Barkarole! ノッカーズヘブン8

 ヨミには信じられなかった。
 現れた『あの男』の存在も信じがたかったが、戦っていたラグの劣勢は明らかだった。加勢をするつもりだった。
 だがそこで加勢に入ったのは自分ではなく、自分が狙っていたあのトリッパーの少女だったのだ。
 彼女は最初こそほんのりとした金色の瞳だったが、最終的には、姿を変えてまであの男に挑んでいた。
 ラグ、と呼んでいたのはセイオンの剣士のことだろう。彼に加勢してなんとしてでも隙を見出そうとしているのはわかっていた。
 軽やかに動く彼女はさすが異能者と思えたが、必死に抵抗する姿はヨミには不可思議なものとして映っていた。
 なぜトリッパーが助けに入る?
 どう見ても、勝ち目がない相手だというのに。
 ヨミに襲われた時は、反射的だったはずだ。だが今回は違う。
 彼女はラグを助けようと割り込んできたのだ。
 ヨミはトンファーを振るう。相手の力を利用して、その剣戟の隙間をぬって、腹部に残る片方のトンファーをめり込ませる。使い勝手のいいこの武器も、もう手に馴染んだものだ。
 男は痛みに顔をしかめはしたが、二、三歩後退してからヨミを嘲笑った。
 見下すような瞳。そして頬に走った、先ほどの少女の一撃。
 あの時からの年月はかかっているが、確かに本人だ。そう確信する。
(だが確実に殺したはずだ)
 なぜ生きている?
 その疑問が顔に思いっきり出ていたのだろう。男が急に手を引っ込めた。
 ヨミは攻撃体勢のまま、静かに相手の出方をうかがった。いつでも反撃できるようにするためだ。
「久方ぶりだな、小僧」
 その呼び方に悪寒が駆け抜ける。間違いない。コイツは……。
 ヨミは隻眼で睨みつけた。
 フードをかぶったままの男は、ここでは本気で戦う気はない。それは直感でわかっていた。
「……おまえがなぜここに居る?」
「ははっ! 幽霊でも見たような顔をしているぞ!」
 実際、そうなのだろう。そのとおりだ。この手で殺したはずの相手が数年も経って現れれば誰だってヨミと同じような表情をするだろう。
 男は視線を動かす。ラグが走り去った方向だ。
(? なんだ……?)
 なにか気にするようなことでもあっただろうか……?
 男の気を引く存在となると。
 そこまで考えて、まさか、という思いがよぎった。
(あの女?)
「まさかこのような場所でトリッパーに会うとはな」
 その発言に、やはり、と思うしかない。
 この男の興味はトリッパーの少女へと移った。トリッパーなど放置しておけばよい。だが……。
 数年前の苦い記憶がヨミを苦しめる。
 男が舌なめずりをする。獲物を狙う者の顔だ。
 しかしふいに、その表情が崩れた。
「おまえに用があったのだ、小僧」
「? 私に……?」
 戦闘を再開するようにはみえない。ではなんだ?
「おまえは『咎人の楽園』に所属しているのだろ?」
「それがどうした」
「我らの身内ならば当然と、各々見つけて忠告をしているのだ」
 身内?
 言葉の意味がわからずにヨミは訝るが、表情は崩さない。相手は明らかに愉しんでいる。
「そこまで手間をかけるほど、なにかするのか」
 話を合わせるように言葉を発すると、男は巨体を震わせた。声を出さずに笑っている。
「『予言』は現実になる。そしてここは火の海だ」
「他国の侵攻に遭うのか、この帝都が」
 脳裏をルキアの姿が過ぎった。あの幼い軍人は「大丈夫だ」と根拠もなく言っていたが……。
 この男はどこかの所属しているのか。その真偽を、ギルドで確かめなければならない。『咎人の楽園』はどこかと繋がっている――。
「栄華はここまでだ。潰されていくこの大国をゆっくり眺めるのもいいものだろう……」
 用はここまでというように男は身を引く。そしてもう一度、ラグたちが去った方向を見た。
 にぶく光る瞳を見逃すヨミではない。
 男が立ち去ったのを見届け、ヨミは武器をおろし、素早くローブの中に隠す。
 ここが裏路地ということで見物客はいない。そもそも人間というものは、危ないことに突っ込むのを躊躇うものだ。命の軽いこの世界では、特に。
 ヨミは身を翻し、中央広場へと戻った。
 雑多な中をよどみなく歩く。目的地は、賑やかな噴水広場の近くではない。
 細い道へと入り、何度か曲がり、完全に誰もついてこないことを確認して建物に入った。そこは寂れた骨董品屋である。
 奥には店主が鎮座しているが、その背後には2階へと続く階段が見える。だがそこに用はない。あるのは、地下だ。
 ヨミは静かに主人の横を通り過ぎる。老人は机の下に隠されたボタンを押した。すると、2階への階段の横に、地下へと通じる道が開いたのだ。
