Barkarole!U シャングリラ18

 シャルルと亜子の治療を終えたマーテットがそこに現れたのは随分とあとだ。城の医務室にいたルキアに、彼は歓喜の表情を浮かべる。
「ルッキー! 無事だったか! へへっへ!」
「アホぉ! 『無事だったか』じゃない!」
 怒鳴るオスカーの、血管がぶち切れそうな勢いにマーテットは不審そうにする。そして視線をベッドの上にいるルキアに向けた。
「え。なにしたん、ルッキー」
「いえいえ、救助活動をしたらちょっと心臓が止まってしまって」
「は?」
 わけがわからないマーテットは、オスカーが腕組みして鼻息荒くする説明を聞いた。
 オスカーの部隊は襲われはしたものの、ルキアが戦力をほとんど殺いでいたおかげで苦もなく敵を撃沈。ルキアの捜索を開始。そして見つけたらルキアは五体満足だったが、息をしていなかったという。
「酸欠かぁ?」
「うーん。仮死状態になっていたと思いますけどねぇ」
 そういえば、ルキアは水の中で息を止めるのは得意だと言っていた記憶がある。火事の中に突っ込んでいき、息ができなくなったのだろう。
 普通なら死んでいる。マーテットはじろじろとルキアを見た。
「ほんと解剖してみてぇよなぁ……。なんで生きてるんだよ、ルッキー」
「失礼な言い草をするな! ああもう、俺は生きた心地がしなかった……。見つけたルキアが平然と転がってるから、最初は寝てるもんだとばっかり……」
 イライラしたように足踏みをするオスカーに、マーテットは呆れる。
「旦那ぁ、いくらなんでもその発想は……」
「わかっている! こいつがあまりにもふざけているから、ついな」
「ふざけていませんよ。死ぬかと思いました」
「ふざけてるだろうがぁ! 意識が戻った途端に周囲を吹っ飛ばそうとしやがって!」
「いえ、意識を失う前は戦闘時だったので……すみません」
 ルキアが申し訳なさそうに謝っている。マーテットは疲れたように嘆息した。
「とにかくこっちは怪我の大小はあっても、全員生きてるわけか。蓮国の連中は殺しちゃったんだろ?」
「そうだと聞いている。捕まえたところで、やつらが白状するとは思えないしな。自害するのがオチだ」
 蓮国の忠義心の厚さは帝国でも有名だ。実際に、兵士に捕まる前に自害した者もいたらしい。
 彼女たちは一時的とはいえ、勝利を手にした。シャルルを「フレデリック」と思い込んで殺した、いや、殺したと思った瞬間は。
 これで自分の国の王女は助かる。衰弱する一方だった彼女を助けることができると、勝利を考えていたことだろう。彼女たちは自分たちの正義のために行動をおこしたのだ。
 蓮国の間者が女だけとは考えにくい。独断で行動にうつしたのは彼女たちの考えだろう。自国の守備のことよりも、王女の命をとったのだ。
 麗しい主従愛だが、それは敵を考えれば無謀にすぎない。勝利に酔いしれた彼女たちは、そもそも自害する算段だっただろう。
「理解できんな……。フレデリック殿下の命を奪えるわけがないだろうに!」
「できると思ったのでしょう。実際、殿下も陛下も、彼女たちの動向に注意深く目を払っていた様子ですしね。徐々に弱っていく演技は見事なものです」
「それだ! 俺としては、あの図太い殿下が弱るとは思えなかった!」
「おいおい旦那、はっきり言いすぎだぜ……」
 思わずマーテットが口を挟んでしまう。しかし憤っているオスカーの耳には入っていないのだろう。人払いがされているせいか、彼は存分に喋った。
 仲間に騙され、殿下に騙され、ルキアに振り回されて心身が疲れているに違いない。
「なんで俺に内密にされてたんだ! 腹が立つ! おかげで本気でやってたのが恥ずかしいじゃないかっ!」
「そりゃ、敵をかく乱させて、オッスの旦那たちが注意を引き付けるためで……」
 事情を知っていたマーテットは、ルキアに目配せする。ルキアも知らなかったのだが、彼はにこにこと笑顔だ。怒ってはいないようだが、自分の部隊の兵士の逃走を優先したことからも、この戦いの『意図』を理解していたに違いない。
