Barkarole! メモリア1

 薄く、ゆっくりと瞼を開く。その瞼の下から紅玉のような瞳が現れる。右目には封印の文字を記された金縁の眼鏡がつけられている。
 長い、薄い青の髪。そして、あまりにも整いすぎた美貌。彼の名はルキア=ファルシオン。
 帝国軍、特殊部隊『ヤト』に所属する少尉だ。
 彼はまるで指揮者のように両手を振り上げる。
「いかづちよ」
 小さな詠唱。
「落ちよ」
 短い命令。
 それだけで、彼の魔術は発動する。絶対的な破壊力をもって。
 暗雲に遮られた空から、どどん、という大きな音とともに落雷が敵を一掃した。
「……ふぅ」
 小さく息を吐き出して、前髪を軽く払う。その仕草がかなり様になっている少年だった。

***

 世界を占める大陸を襲った『バースト・ダウン』。その天変地異は、前触れもなくあらわれた。
 陸は陥没し、海へと沈んだ。人々は突然のことに対処できず、成すがままだった。
 多くの命や文明が失われた時代から数十年。――――なにせ、正確な年代をつけ始めたのが最近のことなので、時代はまだ『数十年前の出来事』と表示されていた。
 人々は『帝国』が支配する大地の上に生きていた。大地のほとんどが荒野に呑み込まれてから、人が生きることのできる土地は極端に減り、文明も退化した。

 帝都エル・ルディア、中央本部。帝国軍の帝都における基地、と称するほうがいいだろう。
 広い会議室では、集められた集団がざわめいていた。人数は8人。どの人物も、各部署で厄介者扱いされているメンバーだった。
 ぎぃ、と軋んだ音をたててドアが開く。その場に不似合いなほど鮮やかな人物の登場だった。
「おや。なんだか深刻そうですね」
 空気を読まない。面倒。厄介者。
 軍内で、彼を知らない者はいない。
 淡い青の長い髪。整いすぎた造作の顔立ち。幼い子供のように錯覚する体格。
 真っ白な帝国軍の制服を着込んだ少年は、今年13歳になったばかりだ。魔法院を卒業してすぐに彼は帝国軍に配属となった。
「ルキア……ファルシオン」
 室内の誰かが名を、呟く。
 呼ばれた少年は無邪気に「はい?」と首を傾げた。右目につけた金縁の片眼鏡のチェーンが、軽く音をたてた。
「うおー!! すげー! 本物だぁー!」
 だだだっと駆け寄った青年がいる。長身の彼は、ルキアを覗き込むように見てきた。ぼさぼさ頭の彼は、丸眼鏡をかけている。
「偽者ではないですよ。自分はルキア=ファルシオン。最前線部隊『第一部隊』所属です。どうぞよろしく」
「うわっ、ちっせー! なんなのオマエ。こんなナリで軍人とか嘘だろ?」
 にやにやとした笑いを浮かべたまま、青年が言う。ルキアは少しだけ黙り、それから微笑んだ。
「本当ですよ。あなたは」
「おれっちは、マーテット。マーテット=アスラーダ。軍医だ。配属先は、『中央本部』だな」
「お医者様ですか。よろしく、マーテット」
 差し出した手を、マーテットは荒く握り返した。そしてふいにぎらりと目を細める。
「おまえさぁ、魔力がすげぇってことだけど、ホントなん? 測定器が爆発したとか、あー、色んな噂あるけどさ」
「測定器が爆発したのは本当ですよ。魔力がすごいかどうかは、客観的判断によるものなので、自分はよくわかりません」
「ははぁ? おまえ、やっぱり変わってんなー。アハハ、おもしれっ」
「? なにが面白いのかよくわかりませんが、喜んでいただけてよかったです」
「ぶはっ! 天然なのかよ!」
 ゲラゲラと笑うマーテットの前で、不可思議そうに首を傾げるルキアだった。
 感想が全員一致した瞬間だった。ルキア=ファルシオンはやはり阿呆だと。
 マーテットがぐりぐりと頭を撫でて怪訝そうにする。
「おまえ、ほんと女の子みたいだなー。危ない目に遭ってないかー? 遭ってたら、それはそれで楽しいけど」
「危ない? 第一部隊は常に危険と隣り合わせですが」
「そういう意味じゃねえよー。でもま、おまえが平然としてるってことは、そういうのはなかったらしいな。
 真っ先に狙われそうなナリなのに」
「……それは、自分が身体的に劣っている、ということでしょうか?」
 刹那、マーテットは腕を掴まれてぐるんと視界が回転した。気づけば尻餅をついている。
 ルキアが手を捻り、反動を利用して彼をねじ伏せたのだ。
「心配いりませんよ、マーテット。これでも鍛えております。常日頃から、鍛錬は欠かしておりません」
「……は、はは。お、おまえって、体術もすげーの?」
「うーん、どうですかね。その道の達人には敵いませんけど」
「あっそ」
 手を振り払ってマーテットは立ち上がる。じろじろとルキアを見る彼に、ルキアは別段、気にした様子もない。観察されることに慣れているのだろう。
 ルキアは堂々と奥へと進み、自分に用意されたらしい席に腰掛けると欠伸をした。
「失礼。急いでこちらに来たので寝不足でして」
 そう囁いて、彼はにこりと微笑む。どうにも掴めない少年だった。
 全員が着席し、互いを見遣る。知っている者もいれば、いない者もいた。中でも目立っていたのはルキアだが。
 ルキアは黙って瞼を半分さげていたが、ふいにドアのほうを見遣る。同時に何人かもそちらを見た。
 両開きのドアが開かれて、室内に入ってきたのは細身の初老男性だった。
「召集に応じてもらって結構。では、本題に入る」
 厳かに始まった召集で、ルキアは小さく欠伸をかみ殺していたのだった。



