「集まったな」
『ヤト』のリーダー的存在である……というように思われているが、ただの年長者だとマーテットは思っていた。
そんなギュスターヴの言葉に、集まったのは『ヤト』の七人だ。
「作戦は頭に叩き込んであるな」
あるとも、とマーテットは心の中で応じた。ここに来るまでに、血の呪縛でまた命令を加えられたのだから。
本当に、不愉快、だ。
だが顔には出さない。うすら笑いを浮かべたままのマーテットは、内心毒づいた。
現在、この帝都は知れず、危機に陥っている。この帝都に潜伏している他国からの攻撃を受ける『予定』になっている。
ここにルキア、そしてオスカーがいないのは彼らがもっとも危険なルートにすでに向かっていることも、ある。
マーテットは王宮に残り、第二皇子を守護する役目を与えられている。
それぞれが配置につくためにいなくなってから、マーテットは溜息をつく。
「どうした?」
こちらをうかがってくるシャルルの髪の色は変わっている。おそらくそういう魔術をかけられたのだろう。
「いんや。べつに」
にかっと笑ってみせると、胡散臭そうに眉をひそめられた。
シャルルはふいに気づいたようにマーテットに視線を戻す。
「そういえば、アガットはどうしている? 元気か?」
「気になるっすか?」
からかって尋ねると、シャルルは目を細めながら頷く。
「当然であろ? 余の寝室に現れた希少なトリッパーぞ?」
……そういえばそうだった。
「元気っすよ」
置いてくる前の亜子の姿を思い出して、なんだかさらに気分が落ち込む。
不安そうにする亜子は、この世界で身の置き場がないのだ。正直、シャルルのようなタイプのほうが彼女を導くには相応しいと思える。
でも。
(おれっちも、欲しかった)
トリッパーなんて希少種、しかも生きている者と多く接触できる機会はない。
たとえ短い期間だとしても、多く観察したかったのだ。
(殿下はお優しいから、んなこと考えてるなんて口が裂けても言えねえけどさ)
何度か解剖したい衝動にもかられたが、それでも堪えた。トリッパーを研究できれば、もしかしたらこの世界の医術になんらかの進化があるかもしれない。そもそも彼らは見た目通りの肉体構造をしているのだろうか?
臓腑はあるようだし、物を食べる様子からも消化器官もある。声を出して喋ることも、呼吸をすることもこの世界の人間と変わらない。
だが問題は、亜子の見た目が多少違えど、こちらの世界の人間と構造上は似ていると思われることだった。
トリッパーの死体を見たこともあるマーテットは、『咎人の楽園』に捕まって酷い拷問の末に打ち捨てられたトリッパーも見ている。
アレは、人間の姿ではなかった。キメラにトリッパーは近いのではとマーテットが思ったほどだ。
彼らの生態は謎に包まれている。存在も、地位も保証はされてはいるが姿を見かける者は少ない。
『咎人の楽園』と呼ばれる、傭兵ギルドに捕まっているのも多くはないはずだ。両手の指ほどもいれば、いいほうだろう。
(…………)
これは推測でしかないが、亜子は、シャルルの部屋に現れた以上はかなり例外のトリッパーとなる。
通常のトリッパーであればマーテットは会うことすらかなわなかったことだろう。
そう、亜子は異例なのだ。
シャルルが庇っていなければ、彼女は真っ先に――――。
そこまで考えて、マーテットは顔色が悪くなっていた。
(強運なのかねぇ)
あのおどおどして、すぐに視線を俯かせる癖を出すのは無意識でのことだろう。亜子は前の世界で、身の置き場がなかったのではないだろうか?
