Barkarole! メモリア15

 馬車に乗り込んだルキアは、トリシアに見せた表情を消して、きつくオスカーを睨みつけた。
「少佐、なにがあったんです?」
「…………」
「少佐」
「シェリル=パイルドが姿を消したんだよ」
「逃がしたんですね」
 冷たいルキアの声に、オスカーは慌てる。
「もっと言葉を包めよ! 傷つくだろっ」
「事実しか言ってないんですけど。
 それで? わざわざ自分だけ呼び出すということは、囮にでも……」
 そこでルキアは表情を苦々しいものに変化させる。
「馬車を止めないと、破壊しますよ」
 物騒な発言に、オスカーが顔をしかめた。
「よせ。これは正式な命令だ」
「……彼女は軍属ではないし、自分の家族も、一般市民です」
「おまえに命令が出てるんだ。作戦行動をとれ」
「っ」
 わなわなと拳を震わせるルキアが、「そうですか」と低く呟く。
「立案者は誰です? ギュスターヴではないでしょうし、これは『ヤト』の管轄ではないですよね」
「……おまえの予想は当たってる。今回の立案者は、別口のお偉いさんだ」
「…………『ヤト』に要請をしてきたんですか。いい度胸ですね」
 皇帝直属の精鋭部隊に命令をしてくるなど、正気とは思えない。
「というか、おまえだな。おまえだけに命じてるんだ。だから、必然的に『ヤト』として引き受けざるを得なかったみたいだな」
「階級が上でも、権利を行使して命令を辞退したい……と、自分が言ったらどうするんです?」
 オスカーは驚いたようで、大きく目を見開く。
「取引したんですね。材料は……教えてもらえないのでしょう?」
「……ああ。俺も聞かされてないからな」
「………………」
 無言になるルキアが俯く。ショックが大きいだろうなとオスカーは困ってしまう。
「おまえが、家族から距離をとる。それが任務だ」
「……囮にするんですね」
「まあ、そうだろうな……」
「どうして家族を?」
「シェリル=パイルドが、トリシア嬢ちゃんに異常に執着してたからだ」
 その言葉に、ルキアはパッと顔をあげる。血の気が引き、信じられないという顔をしていた。
「執着? シェリルがですか? 信じられません」
「それは俺も同意する。ただのなにもできないお嬢ちゃんには、なんの魅力も感じないからな。無害なだけは認める」
「……一体、なにが引き金になったんでしょうか……」
「引き金?」
「はい。シェリルは、自分の元・同僚です。不愉快ですけどね、今となっては。
 特に、『強さ』に執着していた……『特別』にも」
 そういえば、「あの件」にはルキアの名前もあったことを、オスカーは思い出す。とはいえ、ルキアは同じ部隊に所属していただけで、シェリルとは一切関係がなく、無罪放免だったわけだが。
 頬杖をつくオスカーが、目を細める。
「報告にあがってたけど、シェリル=パイルドは、おまえを狙ってたんだろ?」
「はい」
 あっさりとルキアが肯定した。がらがらと、馬車の車輪の音、そして馬の蹄の音だけが少し長く響いた。二人が無言になったからだ。
「……あー、えっと、おまえを狙ってたって、どういうこと?」
「簡単に言えば、勧誘ですね」
「かんゆう……」
 へぇ〜、とオスカーは妙な笑いを浮かべる。シェリルがルキアに親切にしていたのには、理由があったはずだと思っていたからだ。
 ルキアは軍医として接していたので、特別親しくはないと報告していたらしいし、ルキアの認識はそうなのだろう。だが、相手が違う認識をしていたら?
「勧誘って具体的にどんな感じで?」
「は? ……そうですね、まあありきたりでしたが、君は特別だ、と散々言われました」
 またか、とオスカーはうんざりした。
 ルキアの存在は強力な光と同じだ。あまりにも強烈すぎて、皆、思考が狂わされる。羨望を見出し、希望を持ち、勝手にその力を手中にしたがる。……そんな連中がルキアに声をかけてくる常套句だった。
「もっとバラエティに富んだ口説き文句はないのか!? 面白くない!」
 腕組みしてぷりぷりと怒るオスカーに、ルキアは少しだけ元気がでたようだ。安心したのか、小さく微笑する。
 だがその表情はすぐに曇る。
「シェリルは、そんな単純な相手じゃありません。自分とは根本的に違うので、正直、理解はできませんが」
「根本的、ねぇ……。おまえのことを利用しようとしたんだろ?」
「利用、とは少し違いますね。シェリルは、『特別な存在』が線引きのような……そんな言い方をしていた」
 なにかを思い出すかのように、ルキアは顔をしかめる。ルキアが第一部隊から退く直前に起こった「事件」で、シェリルは獄中行きとなったわけだが……そのことを恨んでいる様子は、オスカーには感じられなかった。
 まるでヤツは、ルキアを「迎えに」行ったような気軽さだったからだ。
 それが当たり前で、なにひとつ間違っていないかのような……。
(妄信、か?)
