Barkarole! メモリア2

 召集された新たな『ヤト』のメンバーに、最初に下された命令は、「鎮圧」だった。
 九人のうち、七人は不審そうな色を若干浮かべる。『ヤト』最年長のギュスターヴと最年少のルキアだけが涼しい顔つきをしていた。
「鎮圧、ってどこの?」
 マーテットが戸惑ったように呟く。軍医の彼にとっては、怪我人の面倒はみれるが、戦には積極的に働きかけることができないことを示していた。
 マーテットを除けば、他は戦闘能力に優れた者たちで集められている。
「快国」
 告げた、皺の多く刻まれた老人の言葉にさすがに全員が沈黙する。
 そして老人が部屋を出て行くなり、困惑の眼差しを同僚に向けたのはマーテットだった。
「あそこ、一年前に滅びただろ?」
 正確には、帝国が滅ぼした小国だ。生き残りはいるだろうが、帝国に抗うほどの戦力は残っていないだろう。
 それなのに。
「まあ、行ってみればいいんじゃないでしょうか?」
 提案したのは最年少のルキアだった。ギュスターヴはじっとしていたが、しばらくして頷く。
「我々は部下を持つことが許されていない。己の目で見、聞いたもので判ずるしかない」
 それはつまり、行くしかないだろうということだった。
 それぞれ、持っている仕事……つまり、平常任務というものがある。帝国は内紛こそないが、大陸の端々に存在する小国との小競り合いが続いていた。
 帝国軍の上流貴族はほぼ中央本部に集められているが、階級が低い軍人たちは前線部隊に送られたり、各地の駐屯地に配属されることとなっている。
 ルキアがいた第一部隊というのはもっとも戦火の激しいところで、隣接する奉国の者たちとの小さな諍いがほぼ毎日ある場所だ。
 『ヤト』に配属された時点で、彼らの所在はほぼ自由になっているのだが、それでも常に争いに備えて暗躍することが多い。敵は外部だけではない。内部にもいるのだから。
「みんなでお出かけなんて、なんだか楽しいですね」
 無邪気に言うルキアの言葉に、露骨に顔をしかめる者もいた。
「弾丸ライナー使うか。空いてるの、どれだっけ?」
 陸土を這うように存在するレールを走る列車の中に、速度を重視したものがある。それが弾丸ライナーだ。
 ヤト唯一の紅一点であるライラが、腕組みをした。
「帝都に戻っているのは確か、『ホワイト・ルビー』のはずだ」
 集合時間を定め、各々、準備に取り掛かった。

 帝都駅の一角に、彼らはいた。時間は真夜中過ぎ。客の姿も、乗務員も、駅員さえいない。
 普通ならば駅内に寝転んで夜を明かす貧民もいるのだが、その気配さえもなかった。
 集合時間までのんびりとベンチに座っていたルキアは、読書をしていた。興味を抱いたらしいライラは近づき、尋ねる。
「なにを読んでいる、ファルシオン少尉」
「これはリンドヴェル准尉」
 ぴく、とライラの眉が動く。階級で呼ばれることをライラは良く思っていなかった。なによりルキアよりも下の階級なのだ。
「ライラでいい」
「では自分もルキアと。用件はなんでしょう?」
 可愛らしく小首を傾げるルキアに、ライラはどこか憎々しいような表情を向けた。わかっていないのはルキアだけだろう。
「なにを読んでいるのかと気になっただけだ」
「ああ、これですか。シャルル殿下が貸してくださった本です」
「…………」
 おかしい。この子供はなにか意味不明なことを言った気がする。
「殿下が? おまえに?」
「はい。どうも自分に興味があったようで、懇意にさせてもらっております」
 朗らかに微笑むルキアの言動に眩暈が起きそうになった。
(な、なるほど……デライエが手を焼くわけだ)
 頭のおかしな子供だとは思っていたが……。
 あまりにも無遠慮というか、なんというべきか。言葉が見つからないライラに、ルキアは笑顔で本の表紙を見せた。
 表紙を眺めてライラは顔をしかめる。
「……なんだ? 『乙女の秘密の恋物語〜夜の湯煙編〜』?」
 珍妙なタイトルに疑問符を浮かべていると、ルキアが説明してくれた。
「どうも、貴族だけではなく下町の娘たちにも人気のシリーズなんだそうですよ」
「お、面白いのか、おまえ……」
「え? うーん。面白いかどうかは微妙ですね」
 さらっと笑顔で告げたルキアに、思わず苦い表情を向けてしまう。仮にも皇子から借りたものを、そんなにあっさり……。ここは嘘でも「殿下はさすがです」と褒め称えるところだと思うのだが。
「題名からして、恋愛ものか」
「そうみたいですね。障害の多い恋物語がテーマのようですが、いまいちよくわかりません」
「はあ?」
「ああ、そうだ。ライラはご婦人なのですから、ここ、わかります?」
 ルキアはページを開いてみせた。
「『あなたのことを、瞼を閉じても思い描いてしまう。そしてその姿を思い描くだけで私の胸は高鳴り、抑えるのに精一杯になる』と、書かれてあります。常々思っていたのですが、女性のこのような描写が多いのですが、眠ろうとする時もその相手のことを思い出している……大丈夫なんでしょうか?」
「おまえの言っている言葉の意味がわからん」
「そうですね……これを『恋』だと本人は思っているのですが、自分は時々壮大な勘違いではないかと思ったりするのです」
「…………」
「恋をしたことがないのでわからないのですが、それほど劇的な変化が訪れるのでしょうか? 本当に恋愛だとどこで判別するのでしょう? 区切りがないのでわからないのです」
 途方に暮れたように言うルキアに、心底呆れた。こいつはやはり頭のネジが緩んでいるアホだ。
「気になる異性とかいないのか?」
「え? それ、少佐にもよく言われるんですけど……特には」
「そ、そうだな」
 ライラは苦そうな口調で洩らす。ライラにも、このルキアが盲目的に誰かに恋をする様が想像できなかったからだ。
「殿下は、『本を読むのは疑似体験の意味合いもある!』っておっしゃってましたけど、まったく経験がないのでまともな感想が出てこなくて、殿下に怒られてばかりいますよ」
「…………どんな感想なんだ」
「そうですねぇ。この間の『渚の誘惑編』では、海辺で追いかけあう男女のやり取りがまったく理解できないと言いました。追いかけあう意味がそもそも理解しがたくて……追跡するのは敵だと思うのですが」
 眉間に皺を寄せて真剣に言うルキアに、ライラは呆れるしかない。
「そう言ったら殿下がすごい顔をしてましたね」
「ほ、ほぅ……」
「わざと追いかけさせて、このご婦人は変態か、そういう性癖の持ち主なのかと思いましたと言ったら、ますます怖い顔をされて……」
「…………」
「この『夜の湯煙編』を貸してくれました」
 ライラはちら、とルキアが手に持っている本に視線を注ぐ。おそらく、今回も同じような感想をルキアが抱くのは目に見えていた。



