Barkarole! メモリア11

 ルキアは、嘆息した。そして目の前の人物を睨みつける。
「よくもまあ、のこのこと顔を出せましたね、シェリル」
 侮蔑を含んだ言い方に、シェリルと呼ばれた美女は妖艶に嗤った。
「咄嗟に身を引くのは、相変わらずなんだねぇ」
「気持ち悪いことをしようとするからです」
「あれえ? キスがそんなに悪いこと?」
 可愛らしく首を傾げられても、ルキアにとっては吐き気がするようなものだ。
 シェリルは目線を屋敷のほうに遣り、意味ありげに笑う。
「キミが婚約したと聞いて、お祝いに駆けつけた、元同僚に……ひどいなぁ」
「祝いの言葉はいりません。早々に帰ってください」
「冷たい」
 くすりと笑うシェリル相手に、ルキアはそれでも冷淡だった。
「どうしちゃったの? 前はこんなに露骨に感情を出さなかったじゃない」
「放っておいてください」
「……ふぅん?」
「そこまで」
 静かな声が割り込む。シェリルが目を細めて肩越しに背後を見る。
 立っているのはマーテットだ。ぼさぼさの髪をした長身の彼は、白衣を軍服の上から着込んでいる。
「シェリル=パイルド、おまえの身柄を拘束する!」
 ポケットに両手を突っ込んだまま、マーテットがそう宣言した。屋敷の敷地に結界が張られたのはその時だ。
 シェリルは「ふぅん」と洩らして空を見上げる。
「なるほど。ほかにも腕のいい魔術師がいるってこと、か」
 視線をルキアに向けて、シェリルは低く笑う。
「頭を使うようになったじゃないか、ルキア。連携プレイもできるようになったとは、なかなか成長したね」
「仲間に恵まれているので」
 ルキアの発言にマーテットが微妙な顔をしたが、シェリルもルキアも気づかなかった。
「さあ、観念するんですね。あなたの逃走経路はもうない。それに、あなたを逃がすつもりは毛頭ありません」
「そういうこった」
 マーテットが便乗して頷き、ニッと口角をあげる。
 目を細めるシェリルは二人を交互に見て、それから屋敷のほうを見遣る。その動作を不審に思ったルキアが、怪訝そうに眉をひそめた。
「私がなにも策を持っていないとでも?」
「なにも対策せずに、婚約者を屋敷に置いてきたりしません」
 すぐさまルキアが言い返したので、シェリルは軽く目を見開く。そして屋敷がしん、と静まっているのに「へぇ」と言葉を洩らした。
「相変わらずなんだね、そういうところ。用意周到というか、さすがだ。『紫電のルキア』」
「褒めてもなにも出ませんよ」
 あっさりと言うルキアは、笑う。まるで妖精の微笑みだ。見ている者の心を、甘くとろかせるような。
 だがそれは、受け取る相手によるだろう。シェリルは余裕の表情こそ消さないが、焦ってはいるのではないだろうか?
 大人しくマーテットに捕縛されて歩き出すシェリルを見送り、ルキアは入れ替わるようにやって来たオスカーに不機嫌な顔を向ける。
「少佐、なにをしていたんですか」
「なにって、結界を張ってやっただろうが! おまえは知らないだろうが、やつの仲間がわんさかいたんだぞ! そっちが大変だったんだぞ!」
「……ここの結界を解いたのは、少佐ですね」
 凄まれたオスカーは「うっ」と、なにかが喉につっかえたような声を出して、うな垂れる。都合よくオスカーが馬車で現れたと思ってはいたが、タイミングが良すぎた。
 そもそもオスカーのことだから、心配はあっただろうが、首を突っ込むような行動はしない。彼は彼で、任務を帯びていたのだ。
「シェリルが脱獄したとは、知りませんでした」
「そんなの俺だって知るか! 下された命令に従っただけだ!」
 オスカーはなかば自棄になって叫ぶ。
 はーっと、疲れたように大きく息を吐いたオスカーは、屋敷のほうへと目配せした。
「おまえ、あそこにも仕掛けがあるのか? 結界もなかなか骨が折れたんだが」
「大事な家族がいますからね。用心はしていますよ」
「……ふつうはさ、ここで恋人が窮地に陥っておまえが颯爽と助け出すとか……そういうわかりやすい読み物なかったか?」
「ああ、シャルル殿下がよく読む系統の本ですね。あれは油断しすぎだと思いますよ」
 さらりと言い放ち、ルキアは屋敷に戻るべく歩き出す。
「本当に大事なら、幾重にも最悪を想定すべきですね。なにかあってからでは遅いですから」
「こ、こわいな、おまえ……」
「人間は、階段から落ちて首でも折ろうものならすぐに死ぬような、そんな生き物なんですよ」
 だからこそ。