 だがその言葉もしっくりこない。空寒さだけ感じる。
「『特別』なおまえが婚約するって聞いて、驚いた……のとは少し違う、気がしてきた」
「ええ」
 ルキアは実際は、自由奔放にみえて、『ヤト』内でもっとも自由の制限がかけられている。ルキアが強引にことを進めなければ、結婚相手も軍が勝手に用意しただろう。いいや……軍ではない。政府だ。
 計算ではないにせよ、トリシアは出自が孤児のうえ、平民だった。おそらく本人はかなり細部まで調査されていることを知らない。
 政府にも、軍にも、トリシアは「無害」と判断されたのだ。だからこそ、ルキアは彼女を手に入れられた。
(そうか……ドゥーリアの見合いも、考えてみれば潰されたかもしれないな)
 興味がないルキアは早々に断っていたようだが……ルキアに有利に働くものを政府は与えないだろう。
 オスカーはゾッとしてしまう。まじまじとルキアを見てしまった。
 目の前の少年には、見えない鎖が幾重にも巻き付いている。
(ルキアが必要以上に警戒してるのは、そのためか)
 与えられたお気に入りの玩具を手放したくないだけだと、勝手に思っていた。
 恋に盲目になっているだけではない。大切だから、守ろうとしているのだ。
(そっか……。本能的に、あの嬢ちゃんが傷つけられるのがわかってんだな……)
 オスカーはつい昨日、ルキアに言い放った言葉を思い出す。大事な家族を切り捨てることができるか、と。
 ルキアは「迷うが、できる」と言ってきた。そうするしかない、のだ。
 自分自身も、家も、権力も、地位も、すべてを行使するとルキアは言っていた。ありったけの武器。ルキアには「それだけしか」武器がないのだ。
 大切な家族を守るためには、自分自身すらも、捨て駒にするしかない。
 ……だが、そうしたところで、必ずしも守れるという確約は得られない。実際、今回あっさりとルキアは家族から引き離されている。
 あっさり?
(ん?)
 オスカーはそこで瞬きを繰り返した。
「あ、のさ、ルキア」
「はい?」
「おまえ、昨日……あれから、なにしてた?」
 すぅ、とルキアが目を細める。オスカーの予想は的中したようだ。
「なにって……色々ですよ」
「いろいろ?」
 いろいろって、なに? なにしてたの、こいつ。
「ああそうだ、命令の内容を教えてください。あと、可能でしたら今回の作戦内容も教えてください、少佐」
 こわい。オスカーははっきりとそう思った。



「あー、あっちは大丈夫かねぇ」
 ぼんやりと呟くのは、ぼさぼさ頭に丸眼鏡の、白衣の青年だ。名を、マーテット=アスラーダという。『ヤト』の軍医だ。
 向かいに座るのは、腰に剣を佩いた、絶滅したという騎士なる職業にいそうな金髪の青年の、ロイ=スペンドである。
 ファルシオン邸を見張っている二人は、隠した馬車の中に居た。
「あっち?」
 ロイは端正な顔を、小窓へと遣っていた視線をはずして向けてくる。
「ほらー、オッスの旦那のほう。ルッキーのことだから、軍令だって言えば、大人しくしてくれるとは思うけどさー」
「ああ」
 なるほどとロイは軽く頷く。
「確かにルキアは、ああ言えば大人しく従うだろうが……」
 二人は、思わず無言になる。
 一ヶ月前、新しく発見された遺跡から帰還してすぐのことを、思い出してしまったからだ。
 あの時、『ヤト』の面々は休養が必要だった。その最中、ルキアが思いがけない行動に出たのだ。
 庶民を娶ると言い出した時は、全員が完全に沈黙してしまった。前例がないわけではないが、ルキアがそんなことを言い出すとは誰も予想していなかったためだ。
「……一番叫んでたの、オッスの旦那だしね……」
 はははと乾いた笑いをマーテットが洩らした。「あほおおおおおおおお!」と絶叫をあげたのはオスカーだったのだ。叫び疲れて途中で気絶してしまったほどだ。
