Barkarole!U ノッカーズヘブン1

 亜子は部屋の荷物をまとめて世話になったそこを出た。
 向かう場所まではマーテットが連れていってくれる。
「お世話になりました」
 小さくそう言って亜子は部屋を提供してくれた夫婦に頭をさげた。だが彼らは何も言わない。
(やっぱり嫌われてるよね……)
 彼らは知らないだろうが騒動を起こしてしまったし、最初から歓迎はされていなかった。
 亜子は身を守るすべを身につけなければならない。そこでマーテットが提案したのは、傭兵ギルドに一時的に所属することだった。
「アトは身の動かし方も素早いし、慣れればすげー戦士になるって!」
 気軽に言うマーテットにシャルルはいい顔をしなかったが、何か思案してシャルルは頷いた。
 中央広場まで徒歩で向かうことになっている。そして亜子はひたすら歩いた。
 やはり町中は閑散としていて、昼前だというのに人の気配があまりない。
 頭の中に地図を思い浮かべ、フードを深くかぶる。

 中央広場へと到着し、そのざわめきに亜子は圧倒された。
 旅装束の者や、色々な装束の者がひしめきあっている。馬車に乗り込む者、大きく声をあげて宿を宣伝する者もいる。
 大きなドームのような建物が見えて亜子は「ああ」と納得した。アレがもしかして駅?
 ごくりと喉を鳴らした。あんなに大きな駅とは思わなかった。人々はあそこに流れ、あそこから外へと流れ出て生きている。
(あたしもいつか……旅に出るのかな……)
 地学者になれば、否応なしに旅に出なければならない。
 だがその前に身を守るすべを見につけなければ殺されてしまう。フードをもう一度深くかぶって亜子は用心深く歩いた。
(アルミウェン……アルミウェン……)
 酒場の名前だが、そこに知り合いがいるということらしい。
 だれの? という亜子の問いかけにシャルルもマーテットも無言になった。
(あの後、殿下は『ファルシオンのだ』とか言っていたけど、そもそもファルシオンて人のこと、あたし知らないよ……)
 やれやれと肩を落としながら、亜子は建物の看板を一つ一つ確認していく。
(あ!)
 酒樽のマークのついた店がある!
 慌てて駆け寄って看板を見る。だが名前が違う。
(むぅ……。中央広場って、マーテットさんの言ったとおり、酒場と宿屋ばっかり……)
 屋台もあるけど、軽食用や、旅支度に必要なものを売るところがほとんどだ。
 多すぎる。
 嘆息しながら亜子はあちこちを歩き、一つ一つ看板を確認する作業を続けた。
 やっと見つけたそこは、わりと綺麗だと思った。……今までみた酒場としては、だ。
(西部劇の酒場みたい……)
 入り口をくぐって中に入ると、元気な子供の声がした。
「いらっしゃーい!」
 まだ幼い少年だ。愛想良く微笑まれ、亜子は引きつった笑みを浮かべる。
(えっと。えっと)
 そう、名前だ。名前を言わなければ。
「お客さん、こっちあいてるよ」
 少年にぐいぐいと手を引っ張られる。亜子はどこか引きずられながら「あの!」と声を出した。
 ここが傭兵ギルドだということは、事前に知らされている。
「なに?」
 少年が不思議そうに見上げてくる。亜子はためらいがちに口を開く。
「ここにラグという傭兵がいると聞いたんだけど……今、彼はいますか?」
 少年の瞳が細められる。警戒に染まっていく瞳に亜子はそれでも退くわけにはと足に力をこめる。
「依頼ってこと?」
「そうなる、かな」
 確かに依頼だ。シャルルやマーテットの話だと、ここに居る傭兵の青年とマーテットの所属している部隊の者が知り合いらしいのだ。
 さすがに亜子を軍に連れて行くことはできないため、傭兵に依頼して身を守るすべを学べということが目的だ。
 しかし傭兵が受け入れてくれるかどうかは賭けになる。マーテットと同じ部隊にいるファルシオン少尉はまだ帝都に帰還していないらしく、話を通しやすくすることができない。
 これも試練だ。亜子は気持ちが震えそうになるけれど、少年を見つめ続けた。
「ふぅん。わかった」
 少年は目を細めてからそう呟き、くるりときびすを返し、カウンター席へと近づく。
 カウンター席に腰掛けると、店主らしき男性と目が合った。いかつい男性だ。まるで海賊の親分みたいだった。
「お姉さん、なんにする?」
 給仕らしき少年が笑顔で尋ねてきたが、亜子としてはこちらの世界の食べ物のことがあまりよくわからない。
 メニュー表がないものかと周囲を見回すが、それもないようだ。
「え、っと……」
 手持ちの小銭入れの袋を覗き、一枚硬貨を取り出す。
「ジュースをもらえるかな。柑橘系ならなんでも」
 これで通じるだろうか?
