Barkarole! メモリア9

 半歩、だ。半歩ほど体を動かせば避けられるものだった。
 だがルキアは避けない。両手を腰の部分で組み、ひたすら歯を食いしばる。
 強烈な一撃が左頬にめり込む。激痛が走るが、表情は変えない。そのままルキアの小さな体は吹っ飛ばされてしまった。

 日常茶飯事となったルキアの医務室通いに、その人物は笑う。
「物好きだな」
 薄い笑みを口元に称えたシェリルに、ルキアは「そうでしょうか」と洩らす。
 軍医のシェリルは頬杖をつきながらルキアに微笑んだ。
「物好きだとも。こうして毎日ここに顔を出すなんて」
「とはいえ、将軍は自分の姿勢が気に入らぬようですから」
「アハハ。彼はしごくのが生きがいみたいなところもあるからね」
 まだ若き医者であるシェリルは、長い脚を組み替えた。白衣を羽織ってはいるが、似合わない。
「至らないのですから、自分が悪いのです」
「小競り合いで優秀な戦果をあげてるのにかい?」
「? 軍人なのですから、敵国と戦うのは当然だと思いますが」
「そういう愚直なところが将軍はお気に召さないんだろうね」
 嘆息を混じらせながらも、シェリルは笑みを消さない。
「一度戦場に立てばキミは容赦もせず、情けもかけない。残虐非道な軍人様だ」
「敵ですし」
 あっさりと言うルキアに、シェリルは声をあげて笑う。よほど可笑しいのか、だがルキアにはその心情が理解できないでいる。
 頬を腫らしていたルキアは、治療によって元の状態に戻っている。シェリルは腕のいい医師だ。だからこそ、この第一部隊に所属させられている。
「しかしキミもツいてないね。いきなり魔法院を卒業して、ここに配属だなんて」
「そうでしょうか?」
 将軍の言葉はためになるし、嫌がらせをしてくる者たちはごく限られた人数だ。さほど面倒もない。
「より多くの敵を殺せってことなのかなぁ」
 シェリルが意地悪そうに笑うので、ルキアは黙ってしまう。
 まあそれは、利に適っていると言えた。ルキアの余りある魔力を使うには、方法が限られているからだ。
「あれ? 落ち込んだ?」
「いいえ。そうなのかもしれないなと考えていただけですが」
「ぷっ。キミってほんと、変わってる。でも、入ってきてから三ヶ月もするのに、全然学習しないね」
「? 学び、活かしているとは思うのですが、なにかおかしいですか?」
「活かされていないから、言ってるんだけど」
 苦笑するシェリルに「はぁ」と曖昧な声を返した。

 第一部隊、通称「前線部隊」である部隊にルキアが配属されたのは、魔法院を卒業してほどなくのことだった。
 帝国政府は、ルキアの処遇に関してあれこれ議論していたが、結局のところ、軍に置いておくのが効率がよく、益を生むと考えたのだろう。ルキアは13歳になってすぐに軍人になったわけではない。13歳になると同時に職業登録をさせられたが、卒業が間に合わなかったのだ。
 よって、ルキアは学生から、途中で、軍人になった。
 卒業と同時に軍の所属にさせられたが、ルキア本人には別段、思うところはなかった。
 所属するのが決定された学生時代、軍律書に目を通していたルキアはなるほどとあれこれ納得していたものだ。
 つまり、帝国はルキアに大量殺戮をせよと促しているのだ。有事の際には国の盾となり、剣となって戦えと。
 国同士の政にルキアは興味も関心もなかった。下級貴族出身のルキアが執政に関わる役職に就くには……まあ、簡単に言えば難しい。
 ルキアは廊下を歩きながらここに来た時のことを思い返す。視線を動かし、第一部隊が駐屯している砦から見える夜空を吹き抜けの窓越しに見遣った。
 帝都から出たことのなかったルキアにとっての初の列車の旅は、あっという間だった。弾丸ライナーに乗ってあっという間にここに来て、次の日から鍛錬の日々が始まった。
 魔法院では軍の訓練も受けてはいたが、実際の鍛錬のほうが厳しく、ルキアは所属して一週間で実家に帰ると踏んでいた連中は驚愕していた。とにかくルキアはそつなくなんでもこなしてしまったのだ。
 それが計算づくなら、なんとなく近寄りがたかったのだろうが、ルキアは……頭の回転はよくても「馬鹿」だった。
「おまえ、先輩の言うことは聞けよな!」
 そう言われて、訓練を開始したルキアは首を傾げた。
「と言われましても、そのような軍律はなかったはずです」
 などという経緯で、ルキアは相手をこてんぱんにすることが一週間は続いた。愚直、という表現がぴったりのルキアは配属当初、かなり第一部隊の面々に馬鹿にされていた。しかし、脅威に変わるのにそれほど時間はかからなかったのだ。
 痛めつける新人歓迎の儀式も、ルキア相手には意味のないことだった。
 一週間ほど経った頃、ルキアは第一部隊を率いている責任者のワイザー将軍に呼び出された。
 砦の中にある執務室に足を踏み入れたルキアは、まず振り下ろされた拳を――――避けた。
 すいっと避けたルキアを素早く左手で捕まえようとしたその手も、ルキアはくるんと体を反転してさけた。
「なにをしている! 新人!」
「突然の攻撃を避けたまでです、将軍」
 敬礼しつつ理由を答えると、ワイザーは目を細めた。
「わしからの攻撃には意味があるとは思わなかったのか?」
「え? 意味があって攻撃されたのですか?」
 驚愕するルキアは軽く目を見開き、直立して礼の姿勢を崩した。
「大変申し訳ありません。では、どうぞ」
「…………おまえ、阿呆だの」
「は? まぁ、将軍がそうおっしゃるなら、そうなのかもしれませんが」
「不服か?」
「いいえ。理由が思いつかないので少々戸惑っただけです。自分に欠陥があるのは認めます」
「欠陥?」
「口が滑りました」
 ぽつんと洩らし、ルキアは押し黙る。
 将軍は直立しているルキアに近づいて見下ろした。
「おまえの訓練相手は、今度からわしだ」
「将軍自らですか。身に余ります。光栄です」
「社交辞令は言えるのか」
「? 社交辞令?」
「……やはり阿呆か」
 ワイザーの言葉に不思議そうにしつつ、ルキアは次の瞬間、信じられないことを言われた。
「わしからの攻撃は避けるな。上官命令だ!」
「はっ! 承知しました!」
 敬礼するルキアを、ワイザーが値踏みするように観察していたのに気づいていた。
 体罰かと思えるほどルキアは毎日医務室に通うようになり、それでも上官命令を守り抜いていた。不気味すぎて仲間にもさすがに慰めの声をかけられるようになったほどだ。
 二週間ほど経った頃、第一部隊に出撃命令が出された。そして、ルキアは将軍よりさらに上の階級の者たちから直接命令を受けた。
 全滅させよ、と。

