Barkarole! ノッカーズヘブン17

 ヨミは『咎人の楽園』から離れることになった。次に所属するギルドを決めなければ。
 ぼんやりと中央広場の噴水に座っていたら、目の前に人に立たれる。フードをかぶった、旅装の女だった。
「私に何用だ」
 問いかけに、亜子は手を差し出してくる。
「お願いがあって」
「お願い?」
「あたし、傭兵になろうと思って」
「は?」
 傭兵だと?
 いくらなんでもその結論はおかしいだろう!
 立ち上がったヨミの前で、亜子は真面目な表情で続ける。
「地学者になるのが一番だけど、それじゃ、全然強くなれないと思うし。だったら誰かに師事を受けながら旅をしたほうがいいと思って」
「……なぜそれを私に言う?」
「ヨミが暇だと思って」
「ひ、ま……」
 無表情ではあるが、ヨミが少し怒ったのはわかった。
「あたしはやっぱり、一人じゃまだ立てないんだと思う。だから誰かの助けが必要だって思う。甘えだともわかってる。
 でも、あたし……」
 強くなりたい。
 自分の身を守れるくらいに。そして、同じような立場のひとを、なんとか救いたい。
「無理だな」
 ヨミは冷静に断じる。
 亜子の精神が不安定なことも知っているからこその、発言だった。
「傭兵になったとて、稼ぎはそれほどない。楽な生活を望むなら、違う職業にしろ」
 その瞬間、亜子の瞳が曇った。ヨミは小さく「しまった」と後悔する。どうも自分は、普段無口なだけに他者を傷つけてしまう口調になりがちだ。
 あれだけ憎んでいたトリッパーだというのに、今はその気持ちがない。あの恨みや憎しみは、また蘇ることもあるだろうが、亜子に対しては奇妙な感想しかないのだ。
(変だ)
 命を狙っていた男に、易々と頼みごとをする? 理解不能だ。
 そもそも彼女はおそらく、知人たちに散々止められたはずだ。傭兵になっても、良いことなどない。
「ラグのいる『渡り鳥』にでも所属したらどうだ」
 あそこならば、所属している連中は個性的ではあるが、悪い人間はいないはずだ。亜子がトリッパーでも気にしないだろう。
 亜子はフードで顔をさらに隠す。
「それも考えたけど、あそこは一人で動くのが主義だから……あたしには難しいと思って」
「……甘えたことを」
「わかってる」
 頷く亜子を、ヨミはまじまじと見る。
(……む。小さい)
 今さらながら、亜子が自分よりもかなり小さいことに気づいた。
 年齢はヨミより下のはずだ。十代後半ではあるが、幼さが強く残っている。卑屈な感じにもとれる態度は問題だが、それでも判断力はあるとみた。
「あ、あの、ヨミ? なんか顔が、こ、こわいんだけど」
「気軽に呼び捨てにするな」
 鋭く言うと、亜子がびくっと反応して、しゅんと肩を落とした。
 んん?
 ふとおかしなことに気づいてヨミは内心首を傾げた。
 なぜ彼女に自分の居場所がわかったのだ? わざわざここに来るのには理由が……?
 瞳を伏せている亜子を眺めていて、気づいた。ぎょっとして、あとずさりをしそうになる。
(こ、この女! 私を心配して来たのか、もしかして!)
 ヨミはこれから先のことを考えていた。どうするのかと。とりあえずは所属するギルドを探すのが先決なわけだが……。
 誰かが、いや、彼女の知人たちがヨミの居場所を探し当てたに違いない! 余計なことを!
「おまえ……もしや私が『咎人の楽園』からなにかされるかと心配していたりする、のか?」
 尋ねると、ますます亜子が俯いた。図星だったらしい。
(意味がわからぬ!)
 ヨミは頭を抱えたくなってきた。
 トリッパーは馬鹿なのか? 愚かだとは思っていたが、ここまでとは!
「いいか。私はつい最近まで、おまえの命を狙っていたのだ。気安く声をかけるのは無用心だ」
「う。そ、それ、ハルさんにも散々言われた……」
「私はトリッパーが嫌いだ。近寄るな」
 拒絶の言葉を吐き出すと、彼女が顔をあげてじぃっと見てくる。なんだか気おされてしまい、ヨミはたじろいだ。
「そう言うと思ってた。だから、きちんとお礼を言いたくて来たの」
「礼?」
「あたしの傷、手当てしてくれたでしょう?」
「あ、あれは……。手遅れになると気づくのが遅かっただけで、条件反射のようなものだ」
「それでも、嫌いなトリッパーの怪我を治療しようとしてくれた。ありがとう」
 あの時も、この娘は同じ事を言った。ありがとう、と。
「おまえは私が怖くないのか」
 問われて、亜子は小さく笑う。
「そりゃ、途中まではすごく怖かったけど……今はそうでもないかな」
「今は?」
「あたしを殺す気がないから」
「それは……約束したからだ」
 約束というより、一方的な脅しだったわけだが。
 ヨミが歩き出すと、それについて亜子も歩き出す。な、なぜついて来る!?
「おい! ついて来るな!」
「ヨミはどこのギルドに所属するの?」
「関係なかろう!」
 ギルドの組合まで行くつもりだったが、本当にこの女は傭兵になるつもりなのだろうか? 馬鹿だ。絶対馬鹿だ。
「大人しく地学者にでもなったらどうだ!」
「じゃあ、途中まであたしの護衛をしてくれないかな?」
「はあ……?」
 本気で意味がわからず、ヨミは足を止めた。なぜこの女がこれほど自分に絡んでくるのかわからない。なんだ? 嫌がらせか?
 振り返ると、亜子が見上げてくる。不安そうな瞳で。
「おまえの考えがまったくわからん……」
 苦渋に満ちた声で応じるヨミに、亜子はちょっときょとんとしてから微笑んだ。