 こつんこつんと足音をさせてヨミはくだっていく。じめじめとしていて、いい空気とはいえない。
 地下は2階まであり、その2階部分は牢になっている。拷問部屋もそこにある。
 薄暗い道を進んでいくと、カーテンをドアの形にして垂らしている部分が目に入った。カーテンをくぐって入ると、そこには煙と、薬の甘い香りが充満していた。
 こんな時間帯から薬にふけるなど……不健全もいいところだ。呆れながらも、ヨミは何も言わない。
 干渉しない、それがここでの暗黙のルールなのだ。
 手ごろなテーブルにつき、向かい側に腰掛けている丸坊主の男に声をかける。
「今日、忠告を受けた。戦が始まりそうだ」
 短い、そして小さなヨミの声に、坊主の男はひひっ、と喉を引きつらせたような笑い声をあげた。彼も声のトーンを落とす。
「どうやら裏で色々動いているらしい。うちの誰かが侵攻してくる国の組織の一つと繋がってるという話があるからな」
「なるほど」
 しかも繋がっているのは、どうやら相当このギルドで力のある者のようだ。権力が強い者が、なぜ仲間を救おうとするのか? それは動かす『駒』を減らさないためだ。
 トリッパーは不定期に現れ、そして政府の巧妙な手口でだいたい帝都の外に逃がされる。それを追う『猟犬』がこのギルドには必要なのだ。
 ここに所属している連中は様々な理由がある。だがどいつもこいつも、トリッパーを捕まえることに躊躇をしない。それどころか、興奮する奇妙な連中が多い。
 人を殺せない代わりに、その衝動をトリッパーにぶつけている。
 そう思える節もあった。
 ヨミは、ここにいる連中のことを批難できない。己も、ここに所属する傭兵だからだ。
 しかし見えてきたことがある。あの男は、確か奉国に近い場所で殺したはずだ。ではあそこから生還し、奉国にでも行ったというのか?
 ヨミは他国に行ったことがない。なにせこの帝国は、常に他国からの小競り合いが続いており、前線とされる場所には帝国軍が駐在して守っているのだ。国境を越えてまで他国に行かずとも、大抵のものはこの国で手に入るし、不便はない。
 銃火器や鉄のものを作ることで有名な奉国……。そこが先導をきってこの国に戦いを挑んでくる? なんだか現実味のない話だ。
 ヨミは席を立つ。そして今度は地下二階へと向かった。重そうな鉄扉の前を通ると、微かに女性の悲鳴が聞こえたが、無視した。ここに連れて来られた時点で、もはや死は決定されている。助け出すことは不可能だ。
 胸糞の悪くなる思いをしながら、奥へと歩いていく。そして一つの牢の前に立った。他の牢と違い、そこにはきちんと排泄物を処理するものや、ベッドまで用意されている。床の上には汚いぬいぐるみや、おもちゃが転がっている。
「あ、ヨミだー! ヨミー!」
 子供のようにはしゃぐ中年の男は、ひげが伸び放題だった。黒髪も伸び、一週間に一度は水で身体を洗われているとはいえ、やはり異臭がする。
 無言のヨミに、彼は鉄格子をつかんでゆらゆらと揺れた。
 予言者。
 その名しかこの男についていない。拷問の前から精神には相当の傷を負っていたようだが、拷問でさらにひどくなり、幼児退行をしてしまった者だ。
 彼は夢をみる。さまざまな夢を。
 その夢はほとんどが色々な人々の未来だ。しかも、確定した未来だ。恐ろしいことだった。
「赤い髪の女の子には会えたー?」
 突然のセリフにどきっと鼓動が跳ねる。赤髪の人間など珍しくはないが、ヨミの心にはあの少女の姿が浮かんだ。
 まともに相手をするような男ではない。彼は木彫りのおもちゃを片手に持って、「ぶーん」と振り回している。
「会ったが、どうかしたか」
「ヨミ、一緒にいるんだよ! 仲良しだね!」
 その発言はさすがに癇に障った。
 トリッパーと仲良しだと? 冗談じゃない。
 無表情さの中に不愉快さを混じらせ、ヨミは予言者を睨みつけた。片目しかない彼の威圧を感じたのか、予言者は奥へとさがっていく。
 そしてしくしくと泣き出した。
「こわいよぉ、こわいよぉ」
「…………」
 なにが怖いのかわからないし、こうなった予言者は放置しておくに限る。
 ヨミはそこから立ち去り、階段をあがって地上へと出た。裏口から店の外に出て空気を吸い込む。やはり地下の空気は淀んでいる。気分が悪かった。
 すでに太陽は夜へと足を踏み入れようと橙の色を発している。
 恐ろしいほど、いつもと変わらない様子が、中央広場には広がっている。ここが戦火に巻き込まれることなど、あるのだろうか?

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