Barkarole! ノッカーズヘブン6

 アルミウェンにいればほとんどの用は事足りることに亜子は気づいた。ただ、外の世界のことは酒場に居座って話を聞くしかない。
 ラグはご丁寧に付き合ってくれていた。彼の今の仕事は亜子の護衛だけのようだ。いいのだろうか……。
(なんか、ほかにも用事とかあったら……)
 遠慮癖が徐々に出てくるのは、ラグが黙ってつきあってくれるせいもある。文句も言わないし、かといって会話を弾ませるでもない。
「いらっしゃーい!」
 店の入り口の扉が開かれたので、クイントが反射的に声を出す。入ってきた人物に、店内の全員が硬直した。
 亜子は緊張が走ったのに気づき、飲んでいたジュースを置いて、入り口へと顔を向けた。
「こんにちは」
 入ってきたのは、髪を無造作に伸ばした、小柄な少女……いや、少年?
 純白の軍服はマーテットが着ていたものと同じだ。ということは軍に所属しているのだろう。
 ざわわっ、と全員が逃げの体勢になっているのに亜子は気づいた。
「こ、こんにちは、少尉……」
 顔を引きつらせているクイントに、少尉と呼ばれた少年はとびっきりのきらっきらの笑顔を向ける。ま、まぶしい!
(ひぃっ!)
 思わず両手で目元を覆う亜子だった。恐ろしい美貌だ。
 入り口のほうを見ていたラグはいきなり破顔し、それから大きく手を振った。なにをしているのだ、この男は。
「ルキアー!」
 るきあ?
 亜子は猛烈に眉間に皺を寄せる。その名前にはなんだか聞き覚えが……。
 同時に、いや〜な顔をしたシャルルとマーテットの表情が思い浮かんだ。
 入ってきた小柄な軍人殿は、周囲の視線など気にせずに堂々とこちらに歩いてきた。ぎょっとした亜子は反射的に隠れようとするが、そんな場所はどこにもない。
「久しぶりですね、ラグ。元気ですか? 魔封具の調子はどうです?」
「ルキアのおかげで随分いいぞ! そして元気だ!」
 ラグはうんうんと頷いている。知り合いなのは会話からしてわかったが……やはり『あの』ルキアなのだろうか……?
 ルキアにラグはふいに表情を暗くする。
「ハルが帝都に来てる。会いたいって言ってた」
「おや、珍しい」
「トリシアと一緒だ。でも、なんかトリシアと喋るとすぐ怒る」
 ぶすっとするラグに、ルキアは苦笑した。
「ハルにはあとで会いに行くと伝えておいてください。先に王宮に行かねばなりませんし、屋敷に荷物を置いてこないといけませんから」
「ああ、そっか」
 頷くラグから視線をはずし、彼はこちらを見てきた。あまりにも綺麗な、ルビーのような瞳。呑まれそうになっていた亜子は慌てて首を左右に振る。
(う、うわっ、すごい迫力)
 見た目からして、小学生くらいだろうか? クイントよりも年下のようにも、同い年くらいのようにも見える。
 彼は亜子を凝視していたかのような、けれども数秒でその鋭い視線を解いた。ふんわりと、砂糖菓子のように微笑んだのだ。
「はじめまして、ルキア=ファルシオンです」
「あ、アガット=コナーですっ」
 声が裏返ってしまう。嫌な緊張感が亜子を支配した。
(やっぱり、この人が例のルキア少尉さんなんだ)
 あまりにも鮮烈。
 こんな人が存在していいのだろうかという疑問が頭をかすめた。まるで……まるでそう、トリッパーのような……異物……。
 彼はもう一度ふっと笑い、それから視線をラグに戻した。
「ゆっくり話したいのですがそうもいかないんです。顔を出しただけで許してくださいね、ラグ」
「そんなの気にするな。ルキア、いっつも忙しい。オレ、大丈夫。魔封具もべつに異常ない」
「そうですか。それではもうおいとまさせていただきますね」
 にっこりと微笑んで、ルキアはきびすを返した。本当にラグに顔を見せに寄っただけのようだ。
 しん、と静まり返っていたアルミウェンは、彼が去ったあとにいつもの喧騒を取り戻した。もっぱら話の種は今の少尉のようだった。
 あいかわらず……だの、こえぇ、だの……ちらほらと小さな話し声が聞こえる。
 亜子は目の前のラグを見つめる。彼は本当にルキアの知り合いなのだ。いや、友達なのかもしれない。それほど、仲が良いようにみえた。
 クイントが近寄ってくる。
「ねえねえラグ! 少尉がここに寄ってくるにしては、早過ぎない!?」
「早い?」
 驚いたようなラグが問い返した。するとクイントは、もじもじと、それでも唇を尖らせながら言う。
「だって前に少尉が遠征に出発したのって、五日前でしょ? 早すぎるよ。いっつもなら、もっとかかるのに」
「…………」
 ラグは神妙な顔つきになり、出入り口を見遣る。亜子はその表情の意味がわからない。