 日本とこちらの世界では、類似する単語や共通する言葉はあっても、まったく存在しない言語もあるのだ。
(水を頼んでも、なんかそれもそれでおかしいし)
 フードを深くかぶっているせいで顔は見られないで済むが、不審者と思われないかと思うとびくびくしてしまう。
 殿下なら、「堂々としていろ!」とでも言われそうだが……。
(これから一人で行動するんだもんね……。皇子様や軍人さんの手をわずらわすのも申し訳ないし……)
 そうだ。申し訳、ないのだ。
 亜子は自分に自信がない。生きていくのも、何かを決めるのも。
 はあ、と溜息をついていると、ジュースを入れたコップを少年が運んできた。帽子をかぶった彼は、愛想よく微笑んでくれる。
「誰に依頼? ギルドの連中の予定なら把握してるから、なんなら確認してあげるよ?」
 その申し出に頼っていいのかと亜子は判断しかねたが、結局小さな声でその名を挙げることにした。
「ラグさん、って人、いるかな? 護衛をお願いしたいんだけど」
「ラグ!?」
 驚いたように目を見開く少年に、亜子はおののいた。ヤバかっただろうか?
(でも、もう言っちゃった……)
 あとの祭りだ。
 彼は身を乗り出してくる。
「お姉さん、それどっから聞きつけてきたの!? あいつ、やっぱ人気!?」
「えっ? あ、いや、あたしは……知り合いの人に紹介されただけっていうか」
 なんだか恥ずかしくなって顔を伏せてしまう亜子に、彼は好印象を持ったようだ。なんだか嬉しそうにしている。
「反応が初々しい! なんか新鮮!」
「え? あ、えっと……」
「おっと、思わず口に出てた」
 苦笑する少年に、亜子はつられて笑ってみせる。とはいえ、フードの陰でほとんど隠れてしまっているだろうが。
「ラグはまだ帰ってきてないんだ〜。でもそろそろ帝都に戻ってくるんじゃないかな?
 あ、宿とか決まってる? うち、宿屋もやっててさ。ラグを待つなら、よければそっちも使う?」
 親切にあれこれと話しかけてくる少年に亜子は押され気味になりながら、曖昧に頷いた。そうだ、宿を探さないといけないのだ。
 もしも地学者になるならば、宿をとることも、野宿になることも色々知っておかねばならない。己の甘さにうんざりしながらも、亜子はシャルルの用意した賃金の入った袋のことを考えた。
 亜子に支給される現在の金額では、腕の良い護衛は雇えないと判断されたためだ。「貸しだ!」と尊大にシャルルは言い放っていたが、横にいたマーテットが呆れていたことからシャルルは亜子からお金を返してもらおうとはしないだろう。
 この世界では、金貨、銀貨、銅貨、がお金として使用されている。もちろん、金貨が一番の高額だ。日本の金額を基準にしていては、痛い目にあうだろう。
(慣れれば、たぶん、大丈夫なんだよね)
 お金のやり取りは大事なことだ。用心しなければならない。
 右も左もわからない世界で、まだ必要な知識は備わっていない。騙されたり、色々あることだろう。己の先行きに不安しかない亜子は、少年の視線に気づいてハッと我に返る。
「あ、あの、おいくらかな? できれば一番安い部屋がいいんだけど」
「ラグが戻ってくるまで、かぁ……。まぁ安い部屋のほうがいいけど、身体痛めるかもよ?」
 からかいまじりに言われて、亜子も苦笑する。
「下町には安くていい宿もあると思うけど、なんならそっちに案内しようか?」
 親切に言ってくれる少年に、亜子は言葉を濁した。亜子は狙われているのだ。なるべくなら、安全な場所のほうがいい。
 下町に居ることは危険だ。一人でいれば、また襲われる可能性は高い。シャルルとマーテットの申し出を断ってきたのだ、いくらなんでも対処できるようにしなければ。
「ううん、ここで。ラグさんを待ちたいから」
 帰ってすぐに接触し、護衛を頼む。それしかない。
「そお? ふぅん、なら一番安いとこ、今あいてるから用意するね。あ、宿はね、2階になるんだけど」
「2階」
 自然と階段のほうへと視線を移動させる。握っていた拳に力が入った。
(がんばらないと……!)
