Barkarole! ノッカーズヘブン18

 ギルド組合に入っていくヨミにくっついて中に入ると、ざわめきが一気に押し寄せてきた。
 依頼をする者、登録をする者、いくつもの声が一気に耳に入ってきて亜子はあまりのうるささに耳を両手で塞いだ。
 きつく瞼を閉じて堪えていると、ヨミが不審そうに振り返ってくる。
「どうした?」
 なぜ声をかけてくるのだろう。邪魔だというなら放っておけばいいのに。
(ルキアさんの言うとおりだ。ヨミは放っておけないんだ、本当は)
 彼の優しさに付け入るようで申し訳ないが、彼ならばいつ殺されてもいいと亜子は覚悟を決めていた。
「あ、ちょ、ちょっと一気に音が集中して耳が……」
「…………」
 じっと見てくるヨミは室内の隅で待っているように亜子に指示をすると、受付カウンターへと颯爽と行ってしまった。
 ここでギルドを選んで、認可をもらわなければならない。たくさんのギルドを統括するここは亜子にとってかなり負担だった。
(もっとちゃんと、自分の能力をうまく使えるようにならないと)
 受付から戻ってきたヨミは、ものすごく渋い顔をしていた。せっかくの美形がもったいない、と思わず心のうちで洩らす。
「『夢アゲハ』」
「え?」
「私とおまえの所属ギルドだ。おまえ……すでに傭兵登録を済ませていたな?」
 ぎろりと睨まれるが、不思議と怖くない。それどころか、亜子は驚いてしまう。
「ヨミ! 手続きをしてくれたの!?」
「ば……! おまえが体調を崩すから仕方なくやったのだ。なにを喜んでいる!」
 叱責するヨミだが、所属ギルドについてそれから説明してくれた。このギルドは『渡り鳥』のように大きな仕事を請け負うことはあまりないが、小さなことも安価で請け負うことで人々にはそこそこ重宝されているようだ。
 二人一組となって行動する、という方針も亜子にとってはありがたい限りだ。
 なにもかも初めての亜子は、ひととおりヨミに説明をされる。まずはギルドの酒場に行き、そこで自分に見合った仕事を請ける。もちろん、遠い集落に行くこともあるだろう。その旅費をまかなうのは己の財産だ。
 賃金は難易度があがればそこそこ高くなるが、それを請け負うにはそれなりの技術が必要となる。
 ひとつひとつ丁寧に教えてくれるヨミを、亜子はぼんやりと眺めた。
 ふいに俯く亜子に、彼は「どうした?」と尋ねてきた。
「ううん……あたし、本当に役に立たないなって思って」
「ならば、それを挽回するだけの働きをしろ」
 結果を出せ、と暗に言うヨミを驚きの眼差しで見る。結果……結果……。視界が暗く染まりかける亜子は、次の言葉でハッとする。
「たとえ失敗してもいい。それを次に活かせばいいだけの話だ」
「で、でも、それで誰かが死んだらどうするの?」
 命はどうあっても取り戻せない。失敗がどれほど恐ろしいものか、亜子はわかっているつもりだ。
「どうって、じゃあおまえはどうする?」
 どうすることもできない。
 亜子は俯いてしまう。
 ヨミが手を差し出してきた。不思議そうに見ると、彼が亜子の手を掴んで立たせる。
「おまえは生きている。そして私もだ。そしてどちらも、死ぬ時は死ぬ」
「…………」
「生きていることが苦痛なことがいくつかある時もある。乗り越えろなど、無謀なことは言わぬ。だが」
 だが。
 彼のアメジストの瞳は柔らかく微笑んだ。
「決断をした己に恥じない生き方をするんだな」