不器用な性格だから、打ち解けることもできないし、どうやって自分の居場所を作ればいいのかわからない。そういうタイプの人間だっている。
率先してなにかを言おうという性格ではない亜子は、言われるがままに流されてしまうことも多いはずだ。そのいい例が、マーテットの助手だった。いや、シャルルの提示でもあるが。
あの場面で彼女は選択を強いられた。ほぼシャルルの強引な手段ではあったが、亜子の意志が強く反映したのはあれが初めてだったはずだ。
彼女は選ぶこと自体が悪いことのような反応をしていた。
誰かに選択を委ねるのはとても楽なことだろう。けれど、そういう感じではなかった。
脅迫めいた危機感をおぼえたような動揺すらみせた亜子は、前の世界ではどんなふうに過ごしていたのだろうか……?
彼女に興味が湧いた。
シャルルの侍従になるというなら諦めたところだが、意外なことに彼女は自分を選んでくれた。
変わり者と称されることの多いマーテットは、本当に意外だったのだ。
異性にそれほど興味もないし、面倒なだけのマーテットは、単純にトリッパーに興味があった。
女性に煙たがられることも多いマーテットは、彼女が自分を選ぶとは露とも思っていなかったのである。
シャルルに散々釘をさされていなかったら、マーテットは亜子の生態にすら興味を抱いて無茶をしたかもしれない。それは非人道的だと言われても仕方がなかった。
そもそもキメラと呼ばれる合成獣は違法だ。魔術の実験に使われるものなのだが、秘密裏に使う魔術師は少なくない。
トリッパーに対する興味は尽きないが、それでも触れてはならない部分があるのをマーテットはわきまえていた。
彼らは保護するべき種族なのだ。我々人間に恩恵を授けてくれる幸運そのもの。
文化の発展を約束してくれる象徴。
だが亜子を見てもとてもそんな印象は与えられなかった。
彼女が異能を発揮した刹那、マーテットは驚愕して全身に痺れを感じた。
人類の神秘そのものが、ここに居る、そう思ったのだ。
「あー、殿下」
ちょっと躊躇いがちに、マーテットはシャルルへと視線を遣る。
シャルルの美貌は、マーテットにはどうでもいいものだ。女性が騒ぐであろうそんな魅力などより、彼は素晴らしい性格の持ち主である。
「なんだ?」
不思議そうにするシャルルに、マーテットは小さく笑う。
「いいえ? なんでもないっすよ。殿下ってすごいなあって思って」
「……不気味だな、いきなりなんだ」
「いいえー。なんとなくなんすけどね。ほら、アトが現れた時も驚かなかったらしいですし」
「驚いたが、別段騒ぐほどのことでもなかろう?」
マーテットは苦笑してしまいそうになる。それが「すごい」って言っているのに。
(あーもう、兄殿下も相当だけど、こういうところ見ると、殿下もあの人の弟なんだなーって痛感する)
「今回の件なんすけど」
「……ああ」
声が神妙になったシャルルにマーテットは囁くように会話を続ける。
「どうなんすかね。あっちの国に勝算なんてないでしょうに」
「……あるかどうか、ではないのでは?」
「は?」
なにを言われたのかマーテットは理解できなかった。
夕暮れに染まった窓の外をじっと見つめていたシャルルは、目を細める。
「誇りや名誉のために戦う者もいるのだ、アスラーダ」
「なんすかそれ」
思わず鼻で笑うと、シャルルはこちらを見て悲しそうに笑った。
「おまえは、そう言うだろうと思っていた」
「…………」
気に食わなかった。
マーテットはぶすっとして顔をしかめ、そっぽを向く。
(わかってんのかね。殿下はこれから大変な目に遭うってのに)
「アスラーダ」
「なんすか」
不機嫌な声で応じるマーテットに、シャルルは笑う。
「余が死んだとしても、アガットの力になってやってくれ」
「っ」
そ、れは。
マーテットはますます渋い顔になる。
「そーゆーこと、言います? おれっちには向かないっすね、保護者とか」
「誰が保護者になれと言った? 力になってやれと言っただけだ」