 退院したその日に、馬車で中央都庁へと出向き、亜子は職業登録を済ませてきた。実は、ヨミに声をかける前に傭兵になる手続きをとってきてしまったのだ。
 散々トリシアには危ないと反対されていたが、意外なことにハルもラグも反対はしなかった。むしろ……そこに居合わせた異常な光景のもとである、ルキアとマーテットのほうに意識が向いてしまった。
「いいんじゃないですか? トリッパーが傭兵になってはいけないという法律はありません」
「そういう問題じゃねーんだって……」
 頭が痛いぜ、とマーテットが渋い顔をしていた。
「アガットがトリッパーだとわかれば、そのギルドだって利用しようとするに決まってるだろ」
「む。そんなことない!」
 唇をへの字にするのはラグだ。しかしハルはマーテットの意見に賛同した。
「当然だな。異界の知識を持ったままの希少種を放っておくわけがない」
「しかし地学者になるのは危険ですね。一度『咎人の楽園』に狙われているのですから、目をつけられているでしょう」
 ルキアの言葉に亜子は押し黙る。
「そ、そうなんですか? あの、ヨミだけが狙っていたわけでは?」
「ヨミとずいぶん行動をともにしていたようですから、おそらく今はもう素性が知れているでしょうね」
 ヨミとの接触がなければバレなくてすんでいた、ということらしい。
 自分の行動の浅はかさに亜子は肩を落とす。軽率すぎたし、どういう結果になるかをまったく考えていなかった。
「でも」
 ルキアは微笑んだ。誰かの心をあたたかくしてくれる、自信に満ち溢れた笑顔だ。
「傭兵になるというのは、ある意味、正しいと思います」
「え? そ、そうですか?」
「確かに苦難の道となるでしょうけど、ギルドに一度入ってしまえば、他のギルドの干渉は難しくなります。つまり、『咎人の楽園』もそう易々と手を出してこない、ということですね」
「そういう考えもあるか」
 ハルがなるほど、と頷く。ラグはルキアの意見に瞳をきらきらとさせて何度も頷いている。
「それいい! でも、ギルドを慎重に選ばないとむずかしい」
「アガット」
 マーテットがこちらを見ていた。見返した亜子に、彼は言う。
「二人一組で動くギルドを探せ。あのヨミという男はいまフリーだろ? ちょうどいいじゃん」
「ヨミ……?」
 あの男が亜子の願いを引き受けてくれるとは思えない。散々馬鹿にされそうだ。
 相当困った顔をしていたのだろう。ルキアに顔を覗き込まれてびっくりしてしまう。こんな美貌が近距離でくると、心臓がもたない。
「大丈夫ですよ。ヨミはあなたを殺せません」
「そ、そうはおっしゃいますけど、彼は何度か本気であたしを殺そうとしてきたんです。確かに急に態度が変わったのはびっくりしましたけど」
「彼は傭兵の端くれ。そしてセイオンの戦士です。正義感の強いのは、ラグを見ていればわかりますよね?」
 なにを言わんとしているのか、亜子はわからずにラグのほうを見遣る。ラグは胸を軽く叩いた。
「そうだ! デュラハの戦士は誇り高い!」
 デュラハ? なんだそれは……。
(また知らない単語が出てきた……)
 亜子としては眉間に皺を寄せるばかりだが、ルキアは彼女の手をとって「大丈夫」と優しく声をかけてきた。
「ヨミと交渉するなら、とにかく粘ることです。そして、目を逸らさないこと。彼は困っているあなたを放っておけないはずですよ」

