Barkarole! ノッカーズヘブン13

 機会はわりと早く巡ってきた。
 彼らも計画を急いでいるのだろう。分担して、出かけることも多くなった。出入りする気配を探る。
 定期的に亜子たちの様子も何度か確認された。亜子は手の縄を緩くしてあるが、転がっているので上からはそれが確認できないのだろう。まさか青年がそんなことをしているとも、思っていないようだった。
「メシは?」
 問いかけに、青年は立ち上がる。受け取ったトレイには粗末な食事が用意されていた。パンとスープと水だ。
 一人分ということは、亜子のことはあまり考えていないらしい。
 天井の扉が閉まり、薄明かりの中、青年は起き上がった亜子に食事をずいっと渡してくる。
 驚く亜子に、「死なれては困る」と短く、そして小さく青年は言った。亜子はどうするか思案したが、結局は食べることにした。なにかあった時、空腹では困るかもしれない。それに、ずいぶんと体力を消耗していた。
 縄を解いて食事をする様子を観察され、いい気分にはならない。亜子は青年をちらちらとうかがう。
「殺さないの……?」
 なぜこの男は亜子を殺さないのだろう? なんだか迷っているような気配すら感じる。
「今は意味がない」
 今は?
 戦争前だからだろうか?
 亜子は膝を抱えて、視線を落とす。
 ラグやハルたちはどうしているだろう? 外の様子があまりわからないので、どうしようもなかった。わかっているのは、捕まってからそれほど時間が経っていないことだけだ。
 はっ、として亜子が顔をあげる。青年もその反応に素早く応じた。
 沈黙が数分続いたのち、青年が「何人だ」と問う。亜子は指をあげる。6本。
 青年の行動は素早かった。天井の扉をトンファーで叩き壊し、外に出るなり近くにいたものの後頭部をすぐさま殴りつけて倒す。
 まるで演舞でも見ているようだった。青年の動きは無駄がなく、両手に持つ武器で次々と男たちを気絶させていく。
 最奥に残っている男が悲鳴をあげて逃げ出そうとするが、その行く手を阻んだ。
「自害するか、それとも殺されるか、それとも……情報を渡して逃げるか。選べ」
 男は震え上がる。隻眼の青年は本気だった。その証拠に、床に倒れている男の頭蓋に、容赦なくトンファーをぶち当て、粉砕したのだ。
「多少魔術が使えるならば、私にはおまえほどの腕では効かぬとわかるだろう。さあ、どうする?」
 静かな問いかけに、男は涙を零した。なにか言っているが、よく聞き取れない。
 遅れて出てきた亜子に、青年は出入り口を見張れと命じられ、そちらに向かった。
 亜子が逃げたらどうするのだろうか? ふいにそんなことを思いながらも、ドアの前に立つ。外に出た男たちが戻ってくる様子はない。
「俺は、俺は、故郷でも冷遇されてきたんだっ、これ以上まだ……!」
「おまえのことなど訊いていない」
 再び、気絶している男の頭蓋を粉砕し、絶命させる青年。あまりの無慈悲さに、亜子は口元を手で覆う。
 青年は静かな声で問うた。
「おまえたちは先陣の出方次第で、作戦を変えるつもりだな? 言え。作戦内容をすべて」
「なっ、なんでこんなことをするんだ! おまえは、き、協定を結んでいる『咎人の楽園』の傭兵だろう!?」
 そののど元に、トンファーが突きつけられる。ひっ、と男は引きつった声を出した。
「ギルドの総意とは思わないことだな。さあ、言え」
 言わなければ青年は男を殺すことだろう。それは明らかだった。
 男は作戦内容を大雑把ではあるが、教えてくれた。彼もまた、詳しくは知らなかったのだ。どうやら帝国以外では魔術師の地位はかなり低いようだ。
 やはり下町に幾つかのグループが潜伏しており、作戦開始と同時に動くようだ。それでも戦況が不利になればすぐさま逃走する手はずになっているらしい。
 亜子にはわけがわからない。戦争というのは、勝ち目があるからするのではないのか?
 不思議そうにしている亜子を見遣り、男をトンファーで殴って気絶させた青年がいつもの声音で言う。
「この帝国に攻め入って勝てると思うのは、愚か者の考えだ」
「それほどこの国は強大ということ?」
 大陸のほとんどを占めているのは確かに帝国だ。だが、小国が抵抗していることからも、絶対ではないのだ。
 青年は隻眼を動かしてから首を左右に振った。
「持っている戦力に差がありすぎるのだ」
「戦力?」
「そしてそれを統率する皇帝も、ただのお飾りではない」
 亜子には想像すらできない。皇子のシャルルとは知り合いだが、彼からその父親を想像することはできなかったのだ。
 床に寝転がっている男たちを一瞥し、青年は一度だけ亜子を見た。それだけだった。彼は目の前で、全員を殺した。



