Barkarole! インベル4

 帝都エル・ルディアにある病院でも、大病院は一つしかない。下町の者たちは「病院」に来ることさえ難しい。賃金や、病院のある立地場所に問題があるからだ。
 下町の者たち……平民のほとんどは「診療所」に行く方法しかなく……よほどの金持ちでも、貴族たちの白い目線に耐える図太さがないと入院や診察を受けるのは難しい。
 その大病院に、平民の女性がいた。亜子はマーテットから説明をされていただけに、驚いて目を見開く。
 くすんだ癖のある金髪を後頭部で結い上げてお団子にしている少女は、亜子とそう年齢は変わらないだろう。彼女はベッド脇にあるイスに腰掛け、来訪したマーテットを見て希望を見出そうとしているかのようだった。
 亜子はベッドへと視線を動かす。そしてぎょっと目を剥いた。
 亜子を襲ってきた、あの褐色の肌の青年かと思ってしまったからだ。だがよく見れば顔立ちもまったく違うし、髪の長さも違う。
 眠っているだけに見える青年の穏やかな表情とは違い、付き添いの少女のほうは不安の色が濃く出ていた。
「マーテット様」
「よー! 元気してるかー、トリシャ」
 トリシャ?
 そんな名前なのだろうかと亜子がうかがっていると、少女は困ったような顔をしてから小さく訂正した。
「トリシアです、マーテット様」
(……また変なあだ名つけてたんだ……)
 呆れながらマーテットを見遣るが、彼は気にした様子はない。……気にするような性格とも思えないが。
 マーテットはくるんとこちらを振り向き、にこにこと笑顔を浮かべた。
「診察すっから、トリシャとアトは外に出た出た」
「はい」
 あっさりと頷いて出て行く少女のほうを見遣り、亜子は迷っていたが部屋から出て行く。
 廊下では様々な患者や、見舞い客が行き交っている。しかし奇妙な光景だと思わざるをえなかった。
 亜子の世界の病院と雰囲気などは似ているが……近代的だった亜子の世界と違って、時代遅れな印象が強い。
 清潔に保たれてはいるが、なんとなくがらんとしている。
 物珍しさにきょろきょろと視線を動かしていると、先ほどの少女・トリシアがこちらをじっと見ていることに気づいた。
「あ、え、えっと」
 どうしよう。
 困ってしどろもどろな言葉を出してしまう。けれども彼女は微笑んだ。
「ここでは邪魔になるから、待合室のほうへ移動しましょうか」
「え? あ、はい、そ、そうですね」
「ふふっ。硬くならなくても大丈夫よ」
 朗らかに笑ってくれてはいるが、看病疲れからか、憔悴の色がこの少女からは消えない。
 待合室はがらんとしている。この光景も、亜子の世界では考えられないものだ。大きな病院での待合室は診察や薬を待つ人でごった返しているものだからだ。
 適当な場所に座ったトリシアの横に、亜子も遠慮がちに腰をかける。
 じろじろと見られることには慣れないが、トリシアはちょっと違っていた。彼女はちらりとうかがってくるが、それだけだった。
「あの」
 気になって亜子が声を洩らす。トリシアがこちらを見てきた。
「なにかしら?」
「…………」
 なんと言えばいいのかわからない。
 自分がトリッパーであることは秘密なのだから、それも口にできない。「珍しくないんですか?」なんて尋ねたら、自らトリッパーだと名乗っているようなものだ。
 逡巡した亜子は、先ほどの患者のことを思い出し、そちらを口に出すことにした。
「あの、マーテットさんの患者さんの付き添いの方、ですよね?」
 恋人なのだろうか? どう見ても、外見特徴から血の繋がった親戚や、兄妹ではない気がする。
「え、ええ」
 沈んだ声で応じるトリシアは、眉をひそめた。苦しそうだ。
(そんなに病状が悪いのかな……)
 ただ眠っているだけなのかもしれない。
 事情がわからないし、踏み込むわけにはいかないだろうしと考えていたら、聞き慣れた足音が聞こえてきて、亜子は顔をあげた。
 マーテットが廊下を歩いてくる。横のトリシアが勢いよく立ち上がった。顔色が悪い。
「あ、ま、マーテット様……」
「まあ、経過は順調だな。いつになるかはわかんねぇけど、まあ、確実にってとこだ」
「…………」
 トリシアは呆然とした後、嬉しそうに目を潤ませて大きく頭をさげた。
「ありがとうございます……!」
「いやー、おれっちとしては、礼を言われるようなことしてねぇけど? 礼ならルッキーに言えば? この病院を手配したのも、おれっちに頼んできたのもあいつだし」
「ルキア様にもお礼はいいましたけど」
「へへっへ! どーせ、『礼には及びません。当然のことをしたまでです』、なーんて、にっこりされながら言われたんだろ?」
「はい」
 顔をあげて微笑むトリシアを横目で見て、疎外感を覚える亜子だった。
 亜子は、そのルキアなる人物を知らないが、どうやら二人の共通の知り合い、もしくは友人らしい。
「でももうほとんど魔術痕跡は消えてるし、あの包帯がとれる日は遠くないと思うぜー?」
「そうですか」
 頬を赤らめて何度も小さく頷くトリシアを眺めていた亜子は、はっ、とする。マーテットは笑みを浮かべたまま、こちらを見ていたのだ。
(え?)
