 怪しさ爆発じゃない?」
 不安そうなマーテットの言葉の直後、今度は敷地内の別の場所で光が炸裂した。再び半円の魔法陣が発動している。
 ぎょっとしたようにマーテットが身を引いていた。
「え、ええっ!? ほかに侵入者がいるわけ? てか、ルッキー怖いよマジで!」
「魔術の分野はよくわからないが、こんなことまでできるのだな」
「感心してないで、ロイロイあっちに向かってよ……」
「わかった」
 素早くちかちかと光を主張する方向にロイは駆け去ってしまう。
 マーテットはわしわしと己の頭を掻き、呆然としているトリシアに視線を遣った。
「はいはーい、大丈夫だからトリシャは部屋に戻ることー!」
「え? あ、はい」
 戻るようにジェスチャーまでされてしまった。トリシアは室内に戻るとしっかり窓に鍵をかけ、カーテンを閉めようか迷ったが……閉めてから、慌ててルキアの両親の元に向かった。
 ルキアの両親は食堂におり、そこでお茶をしていた。トリシアが侵入者がいることを伝えると、彼らはのほほんとした様子でなぜか納得していた。
「あー、それでルキアが夜明けまで外をうろうろしてたわけかー」
「そういえばあの子、ぶつぶつ言いながらず〜っと歩いていたわね」
 息子の奇怪な行動をまったくおかしく思っていない二人は、のんびりとお茶を飲む。
「あ、あの、驚かないんですか?」
「まあ前にもこんなことあったしね」
「そうそう。軍に勤めてからしばらくは、こんな感じだったわよね」
 夫妻ののんびりとした会話に、トリシアは戸惑うしかない。
「まあまあ、座って座って」
 父親のほうに促され、椅子に腰掛ける。
「夜遅くに、あの子が外に出て行ったのは見てたし。トリシアちゃんにすごい勢いで謝ってたのも、多少は聞こえてたよ」
「うっ、そ、そうですか」
 見られてはいないようで、安心した。不恰好なキスまで見られていたら、恥ずかしすぎて逃げたい。
「その後よね〜。また一人で出て行って、屋敷の外をうろうろしてたっぽいの」
「あの、義父様も、義母様も、寝ていらっしゃらないんですか?」
「まさか〜。早寝早起きだよね?」
「ええ」
 頷きあう二人に、トリシアは首を傾げてしまいそうだ。
「まあでも、あんなのでも息子だしね。何かする時はきちんと許可をとるしね」
「世帯主があの子になっても、癖みたいにやってるものね」
「『今から、少し厄介なことをします。外を見ないでください。ああ、トリシアは眠っているので心配はありませんから。母上と父上は、このまま眠ってください。外を見ないで。目が傷みますし、下手をすると視力がなくなるので』だってさ!」
 肩をすくめる父親は、ルキアの口調を真似て言う。トリシアはゾッとしてしまった。あの少年魔術師は、『なに』をこの屋敷に仕掛けていたのだろうか。
「トリシアちゃん、あの子はね、とっても馬鹿で不器用なんだよ」
 やれやれ〜と情けなく洩らす父親に、母親が困ったように笑っている。
「それにねぇ」
 お茶を飲み干して、父親は笑った。
「あの子、何度も殺されそうになったんだよね」
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