***

 夢アゲハで請け負った仕事は、遠方の集落の人々の護衛だった。
 遠距離を走行する列車に乗り、駅を降りてその集落までは徒歩で向かうことになる。
 荒野がほぼ占める景色には度肝を抜かれた。なにせ帝都には緑が豊富にあったのだ。まさか一歩外に出ると、こんな荒廃した状態だとは誰も思わないだろう。
「期間は一ヶ月」
 ヨミは野営の準備を整え、そう言う。今日はこの岩場で休むようだ。
 彼の一挙一動を見逃すまいと身構えていると、呆れられた。こういうのは慣れれば自然にできるという。
 だがそもそも勉強熱心だった亜子は早く憶えてしまいたいと考えていた。
 焚き火を囲み、簡素な毛布に身を包んで対峙する亜子とヨミはぽつりぽつりと会話をしていた。
「その集落はどうも意図的に潰されかけているようだ」
「意図的に?」
「ファシカは群れで責めてくるが、目的の集落はやつらの生息域からは多少離れている」
 ふぁしか、ってなんだろう……。
 うーんと思ってしまうが、おそらく荒野に住むという獰猛な獣の一種なのだろうと見当をつけた。
「誰かがその集落を潰そうとしてるってこと?」
「人口が少ないから、ファシカが何度も襲ってくれば終わりだ」
 むむ、と顔をしかめていると、ヨミが嘆息して教えてくれる。
「この集落はわりと隣国に近い」
「ああ、うん。そうだね」
「ここを潰せば、道が拓けるとしたら?」
「そんな! 軍は?」
「フン。軍がそう簡単に動くもの……」
 そこまで呟いてから、ヨミはなにかを思い出したのか、パッパッと、その想像を追い払うようなしぐさをした。
 改めて話しを開始する前に地図を広げる。
「人が住めるということは、ここは荒野の獣たちが近づかない地域だということだ。ここを進軍のための道にすれば、戦争をするほうには大いに助かるな?」
「で、でも、そんな実験みたいなこと……」
「実験だろう。だから、人の手ではおこなっていない。獣にさせている」
 ぱちぱちと、焚き火の音が静かな中で響く。
 この世界には当たり前に戦争がある。亜子の世界にだって、あった。それがとても身近で、こんなところにまで関係してくるなんて。
「わかった。集落についたら、ヨミの考えを聞かせて。あたし、まだわからないから従う」
「……相変わらず呼び捨てか」
「ヨミさんの考えを聞かせて」
「気持ち悪いから呼び捨てでいい」
 顔をしかめるヨミに、亜子は膝を抱えて小さく笑う。
 なぜ、自分を殺そうとした男と旅をしているのだろう。おそらく向こうもその理由はわからない。だが、亜子は思っている。
 いつか自分の息が絶えるなら、彼の手で、と。
「ねえ」
 亜子はうとうとしながら尋ねた。
「ヨミはあたしと一緒にいて、苛立つよね。すごく不快だよね……。でも、どうして……」
 そのまますぅ、と意識が闇に落ちていく。長い距離を歩いたので、疲れが一気に出たのだろう。
 眠りにつく亜子を眺め、ヨミは小さく口を開いた。



 苛立つし、不愉快だ。そうは思うが、ヨミが彼女と一緒にいる決心をしたのは、己の戒めのためでもある。
 彼女は相当変だ。とはいえ、それはヨミの判断から、なのだが。
 より多くのことを学ぼうと必死なくせに、失敗したらという不安から露骨に表情を暗くする時もある。
 亜子といると、より強く弟のことを思い出す。
 あの青い空に向かって、両手を大きく伸ばす弟。
 広い世界が、そしてまだ見えぬ未来が待ち受けていると希望を抱いていた弟の言葉。
(新しい世界、か)
 そういえば、予言者は言っていた。トリッパーの娘と自分が一緒にいる、と。
 あれは……。
 ふいに頬杖をついて、眠っている亜子を眺めた。
「トリッパーとはどのようなものか、おまえを見て見定めたいと思った」
 それだけ呟く。
 やはり殺すべきと思ったならば、ためらいはしない。
 けれど、不思議とそうならない気がした。
 同じ種族にも関わらず、ゆるせないと言って亜子はタツに立ち向かった。殺してやると言っていた。
 彼女はタツがどれほどの殺しをしてきたか知らないというのに、直感から敵対したのだ。
 優しい想いに報いたい。
 恩返しがしたい。
 亜子は時々、帝都で出会った人々のことを思い出してはそう言う。
 優しい顔をして騙そうとしたり、利用しようとする人間もいる。そう諭すが、亜子は笑うのだ。
「でもヨミは、あたしを騙そうとしたり、利用しようとはしないでしょう?」
 ……癪だった。
 だから空を見上げる。隠されるものがない空には星がいくつも瞬いている。
 その空に吸い込まれるように焚き火の煙がのぼっていく。
 この女を観察していれば、いずれ答えに辿り着けるのだろうか?
 そしてその時、自分はどうするのだろうか?

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