Barkarole! ノッカーズヘブン19

 集落に辿り着いた二人を、長である老人が迎え入れてくれた。
 二人を見比べ、首を傾げる。
「恋人ですかな?」
 え?
 驚く亜子とは違い、「違う」とヨミが即答した。
「では一部屋はまずいですかな……。うちもそう部屋数がないもので……」
「いや、一部屋でいい」
 ええっ!?
 驚く亜子を、ヨミは冷たく「黙れ」と言わんばかりに見てくる。余計なことを言えば怒られそうだ。
 確かに長老の家にしては粗末で、狭い。
 集落もやっとの収穫でなんとか細々と生きていられるような状態だ。
 帝都とのあまりの落差に驚嘆してしまう亜子だったが、これは現実だ。貧富の差の激しさも、受け入れなければならない。これがこの世界の姿なのだから。

 与えられた部屋で、まずはヨミと作戦を練る。とはいえ、提案したヨミの指示に亜子が従うだけだ。
 この世界のことをろくに知らない亜子の見当外れの意見では、間違いなく足を引っ張る。
 経験を積む。それが今の自分にとって、一番大事なことだろう。だから、がんばろう。
 決心して、丸いテーブルに広げられた簡単な周辺の地図の向こうではヨミが渋い顔をしていた。
 常に無表情でいる彼がこういう露骨な顔をする時は、ろくなことがない。
 身構える亜子が「え〜っと?」と尋ねると、ヨミは無言で見てくる。そして嘆息した。
「肩から力を抜け。ファシカは昼間しか行動しない。だから明日の朝から偵察に出て、様子を探ってくる」
「あ! じゃああたしも! いや、あたしが!」
 名乗り出る亜子を、なぜかヨミが不憫そうな目で見てくる。
「だ、だって、あたしがここに残っても、いざという時に対処できないかもしれないし……。ほら、あたしって、弱いし」
 タツにずたぼろにされた記憶はまだ生々しい。
 亜子の言葉にヨミはさらに深く嘆息した。
「おまえは、自分の戦闘能力を低く見過ぎている」
 あまりにも小さかった囁きだが、聞こえてしまう。そうだろうか? どうも亜子にはそういう実感はない。
「どういう様子かみてくるくらいは、あたしにもできるから!」
 逃げ足だけは自信がある。懸命に言うと、ヨミは無言でまた見てきた。……だからどうして、そういう目でこっちを見てくるのだ。こわいのだが。
「わかった」
 小さく言うヨミが、周辺の地図を亜子に渡してくる。
「ファシカがどのあたりから攻めてくるのか、みてこい」
「うん!」
 任されたことが嬉しかったが、亜子は表情をかためる。
「? どうした?」
「あの、ごめんなさい。ファシカって、どんな感じ?」
「…………」
「ごめんなさい!」
 謝る亜子に、ヨミはべつに怒らなかった。ファシカの外見特徴を教えて、さっさとベッドに横になってしまう。
 壁際に寄っている彼は背中をこちらに見せているが、動かない。
 残された亜子も、明日に備えて眠ることにした。ランプの火を消して、ベッドに潜り込み、ヨミと背中合わせになる。
 とくんとくんと、彼の心臓の音が聞こえた。
 いつの間にか眠っていた亜子は気づかなかった。静かに起き上がったヨミが、そっとベッドを抜け出て窓から外に飛び出していったことに。

(ファシカがこの集落に意図的に向かわされているとすれば……)
 ファシカというのはサイの進化した姿だ。群れで一気にその場を駆け抜け、蹂躙していく。もちろん肉食なので、人間も食べる。
(餌を置いて、ここへと向かわせている……)
 そう考えるのが自然だった。そして集落はファシカが蹂躙した姿でぼろぼろになっている。
 息をひそめて生活をする人々。幼い子供の恐怖に怯える泣き声。
 きっと。
(アガットは、全部聞こえていた)
 耳のいい彼女のことだ。この集落が近づくたびに顔色が悪くなっていることには気づいていた。
 だからあれほど強く、役に立とうと躍起になっていたのだ。
 なにかあったら自分では対処できない、と。
(内通者がいる)
 そいつを見つけて殺さねばならない。
 ヨミは静まり返った集落の家々を見て回る。どこもかしこも、ファシカに襲われて、建っているのがやっとの家ばかりだ。痛ましい光景だった。