 なんでこっちを見てるの?
 不思議そうに困惑の眼差しを向けるが、マーテットはすぐにトリシアに視線を戻した。
「また検診に来るから、がんばってな」
 マーテットとは思えない励ましの言葉に亜子が愕然としているが、トリシアは素直に受け取って「はい」と頷いた。

 帰り道、馬車に揺られながら亜子はマーテットを眺めた。尋ねてもいいものだろうか。
 悩んで視線をあちこちに移動させていると、マーテットが手帳になにか書いていることが目に付いた。
 ……また観察されていた!
 顔をしかめていると、マーテットが小さく吹き出して笑う。
「気になるなら、訊けば?」
「でも」
「アトはぁ、なんていうか表情にも出にくいし、わかりにくいっていうか」
「?」
「すぐ我慢する癖があるな」
 指摘され、亜子の脳裏をなにかが過ぎる。真っ黒い映像はサッと駆け抜けてしまうが、それだけだった。
 視線をさげて足元を見る。黒いパンプスが目に入った。
「べつにそういうことはないと思いますけど」
「『前』もそうだったのか、な?」
 にやっと笑われて、ひどく、胸が騒いだ。
 以前、というのはこの世界に来る前のことだ。
「記憶がないのに、ひどいですよ」
「うん、まあその自覚はある」
 ひどい、の部分を肯定するマーテットは相当性格が悪いと思えた。
 亜子はおずおずと先ほどの患者のことを尋ねる。
「さっきの人、えっと、肌の色とか違ってましたけど、トリッパーではないんですよね?」
「あれは、セイオンって島の連中の外観特徴だな」
「セイオン……」
 確か帝国支配化にある島々の総称だった気がする。
「ま、守秘義務ってのがあるからあいつらの病状に関しては言えないが、眠ってたほうの男はルッキーの知り合いなんだわ」
「そ、その『ルッキー』って人は、誰なんですか?」
「おれっちの同僚。一目見ただけで、絶対に忘れないと思うぜ〜?」
 愉快そうな笑みを浮かべるマーテットは腕組みしたまま、言う。が、表情が真剣なそれになる。
「ルッキーの頼みがなけりゃ、尽力なんてしなかっただろーな。ほっといても、死ぬし」
「は?」
「んー? 人間、いつかは死ぬだろ。それが今か、先かの違いだけだ」
 どうでもいいように言うマーテットは、暗い瞳をして頬杖をついた。
「ま、トリシャの頑張りは見ていて飽きないからおれっちとしてはべつにいーけど」
「……マーテットさんは、独り言が多いですよね」
 他者にわかるようには喋らないところが彼にはある。そういう時は、マーテットはただ感情や、思ったことを吐露しているだけで誰かに聞かせているわけではないのだ。
 その証拠に。
(こういう時、マーテットさんは、相手を『見ない』)
「んー? まあ、口に出しちまうところはあるよな」
「わかってて、やってますよね」
「うん」
 平然と頷くマーテットは意地の悪い笑みを浮かべる。
「でも、静かにしてたらアトは居心地悪いだろ?」
「え?」
 言われたことがわからず、亜子はきょとんとしてしまう。居心地が悪い? あたしが?