「力になるってどーやって……。そんな権限、一介の軍人にはねーっすよ」
「馬鹿だな、おまえ」
苦笑するシャルルが余計にイライラして、マーテットは眉間の皺を余計に深くするしかない。
「わかっているくせに、目を背けるのはおまえの悪いところだ、アスラーダ」
*
魔法院に居残りを命じられた亜子はマーテットの身を案じていた。
彼は明らかに憂鬱そうだったし、軍務とはいえ、望まぬ仕事も多いのだろう。
(軍人さんて、大変なんだな……)
どういう仕事をしているのかわからないのが情けない。
食事以外の時間にここを出るなときつく言われていたので、亜子はマーテットの研究室を眺めていた。
彼がいつも座る椅子に腰掛け、周囲を見回す。珍しくテーブルの上に置かれた本があって、思わず手にとった。
「ひまならどーぞ」
メモが挟んであり、わざと置かれたことに気づく。亜子は恐縮しながら、本を開く。
文字は漢字とひらがな、カタカナまである。まるで日本にいるような錯覚さえあり、亜子はどきまぎしてしまう。
タイトルは、『おっさんの生態について』。
「……?」
なんだろう、これ。
ぱらりとページを捲ると、細かい絵柄と共に、なにやら説明がついている。大きく書いてあるのは、『貴族のあるある』。
「?」
疑問符が頭の周辺を飛び交った。
1ページ丸まる陣取っている中年男性はやや小太りだ。頭部に矢印がされ、説明文が書かれている。『カツラ。よくある』。
ちょっと出っ張った腹部にも矢印が記されていて、『デブ。膨張気味。キモい。痩せる気ゼロ』。
「ぶはっ」
思わず吹き出す亜子は、ああ、と気づいた。
(これ、マーテットさんの手作りなんだ)
紐組みされた本は確かに手作り感が強い。
衣服にももちろん、説明文がついている。『最先端という名の無駄遣い。バカ。脳みそからっぽ』。
(マーテットさんらしいけど、ここまであからさまだと……)
笑いがこみあげて、肩が細かく震える。
暇つぶしにはもってこいだ。
そこまで思ってから、亜子は彼の気遣いに感謝する。なんだかんだ言って、マーテットは面倒見がいい。
もちろん……亜子が大切な実験体だからだろうことはわかっている。
(……なんかそれも、悲しい)
ふいに、昨日のことを思い出す。ギアス。血の呪縛。
よくない印象は受けた。亜子は本を机に置いて、立ち上がる。どこかにそれらしいことを書いた本はないだろうか?
本棚を隅から隅まで眺めたが、それらしきものはない。なんとか引っ張り出して、中を見るけれど、お目当ては見つからない。
(なんだろう……。マーテットさんは、教えてくれないだろうしなぁ)
気になる。なる、が……。
彼の意地悪な笑顔が脳裏に浮かび、再び椅子に腰をおろしてしまう。
(絶対に、教えてくれないだろうなぁ)
亜子は気づいている。面倒見はいいが、マーテットは決して優しくはない。気遣いはするが、それだけだ。相手の都合などお構いなしなのだろう。
机に頭を乗せて、冷たさを頬に感じる。
(あたし、変なのかな)
終始マーテットと一緒にいるせいか、彼のことをよく考えている気がする。
ことん、と音がした。
「――?」
怪訝に思って亜子は腰を浮かせた。
階段を誰かが降りてくる音がする。この足音はマーテットではない。
警戒する亜子は、ドアがノックされるのを静かに聞いていた。応対をするなとは言われていないが、どうしよう?
「アスラーダ様」
声に覚えがあったので亜子は素早くドアを開ける。食堂のあの少女だ。
「あ、あの!」
どうしよう。勢いがついて思わず出てしまったが、マーテットは留守なのだ。
そわそわと視線を動かす亜子に、彼女は微笑んだ。
「アスラーダ様はお留守ですか?」
「え? は、はい」
頷く亜子に、彼女は笑みを消す。
「ちょうどいいわ」
「え?」
驚く亜子は、ばちっ、と全身をなにかが駆け抜けた。そして体に力が入らなくなる。
薄く笑う少女は小さく呟く。
「レンコクニ、エイコウアレ」