望んだ結果だったはずだ。
憎いトリッパーは相討ちに近い形で死ぬ。
(いつまで……?)
憎しみが続く限り、この怨嗟が続く限り、殺し続けると思っていた。
だが、殺せない相手ができた。
それが亜子だ。
ルキアとの約束で、彼女を見逃すと決めたのだ。
それなのに、彼女は死のうとしている。自分には相手を殺すすべしかない。戦士としての誇りも、いつの間にかなくなってしまった。
薄汚いギルドに入り、トリッパーを殺し、殺し、それで得たものは何もない。
なにもないあたしは、死んでもかまわない。
亜子はそう思っていた。
最後の最後に、我ながら頑張ったんじゃないか、と思った。
だってすごく痛かったし、べつに助けなくてもいい人を助けた。
(赦せなかった)
なにが、かはわからない。だが亜子はあのタツをどうしても赦せなかった。
彼の言動や、すべてが。遠いどこかで、誰かがぶたれる音を聞いた気がする。
からっぽのあたし。
(なんにも、ない)
シャルルやマーテット、ラグやハルにトリシア、ルキアの顔が浮かぶ。
ヨミの顔が薄ぼんやりと見えた。なんで泣いているんだろう?
「私にも何もない」
呟く彼に、不思議になる。
大切な家族を失い、生きる目標を復讐に定めた人。
それでもいいじゃないか。目標があるのだから。
ああ、でも、そうか。
(もう、気づいちゃったのかな)
からっぽだってことに。
見てみぬふりをしてきたことに、気づいてしまったのかもしれない。亜子と同じように。
(あたしと同じなんだね)
違う道を辿ってきたというのに、亜子とヨミは似ていた。持っているものが、極端に少ないことに。大事なものが、なに一つないことに。
ヨミが亜子を抱きしめている。死んだという弟を思い出しているのかもしれない。
どんな死に方をしたんだろう? きっと、この男があれほど復讐心に燃えるのだから、無残な殺され方だったに違いない。
もしも。
(もしも生き残れたら)
それは望みの薄い、望み。
***
意識を取り戻した時、そこがどこなのか最初はわからなかった。
「お。起きたか」
のん気な声に亜子は視線を動かす。心配そうに見ているラグや、ハルやトリシアの姿もある。そして声を出して覗き込んできたのはマーテットだった。
「マーテットさん?」
「もう大丈夫みたいだな」
にかっと笑う彼は立ち上がって、白衣をひろがえして去っていってしまった。
ぼんやりとする亜子は、そこが病室であることに気づいた。そして、自分が助かったことに驚くしかない。あんな辺鄙な場所にいたのに、治療が間に合うとは思えなかったからだ。
「アガット、よかった!」
ラグが抱きしめようとするのを、ハルがすかさず止めた。
「やめろって! 全快したといっても、まだ本調子じゃねーだろ」
「でも本当によかった」
トリシアも目尻に涙を浮かべて頷いている。自分はそれほど酷い状態だったのだろうか?
その時だ。ドアが小さく開き、ヨミが入ってきた。ほかの三人はさっと緊張したような目を向けるが、ヨミは気にせずにベッドに近づいてくる。
入れ替わるように三人が出て行く。トリシアがなにか言いたそうな顔をしていたが、ハルに背中を押されて黙って部屋を出て行った。
ヨミはベッドに近づき、無表情の隻眼で亜子を見下ろしてきた。
亜子は彼が喋るのを待つ。やがて、ヨミは観念したように口を開いた。
「おまえはもう、死ぬ運命だった」
「……あたしもそう思ってたけど、違ったんだね」
「あのハルという男がおまえを探して現れた。おまえを連れて、去った」
ハルは霧に姿を変えることができ、宙を飛ぶことができる。それで彼は急いで病院まで来たのだろう。
突っ立ったまま、ヨミは話した。
「あとから現れたラグに、私はここに案内された。ルキア少尉のはからいで、マーテット軍医がおまえの治療にあたった」
「そっか」
「意識が戻ったおまえは、明日、職業を選ぶことになっている」
「…………」
「心は定まらないか」
揺れ動いているのはヨミも同じだろう。
亜子は逆に、ヨミに尋ねた。
「ヨミはタツを倒して、どう思った?」
「なにも」
「なにも?」
「私の役目として課してきた。だから、怒りや憎しみはあっても、殺したあとに何も感情は抱かない」
「でも、『咎人の楽園』にいる意味は、なくなった?」
言い当てられたことにヨミは目を見開き、それから静かに頷く。
「おまえは、種族は関係ないと言った。そのとおりだと私は思った」
「…………」
「この帝都が戦乱に巻き込まれると聞き、あの時のような……ひどい、状態に陥るのではと危惧していた。同胞を助けたかったからだ」
セイオンの者は加担してはいなかったものの、同じ人間という種族の中でこれほどの諍いが起こる。
結局、種族のせいではなく、個人の「在り方」だとヨミは思い至ったのだそうだ。
「トリッパーでも、おまえのような変わり者がいる」
「あたし……そんなに変わってるかな」
「愚かだ」
はっきりと言われて、亜子はうっ、と言葉に詰まる。
「戦いもろくに経験していないのに、無謀に突っ込むし、おまえは愚かの極みだ」
「そ、そこまで言わなくても……」
こちらだって必死だったのだ。
しょんぼりとする亜子を冷ややかに見て、ヨミはきびすを返す。
「安心しろ。私はもうおまえを追わぬ」
それきり出て行ってしまったヨミに、亜子は嘆息する。
言いたいことだけ言って、それって……。
は、として亜子は部屋の窓から外を見る。病院の正面玄関から出たヨミは、軽くトンファーを振った。それだけで近づこうとした男を倒してみせたのだ。
(…………)
あたしのこと、守ってくれたのかな……?
よくはわからないが、不器用な人だということだけはわかった。