 ようは軍が侵攻してくる敵国に勝てればいい。それだけのことだった。
「おそらくは、蓮国が先導をとっている」
 説明をしてくる青年について歩きながら、亜子は必死に考える。なぜ、殺されるであろう相手について来ているのだろうか? わけがわからない。
 青年は地図を手にしている。あの男たちから奪ってきた、帝都の地図だ。
 王宮に攻め入るのは違うチームがやることなので、詳しくはわからない。ではそちらは軍に任せたほうがいいだろう。
 大丈夫かと亜子はうかがったが、青年はなぜか疲れたような表情をした。
「あそこには『ヤト』がいる」
 マーテットの所属部隊名を出されて亜子は驚いたが、精鋭部隊というのだから、確かにすごいのかもしれない。
 地図を見ながら、逃走経路を確認する。
「ここはあまり使われていない道だ。整備もされていないし、あまりにも森が深い」
 距離がありそうだと亜子は頷く。
 逆に、この道を通れば城下町になだれ込むことはできるようだ。
 下町に隠れている者たちは、そこから来る者たちを合流し、城下町と下町を戦火に巻き込むつもりなのだろう。
 考えたくはないが、爆薬を彼らは持ち込んでいる。青ざめる亜子は、ここが阿鼻叫喚の図になることを考え、吐き気がした。
 亜子は空を見上げる。
 時刻は夕暮れ時。いくらなんでも戻ってきた男たちは、逃げ出した亜子たちに気づいているだろう。
 皆殺しにしたのは情報漏えいを防ぐためだったとしても、やり過ぎではないかと思ったが……止めはしなかった。青年のしていることは、この世界では当たり前のことだろうからだ。
「あのタツという男は、来るかな」
 小さく洩らした言葉に、前を歩いていた青年は肩越しにこちらを見てきた。
「来るだろうな。おまえを手に入れるために」
「え? あたし?」
「トリッパーは希少種だ。それに、おまえは人間の女の姿に限りなく近い。価値はある」
 そういうものだろうか。
 青年は極力亜子と喋らなかったが、前とは雰囲気が少し違う。亜子に対して殺意を抱いていないからだろう。
「あたしは、価値なんて……ないよ」
 ぼそりと呟いた言葉に、再び青年は見遣ってきた。
「この世界に来たけど、元の世界ではなんのとりえもなかったし……ただ勉強ばっかりしてて、その記憶も、こっちにきてほとんどなくしちゃったし……。だから、拷問したって、いいことないよ。なにも出てこない」
「知識だけではない。おまえの世界のことすべてを聞き出すのが目的だ」
「すべて?」
「そうだ」
 静かに言う青年の言葉に亜子は無言になる。
 なにを話しているんだろう、自分は。この男は敵なのに。
 いいや、今はそのことは考えないでおこう。問題はタツという男だ。同じトリッパーとして、彼の異能の正体がわかれば、対策をねられるかもしれない。
 そうだ! なぜそれに気づかなかったのだろうか!
「あの!」
「?」
 青年が再び振り向いてくる。
「あなたは、タツと知り合いなん、だよね?」
「…………」
「なにか、彼の異能とかわからない?」
「なぜそのようなことを尋ねる?」
「弱点がわかるかもって、思って」
 素直に言うと、青年は驚いたように目を見開く。そしてなんだか難しそうな顔をした。
 彼は急に亜子を睨んだ。
「私は、トリッパーを嫌悪している」
「……知ってるよ」

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