 『ヤト』が全員で初めて取り掛かった任務の内容を、彼らはその地に赴いてすぐに知ることになる。
 快国に行くには、一番近い駅で降車してから馬車で行くしか方法がない。荒野へと変じたこの世界では、荒地を馬車で移動するのもかなりの危険を伴う。
 だというのに。
 3つの馬車にわけて目的地へと行く道中、獣たちに襲われることがなかった。それどころか、獣たちの死体がごろごろと転がっていたのだ。
「こりゃあ、やばい気ぃする」
 心底嫌そうにマーテットが洩らした。同じ馬車に乗っていたルキアは小窓から外を眺める。
 快国との境目に到着するまでそれほど時間はかからなかった。国境となる軍の駐屯地の砦が、破壊されていたのだ。
 周囲には、天幕を張ってなんとか過ごしている兵たちの姿がうかがえる。怪我人の姿もある。
 さすがに経験慣れしているのか、ルキアは平然とした顔をしてすたすたと責任者のいる天幕を目指して姿を消してしまった。
 中央本部に籍を置いていたオスカーや、ロイにとっては凄惨な光景で、彼らは動揺を隠せない。耳で聞いた事柄よりも、実際に目にしたもののほうが衝撃が大きいものだ。

 負傷者は多いが、多くは軽少で済んでいると、責任者は言っていた。その言葉に嘘はないだろう。
 しかし腑に落ちない。
 用意された天幕の中では、実際に戦を経験した面々が、周囲の図面を覗き込んで話し合っていた。
「快国の残党どもがやったと思うか?」
 ギュスターヴの言葉に、誰も反応しない。判断しかねているからだろう。
「闇に紛れて砲撃されたと言っていましたね」
 誰よりも戦歴のあるルキアがぽつりと洩らす。第一部隊で幾度も戦ってきたルキアは、最年少の割には経験が豊富でもある。ただし、限られたもの、だが。
「夜警についていた者たちは死んだのですか?」
「重傷ですが生きています。アスラーダ様が診てくださっていますが……」
 責任者である男は項垂れた様子だ。責任をとらされることがわかっているからか、表情も暗い。
「オルソン」
 ギュスターヴは、暗がりで話を聞いていた猫背で痩躯の男に声をかけた。オルソンは反応も示さず、黙っている。
「敵の勢力がどれくらいか、偵察に行けるか」
「大佐、俺は殺しのプロだ。犬でも鷹でもねぇ……」
「敵地に気配を悟られずに潜り込めるぐらいの技量はあるだろう?」
 ギュスターヴの言葉が癇に障ったのか、オルソンが一歩分だけ後方に退がる。それだけの動作で彼の気配が完全に消えた。おそらくは、敵のところへと向かったのだろう。
 最年長のギュスターヴは『ヤト』のまとめ役ではあるが、個性派揃いの彼らはそもそも団結して何かを成そうとする気がない。
「ルキアはどうみる?」
 声をかけられ、図面を睨んでいたルキアはふっと微笑んだ。
「え? どう、とは?」
「何者の仕業か、推察できるか?」
「まぁ、快国の残党でしょうね。ただ、人数が少なく、相手も必死なのでしょう。火器が砲撃用のものということからも、隣接する奉国から購入したのでしょうね」
 奉国は鉄を使った生産品が多い。武器もその中に含まれている。
「……なぜそう思う?」
「数ではこちらに勝てないのも、そしてこの襲撃でなんとかなるとも、相手は思っていないからです」
「ほう」
「勝てないのに、襲撃してきたのか?」
 ライラの言葉にルキアは頷く。
「だって、現にここは占拠されていません。破壊されただけです」
 ふいに、ルキアは眉間に皺を寄せる。
「敵を一掃するのは容易いとみます。ですが、それが罠ならば話は違ってきますね」
 罠の可能性がないわけではない。静かに言うルキアを全員が不気味そうに見つめていた。

「あの子供はなんだ?」
 ライラの問いかけに、野営をしていた見張りのオスカーは顔をあげる。
「子供って、ルキアか?」
「おまえは魔法院で顔馴染みになったのだろう?」
「あぁ、まー、そのへんは触れないでくれ」
 嫌な思い出らしいオスカーは軽く手を振る。
「まあ、簡単に言うと」
 真面目な表情でオスカーは前を向いた。ライラとの視線を外す。
「変人だな」
「…………」
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