Barkarole! メモリア4

 そのちょうど一年後、ルキア=ファルシオンからの、同じく皇帝直属部隊『ヤト』に属しているオスカー=デライエはとんでもない相談をされて、眩暈で腰砕けになっていた。
「アホかあああああー!」
 絶叫をあげる彼は、思わず、持っていたティーカップを壁に向けて投げてしまった。高級茶器だというのに、もったいない。
 視線だけでその動きを追ったルキアは、うーんと小さく唸った。
「だめですかね」
「お、ま、え、は! 常識を考えろ、常識を! 平民を娶るだとー! 馬鹿か馬鹿か、大馬鹿かーっ!」
「……少佐がそう言うなら、そうなのでしょう」
 素直に頷くルキアに、オスカーは顔を引きつらせる。
 こ、こいつ……!
(事態の深刻さを全っ然、わかってねえ!)
 そもそもこいつが恋愛感情を持っていることが、信じられない。何かの冗談かと思ってしまう、いまだに。
 発見された遺跡からの帰還を経て、しばらく休養をとるように言われた矢先……ルキアはあっさりと遠征に出て行き、帰ったと思ったらオスカーの屋敷に訪ねてきたのだ。どうやら帝都に戻ってここに直行したようだ。
 オスカーは階級が少佐。のし上がってきた中流貴族だ。その多大な人脈と、持ち前の魔術の腕から、『ヤト』へと入れられたごくごく少数の『まともな』人間であった。
(休めると思ったのに、コイツはなに考えて俺のとこに来るんだー!)
 ああやだやだ。頭痛い。
 フーっ、と息を吐いてオスカーは小さく唸る。ゆっくりと視線をルキアに合わせた。
「しょ、正気か? 今なら冗談で済ませられるぞ? 平民の女なんか、さっさと遊んでポイっとだな……」
「正気ですし、冗談は言っておりません」
 ですよねー。
 オスカーはとほほと肩を落とす。この子供が冗談を言うことは滅多にない。
 だからこそ、嘘は言っていないと……感じてはいたのだが。
 目の前の厄介事から逃げたくてたまらない。なんでこんな目に……。
 ルキアはいつもと同じように真っ白な軍服姿だ。前も後ろも無造作に伸ばされた髪は、まるで手入れされているかのようだった。
 見れば見るほど、疲れるほどの美形だ。わりとハンサムで通っているオスカーは、違いを見せ付けられるのでルキアの顔が嫌いだ。
「どこがいいんだ。確かに、ちょっと可愛い嬢ちゃんだとは思うが、おまえが入れ込むほどとは思えないんだが」
 ルキアの恋の相手は、『ヤト』全員で取り掛かった任務で使用した列車、『ブルー・パール号』の添乗員の娘だ。
 言っては悪いが、彼女は特に秀でた容姿はしていない。どこにでも居る、ただの町娘だ。
 しかもかなり良識的な娘だった。彼女はルキアとの身分の差を弁えていたが、少なくともルキアを嫌ってはいない。
「ほらー。おまえって、見合いの話が色々きてただろ? そっちを、ゆう……せん……」
 徐々に言葉が尻すぼみになっていく。ルキアが睨んでいたからだ。
 こ、こわい……。
「に、睨むなよぉ」
「ん?」
 ぱち、と瞬きをしたルキアは首を傾げた。
「睨んでいませんよ」
「嘘つけ! すっごい怖い顔してたぞ、おまえ!」
「では、少佐が不愉快なことを言っていたのでしょう。自分に自覚はありませんでしたが」
 はっきりものを言うルキアに冷や冷やしてしまう。恋をしてからこの子供はどうもおかしい。
(人間らしくなってきたけど……まともな反応とちょっと違うというか)
 そもそも「恋は盲目」と言うではないか。年上として、彼をしっかりと導いてやらなければ。
「恋愛はいいが、身分差があるから結婚は難しいだろ」
「なぜですか」
「な、なぜって、おまえは世間体とか、色々とだな」
 眉をひそめるオスカーは、ルキアがまた睨んできたのに気づいて頬に汗を流す。
「おまえの両親は反対、するわけないか……。だけどな、実際おまえじゃなくてあのお嬢ちゃんが大変だと思うから、やめたほうがいいぞ」
