Barkarole! ノッカーズヘブン14

 知っていると応えた亜子は、だからどうしたという表情だった。ヨミの中では憎しみがくすぶり続けているというのに。
(変な女だ)
 殺されるかもしれない男に黙ってついて来るとは。
 互いに名も知らないというのに……。
 ヨミにとって、トリッパーは常に憎しみを抱く相手だった。予言者とて、そうだ。
 その理由は明白だ。トリッパーが、ヨミの双子の弟を殺したからだ。
 この世界では命の価値は低い。それはヨミにもわかっている。だが、だからといって、薄情にはなれない。まして、相手は肉親だ。
 起こった惨劇を思い出すたびに、使い物にならなくなった右目が痛みを訴える。
「弱点を知って、どうする?」
「…………さあね。わからない」
 亜子は本気でそう思っているようだ。迷っているように視線を伏せる。
 ヨミは、亜子を使えるかもしれないと思った。そうだ、あの男の弱点がわかればこちらの勝率はかなりあがる。
「タツの異能は、夜に活性化する。おまえと同じ、夜行性のものかもしれぬ」
 口を開いたヨミに亜子は驚いたようだったが、言葉は挟まなかった。
「腕力が桁違いにあがる。肉体に変化も起こる」
「どんな変化?」
 思い出すのが辛い。
 こちらに手を伸ばす弟。血を流しながら助けを請う彼の悲鳴が耳にこだまする。
 軽く頭を振ってから、ヨミは続けた。
「角がはえる。人とは思えぬ巨漢となり、姿も異形になる。見た目は、二本足で立つ、牛のような」
「牛……牛の、異能?」
 亜子は考え込むようにして瞳を伏せた。
「……ルさんは吸血鬼だった。あたしは化け猫。それぞれ妖怪や、伝説上の生き物に起因するとすれば……タツの能力は牛の……」
 ぶつぶつと呟く亜子は、必死になにか考えているが、思いつかなかったようだ。
「だめか……。でも、一度この目で見れば何かヒントが……」
「見たら、殺されるかもしれぬ」
 即座に言い放ったヨミに、亜子は顔をあげる。ヨミは視線を避け、前を向いてそのまま歩き続けた。
「やつは、殺すのを」
 脳裏に過ぎる、凄惨な――。
 タスケテ、ニイチャン。
(っ)
 唇を噛んで、ヨミは続ける。
「殺戮を楽しむ習性がある」
 そこまで言ってから、なぜあの男がここに現れたのか理解できた。この帝都で、やつは殺戮をするつもりだ!
 殺し、殺し、殺しつくす。蹂躙し、犯し、奪う。
 一気に青ざめたヨミに気づいたのか、亜子が早足で近づいてきて、うかがってきた。
「顔色が悪い。だいじょ……」
「平気だ!」
 言い放ち、はっ、として口を噤む。彼女は唖然としていたが、すぐに無表情になって無言になった。
 気まずい空気の中、ヨミは彼女をちらりと見る。ついてくる歩幅の距離が若干近くなったが、黙々と自分に倣っている。
(何者なんだ、トリッパーとは)
「おまえは」
 思わず声をかけると、亜子は瞳をこちらに向けた。夕暮れの中、彼女の瞳が金色に一瞬だけ輝く。
「タツと戦うことに、何も感じないのか? 同胞ではないのか?」
「……あの人」
 亜子は暗い表情になる。そして、見たこともないような皮肉な表情で笑みを浮かべたのだ。
「これから、たくさんの人を殺すつもりなんでしょ? それも、あなたの説明じゃあ、自分の愉しみのためみたい」
「…………」
「そんなのと、一緒にしてほしくない。……でも、こっちの世界に来た時に、あの人にも精神的な負荷がかかってああなったなら同情するけど」
 同情はするが、ゆるさない、と彼女は言う。
 なにかを思い出すように、亜子は微笑んでいる。歪んだ笑みだった。
「暴力を平気でふるう男は、赦せない」
 言葉と表情がまるで合致していなかった。
(この女、こっちの世界に来た時、どこに負荷がかかったんだ?)
 トリッパーは異界に来る際に、肉体、精神どちらにも負担がかかり、どこか損傷をするという。では亜子は?

