Barkarole! メモリア7

 玄関ホールに戻ってきたルキアは、父と母が揃ってナタリーの相手をしているのを見て、「ふぅん」と呟く。
 トリシアの願いだから仕方ないが、本気で行きたくない。
 ルキアは大抵の人間には寛容であるし、公平に接するが、どうやらナタリーはトリシアに対してよくない感情を持っているようだ。
「お。戻ってきたな、ルキア」
 大きく手を振る父親が、ふいに気づいて不審そうにした。
「なんで衣服が乱れてるんだ、おまえ」
「気にしないでください。ちょっと格闘していたので」
「かくとう?」
「ちょっと言わせるのに苦労しただけなので。
 さあ、ナタリー嬢。送りますから行きましょう」
 ルキアの言葉にナタリーはぱっ、と顔を輝かせた。
「ファルシオン少尉、送ってくれるの?」
「ええ。ですが、お屋敷の近所で自分は降ります」
「いいわ」
 頷く令嬢と共に屋敷を出て、表で待っている馬車まで歩く。彼女はなにやら満足そうだ。
(なにか嬉しそうですね)
 他人の機微に疎いルキアは、こういったことが本当に苦手だ。
 つい先ほども、トリシアが嫉妬していたことを告白してやっとわかったというのに。
(……困りますよ、ね)
 今まではこういった苦労をしなかったわけではない。
 苦労はしていたが、それでもなんとかなっていた。これからは、きっとそうはいかないのだ。
(うーん。ですが、殿下からの書物を読んでもさっぱりわからなかったのに……)
 庶民の流行物にも目を通す、聡い第二皇子のことをぼんやり思い浮かべながらルキアは御者台に乗り込んだ。ぎょっとしたのは御者とナタリーだ。
「ちょ! なにをしているのファルシオン少尉!」
「え? なにって、御者台に乗っています」
「そういうことを言っているのではないわ! なぜそこに座るの! あなたとて、下級とはいえ貴族の端くれでしょう!?」
「はあ……。まあ貴族ではありますが、あなたと一緒に馬車に乗っていて、あらぬ疑いをかけられても困るので」
 油断するなとオスカーには言われていたし、する気もない。トリシアを守るためなら、多少きつい言い方もする必要が出るのだ。
 本来の彼なら、穏便な言い方をするところだが、先ほどのトリシアの取り乱した姿を見た後ではどうしてもナタリーへの対処がやや厳しくなる。
 そう、傍目にはわからないが……実はルキアはこの令嬢に対して怒っていた。
「こちらに乗りなさい! 命令よ!」
「命令は上官から以外は受け付けません」
 きっぱりと言いはね、ルキアは御者の男性のほうに向き直ってにっこり微笑んだ。
「道中、よろしくお願いします」
「あ、あの、少尉、わしの為にも後ろの車に乗ってはくれませんか?」
「いいえ。自分は婚約者のある身ですから、ほかの女性とは必要以上に接近しないことにしております」
 徹底ぶりにナタリーどころか御者も唖然とした。だが御者のほうが困る。ナタリーの家のお抱えの御者は、彼女の命令一つで職を失うかもしれないのだ。
 戸惑う彼の心情にルキアは気づかない。なぜ彼が困惑しているのか、ルキアはぼんやりと見てから背後を見遣る。
 わなわなと怒りに震えているナタリーは、動かない。馬車に乗り込もうとすらしない。
「いい度胸ね、ファルシオン少尉」
「……」
 前線部隊に居た頃も、よくそう言われて絡まれたことを思い返す。懐かしい思い出だったので、思わずルキアは小さく笑ってしまった。
「なにがおかしいのよ!」
 癇癪を起こしたように怒鳴る令嬢に、彼は軽く首を傾げた。
「喧嘩を売ってきた、と思っていいのかなと判断しかねていました」
「なんですって……!」
「売るなら買いますよ」
 さらっと言うルキアに、思わず御者の老人が「ひぃっ」と悲鳴をあげた。余程の度胸がなければそんな真似はしない。
 ナタリーはじとっとルキアを見遣る。
「……そう。ドゥーリア家に逆らうというの」
「なるほど。家の権力を使うつもりで、個人的には攻撃する気はないんですか? それならば、自分も相応の対処をしますがいいのでしょうか?」
「? どういうこと?」
「あなたが家名まで使って攻撃をするなら、こちらも同様にすると言っています」
 ルキアは微笑む。彼の微笑に囚われない娘などいないだろう、甘い微笑だ。
「ファルシオンの家がドゥーリアに勝てるとでも?」
「階級勝負をお望みなら、こちらは負けますね。ですが、自分のすべてを使うなら、勝負はいいところだと思いますけど」
「すべてを使うって……」
 ルキアの言っている意味をやっと理解したのか、ナタリーが一気に青ざめた。
 ルキアは、権力を行使する、と控えめに言っているのだ。それはつまり、軍職に就いている彼の権限を最大限に利用することに繋がる。
 皇帝直属部隊『ヤト』。彼らには特別な権限が与えられている。逆らって、ただで済むはずがなかった。
 唇を噛むナタリーを見遣り、ルキアはにこにこと笑みを浮かべた。
「トリシアに標的を変更しても、同様のことをしますので」
「っ」
 トリシアはただの婚約者であり、まだファルシオンの籍には入っていない。なんらかのアクシデントが起こっても不思議ではないが、ルキアはそれを見逃す気はないようだ。
 悔しそうなナタリーが睨んでくる。
「なにがいいの、あんな平民の」
「あなたが持っていないものを持っていますよ」
「意味がわからないわ! あんな、何も持っていないような娘!」
 富も権力も、結婚して利益になるようなものなどなに一つ持っていない娘など!
