Barkarole! ノッカーズヘブン2

 用意された部屋は確かに狭く、ベッドもかなり簡素なものだった。床で寝ないだけましのような気もしたのだが、やはりそれほどいいベッドではないようで、確かに慣れないと体が疲れるだろうと予想された。
 雨戸が閉ざされているので太陽光は入ってこない。部屋は薄暗いが、亜子はとてもではないが、窓を開ける気がわかなかった。
 クイントが用意してくれた室内用のランプを、灯す。それだけでなんだか明るくなったような気がした。
 荷物袋を部屋の隅に置き、溜息を吐き出す。
 職業登録のことは、なんとなくしか考えていないが……申請を出す日までそれほど日数はない。
 こんな時に狙われるなんて、本当にツイていない。
 ベッドに腰をおろし、亜子はこれからのことに思いを馳せ、暗い気持ちになった。
(まずは、地図を……えっと、地理も、それから)
 何から手をつけていけばいいのか。
 亜子が選ぶことができるのは地学者だけだ。トリッパーならば、そうすることしかできないのではという強迫観念も混ざっていた。
 遺跡の探索をする者。
(遺跡、か……)
 ほかのトリッパーたちはその遺跡に出現するのに、なぜ亜子だけ。
 顔を両手で覆って、俯く。
「なにかあれば」
 と、シャルルは連絡先を教えてくれていた。だがそこまで甘えるわけにはいかない。なぜなら亜子は、彼を選ばなかったのだから。彼の親切を、拒絶したのだ。
 一人でいるほうが楽だった。
 一人にして欲しい……。
 視界がぐらぐらと暗くなる。明滅のようなそれを繰り返す中、亜子は目を細めた。
(あたしは、ひとり)
 父も母も、顔を思い出せない。居たことだけはわかる。だがそれだけだ。
(……ラグさん、か……。どんな人なんだろう)
 一時的とはいえ守ってもらうのだ。興味はわく。
(いい人だったらいいな)
 淡い期待に、それでも亜子の表情は晴れることはなかった。



 入り口の軽やかな両開きのドアをくぐって入ってきた二人組に、クイントは怪訝そうにするしかない。
 旅装の二人は男女で、一人はフードを深くかぶっている。まるで今朝方やって来た、亜子の姿を彷彿とさせた。
(へー。珍しい)
 明らかに素性を隠したいならば、ここまで足を運んでくる必要はない。ギルドのほうへと顔を出し、指名する傭兵の名前と、所属ギルド名を挙げればこと足りる。
 クイントは男のほうにじろりと睨まれたような気がして、むっ、としてしまう。
(えらっそうな男だな!)
 苛立たしいがただの客として来店したなら接客態度を修正しなければ。
 酒場に訪れたのか、宿に滞在したいのかわからないが、接客担当はクイントの仕事だ。
「いらっしゃい」
 軽く声をかけてみると、すぐ後ろにいた女性のほうが微笑んできた。うわぁ、とクイントは頬を少し染める。
 これといって特徴のない、帝国人の典型のような外見ではあるし、特出した美人でもないが、笑うと可愛い印象を受ける。
 連れの男が明らかに彼女を隠すように移動し、クイントをフードの下から見てきた。
「ここにラグはいるな?」
「へ?」
 ラグの名前が出るのは今日で二度目だ。
(あいつに仕事? いやぁ、いくらなんでも……)
「ラグは今仕事でここにはいないよ。仕事を依頼するなら、ギルド組合のほうに行ったほうが早い気がするけど」
 直接訪ねてくるほうがそもそも少ないのだ。そういう客はワケアリ、と相場が決まっている。
「仕事の依頼じゃね……いだっ!」
 怒鳴り声が途中で違うものに変わった。女性に足を踏まれている。
 彼女は平然とした顔でクイントのほうを見ると、また微笑んだ。
「ラグの知り合いなの。知らせたいことがあるから、ちょっと寄ったんだけど……帰ってくるまでどれくらいかかるかしら?」
「え、と、どうだろ。でも確か……」
 記憶を手繰り寄せながら、ふらっとここに立ち寄ったラグが言っていたことを思い出す。
「うーん、確か10日くらいで一度帰ってこれると思うって言ってたから、この一週間内には戻ってくるんじゃないかなって思うけど」
「そう。
 ですって」
 男性のほうを見ると、彼は明らかに不機嫌そうな雰囲気を醸し出していた。
(どういう関係だ? ま、恋人とかそういうのだとは思うけど)
「僕たちは下町のこの宿屋にいる。ラグが戻ってきたら連絡してくれ」
 手早く手帳になにか書き、男はその部分を破ってクイントに渡してきた。下町の宿屋の名前だ。この名前なら覚えがある。
 女性のほうがクイントに素早く小袋を渡してくれた。連絡用の賃金らしい。
(おお、慣れてる)
 意外だなと感心して女性を見つめた。年齢はまだ少女だろうに、なんというか……しっかりしているイメージがある。
「あ、名前!」
 去ろうとした二人組に慌てて声をかけた。名前を知らなくては、ラグに知らせようがない。
 彼らは目を合わせずに、あっさりと口を開いた。
「ハルだ。ハル=ミズサ」
「トリシアよ」



