Barkarole! インベル12

 三ヶ月も眠っていたせいか、そのままラグはバランスを崩して座り込んだ。その姿がまた、マーテットのツボに入ったらしい。ぎゃははと笑うマーテットはひとしきりラグを嘲笑したあと、すっきりした顔でラグを引っ張り起こしてそのまま病室に向かう。
「いきなり歩き回るとか無理だっつーの。なにしてんのかねー。ルッキーの知人ってのは、みんなばかなの? それともアホなの?」
「マーテット、口が悪い。言われない?」
「あー、言われる。てかさ、おまえ、分をわきまえなさいよ。おれっちは貴族。おめーは平民なの、わかる?」
「…………」
「あ、怒った? わっかりやすいなー。
 ああそうそう、しばらくはリハビリな。筋力が衰えてんだよ。自然回復したほうが体に負担はかからねーとは思うんだけど、早く職場復帰したいならまあ、面倒みてやってもいーぜ?」
「……仕事に早く戻りたい」
「あっそ。じゃ、痛いの我慢するこったね」
 肩を貸されているのが不服なのか、ラグが押し黙ってしまう。
 その背後を、亜子とトリシアが並んで歩いていた。
(……よかった。マーテットさん、雰囲気が戻った)
 あのままだったら、どうなっていただろう? 怖い想像が浮かんで亜子は嫌な汗が流れる。
 反対に、隣を歩くトリシアの足取りは軽い。今にもまた、泣き出しそうな雰囲気すらあった。
「しっかしおまえさ、意識だけでどこほっつき歩いてたわけ?」
 唐突なマーテットの質問に、思わず亜子は聞き耳を立ててしまう。
 あの夢の中で、ラグは目覚めた状態で存在していたのだ。気になっていたことだった。
 ラグは不審そうな表情をとったが、んー、と唸る。
「よくわからない。でも、出口を探してた」
「出口?」
「どこ行っても出られない。今日は、出られた」
 朗らかに笑うラグを、マーテットが嫌そうに見た。心底嫌がるマーテットの横顔に、亜子は「珍しい」と思ってしまう。
「なにそれ。語彙がないから説明できないってこと?」
「え? ん? うーん、ど、どうかな。おれ、説明、上手くない」
「あっそ」
 あっさりと引き下がったマーテットは溜息をついた。その意味を、亜子は理解できなかった。

 病室のベッドにラグを放り出すと、マーテットはさっさときびすを返して部屋から出て行った。亜子も慌ててそれに倣う。
 マーテットはまっすぐに歩いている看護婦に近づいて、なにごとか聞き、それから病室に向かった。
「あ!」
 部屋に入った時に、亜子は食堂の少女がベッドに腰掛けているのに気づいてマーテットと見比べてしまった。彼女の傷はすっかり消えている。だがどこか疲れたような様子はある。
「アスラーダ様」
 彼女はまるで雰囲気が違っていた。どこか大人の色香を漂わせる少女に、亜子はなんだか居たたまれなくなる。
(ああ)
 なんだか、妙に納得してしまった。
 やはり自分は異質だ。異物だ。この世界に紛れ込んでしまった、まぎれもない、邪魔者。
 ここには、この世界には自分の居場所がない。
 それは恐ろしい事実だった。気づきたくないことだった。
(帰りたい)
 かえりたい。
 涙を浮かべる亜子は、けれどもその懐かしさに奇妙さを覚えた。帰ったところで、自分の『居場所』はあるのだろうか?



 食堂の少女・リカンと別れ、亜子たちは病院をあとにした。
 落ち込んでいる亜子の様子にマーテットは気づいていたが、ただの観察対象にすぎないので、割り切って彼女を見つめていた。
 揺れる馬車の中で、亜子は思案顔のままゆっくりと呼吸と瞬きを繰り返している。
 観察しつつも、マーテットは自身の疲労をおくびにも出さなかった。
 ギアスの陣を使われたが、不完全なものだった。カーティスが失敗するとは思えなかったが、おそらくは、ラグによって『邪魔』されたのだろう。
 病院を囲む陣は完璧だったというのに、異物としてラグの意識が混入していたのだ。セイオン出身の人間が、それも、魔術の知識も持たない者に陣が破れるわけがない。
 理由は明確だった。
 帝都に戻ってくるたびに、ラグの見舞いに顔を出していたルキアだ。
(……チッ)
 こんなところまで、あの天才児は出張ってくる。はっきり言って、鬱陶しい。
 回診の時に度々ルキアの姿を見かけていたが、病室に来ると決まってルキアは病院を一周してから帰る。あの意味を、ようやく悟った。
 ルキアも病院に陣を張っていたのだ。おそらくは、ラグの意識を縛り付けるためだろう。なんという無慈悲な子供だ。
 死にかけた人間の魂すら縛るというのか。逃がすまいとするのか。
 マーテットは医者だ。どうすることもできない場合は存在する。それは運命と呼ばれるもので、抗えないものなのだ。
 いくらトリシアが願い、そしてラグ自身が望んでいたとしても。……やっていいことではない、と思えた。
 しかし結果としてラグは繋ぎとめていた意識を肉体に戻した。筋力が衰えているので、しばらくは荒療治に切り替わるが、あの様子ではすぐに全快するだろう。
「ルキアの声が聞こえたんだ」
 肩を貸している最中にぼそりとラグは洩らした。普通、こういう時は恋人の声が聞こえた、と言うべきではないのかとマーテットは面白くもないことを考えたのだが。
「大丈夫ですよ、って。ルキア、元気にしてるか?」
 正直、ゾッとした。
 問いかけに曖昧に笑ってみせたが、マーテットは恐れを抱かずにはいられなかった。
 ルキアが帝都を離れるたびに、よくやるなあと感心はしていたが、戻ってくるたびにマーテットは、他の兵士と同じように恐怖を抱く。
 あの子供に異変はないだろうか、と。
 いつもの無邪気な笑顔を見れば安心するのに、それを確認するまではとてもではないが落ち着かない。
 ああ、『まだ』人間だ。彼は。
(うわっ、キモっ)
 ルキアに占領されかけた意識を、なんとか切り替える。
 どうせ今回もいつものクソ清々しい笑顔で「ただいま帰還しました〜」と言って登場するに違いないのだ。
(っていうか、つかれた)
 カーティスを殺したことは上に報告しなければならないが、報告書を書くことが苦痛で眉をひそめる。
 強烈に意識を乗っ取られた直後、マーテットは痛みの衝撃で意識を取り戻したのだ。それはカーティスの蹴りからくるものだったが、頭を打ったのが良いほうに働いた。
 それに、ルキアが元々陣を張っていた上に、重ねてカーティスが陣を敷いたのも、良い作用になった。危うく完全に抜け殻になるところだったのだから。
 気になるのは、なぜこのタイミングでカーティスが帝都に居たのかだ。
(どうも、なんかあるんじゃねーかなァ……)
 ちら、と意識を亜子に戻す。
 彼女は眉間に深い皺を刻んでいる。あーあ、なんつーカオ。
 いかにも「悩み事あります!」という顔をしているのに、亜子は決してそれを口にしない。
 強情、頑固。最初はそう思った。だがそれは違う。彼女は不器用なだけだろう。他者に頼る方法を知らないのだ。


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