 トリッパーの娘が妙な入れ知恵をされて護衛を雇うとしたら、とヨミは思いを馳せた。
 傭兵ギルドに所属している者のリストを手に入れるのは容易ではない。それはどこの傭兵ギルドでもそうだ。
 『渡り鳥』の傭兵は、『咎人の楽園』と違い、二人一組で行動はしない。あそこは個人プレーが好きな連中の集まりだからだ。
 だがどんな相手を雇おうが、ヨミには「どうでもいいことだ」と考えは至った。結局のところ、その護衛を始末し、トリッパーを殺せばいい。
 もちろん、捕獲できればギルドの連中は喜ぶだろうが……拷問趣味のないヨミには彼らの余興に付き合う義理はなかった。ただ所属しているギルドの方針が、自分の目的と合致しているからそこにいるだけなのだ。
 潜伏している亜子に目をつけているのは自分以外には見当たらない。仲間内にもその情報は洩らしていない。
 油断するべきではないのは、彼女を殺そうとした晩でわかっている。あのトリッパーは高い身体能力を持っている。
 ヨミは寝床にしている下町の安宿を出る。夜になって動くのが常だが、あの娘を見張っておけば油断して外に出てくるかもしれない。
 ぎりぎり気配を悟られない距離にいれば、と考えて中央広場まできて、ヨミはぎょっとした。
 フードをしっかりとかぶったあのトリッパーの娘が歩いているのを見かけたのだ。
(……殺してくれと言っているのであろうか)
 しばし悩んだ。
 遠目に見ていても、ただの旅人にしか見えないが……。
 とそこで、ヨミは目を剥く。
 彼女のすぐ傍に、まるで影のように大きな鴉のような青年が寄り添っていたのだ。
 褐色の肌が見えるのは顔の部分だけ。白い髪に、黄緑の鮮やかな瞳をした長身の男だ。
 セイオンの戦士だ!
 衝撃にヨミは足が止まりかけた。ここで止まるのはまずい。不自然すぎる。
 人の波に逆らわずに歩きながら、さりげなく視線を向ける。彼らは下町のほうへ向かっていた。
 どうやらあのトリッパーの娘はセイオンの戦士を護衛に選んだようだ。ヨミは彼らが去った方向へさりげなく足を向ける。不自然にならない程度に。
 そして流れに乗ってそちらに向かった。
 下町は四つの区画にわかれている。比較的安全なのは西区だ。おそらくそこを目指すはずだろう。
 しかし妙な話だ。トリッパーが下町になにか用事でも?
(表に出てくるのは、中央都庁に職業登録をする時くらいだと思っていたのだが)
 青年にあれこれ話しかけられながら、トリッパーの少女は相槌をうったり頷いたりしている。……楽しそうだ。
 ヨミはその様子を眺めつつ、徐々に眉間に皺が強く刻まれていくことに気づいていた。
 沸々と怒りがわいてくるが、それを抑え込まねば気配を悟られる。
 突然、バッ、と護衛の青年が振り向いた。ヨミはさも通行人だというように様子を変えなかった。それが幸いだったかどうなのか、気づかれなかったようだ。
(いや、気づかれているかもしれない)
 青年の突然の行動に、少女は驚いている。青年は首を左右に振って「なんでもない」とアピールしたようだった。
 彼はなにやら彼女に耳打ちして、指先で示している。少女は手に何か持っているのか、数度頷きながら歩き続けた。
 青年は彼女の背中をトン、と押す。それだけで、わかってしまった。
(! くそっ!)
 走り出した少女に目を見開くヨミだったが、慌てて追いかけると尾行していたことがばれてしまう。
 あくまでただの通行人を装うと決めたのだが、無駄だった。青年のほうが薄く笑って待ち構えていたのだ。爛々と、瞳が輝いている。先ほどまでの優男の印象が欠片もない。
 通り過ぎようとしたが、無理だと判断してヨミは足を止めた。
 本当に大きな鴉のような男だ。すっぽりと体を包むような外套の背中には、所属ギルド『渡り鳥』の大きな紋様が描かれていた。
 いくら下町へ続く道とはいえ、往来だ。対峙しているのが不自然なのも当然なので、役人が来ると厄介だなとヨミは考え始めた。
「どうしてあの子を殺そうとするんだ?」
 ややカタコトの混じった帝国語だった。面倒なので、ヨミは無言を通そうかとも思ったがやめた。彼は同胞だ。伝えるべきだろう。
「アレらは忌むべき存在。私の仇だ」
「仇?」
 さすがに驚いたのか、青年は戦闘体勢だった構えを若干解いた。
 ヨミは渋い顔つきになる。そして「ここでは語れぬ」と小さく呟き、青年を促して歩き出した。



 ここへ行け、というラグの指示のもと、亜子は下町を走っていた。息が荒くなり、そして同時にあの男が尾行していたことに気づいた。
(す、すごいラグさんて!)
 さすが腕利きの傭兵だ!
 感心していてもしょうがないのだが、亜子は衝撃的なことに気づいて呆然とした。
「あ、あれ?」
 ぽつーんと佇む亜子は、周囲と、手に持った地図を見比べた。あまりにもアバウトすぎる地図はラグが描いたものだ。
「ど、どこ……ここ?」
 困惑する彼女は途方に暮れるしかない。
 背後を振り返ってもラグの姿はない。彼はあの男の相手をしているのだ。倒して、くれるだろうか?
 そこまで考えて、亜子は衝撃を受けた。
 安全になるわけが、ない。
 あの男を振り切っても、次が来る。そしてその次も、くる。
 終わりがない。際限がない。
 見えてこない出口のことに、亜子は初めてそこで気づき、呆然と佇んだ。
 一時的にラグに助けてもらえていても、職業登録をして地学者となり、べつの場所へ行って……果たしてそこも安全と言えるのだろうか?
 ひとりぼっちだ――。
 亜子はそのことを噛み締め、それから小さく笑った。泣いているようにもみえる笑いだった。
 視線が自然と足元に落ちる。
 亜子はゆっくりと歩き出した。

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