 瞬きを数度して、眉をひそめる。
「そんなこと、な、いです」
 静かさには慣れている。だから、うるさいのは、困る。困るはずだ。
 慣れていないから。困る。
 ふぅんとマーテットは呟くが、小さく笑った。
「まあいいけどさ、おれっちとしては」
「…………」
「ほらー」
 言われて、亜子はいつの間にか俯かせていた顔をあげる。
「アトは、静かなの嫌いだろ、ほんとは」
「……わかりません」
 本当にわからないのだ。
 苛立つ気持ちをなんとか押し込めようとして、亜子の顔は引きつる。
 嘆息するマーテットはそれでも笑みを崩さない。
「わからなくていいって。おれっちは、そのほうが面白いから」
「?」
「ああそうそう、さっきの患者の話な。
 セイオンってとこの傭兵なんだわ。あれでも名前はそれなりに売れてる人気者なんだと。ま、軍にとっちゃ傭兵なんざ、金稼ぎの小汚い連中にすぎないけど」
「傭兵……」
 帝国には国や民を守るための力がある。それが軍隊だ。帝国軍にとっては、傭兵などという存在は、邪魔なだけなのだろう。亜子としても、なぜ傭兵が存在するのかわからないのだ。なにか困ったことがあれば、軍に頼ればいい話だと思う。
 それに、軍には、役職は違えど国家権力として『役人』という職業がある。こちらは大体が、下級市民が選ぶ職業なのだそうだ。亜子の世界で言う、警察なのだろう。
 役人とは、軍にとっては下っ端の存在だから、亜子の世界とは違うのだろうが……。
 亜子を襲ってきたあの男も、セイオン出身なのだろうから……つまりは、同族、ということになる。
「で、付き添いしてたのがトリシャ。ルッキーの数少ない女友達ってやつだなー」
「…………」
「トリシャはあの男の恋人みたいなもんだな。健気なことに、ああやって、付き添ってるんだ。仕事は辞めざるをえなかったみたいだしな」
「仕事……」
「ああ。『ブルー・パール』っていう、弾丸ライナーの添乗員をやってたんだと。おれっちも見てみたかったなー、制服姿のトリシャ」
 興味だけはあるのか、ぼやくマーテットを思わず睨んでしまう。下心はないと言わんばかりのマーテットは、確かに妙な性癖などなさそうだ。
「どうしてあの人は、いつから眠ってるんですか?」
「ちょうど三ヶ月くらい前からだなー。ルッキーがあらかた荒療治しちゃったから、おれっちはアフターケア?」
「? あ、あの、意味がわかりませんよ、マーテットさん」
「ああ、ルッキーって、魔術の天才なんだわ」
 どこか投げやりなセリフに亜子は唖然としてしまう。
「ま、融通がきかないとこだけは問題だけど。……うーん、ルッキーを見たらアトがどういう反応するか気になるな」
 ぼそりと洩らされた言葉に亜子は嫌な予感がよぎる。
「あ、あの、あたしは観察対象なんですか?」
 薄々感じていたことだが、マーテットは亜子をそうとしか見ていないだろう。
「さてなぁ?」
 くすっと笑うマーテットの表情はあどけない。見たこともない表情に亜子の胸がどきりと鳴った。

 病院をあとにして、馬車に揺られて魔法院まで戻る。
 馬車は何度乗っても慣れることはない。亜子は居心地が悪そうに肩をすくめていた。
 マーテットはぼんやりとした瞳で、頬杖をついてなにか考えている。
(どうしたんだろ……)
 回診に来る前に来訪した者に渡された手紙を、彼はそれはそれは面倒そうに受け取ったのを思い出した。
 封ろうをしてある手紙の中を一瞥すると、マーテットはさっさと焼却処分して回診に出かけた、というわけだ。
(お仕事かな)
 それとも、べつのなにか?
 まあどうせ、自分には関係のある話ではないだろう。
 亜子はがたがたと揺れる馬車の中で、先ほどの二人のことを考えた。

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