 将軍は独自の戦略で有名な男だったが、さすがにルキア単独で命令が発せられるとは思っておらず、内心は動揺していた。
 しかし軍の中枢部からの命令を無視することはできない。命令の撤回を彼は考えたが、馬鹿正直なルキアはあっさりと承諾してしまったのだ。
 軍律を重んじるルキアにとって、上官命令は逆らうことのできない縛りだ。
 戦闘準備をする仲間たちに混じり、ルキアはぼんやりと空を眺めていた。夜襲をかけることになったのは、将軍のぎりぎりの妥協案だった。
(初めての、戦争だ)
 戦争という表現は過大なものだとは思うが、それでも少し、緊張する。
 ワイザーは司令室を出て、壁に背を預けている軍医を発見して顔をしかめた。
「将軍、ルキアが単独で出陣するって?」
「……わしの命令ではない」
「でしょうね」
 シェリルは視線を砦の回廊の、雨戸すらない窓から外を眺める。数歩歩けば眼下には、出撃準備をしている兵士たちの姿がうかがえた。
 慌しいが、同時に兵士たちは小声でやり取りをして緊張を孕んだ顔つきで動き回っている。
「わしより上の連中からの命令がくだったのだ。わしの命令をルキアが優先するわけない」
「でしょうね」
 頬杖を枠についてから、シェリルはどこか楽しそうに言う。
「あの子は優先順位をつけて動いているから、将軍の命令に従わないでしょうね、今回は」
「ああ」
 悔しそうに拳をかためるワイザーを一瞥し、シェリルは続けた。
「出された命令は、殲滅?」
「予想はつくだろう」
「まあ、彼はやっちゃうよね」
 苦笑するシェリルの言葉に、ワイザーが表情をさらに厳しくする。
 そうだ。ルキアはやってしまうだろう。命令を遂行するために、頭の中はすでに切り替わっているだろう。
 無駄な殺戮を控えろと言い聞かせたが、ルキアは曖昧に笑っているだけだった。それもそうだろう。今回の命令は、ワイザーよりも上官から発せられたものだからだ。

 ルキアは襲撃準備を手伝いながら、空を見上げた。単独行動が許可され、やることも確定している。そして迷いもない。
(将軍は、自分に殺しをさせたくないんでしょうね)
 ワイザーの意図はさすがに今回ばかりはわかってしまった。あれだけくどくどと何度も何度も「殺しは最低限に」と言っていたからだ。
 しかしルキアにくだされた命令は遂行しなければまずい。命令違反になれば、軍罰がくだり、ワイザーにも迷惑をかけるからだ。
 準備が終わり、ルキアは訓練服から軍服に着替える。軍服の袖に腕を通し、あれこれ考えてしまう。
 罪悪を感じないわけではない。けれども。
 ――そしてルキアは見事に命令を遂行した。
 たった一人で出向いた先で、大型の魔術を展開させて…………敵陣地を更地にしたのだ。



 ワイザーは恐ろしいものを目にした。夜襲を仕掛ける直前、紺碧に塗り潰された夜空を雷光が駆け抜け、一瞬にして周囲がまばゆい光に包まれたのだ。
 空に広がる魔術陣がどういう意図のものかはわからないが魔術訓練を受けた者や知識のある者が悲鳴をあげているのが聞こえた。
「な、なんて……」
 副官がそんな呻き声をあげた。
 突然、部隊を突風が襲った。前方に巨大な竜巻が発生したからだ。
「撤退!」
 ワイザーの命令で部隊は後退を始める。
 誰が仕出かしていることかわかっていた。ルキアだ。あのくだんの魔術師が、夜襲をかける前に命令通りに動いたのだろう。
 激しい風の中、後退する。ワイザーは白髪混じりの髪を乱しながら歩いた。
 この一件から、ルキアは隊内でも『紫電のルキア』と呼ばれるようになった。
 そして彼は、半年でこの部隊を去ることになる。皇帝直属部隊『ヤト』へと転属になったのだ。
[Pagetop]
inserted by FC2 system