「……? 彼女が?」
「社交界には嫌でも出ないといけないし、そうしたら恰好の的になるからな」
 あれ? そういえば目の前のこの子供は社交界にほとんど顔を出していない。
(……それがまた、余計に反感買うと思うんだよな)
 耐えられるとは思えない。貴族の女は大抵が陰湿だ、とオスカーは思っている。少なくとも、オスカーが今まで見てきた貴族の女はどれもこれも打算的で、どうしようもなかった。
 黙って考え込んでいたルキアは、ふいに視線をあげる。
「わかりました。社交界に関してはこちらでも手を打ちます」
「え? それを俺に頼みに来たんじゃないの?」
「? 相談しに来ただけですが」
「…………」
 恋愛相談だけに来たのか? うそだろ。
 半眼になるオスカーは、うんざりとして頬づえをついた。
「本当に、どこがいいんだ……」
 ルキアは軍内部でも昇格が見込める有望株だ。この見た目のせいもあって、市民からの受けもいい。将来的には軍の顔として動かすことも見込んでいたはずだ。
(まあ、こいつが素直に言うこときくとは思えねえけど)
 柔らかい印象を受けがちだが、ルキアは頑固なところがある。譲れないものは譲れないと言い張るし、上層部の言うことも自分の意志に反していたら平気で突っぱねる。恐ろしい子供だ。
「どこがいい、ですか……。全部、ですかね」
「…………」
 大真面目な顔で言わないで欲しい。
 オスカーとしては本当にわからない。平民の娘だぞ? 権力も何もないんだぞ? メリットがないんだぞ?
 結婚とは、家と家の繋がりで、上へのステップアップじゃないのか? そこに恋愛感情が絡めばいいが、大抵はろくなことにならない。恋愛は身を滅ぼすものだ。
(こいつは今、初恋で目が曇ってるに違いない)
 そうは思うが、ルキアに「諦めろ」と言ったところで納得しないのはわかっていた。
 ああ。身分差が認められない法律とかあったら説得するのが楽なのに!
「おまえの家に転がり込んで、ファルシオンの財産を狙ってるとかは、ないのか?」
「財産目当てだと?」
「そういう考えもあるってだけだ」
「べつにそうであってもいいと思いますけどね」
「…………」
 平然となに言うんだ、こいつ。
「え? なに。財産目当てでもいいのか?」
「自分の身体目当てでも構いませんよ」
「か、からだって……生々しいこと言うなよ」
「すべてをひっくるめて、ルキア=ファルシオンですから」
 あっさりと言われて、怯んだのはオスカーのほうだ。こうも堂々と肯定されると、不気味だ。気持ち悪い。
 権力も金も、その容姿でさえ武器にするとルキアは言っているのだ。ほぼ無敵に近い。
(こう言われたら、普通の女は喜んで群がるだろうに)
「あ、そう……」
「ほかに、彼女の障害となるものはありますか? 自分が世俗に疎いので、彼女が心配でなりません」
 おそろしい。周りから固めていく気のルキアに、オスカーは苦笑いを向ける。
(あの嬢ちゃん、終わったな……。ま、こいつが飽きるまで尽くしてくれれば俺としては助かるが)
 どうせ一時的なものだ。そう、思いたい。
「しょ、障害ねぇ。そうだな……貴族としてのマナーは必須だぞ? 他の貴族の屋敷に招かれた時、困るのは嬢ちゃんだからな」
「困る?」
「女どもの茶会なんて、男は入れないだろ? おまえが助けられない場面で、お嬢ちゃんをいじめる連中が出るかもしれないからな」
 すぅ、とルキアの瞳が細まった。ゾッとするほど美貌が際立つ。
(ひーっ! こんなに怖いコイツ見たの初めてなんだけどー!)
 苦笑のまま青ざめるオスカーに気づいていないようで、ルキアは「ああ」と洩らした。
「彼女に非があったなら、それも致し方ないでしょう」
「アレ?」
「うん? どうしました?」
「いや、お、おまえ怒ってないか?」
「怒ってますよ」
 え。どういうことだ?
