帝都駅に停車した弾丸ライナー『イエロー・コーラル』乗降口から降りてきた人物は、長い髪を揺らして小さく息を吐き出した。
純白の帝国軍の軍服を着込んだ、まるで妖精のように見間違えてしまいそうな見目。
彼は小さなトランクを片手に、馬車乗り場へと向かう。
人込みの中、歩き出した彼は常時笑顔で、とても機嫌がよさそうに見える。
「さて、と」
駅から表に出て、乗合馬車ではなく、賃金がかかるほうの専用馬車の乗り場へと方向転換した。
しかし彼は足を止めて、振り返った。
「おや。珍しい」
微笑する彼は、背後にぬっと立つ長身の青年を見上げる。いや、振り仰いだ、というほうが正しい。
長髪を後頭部の高いところで括っている青年は、片目を覆うような眼帯をしている。無表情のままルキアを見下ろす彼は。
「セイオンの方に会うのは、二度目です」
にこにこと微笑むルキアは、気づいているのだろうか? 彼が気配を絶った状態だということに。
青年は目を細めた。
「……ルキア=ファルシオン」
「はい?」
「取引がしたい」
「…………」
ぼんやりと青年を見上げていたルキアは、それからふわっと微笑んだ。
「応じかねます。自分は一介の軍人。国に使われる側の人間ですので」
「では死ね」
「国のため以外に死ぬつもりはありません」
はっきり言い放ったルキアだが、それでも笑顔を崩さない。
「ですが、市民の声に耳を傾けることはできます。取引などはできませんが、お話はうかがいましょう」
あまりにも爽やかだった。
その異常さに青年も気づいたのだろう。不審そうに片目を細めている。
「噂に違わぬ、というわけか」
「?」
「私は『咎人の楽園』に所属する傭兵、ヨミ」
所属ギルドの名前に、ルキアは驚愕に目を見開いた。それもそうだろう。暗躍する彼らが、まともにこうして表に姿を現すことなど稀だ。
いくら『見つかってはいない』とはいえ、やっていることは完全に法律に触れているし、軍が現場を取り押さえれば言い訳などもできない。
それでも見逃されているのは、現場をおさえられたことがないからだ。表向きはただの傭兵ギルド。だが中身は……。
「あんたが帝都に呼び戻された理由を知っている。私は、その件で話をしにきた」
ヨミと名乗った青年は、ルキアが乗り込んだ馬車に、続けて入ってくる。密室ならば、話しやすい。
笑顔のままのルキアの不気味さに、ヨミは無表情を徹している。
「自分は事情を知らないままに呼び戻されたのですが、内部事情が漏れているのはゆゆしきこと。できればお話を聞きたいです」
下手な言い方はしているが、ヨミからすればまったく隙がない。戦闘になればこの場でその細い首をナイフで掻き切れるとは思うのだが、どうもその想像ができない相手だ。
ヨミはしばらく沈黙していたが、ルキアはまったく痺れを切らさなかった。待たされている御者のほうは不安で仕方がないだろうに、気にしたふうもない。
まっすぐにヨミを見ているお偉い軍人様であるはずのルキアは、まったく気取った様子がない。
傭兵だとこちらを馬鹿にもしない。
(噂通りなら、取引にも応じないのも当然か)
冷徹に見ているヨミの眼光に怯みもしない。
ようやくヨミは口を開いた。
「私は同胞を助けたい」
「同胞、ですか」
「セイオン出身の者たちのことだ」
「そういう意味の同胞ですか」
ふむふむと頷くルキアに、ヨミは続けた。
「あんたが呼び戻されたのは、帝都が敵国から攻撃を受けるからだ」
「ほう。どうしてそのように思うのですか?」
ヨミは一瞬視線を伏せた。
「私のギルド内では、予知者がいる」
「? 予知?」
「とはいえ、完全な予知はできぬ。捕らえたトリッパーだ」
「…………」
鋭い目つきになるルキアは、だが黙ったままだ。ヨミになにか文句を言うこともない。
「環境は劣悪ではないことだけは言っておく。センリガン、という異能を持っている。とはいえ、精神状態がかなり不安定なため、その信頼性は五分五分になる」
譲渡してここまで話しているのは、ヨミにとってはルキアを信頼したからではない。
「そのトリッパーを救え、というお話でしょうか?」
問うたルキアに、ヨミは剣呑な視線を向けた。その瞳の奥には憎しみすら宿っている。
「トリッパーを救う必要はない。
私が話したいのは、そのトリッパーの予知した内容だ」
「そうですか」
「……帝都の王宮近くの森が火事になるようだ。大勢の軍人が待機していると言っていたことから、王宮に攻め入られると思われる」
「それが、セイオンの人々と関係がありますか?」
