Barkarole! インベル10

 血の流れる音は、雨の音に似ている。
 マーテットはぼんやりとそう思っていた。
 ざーざーと耳鳴りがしている。雨だ。雨が降っている。
 床をじっと見つめているマーテットは、思い出す。
 『血の呪縛』を受けた時のことを。
 あれは忘れもしない、今の『ヤト』に世代交代をした日。

 マーテットは自分が呼び出された理由を知らなかった。中央本部に勤務をしていたマーテットは、凄腕の医者として有名ではあったが、変わり者として煙たがられていたのも事実だった。
 人体というのは興味深い。なにより、未知の部分が多すぎる。
 だから、マーテットは人間が好きだ。どんな人間も、結局は肉の塊だ。その肉の内側に、あらゆる神秘を詰め込んだ魅惑的な生物だ。
 呼び出されたのは中央本部ではなく、王宮だった。一介の軍医が王宮に来ること自体おかしなことだ。
 怪訝に思ってはいたが、軍令なのだから従わなくてはならない。
 通された部屋は広く、それでも上流貴族に位置しているアスラーダ家としては珍しい広さではなかった。
 部屋は会議室のようで、円卓にはイスが用意されている。座っていいものかと思いながらドアの横に佇んでいると、最年長らしき男が声をかけてきた。
「座ってはいかがかな?」
「あ、えーっと、はい」
 曖昧に返事をしてマーテットは手近な場所に腰掛けた。用意されたイスは全部で9。半端な数だ。
 奇妙なメンバーをついつい観察してしまう。見かけたことのある顔もあった。
(なんだ? おれっち、べつに違反とかしてねーけど)
 やれと言われた仕事はこなしてきたつもりだ。個人的にやりたいことも内緒でやってはいたが。
 人数が揃っていないことから、マーテットは白衣のポケットに両手を突っ込んで「はぁ」と息を吐き出した。
 マーテットの次に姿を現したのは精悍な顔つきの30代前後の男だった。マーテットからすれば8つか7つは年上だろう。
 空きは一つだけ。
(どんだけおせーんだよ)
 いらいらし始めたところで、扉が開いて小柄な少年が姿を現した。
 長い淡い青の髪と、恐ろしい美貌の子供だった。少女かと思ったが、骨格からして違うことはマーテットにははっきりわかった。
(ちっちぇー!)
 なにこの生物。
 興味津々で眺めて、合点がいった。
 この外見特徴に一致する若い軍人は一人しかいない。『紫電のルキア』だ。
 全員が揃ったところで、白髪の、姿勢のいい男が入ってきた。帝国軍を総括している総統だった。
 どうしてこんなところに総統が現れるのだとぎょっとしたものだったが、発言はさらにマーテットに衝撃をもたらした。
 皇帝直属の精鋭部隊『ヤト』に選ばれたことだ。
 今までの『ヤト』は前皇帝から引き継いでそのまま現皇帝に仕えている。いきなりの世代交代に驚く者、静かに聞いている者、反応は二つにわかれていた。マーテットは前者だった。
 マーテットは素早く周囲を見回した。確かに年齢層が幾分も若くなっている。現皇帝の年齢は確か40歳だったはずだ。公式発表が間違っていなければ。
 『ヤト』の現役メンバーがなぜ引退するのか理由は告げられなかったが、マーテットは所属が変わることに了承した。もっとも、拒否するほうが珍しいと思う。
 色々な特権が得られるし、なによりマーテットは中央本部に通わなくてもよくなることが助かった。できれば魔法院で好きな研究も続けたかったからだ。
 自由を得られる代わりに、何か代償を求められるだろうとは予想していた。
 それはおそらく『労働』だろうと思っていたが、違っていた。
 『ヤト』には……それよりももっと重い『契約』が待っていた。
 連れていかれたのは、魔法院だった。特殊に用意された陣を見て、魔術師である者……ルキア、オスカー、マーテットは顔色を変えた。なにを意味しているかを瞬時に理解してしまったからだ。
 すぐに元の表情に戻ったのはルキア。狼狽して目を瞠るのはオスカー。そして……マーテットはうんざりした表情を浮かべていた。
 術者たちが10人もいる。大掛かりな魔術をおこなう証拠だった。それはそうだろう。これは『血の呪縛』と呼ばれる、違法すれすれの魔術だ。
 術者の人数によって、かかる度合いもかわってくる魔術だが、最大でも10人とされるものだ。
 新たな『ヤト』のメンバーたちは注射器で血液を採取され、一人ずつ待つように指示された。
 マーテットの順番は最後だった。
 部屋の中央の魔法陣に足を踏み入れ、そして陣に採取された血液が垂らされる。
 魔法陣が淡く輝き始め、そして一気に光が炸裂した。目を閉じたのは一瞬。瞼を開けた次の瞬間、禍々しい色の発光をした陣の中央にマーテットはいた。
 全身が軋む。これは身体を流れる血液そのものに魔術をかけるからだ。
 肉体の一部に魔術を施したのでは、その部分を切断するなりすればいい。だから全身をくまなく流れている『血液』に魔術を施す。
 この魔術は『束縛』の上級魔術とされているもので、一般的にはあまり知られていない。魔術をある程度まで学び、そして知識として持っているものならば理解はできるが……普通なら、一生お目にかかることも、かけられることもないものだ。
 そしてこの魔術は、王宮に勤めている王宮魔術師にしか使えない。秘匿中の秘だからだ。
 術者の一人が呪文を詠唱し始める。そして輪唱するように次の者が。さらに次の者も。
 10人全員がそれぞれに詠唱をする。マーテットは身体が発熱しているのを感じた。
 全身に鎖を巻きつけられ、ぎりぎりと四方から引っ張られているような奇妙な感覚。
 きぶんがわるい。
 目眩を起こしそうになった数分の魔術が終わり、どっと疲労が出て足をつきそうになる。
 一度でもこの術にかけられれば、あとはいくらでも『命令』を追加したり、上書きすることができる。
 マーテットたち『ヤト』に第一に与えられた絶対的な命令は、皇帝の命令をきくこと、だった。そして決して帝国を裏切らないこと。
 帝都を離れた際は、帝都に戻り次第、王宮に行き、『検査』を受ける。帝都に居る者も定期的に『検査』を受けることになる。
 その『検査』は命令違反をしていないか、に的が絞られているため、もしも……もしも、だ。違反をしていたら……即、死体になる。どのように死ぬのかは、目にしていないからマーテットも知らない。けれども確実に死ぬことだけはわかる。
 もしかしたらこの身体の血液が沸騰したり、身体の穴という穴から流れていくのかもしれない。人間は血液を多量に失えば死ぬしかないのだから。
 もう、いや、わかっていたのかもしれない。
 ろくな死に方はしないだろうな、と。
 『ヤト』に属した人間は、引退してもこの呪縛から逃れられない。
 魔法陣から一歩出て、大きく息を吸う。
 流れる血液が、耳鳴りのようにうるさく響く。ざーざーと。まるで雨のようで。
 ああ……自分はもう、本当の『自由』がない。


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