 目的地に着いたヨミは、そこに潜伏している男たちに気づいて怪訝そうにした。同じく隠れている亜子は、様子がおかしいことに気づいたようだ。
「失敗?」
 遠くの会話も聞き取れる亜子の聴力に驚きつつ、彼女の言葉にヨミは「やはりか」と思うしかなかった。
 おそらく今日、奇襲でもしたのだろう。それが返り討ちにされたのだろう。
(森は、焼けたのだろうか?)
 あの幼い軍人の自信満々の顔がちらつき、苛立った。やはり帝国軍は敵に回すと恐ろしい。
 賭けに、負けたか。
 ヨミは肩から力を抜く。
 タツとは、おそらく遅かれ少なかれ、再会することになっていただろう。そして、たまたま帝都だっただけの話だ。
(よくて相討ちだったかもしれぬな……)
 己の力と、タツの力を比較すればそうなる。
 ルキアとの約束もあるのだから、ヨミは亜子を殺すことはしない。
 どう切り出そうかと迷いはしたが、意味のない時間稼ぎだと断じてヨミは亜子に囁く。
「ここから去れ」
「え?」
「もういい。ここからは私がやる。残党どもが敗走したのを確認したら、姿を消す」
 不思議そうな顔をしている亜子は、ふいに真っ直ぐにヨミを見た。
「なぜあたしを殺さないの」
「…………」
「殺したいほど憎いはずだよね」
「そうだ」
 ヨミは肯定した。
「おまえたちトリッパーが憎い」
 木立の陰に隠れたまま、ヨミは押し殺すような泣きそうな声を出した。己でも、驚いてしまう。
「おまえたちトリッパーは、私から右目と弟を奪った」
 奪ったのはタツだし、ヨミはあの場であの男を殺したと思ったのだ。だが違った。しかし運命のめぐり合わせは再びヨミにチャンスを与えたのだ。今度こそ息の根を止めて、弟の、己の復讐を果たしてみせる。
 亜子は小声の言葉をきちんと聞いているだろう。呆然とし、それから申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「あたしは、あたしのやりたいようにする」
 亜子はそう呟き、そこから去らないことを告げた。馬鹿な女だと本気で思う。
「あたしね」
 彼女は、朗らかに笑っている。
「そういう理由でなら、殺されてもいいよ」
「……は?」
「ただトリッパーだってだけで殺されるのは嫌だったけど、あなたはきちんと理由があるし、それに、殺したのはあたしじゃないからあなたの鬱憤とかそういうのは晴らせないけど」
「…………」
「あたしも精一杯抵抗するから、まあ、その結果で死んでもべつに恨んだりしないから」
 あっけらかんと彼女は言った。無理に笑っていることからも、本当は怖いのだろうが……。
「あたしさ、記憶がなんていうか、途切れ途切れで、親の顔もまともに憶えてないの。すごく勉強したのに、そこもほとんどなくなっちゃって」
 ああ、とヨミは気づいた。
 彼女はなぜ、こうも、明るいのか。怖いのに、笑っていられるのか。
「あたし、向こうの世界に、全部大事なもの置いてきちゃったんだ。取り戻せないものだから、もういい」
 彼女は、ないのだ。何も。
 思い出も。記憶も。
 だからこの世界での与えられた優しさに報いようとした。優しい人たちに感謝をした。
 まるで。
(そうか……この女は、やり直そうとしているんじゃない。『ここ』が出発点なのだ)
 職業登録へと本土へやって来た際に、弟が言っていたじゃないか。広い海の上の小船の上で。
 両手を大きく広げ、その青い青い空へと伸ばすように。
「ねえ兄ちゃん、新しい世界が、待ってるよ――!」

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