 ルキアやオスカーという目立つ魔術師が本気でかかっているなら、敵の目はそちらにいく。
(無償の行為、か)
 自分に逆らってまでシャルルの命を助けに向かったトリッパーの少女の姿が脳裏をよぎる。
 あれもまさに、そういうことだ。彼女は己の命よりも重要と考えるものに命をかけた。……結果、現在は地下牢に拘束されている。
 結果をいとわずに行動し、自己満足で死ねるならどれだけ幸福だろう? 蓮国の連中の心情はわからない。しょせんは違う人間だ。
 帝国が浅はかだと思わせる行為に出たのは、充分な勝算があったためだ。元々、蓮国は勝てる戦いをしていなかった。
 シャルルは生死がどうなろうと構わないという命令がくだされていたところからも、どれだけ敵に「思い込ませる」ことが重大かがわかる。
「陛下はなに考えてんのかねぇ。下々のおれっちらにはわかんねぇな」
 肩をすくめるマーテットにオスカーは不本意そうにしながらも同意した。ルキアは苦笑しつつ黙っている。
 だが、『ヤト』は皇帝のくだされた命令ならば遂行するしかない。それもまた、事実だった。



 シャルルは、王宮に用意されているシャルルの滞在部屋の大きなベッドの中央にいた。
 息を吹き返したが、安静が必要だった。マーテットが全力を尽くしてくれたのだろう。背中の傷は一切残らないという。
「生きているな」
 眠ってから再び意識を覚醒させてギョッとしたのは、ベッド脇に兄が座っていたからだ。彼は読書をしていたようだが、本を閉じてテーブルに置くとこちらをうかがう。
 相変わらずの、他人を見下した態度の兄に辟易した。だが彼がなぜここにいるのかわからない。
 窓は開放され、心地よい風がカーテンを揺らしている。
「ん? 窓の外が気になるか。大丈夫だ。外には『ヤト』のロイが護衛に当たっている」
「……なぜ、生きているのですか」
「死んでいないからだろう」
 当たり前のことを訊くなという冷たい兄は、松葉杖を頼りに立ち上がる。怪我をしたのか?
「兄上、お怪我をされたのですか?」
「おまえほどじゃない。しばらく歩くのが難しいだけだ」
「…………」
 では兄もまた、敵の襲撃を受けたのだ。無事で良かったのかどうか、あんまり喜べない。
「おまえで遊ぶのは、しばらく休止することにした」
「遊ぶ?」
 聞き捨てならない単語に怪訝そうにしていると、兄は冷酷に見てきた。
「おまえの屋敷に勤めていた者で、レラを筆頭に9名ほどすでに処断されている」
「えっ……」
「おまえの屋敷に居た蓮国の間者どもだ。全員女だった」
「そうですか」
「つまらん。もっと驚け。
 おまえのトリッパーは地下牢に繋げてある。記憶混濁だけではなく、他の精神障害の恐れもあるとみなし、拘束中だ」
「!」
 驚くシャルルに、フレデリックは表情を崩さずに続けた。抑揚のない声がひどく静まった部屋に響く。
「おまえは知らないだろうが、おまえが殺されそうになったところに駆けつけてその場にいた、おまえ以外の7人を殺している」
「アガットが……?」
 いつもびくびくと周囲の機微をうかがっている亜子のこととは思えなかった。そういえば彼女はここ一番という時に、異様に行動力を見せている。
「キレやすいのは、おまえも気づいていたことか?」
「……いいえ。ただ、神経が昂ぶるとアガットは目眩が起きたり、意識を失うことが多かったです。キレる前に自身で意識を遮断していたとも思えます」
「原因に気づいているな?」
「はい」
 静かにシャルルは頷いた。
「アガットは、おそらく家族から酷い仕打ちを受けていたと思われます。肉体的ではなく、精神的に。なにかを強要されていたのかもしれません。
 なにをされていたのかはわかりませんが、本人を追い詰めていたことは確かでしょう」
「アガット本人は記憶をわざと忘れている節がある。家族に関連する記憶の一部だ」
「…………」
 誰にだって、憶えていたくない記憶がある。亜子は、それが家族だった。彼女は……たぶん。
(味方が、いなかった……)
 シャルルは拳を弱々しく握る。