 フードを深く被ったままアルミウェンの扉をくぐって外に出たハルは、苛立ちがおさまらない。あの少年は明らかにトリシアに好意を抱いていたのだ。
 しかし嫉妬深いのも自覚済みなので、どうにか口には出さない。
「ラグはやっぱりいなかったわね。宿はとってあるけど、どうする?」
 今後の指針を聞いてくるトリシアに、ハルは眉をひそめた。
 彼らは地学者。大陸に出現した遺跡を巡り、そこを調べる旅人だ。つまりは、遺跡調査人である。ただし、帝国には専門の調査団があり、地学者は言ってみれば一般の自称・研究者という感じである。
 三ヶ月ほど前にラグと知り合ったトリシアとハルは、ある情報を耳にして急遽帝都エル・ルディアまで舞い戻ってきたのだ。
「ところで」
 と、彼女は中央広場を横切りながら尋ねてきた。
「ルキア様のほうはどうするの?」
「うっ」
 ルキア=ファルシオン。『紫電のルキア』という異名で通っている現役軍人の少年も、三ヶ月前に出会った人物だ。
 魔術の天才児で、とにかく常に笑顔、常に謙虚、常に冷徹、という超絶美少年でもある。彼は正義感というよりも、公平感が強く、民のために戦う軍人さん、なのである。
 しかしハルはルキアが苦手だった。あの外見のせいではない。とにかくルキアは、目端がきくのだ。勘がにぶいのか鋭いのかよくわからないところはあるが、嗅ぎ付けて欲しくないところだけ嗅覚が働く。
 あれほど利用価値の高い男なのに、そして利用してもかまいません、と堂々と言いそうな性格なのに、ハルは貸しを作るようで嫌なのだ。
 帝都に戻ってくるまでにも、何度かトリシアと相談はした。
 ラグと接触をはかるのは容易い。だがルキアはそうはいかない。
 彼は平民であるハルたちと違い、貴族の軍人なのだ。しかも、皇帝直属の精鋭部隊『ヤト』の一員である。
 以前、彼の住んでいる屋敷の住所のメモももらったが、そちらには行けない。最終的には行く羽目になるだろうが、難しい。
 貴族と平民には階級差がある。その壁は、易々と超えられないものだ。……まぁ、ルキアは性格上、そんなものを気にしないが。
「ルキア様が戻っているかを確認しなくちゃだめよね」
「それは僕がやる」
 トリシアはハルの申し出に思案顔になった。幾度となく話し合いは繰り返されたが、決着はついていないのだ。
 ハルは軍に忍び込もうとしている。正面から訪ねるならば、トリシア一人で行ったほうが……いい。だがそれは安全とは言い難い。
 下町へは中央広場から徒歩で向かわねばならない。慣れた様子で歩く二人は、まっすぐに歩いている。
 今からは夜の時間。下町の地区によっては、道端に立って客引きをする女たちが仕事を開始する時間だ。
 トリシアは下町の出身なので、地理に詳しい。ハルよりも宿などを知っているため、選んだのは彼女だ。
 小さな宿に足を踏み入れてから、宿の主人に挨拶をするのはもっぱらトリシアの役目だ。顔を隠しているハルは怪しいことこのうえなかったが、今は仕方がない。
 部屋に到着するなり、ハルはフードを後ろに追いやり、はあっと息を吐き出した。
 整った造作の顔立ちの青年は、まだ若い。トリシアより、6つほど年上の若者だ。
「ちくしょー。めんどくせぇな、ほんと」
 どっかりとベッドに腰をおろして、ハルはうんざりしたように呻く。正直、本当に面倒なのだ。
 できれば避けたい。放っておきたい。関わりたくない。
 そういうハルがここまで来たのは、トリシアのせいだ。彼女がラグとルキアに知らせようと言い出したのだ。
 あいつらなら大丈夫だと何度言っても、彼女は聞かなかった。
 手紙で知らせるほうがいいだろうと言ったが、ルキアが意外に雑な性格をしていることもトリシアにはお見通しだった。
「ルキア様って、社交界にもほとんど出てないってことだったし、絶対に手紙とか招待状とか、目に入ってないと思うのよ」
「いくらなんでも知り合いからの手紙なら読むだろ」
「ルキア様は貴族なのよ!? しかも、稀代の天才魔術師! 山ほどの招待状の中に、埋もれてしまうわ……ぜったい」
 寂しそうなトリシアを見ていると、あの子供に対してむかむかしてしまう。悲しい顔をさせたくない。けれども不器用な自分ではどうすることもできないのだ。
 もどかしさに唸るハルは、ふいに顔をしかめた。
(実際問題、あの『噂』が本当なら……帝都の様子がおかしくてもいいんだが……)
 エル・ルディアは通常通りなのだ。中央広場は色々な人々でごったがえしていたし、酒場も宿屋も、いつも通りだった。不穏な様子はない。
 軍は、知っているのだろうか?
(軍はそこまで甘くねぇ。もしも本当なら、すでに動いていてもおかしくないんだ……)
 自分たちのような一般人が心配するほうがおかしい。
 嫌な予感がするのだ。そしてハルの予感は大抵の場合、的中してしまう。
「トリシア」
 名を呼ぶと、荷物を探っていた彼女が振り返った。
「どうしたの?」
「ちょっと見回ってくる」
「……わかった」
 神妙に頷く彼女に、ハルは微笑した。理解し、そしてこんなにも信頼できる相手がいるというのは……こんなにもこんなにも。
(心を甘やかしてしまう)

[Pagetop]
inserted by FC2 system