 その後に馬車で傭兵になる手続きを済ませ、あっさりと許可が出た。ただし、マーテットがなんだか疲れたような顔をしていたし、その隣のルキアはにこにこしていたので……きっとなにか揉めたのだろう。
 亜子を馬車で送り届けてくれたお偉い軍人二人に、さすがに誰も反論できなかったということだろうか? 亜子としては、我ながらとんでもないことになっていると思わずにはいられなかった。
 馬車に乗って帝都駅のある中央広場に向かう途中、ルキアはマーテットの横に腰掛けたまま声をかけてきた。
「さあ、道は決まりました。あなたの心は定まりましたか?」
 亜子は黙っていたが、頷く。
「あたしはやっぱり、傭兵になって働きます。ラグさんにも聞きましたけど、色々な仕事があるから、まずは自分に見合うものを選んでやろうかと」
「そうですね。いきなり大魚は釣れません」
「それに、傭兵になるのは……あたしにはハルさんみたいな生活は無理だと思ったからなんです」
 白状してしまえば、理由なんてたいしたことはない。
 マーテットは黙って聞いてくれている。
 膝の上の拳に力を入れた。
「ハルさんは苦労して今の生活を手に入れたと思います。でもあたしは、遺跡に出現したトリッパーじゃない……」
 そこが危惧の原因だった。トリッパーとして、亜子は異端でもあるのだ。
 地学者として旅をしても、果たして亜子が元の世界に戻れるかはわからない。まして、現れたのは第二皇子の寝室なのである。
「それに、あたしはまだまだ弱いから、強くならなくちゃって思って」
「自分を助けてくれたのが、ヨミやラグだからですか?」
 言い当てられ、亜子は頬を赤くする。
「お見通しですか。ルキアさんには敵いませんね」
「憧れは強い気持ちになります。応援しますよ」
 にっこりと微笑まれ、背中を押されたような気になった。亜子はちらりと黙っているマーテットを見る。彼は眼鏡のブリッジを押し上げてニヤっと笑った。
「ま、だめだったら違う職業にすりゃいい。やってみりゃいいさ!」
 亜子は泣きそうになってしまう。
 なぜだろう?
 亜子にそんな言葉をかけてくれた人は、心からそう言ってくれた人たちに会ったのは……生まれてから初めてな気がした。

 二人の協力でヨミが中央広場の噴水近くにいることがわかった亜子は、馬車を降りてすぐに彼を探した。
 見つけた彼はどこか途方に暮れたような表情をしていた。

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