 怪訝そうにうかがうと、ルキアは雰囲気をがらっと変える。ふわん、と微笑んだのだ。
「彼女に非がなかった場合、そんな卑劣なことをされたらと少々想像をしていました」
「お、おぅ」
「とても不愉快です。ふふっ」
 ふふっ、じゃないだろ。
 笑ってはいるが、そういう場面を見たらこの子供がどんな行動に出るのか想像がつかない。暴力沙汰にでもなったら大変だ。こう見えて、ルキアはかなり好戦的だから。
(第一部隊に居た頃は、相当なもんだったって噂を聞いたしな)
 オスカーはやれやれと思いながら、真面目な顔をする。
「でも第一は、おまえだ、ルキア」
「自分、ですか」
「おまえは軍属。命は帝国と皇帝のもの。もしも家族が人質にとられても、非情な決断をできるのか?」
 覚悟もなく軍に所属する者は多い。今が、戦乱の時代ではないことも大きく理由にある。
 ルキアはじっとオスカーを見ていたが、ふいに微笑した。
「わかっています、少佐。彼女を諦めたほうがいいことも、わかっていますよ」
「え?」
「愛情が深まれば判断を誤ることもあります。感情に行動が左右されます。けれどそれは、人間ならば当然でしょう。
 最善の決断というものは、振り返ってからわかるものですし、決めた後であれこれ言っても始まりません」
「ルキア……」
「ならば、踏み出してみるのもいいかと思ったのです。家族が人質にとられても揺らがない覚悟はあります。
 ――冷酷な処断を下すことも、あるでしょう」
「…………」
「少佐、自分は、願っているのです」
「願う? なにを?」
 ルキアは小さく笑った。たった少しの間に、この少年は大人っぽい表情をするようになったと思う。
「秘密です」



 用意した馬車は屋敷の玄関の前に停車させてある。
「うーん。やっぱり専用の馬車を持っていると楽ですよね」
「そりゃそうだ。おまえの家が異常なんだぞ。貧乏貴族ならまだしも、おまえはそこそこ金があるだろうが!」
「しかし、馬の世話をする人がいないのです。生き物を飼育するのは無謀かと」
 しみじみと言うルキアの後頭部を殴りたくなる。しかし、殴りつけたところで避けられるのがみえていた。
「そういう時の使用人だろうが!」
 怒鳴るオスカーに、思わず御者が笑ってしまう。
「坊ちゃん、ルキア様は感想を言っているだけです。あまり本気で怒ると血圧があがりますぞ」
「し、しかしだな」
 指摘されたことはもっともだった。ルキアを相手に話していると、本気になるのが馬鹿らしくなる。
「ドラン、今日もお元気そうでなによりです」
「ルキア様も相変わらずだね。今日は坊ちゃんになんの御用かね?」
 気安くルキアに話しかける御者に、オスカーは溜息をつきたくなる。どうもこの屋敷の使用人は、ルキアに甘い。
「恋愛相談です」
「ほう! しかし坊ちゃんではあまり参考にはならなかっただろう? ルキア様にもとうとうお相手ができたのかね〜、めでたいね」
 にこにこと、皺だらけの顔を緩めて微笑むドランは、素直に喜んでいるのだろう。
 ルキアは同じように微笑み、「ええ」と頷く。
「素敵な女性です。今度、ドランにも紹介しますよ」
「ほほほ。楽しみですなぁ!」
「も、もういいからおまえ帰れッ! シッ、シッ!」
 追い払うような仕草をすると、ルキアは軽く頭をさげた。
「それでは少佐、また」
「くっ!」
 来るな、と言いたかったが、それもできない。前に一度そう言い放ったら、こいつは本当に来なくなってしまったのだ。
 理由を訊いたら「少佐が来るなとおっしゃったので」と平然と言うので、頭を抱えてしまったのだ。
 馬車に乗り込むルキアが、ドアの小窓からこちらに手を振る。オスカーは顔をしかめて面倒そうに手を振り返した。

 馬車が去ってから、オスカーはどっと疲れてしまう。足を引きずって、玄関ホールへと引き返した。
 ルキアの苦難、いや、彼の妻となる少女のことを考えると可哀相でならなかった。あれだけ身分の差を気にしていたというのに、すんなり了承するとは思えない。
(どうやって陥落したんだ……)
 言い方が悪いが、間違っていないと思う。
(あの顔で迫ったのか? うーん)
 考え込んでいると、来訪者を告げるベルが鳴った。ん? と思ってきびすを返す。面倒だから、取次ぎをせずに自分が出よう。
 なんかもう、疲れた。
 やれやれとドアを開けて、オスカーは硬直した。
 真っ赤なドレスを着た令嬢が、ものすごい形相でそこに立っていた。ひぃぃ、と思わず心の中で洩らした。
(夜会でもないのにこの出で立ち! それに見覚えのある顔だ……)
「デライエ少佐」
 地の底から響くような声に、オスカーは青くなる。災いが一つ去ったと思ったら、また次がきた。今日は厄日だ。


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