 帝国軍、皇帝直属部隊『ヤト』。その存在は、名前のみが広く知れ渡っている。所属している者でも名前が知られているのは、民に人気のルキアだった。
 軍内部では誰が所属しているか、きちんと把握している者は少ないだろう。それほどまでに――存在は、おおやけにはされていない。
「うーん」
 唸る人物は、絶世の美貌の持ち主の少年だった。ルキア=ファルシオンである。
 彼は手にしていた本をぱたんと閉じた。タイトルは『乙女の秘密の恋物語〜渚の誘惑編〜』と記されている。
「恋愛感情というものは恐ろしいものですね。いつか自分も体験するのでしょうか」
「お、おまえ初恋とか、ないの?」
 向かい側に座る同じ軍服の男が、呆れたように目を細めた。彼の名はオスカー=デライエ。階級は少佐。あまり知られてはいないが、ルキアと同じく『ヤト』のメンバーである。少し硬質そうなくせ毛の髪は、やや暗い金髪だ。
「ありませんね。女性と接することが極端になかったことも原因でしょうけど」
「あー、そういえばおまえって、前線部隊にいたんだったな。よくあんなムサいところで生活できるよ」
 信じられないとばかりの口調に、ルキアは馬車に揺られながら考え込む。
 ムサい。そうだろうか?
「確かに男所帯ではありましたが、皆、気のいい者ばかりでしたよ」
「お、おまえ、よく医務室送りになってたくせに、なんだそれ」
「よくご存知ですね」
 懐かしそうに瞼を閉じるルキアは、小さく笑った。
「鍛錬はとても厳しかったですが、今となっては懐かしくて……皆、元気でいるでしょうか?」
「いや、厳しいとかのレベルじゃないだろ。おまえ、よく殴られてたって聞いたぞ?」
 わりと顔立ちが整っているオスカーは、ハァ、と嘆息した。精悍な顔つきではあるが、苦労性の色がうかがえる。
 そもそもこの美少年を平然と殴ることができるとは、オスカーには思えなかった。
「それは自分に非があってのことです。甘んじて罰を受けるのは、当然のことかと思いますが」
「非がなかったら避けてるってことか?」
「当然です」
「…………」
 無言になるオスカーはやれやれと頬杖をつく。そもそもなぜ、この子供のお守りを命じられたのかわからない。
 『ヤト』が古参メンバーと交代してから2日も経たないうちに、「することがない」と言い放ってこの子供は軍の本部に乗り込んでくると嘆願書を奪って自宅にひきこもり、明くる日には颯爽と荷物を持って出て行ってしまったときう恐ろしき行動力の子供だ。
 向かった先が嘆願書を送ってきた集落だったというのは、彼が帰還した後に報告書をあげてきたから判明したことだ。
 軍としては、彼が帝都から離れるのは極力避けたい。有事の際に呼び戻すのが面倒だということもあった。
 けれども軍職に就いており、特権まで与えられている以上、ルキアの行動に制限はかけられなかった。
 そもそも彼は、なんら違反を犯していない。確信犯だとオスカーは考えていた。
「しかし、おまえが帝都に戻るたびに狩り出される俺の身にもなれ」
「少佐にはいつもご迷惑をおかけし、申し訳なく思っております」
「あーあー、もう本当にご迷惑だよ! なんか奢れってんだ! 美味い酒が飲みたい!」