 ルキアは笑みを浮かべた。
「『絶対』などない。けれども、それに近い状態を作ることに余念を許さないようにするのが、筋ではないでしょうか?」
 残されたオスカーは、処理が残っているのでマーテットを追って駆け出した。

 屋敷の扉を開けたルキアは、事態が呑み込めないまま突っ立っているトリシアに微笑した。
「心配して、部屋から出てきてしまったんですね。大丈夫、終わりました」
「……ルキア様」
「安心してください。賊は捕まえましたよ」
 安心させるように笑ったつもりだが、彼女の緊張は解けない。
「あ、の」
「はい?」
「お知り合い、ですか?」
 驚いたルキアが目を見開く。
「え、えぇ、そうですね。知り合いです」
「…………」
 なにを落ち込んでいるのか、ルキアには見当がつかない。焦ってしまうルキアは、慌てた。
「怖かったですか!?」
「えっ」
「すみません! 配慮に欠けました」
 思い切り頭をさげて、その姿勢のまま続ける。
「あなたが安心できるようにもっと心を砕くべきでした……!」
「ルキア様っ」
「不甲斐ない自分に呆れましたか? 申し訳ありません! 気の済むまで殴っていいですから!」
 ぐいっと頭をあげて、彼女を見る。トリシアは混乱した眼差しを向けてきていたが、ルキアは構わずに一歩近づいた。
「どうぞ!」
「……あの、目をつぶってください」
「承知しました!」
 両腕を腰のあたりで組み、ルキアは瞼を強く閉じる。平手が飛んでこようが、拳が頬にめり込もうが、大丈夫だ。
 反射的に攻撃を避けようとするから、足を踏ん張る。トリシアが近づいてきて、屈んできた。
 両頬に手を添えられて、ルキアはいよいよかと唇を引き結んだ。そこに、あたたかい何かが当たる。
 ぎょっとして瞼を開いた先には、眼前いっぱいに広がるトリシアの顔。……キスをされている。
「っ」
 驚いて硬直するルキアは、一気に頭に血がのぼってしまう。
 唇を押し当てるだけの、不器用な口付けをしてくるトリシアは必死な顔だ。真っ赤に染まった頬といい、微かに震える手といい……。
 ゆっくりと唇が離れて、ルキアはぼそりと洩らす。
「なるほど。確かに耐久はかなりの罰です」
 瞼をあげたトリシアが、恥らって俯いてしまう。
「すみません、うまくできないですね、キスって……。ルキア様は上手なのに」
「上手いか下手かは判断しかねますね。自分はあなたとしかキスをしたことがないので」
「えっ?」
「なぜ驚くのです?」
「え、だ、だって」
 おろおろするトリシアの顔色は、赤くなったり青くなったりと忙しい。
 一体どうしたというのか。他者の機微に疎いルキアとしては、説明をしてくれない限り、その心情は推し量れない。
「わ、私以外にも、そういう経験があるのかと」
「そういう?」
「あ、の、女性経験とか」
「………………」
 言われた言葉の意味を把握するのに、数秒かかった。
 脳裏に浮かんだのは、シャルル殿下から渡された、巷で人気の恋愛小説だ。
 やっと合点がいったルキアは、そこでまた疑問になる。なぜ彼女はそのように突然思ったのだろうか?
 急にキスをしてくるのだって、普段のトリシアならばありえない。
 そういえば、先ほどシェリルにキスをされそうになった。……まさか。
「誤解しないでください。自分は、女性経験はありませんよ?」
「うそっ!」
「まあ、そのような行為を見たことはありますし、ある程度は知識もありますから……誤解するのはわかりますけど」
「え。見たことがある?」
 目を剥くトリシアに、ルキアは扉を閉めつつ頷き返した。
「任務で仕方なく、です。他者の性交を見て興奮する趣味はないので」
 しっかりと扉に鍵をかけ、ルキアはトリシアに向き直った。
「気は済みました?」
「……はい」
 俯くトリシアは、本当に落ち込んでいるようだ。ルキアはじっと彼女を見上げた。
「……あの、ルキア様」
「なんですか?」
「じっと見ないでください」
「どうして」
「どうしてって……」
 トリシアは顔を逸らすが、ルキアの視線は外れない。考えるように沈黙したルキアは、目を伏せた。
「本当に、我慢するのは一番堪えますね」
「え?」
「なんでもありません」
 小さく笑うルキアはトリシアの手をとって歩き出す。トリシアの指先に小さく口付けを落として彼は妖艶に微笑した。
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