「ああ、オスカーは少し、落ち着いたほうがいいと思う。僕より年上なのだし」
「あー、そういえば、ロイロイのほうが年下だっけ」
 外見からすれば、ロイとオスカーは同い年のように見えてしまう。確かによく見れば、ロイのほうが若いのだが。ロイがいつも落ち着いているから、大人びて見えるのだろう。
 マーテットはやれやれと頭を掻いた。
「いやー、しっかしトリシャに手ぇ出すとは思ってなかったなぁ〜。妙に執着してるとは思ったけど」
「女性にしては、潔いのは好感が持てる」
「ロイロイ、それ、ルッキーの前で言ったらすげぇ顔で睨まれるからな」
「なぜだ? 褒めているのに」
「いやー、ロイロイもにっぶいの忘れてたわ。ごめーん」
 面倒そうに言うマーテットは、はぁ、と大きく息を吐く。
「ほんとに狙いはトリシャなのかな〜」
「まあ十中八九そうだろうが、素直に現れるとは思えない」
「だよね〜。いかにも、罠です〜って感じだもんな」
「シェリル=パイルドをわざと逃がす意味がわからない」
 まあね〜、とマーテットは頬杖をつきながら同意した。そもそも今回の件は、『ヤト』が処理するものではない。彼らは皇帝のために動くのであって、ほかの連中から動かされるいわれはないのだ。
「……関わってんのが誰か、教えてくれないんだもんなー、総統は」
「なにで取引したのか……」
「ほんとだよ」
 軍のトップにいるのは、総統だ。『ヤト』でも一番位が高いギュスターヴよりも、はるかに上の職位になる。
 だがその総統でさえ、『ヤト』は自由にできない。『ヤト』は軍属の中でも特殊中の特殊なのだ。
 なぜルキアを放置したままにしているのか、そのこともずっと『ヤト』たちは気になっていたのだ。彼の魔力は膨大で、人の手には余る。余り過ぎるものだ。
 魔力というのは、そもそも生命力に類似した別の力だ。皇帝の血族はそもそもが、生命力が強靭なタイプが多い。だがルキアはなんの変哲もない、下級貴族の生まれだ。両親ともに、確かに顔立ちはいいほうだが、変わり者で有名である。
「突然変異ってやつ、なのかなぁ」
 ぼんやりと呟くマーテットは、常々からルキアに「解剖させてくれ!」と頼んでは断られていた。……当然だが、本人はなぜ断られるのかわかっていない。
「ルキアがか?」
「だって普通に考えたら、あの魔力量は相当おかしいからな。よくまぁ、実験体にされなかったもんだ」
 あれ? とマーテットが動きを止めた。
「えぇ? そうだ。なんでルッキーは実験体にされなかったんだ? いくら魔力測定でおかしな結果が出ても……」
 兵器として転用することをすぐさま考える人間は稀だ。使いこなせない武器ほど厄介なものでしかないのだから。
 マーテットは徐々に顔を引きつらせる。
 ぶんぶん、と彼は右手を左右に振った。その様子に、ロイは不思議そうな顔をする。
「どうした、マーテット」
「いんや。ちょっと考えたくなかったっていうか、あんまり深く考えるとやばそうっていうか……やめやめ」
「よくわからないが、考え込むと、頭皮と頭髪によくない」
「……あのさ、ロイロイって、ルッキーに似てるって言われない?」
「言われないが」
「あっそ」
 生真面目な顔で返されて、マーテットはやれやれと頬杖をついた。
「やだなぁ、この組み合わせ。ていうか、ヤトの連中はみんなヤだ」
「……時々思うのだが」
 呑気な様子でロイがマーテットを静かに見つめている。本当に、黙ってこうして見れば、変人とは思えないほど眉目秀麗な男だ。
「おまえ、自分も『ヤト』だって忘れてるんじゃないか? 大丈夫か?」
「そういう心配しなくていーからっ」
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