 きぃ、とドアが開いた。
 ドアを開けて入ってきたのは長老の男性だった。ベッドで眠る亜子がぱちりと瞼を押し上げる。その瞳と髪の色が変わる。
 闇の中で変貌した彼女に、長老は驚き、手に持っていたナイフをぐっと強く握り締めた。
 ベッドから降り立った亜子は、小さく苦い笑いを浮かべる。
 一旦深く寝入ってしまったが、殺気に気づくと起きてしまうのは、やはりヨミのせいなのだろうなと苦笑してしまうしかなかった。
 ヨミが傍にいるから安心しきって眠る日々が続いていたが、それこそが異常なのだ。馬鹿だなと己を叱咤する。
 亜子は闇の中でじりじりと後退する長老を見遣った。
「なぜあたしたちを殺そうと? 物盗りですか? それともべつの用が?」
 長老たちの用意した食事をヨミはまったく手をつけなかった。それどころか窓から捨ててしまったのだ。空の椀だけを返した彼は無表情だったが、その意図にやっと気づいた。
 なにかあるかもしれないと常に用心していなければ、傭兵などできない。いや、傭兵だけではない。旅をするならば、そして己の命を守るためならば用心して当然なのだ。
 いつも持ち歩くようにしている乾いたパンと、水。それから干した肉の欠片を口にしただけの粗末な食事だったが、それでも亜子は不満などない。
 ヨミのすることは、正しいのだ。だから彼から学ぶことは山ほどある。
 そして今、彼はいない。おそらくこの集落を探りに出かけたのだろう。また足を引っ張っているなと自覚するが、同時に動き出したこの長老には好都合だったことだろう。
 女の傭兵が一人くらい相手でも、大丈夫だ。そう思っている。
 亜子は闇を見通す瞳を凝らした。光の下ではわからなかったが、男は妙だ。顔の皺や肌の張りが、老人のそれではない。
 変装している!
 気づいた刹那、投げられたナイフを亜子は避け、所持していたペンを男に素早く投げた。身体能力をあげた一撃だ。見事に男の顔に突き刺さった。
 悲鳴をあげてその場に倒れ、男がのたうち回った。
 近づく亜子は顔からペンを抜き、痛みに唸る男を見下ろした。
「間者?」
 敵国のスパイかと問う。もちろん、応えはかえってこない。
 そのうめきがとまった。いつの間にか戻ってきていたヨミがトンファーで彼の頭を叩き潰したのだ。見事な技だった。
 思わず顔をそむけてしまう光景だったが、すぐさま亜子はヨミを見遣る。
「どうだった?」
「本物はもう殺されて街道に投げ捨てられているだろう。おまえの読み通り、間者だろうな」
「そっか……」
「この家だけ破損がそれほどひどくなかったからな」
 すぐわかったとヨミが言う。彼は真剣なそれで続けた。
「だがファシカはまた襲ってくる。そのように罠がまた仕掛けられていた」
「どうにもならないの?」
「進路上に好物の死にたての死体が転がってるんだ。こっちに向かってくる」
 なんてことだと亜子が顔をしかめた。方向転換をさせるには、あまりにも時間がない。
 この集落が近づくたびに、泣き続ける子供の声や、怯えて泣くのを堪える女性のもの、苦悶のうなりを発する男の声を聞いてきた。
 どうにもならないと諦めることが、亜子にはできなかった。
 ここの人たちは何も悪くないのだ。
 いつかまた、誰かが似たような実験をするかもしれない。それはそれで、その時の誰かが助ければいい。
 今ここに居るのは亜子だ。だから、自分の判断を信じる。
「あたしが囮になって、群れを引き付ける」
「……は?」
 驚きにヨミが目を見開く。
 亜子はもう決めたのだ。朝日がのぼる前に位置につき、彼らの進行上に姿をさらして引き付ける。
「愚かだとは思っていたが、ここまでとは」
 嘲るようなヨミに、亜子は肩をすくめた。
「やるって決めた」
「死んだらどうする?」
「死にたくないけど、やるって決めた」
 思えば、自分で頑として譲らないほどの願いなど、今までなかった気がする。なんだか亜子は新しいことばかりを感じて、満ちていく気分だった。
 空っぽの自分に、色々なものを詰めていくのだ。楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、悲しいこと。
 やると決めたなら、やる。
「ヨミが言ったんだよ。後悔するなって」
「たかが異邦人の分際で、帝国人のために命を投げ捨てるのか」
 馬鹿か、と暗に言ってくる。
 ヨミは心配しているのだ。今さらながらに、その気持ちがわかって嬉しい。
 なんだかんだと世話を焼いてくれるヨミには感謝していた。
「ヨミは、集落の人の逃亡を手伝ってあげて。あたしに目もくれないやつがいるかもしれないし」
「……全裸で出て行けば、ファシカはおまえについていくと思うがな」
「さ、さすがにそれはできないかな」
 羞恥で顔を赤らめる亜子を眺め、ヨミは腕組みした。
「わかった。では集落の者たちは私に一任しろ」
「ありがとう」
「礼はいらぬ」
 そっぽを向くヨミは、それからもう一度亜子を見てきた。
「私はおまえを助けないぞ」
「わかってる」

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