 どうすればいいのかはわからない。でも、自分の中の知識を総動員させる必要がある。
「お姉さん、名前は? 俺、クイント! しばらくここに泊まるみたいだし、よろしく!」
「よろしく。あたし、あ、アガット。アガット=コナー」
 長野亜子と名乗りそうになって、慌ててつくろう。しかしクイントは気づいた様子はない。むしろ興味津々というように亜子を見てくる。
「食事はどうする? 朝昼晩、つけたほうがいいかな? ま、そこは要相談になるけど」
「う、うん……どうしよう」
「外で食事とかとるタイプ?」
 ぎくっとして亜子はすぐさま笑みを浮かべた。
「ここで食事をとるから、つけてくれる? えっと、食事代金は別だよね?」
「寝るとこ提供するだけだから、食事は別料金。食べたぶんだけもらうから、うちって良心的だろ?」
 胸を張っているクイントの言葉に、ああ、と気づいてしまう。なるほど……余計な部分を上乗せするところもあるのか。覚えておこう。「うん」と亜子は頷いておく。
(まともな金銭感覚がわからないから、そこから勉強かぁ……)
 気が遠くなりそうだった。きっとそういう知識も、下町に滞在している間に覚えるものなのだろうが、それすらできなかった。
 本気でありがたかったのか、使用する文字が日本と大差ないことだった。おかげで、メニューも読める。そこに書かれている料金も。
 黒板のようなボードを使って書かれているこの店のメニューは、居酒屋のようだった。ただし、読めない部分もある。いや、読めてはいるが、意味がわからないのだ。
(たぶん、この世界特有のものなんだよね。怖いから、試さずにおこう)
 食べ物に好き嫌いがなくて、本当によかった。
 だがしかし、日本と同じような名前でも、違うものである、という可能性も捨てきれない。柑橘系のジュースを、と頼んだのはある意味賭けのようなものだった。
 用意されたジュースに手を伸ばす。コップはぬるく、中にはブロック型の氷が一つだけ浮いていた。色は、オレンジと黄色の中間。
(問題は味、か)
 顔をしかめつつコップを持ち上げて口に運ぶ。一口飲み、安堵した。これはオレンジジュースだ。よかった。
「そうそう、アガットさんてさ、ラグのことどこから知ったの? ギルド情報じゃないなんて珍しいよね」
「あ、と、ファルシオンさんから聞いたの」
 その言葉に、クイントがギョッと目を見開いた。そして一気に青ざめる。
 わけがわからない亜子は、彼が顔を引きつらせて「へぇ」とぼんやりと呟くのを聞くしかない。
「少尉からの紹介か……。てことは、かなりの厄介ごと抱えてる?」
「ど、どうしてそう思うの」
「いや、だってルキア少尉が自分でアガットさんを助けずにラグに託すって、手が離せないか、よっぽどじゃないかなって……違うの?」
 どう応えていいものか。
 逡巡していると、クイントは「待った!」と掌を突き出してくる。
「みなまで言わなくていいって! 少尉と知り合ってから、ラグの仕事が増えててありがたいし、こっちの知名度もけっこうあがってるし、べつに悪く言ってるわけじゃないんだ!」
「は、はぁ……」
 シャルルとマーテットの、「ファルシオン」と言った時の微妙な表情を思い浮かべてしまう。いったいどんな人なんだろう……?

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