 自棄になって言い放つが、ルキアは動じた様子も見せずに微かに笑んだまま「はい」と頷いた。
「では酒場に行きますか? 王宮への用件が済めば、今日は空いています。少佐に付き合いますよ」
「お、おまえ、酒飲めないだろ。二十歳未満だろ、みまん!」
「知っていますよ。ですから、一緒に行くだけです」
「それじゃ、俺が可哀相だろ! なんで子供相手に酒飲んでないといけないんだよ!」
「ではどこか別の店に行きますか? なんでも少佐に付き合いますよ」
 笑顔で言われてオスカーは怖気が走るのを止められない。まだ13歳のはずの少年の言動はブレない。だから怖い。
「あ、あのな。例えば、女遊びしたい〜って言ってもついて来るのか?」
「行きますよ。ただし、自分はそのようなことはしませんので、少佐だけ楽しんでください」
「ぶっ! じゃあおまえはどうするんだ!」
「読書でもしていようと思います」
 持っていた、帝都の若い娘に流行しているという恋愛小説の本をひらひらとオスカーに見せる。
「監視かおまえはっ! 子供を連れて、そんなところ行けるか!」
「法律では13歳で成人とみなされます。なんら問題はないでしょう」
「おまえはーっ! 世間の常識皆無かー! いい加減にしろーっ」
 怒鳴るオスカーが思わず立ち上がり、拍子に馬車の揺れを受けて天井に頭をぶつけた。
「いったー!」
「大丈夫ですか、少佐。あ、タンコブできてますね」
「大丈夫に見えるのか!」
 くわっと目を見開いて言うと、ルキアが迫力におされたように身を引き、それから思案顔になる。
「では王宮に到着次第、医者を呼びましょう。タンコブごときで泣き言をいうのはみっともないですよ、少佐」
「お、おのれ〜!」
 ぎりぎりと歯軋りするオスカーとは違い、ルキアはしおりを挟んだところを再び開いて読書を再開させる。
 描写されている乙女心が彼にはちっとも理解できなかった。それどころか、目の前にいるオスカーがなぜ悔しがっているのかさえ、わからない。
(本当に、感情というものは難しいものですね)
 理解できないからこそ、理解できるように努めるのが当然だ。勉強不足を痛感しながら、馬車の小窓から外をちろりと見遣る。
 まだまだ陽は高い。見える景色はどれも町並みのものだ。貴族の街とした華やかな印象を受けるエル・ルディアではあったが、帝都駅から中央広場を経由してべつの道にそれれば、そこは下町という、貧民街に早変わりする。
 階級社会のこの世界では、貧富の差が激しい。貴族も、上流から下流まで幅広く、ほとんどの者が野心に溢れていた。
 ルキアはここから離れた郊外に住んでいる。かなりこじんまりとした屋敷と庭園を所有しているが、そこを訪れた者たちはこぞって唖然とするのだ。
 屋敷が大きければ、それは住んでいる貴族の威信をあらわすものだ。けれどルキアはそういったものに縁遠い。実用的ではない広い屋敷を管理するのが面倒でもある。
 視線を本に戻す。これは第二皇子に無理やり押し付けられたものだったが、ルキアにはかなり難易度が高い書物だった。

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