帝国の軍人の中には、セイオン出身者はほんの一握りだ。いや、ほぼいないと言ってもいい。
身体能力の高い彼らは動きやすく、拘束力の低い傭兵になることを好むからだ。
つまり、帝国貴族がほぼ占めている帝国軍をヨミが気にかけるのがおかしい、とルキアは言っているのだ。
「王宮が敵国に攻略されれば、この都はあっという間に地獄と化す」
なるほど、とルキアは微笑んだ。そして朗らかにくすくすと笑ったのだ。
「心配性、というか、心根の優しい方なのですね。確かに中央広場には多くの傭兵ギルドが集まっています。セイオンの人々は、喜んで戦うと言い出すことでしょうしね」
「少尉」
「甘くみてもらっては困りますよ」
柔らかい笑みだが、ゾッとするものがある。彼はあまりにも純粋に笑顔を向けてくるので、ヨミが恐ろしさに身を軽く震わせた。おぼえのない、恐怖感だ。
「戦うすべを持たない無辜の民を守るのが軍人の務め。城下を混乱に陥れるようなこと、軍がするはずがありません」
馬鹿な、とヨミは思う。軍人どもの横柄さを知らないのか、こいつは。
まともに話を聞いてくれるかもしれないと、一縷の望みをかけていたのに。
(人選を誤ったか……)
しかしもう遅い。元々傭兵と軍人は相性が悪い。ヨミはここからどうやって去るか、その手段のほうへと思考をめぐらせる。
「取引というのは」
ルキアが続きを口にするとは思わなかったので、少々驚く。
「もしや、戦火を城下にまくな、ということでしょうか?」
「戦は、回避できぬ。そうなったとき、同胞が散るのが不愉快なだけだ」
「大丈夫ですよ。城下まで、戦の種は持ち込みません」
「?」
「ですから、甘くみてもらっては困る、と言ったでしょう?」
笑顔のルキアを、ヨミは怪訝そうに見てしまう。
「用件は以上ですか? では、またご縁があればどこかで」
さっとルキアが馬車のドアを開けてくれた。あまりに自然なことだったので、ヨミは硬直してしまう。
のろのろと腰を浮かせて、馬車を降りた。ルキアは小窓から軽く手を振り、御者に合図をしてそのまま行ってしまう。
残されたヨミは、その馬車をずっと睨みつけるように見ていた。
二度目。
あの少年はそう言っていた。
(セイオンの戦士に会ったことがあるのか……)
目立つ外見をしているので、なくはない話だが……。
中央広場を通っていた時、下町で見かけたトリッパーの少女のことを思い出してはらわたが煮えくり返りそうになった。
滞在場所をアルミウェンに変えたようだが、下町から尾行していたので場所は簡単に知ることができた。問題なのは、選んだ場所がアルミウェンだったことだ。傭兵にでも護衛を依頼する気だろう。
手出しできない場所としては、最低ランクだった。これならばと思ったが、アルミウェンは凄腕の傭兵が集まるギルドとして有名だ。
(もしも場所が違っていたら、諦めたものを)
馬鹿な女だ。
助かった命をまた捨てるというのか。
そうは思い、けれども邪魔が入ると厄介なので夜分を待ち、忍び込んで殺そうとした。『渡り鳥』とことを構える気はない。
そこで声をかけてきた宙に浮かんでいた男もおそらくはトリッパーだったはずだ。魔術で宙に浮かぶことはできるが、それとは様子が異なっていた。
この帝都に、二匹のトリッパーがいる。
とはいえ、狙うのはもちろん女のほうだ。獲物と決めたのは、女のほうが先だったからだ。
しかしヨミは気になっていたのだ。捕まえた、予言者のトリッパーの言葉を。
かなり精神が退化し、幼児のような言動をとる中年の男だ。だから、予言もかなり大雑把で、言い方も子供のそれだ。
「あのね、あのね、お城の近くの森がぶわーっと燃えるんだよ。真っ赤にね、なるんだよ。なるんだよ。
お空が真っ赤に染まるんだよ。きれいだけど、ちょっとこわいねー。
たくさんの白い服を着た人たちが、そこにいるよ。怖い顔してる」
あははと笑いながら言うトリッパーを、すぐさま誰かが殴りつけ、部屋へと戻した。……ルキアに言ったように、環境は劣悪ではない。むしろ、『咎人の楽園』では優遇しているほうだ。
お城、というのは一つしかない。王宮、王城のことだ。周辺に森があり、隠れながら近寄るには確かに楽なようにも思えるが、実際はむずかしい。
そこが火事になり、白い服の者たちが大勢いる。推察すれば、簡単なことだ。
王宮が攻め込まれ、そして軍が対応する。その構図は簡単に想像できた。
問題は、わかっていて軍が対応していたのか、ということだ。被害は出るだろうし、ここに攻め込ませる前に潰すほうが楽のはずだ。
ヨミは空を見上げる。
この帝都を早々に離れたほうがいいのかもしれない。