 ナタリーの言い分は貴族として、そして欲のある人間ならば思うことだろう。しかしルキアはそういう欲とは無縁なのだ。
 彼は不敵に笑う。
「わからなくていいですよ。あなたには関係ないことですから」
 突き放した言い方をするルキアの言葉を噛み締めながら、ナタリーは馬車に乗り込んだ。そしてゆっくりと車輪が動き始める。
 御者はなんともいえない表情で手綱を握っていたが、にこにこと愛想よく微笑んでいるルキアをちらちらと見遣った。
(恐ろしい御方だとは聞いていたが、噂通りとは……)



 ドゥーリアの屋敷の近くで降りたルキアは、いきなり目の前に停車した馬車に驚いてしまう。
「おい」
 渋い声が降ってきて、顔をあげる。馬車のドアの小窓からこちらを見ているのはオスカーだった。
「あれ、少佐。どうしたんですか、こんなところで」
「おまえを待ってたんだよ! もしかしたらこういう展開になるかもって思ってな」
「はあ、よくわかりませんが、感謝します」
「わからんのに感謝するなっ!」
 こめかみに青筋を浮かべるオスカーはハッとし、慌ててドアを開けてルキアの腕を掴んで馬車内に引きずり込んだ。
「? なにするんですか、少佐」
「いいから早く乗れ! ドラン、出発だ!」
 御者に命じて、オスカーは大きく溜息をついて席に座りなおした。ルキアも向かい側の席に腰掛ける。
「ドゥーリアの令嬢がうちのほうに押しかけてきてな……ここで張っていて正解だったか」
「……なるほど。自分の情報を洩らしたのは少佐でしたか」
 やけにタイミング良く現れたと思ったので、おかしいとは感じていたが。
 オスカーは頬杖をつく。
「仕方ないだろ! デライエ家より格が上なんだ。こちらの立場としては、教えないわけにもいかないからな」
「喧嘩を売ってきたので、買ってやろうとしましたが、どうなんでしょう……。やる気があるなら、応じたいんですけどね」
「アホーっ!」
 オスカーが思わず叫んだ。ルキアは耳がキーン、となった。
「少佐、声が大きいです」
「お、おまっ、まさか、ドゥーリアのご息女を怒らせたのか?」
「さあ? 怒らせたかもしれませんね。いいんですよ、べつに」
「え? なに? おまえ、怒ってるの、もしかして」
「はぁ……まぁ、不愉快なので怒っているのでしょうか」
「……不愉快って、おまえ、なにされたの」
 一転して心配げな顔をするオスカーに、ルキアは姿勢を正したまま応える。
「自分が見合いを断ったのが気に入らなかったのでしょう。トリシアに用事があったということでしたが……」
「見合いって、けっこう前のことだろ? それに、その様子だと、嬢ちゃんはさぞかし動揺しただろうな、かわいそうに」
「そうですね」
「そうですね、ってあっさりしてんだな、おまえ」
「? まあ、ええ。そうですね」
「……すごく怒ってるんじゃないのか、おまえ」
「よくわからないですね。こういう感情にはあまり馴染みがないもので」
 淡々と言うルキアは、笑みが消えている。相当怒っているのではとオスカーは冷汗を流した。
「いや、だって喧嘩を買うとか、さ」
「前線部隊に居た頃はよく売られた喧嘩は買っていましたよ?」
「お、おまえ、規模が違うだろ!」
「そうですね。あちらが本気でくるなら、応戦します」
 オスカーは青くなってぶるぶると震えた。この子供は恐ろしいことを平然と……!
「応戦って、なにする気だおまえはーっ!」
「え? あまり考えてませんでしたが、まぁ、なんとかしますよ」
「ひぃー!」
 怖くて悲鳴をあげるオスカーが頭を抱えた。
(ルキアのことだ。かわすとか、そういう手段は考えてないに違いない! てことは、巻き込まれる! どうしろってんだ! 同僚として手を貸すべきか? だが、デライエ家が干渉してるとわかれば立場が……)
「少佐」
(だがルキアのほうが勝算は高い! つくならルキアか。だけど、ドゥーリアを敵にまわすのは避けたい……。あぁ、どうしろってんだよ!)
「少佐!」
(個人的にはあの令嬢は我が強くて苦手なんだよな。ルキアにつくか。だが損得勘定で考えると、ここは手を貸さないでいるべき……いやいや、ドゥーリアからもなにか言われたらどうする……)
「少佐、聞こえてます?」
「は?」
 肩を揺さぶられ、オスカーは我に返った。
「え? あ、あぁ、悪い」
「大丈夫ですよ。彼女が個人的に攻撃してくるなら可能でしょうが、ドゥーリアから手を出してくることはないでしょう」
「なんでそんなことわかるんだ?」
「ふふっ。なぜでしょうね?」
 意味ありげに微笑むルキアに、オスカーは目を丸くするしかなかった。
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