 平気なふりをしている亜子を想像すると、辛い。この世界に来て、亜子は記憶に障害が出たことからも感情の抑制がうまくきかなかったのだろう。
「……あの娘の処遇は、後に決定する。本人次第だが、場合によってはこのまま処分することを伝えておく」
「あ、あの!」
「? なんだ」
「なぜわざわざ教えに来てくれたのですか。黙って処分しても良かったのでは……?」
「…………」
 ぎょろりと兄が生気のほとんどを失った瞳で見てくる。なにを言われるのだろうかと思わず身構えるシャルルを鼻で笑ってきた。
「おまえがうるさいと思って先回りしただけだ。とりあえず養生しろ。元気になったら、あの小娘が私になんと言ったか教えてやってもいい」
「は?」
「事の詳細は、控えているヒューボルトから聞け。私は部屋に引き上げる」
 ひょこひょこと歩く兄に、シャルルはどう声をかけていいのかわからない。相変わらず兄の考えていることはさっぱりわからない。
 無理に上半身を起き上がらせて、口を開いた。
「兄上」
「なんだ」
 律儀に振り向いてくる兄に、シャルルは口ごもる。そんな弟を一瞥し、兄はさっさと部屋から出て行ってしまった。入れ替わりのようにヒューボルトが姿を現す。
 ベッドから3メートルの距離を保って彼は今回のことの顛末を語った。大多数のメイドたちの命が、そして攻め入ってきた人間たちの命が儚く散ったのは、ぼんやりと伝わる。
 内容を聞きながら、シャルルは自分の命の軽さに笑いそうになった。そして、蓮国が数年のうちに壊滅するであろうことも。
「なるほど。余は道化だったのか」
「決してそのようなことは。殿下の行動があったからこそ、ヤツらを一網打尽にしたと思われます」
 そうだろうか? 何も知らされておらず、兄の身を案じて駆け回ったというのに死ぬことすらできなかったとは。
「アガットはどうしている?」
 尋ねたことに、ヒューボルトはまったく動じない。彼は数秒沈黙したが、応えてくれる。
「異能を酷使し続けたことが原因なのか、昏睡を続けています。肉体は回復していますが、発見当初のマーテットの言葉から、かなり酷い状態にあったと聞かされています」
「酷い状態?」
 青ざめるシャルルに、ヒューボルトはいつもの彼独特の奇妙な姿勢のまま頷く。
「筋肉のあちこちが断絶していたとか。とてもではありませんが、戦闘できたのが謎と思われる状態です」
「…………」
 そんな状態で彼女は駆けつけてくれたのだ。
 胸が熱くなった。
(馬鹿だ)
 ぽつんと心の中で呟く。
 敵に追いつかれ、味方が一人もいない状況になったシャルルはめった刺しにされた。惨めな姿を見て、亜子はどうだっただろう?
 自身の身体が限界だったのに彼女は戦った。すでに虫の息だった自分のためにだ。
 涙が零れた。
 かしずく臣下は多かったが、それは生まれながらの地位にひれ伏していただけで、『シャルル』本人に対してではない。
 シャルルは孤独だった。けれどもそれを認識しても、そういうものだと思い込むことしかできなかった。
 兄からは執拗に命を狙われる行為が続いたし、母はそれを放置していた。今も、自らの屋敷で何をしているのかシャルルはわからない。彼女は血が繋がっているだけで、「母」ではない。
 自らの身を守るには、自覚するしかなかった。
 己を守るのは、己の意思のみ。
 持っているものを全力で利用しなければ、シャルルは今ここに居ないだろう。
(馬鹿だ)
 なぜ、示した道を進まない?
 止まらない涙にシャルルは不思議そうにする。ヒューボルトはやや珍しそうにしながらも、何も言わなかった。
 亜子には、辛いだろうが選ぶ道があった。選んだ道を全力で応援してやろうとシャルルは思っていた。
 けれどそれは、彼女が離れていくことが前提だった。
「ガイスト」
「はっ、なんでありましょう?」
「……アガットはなぜ余のところに駆けつけたのだ。北の塔の一室に拘束されていたのではないのか」
「フレデリック殿下の話によれば、面倒なので追い払ったそうですが」
「……は?」
 涙が引っ込むほど驚きな内容だった。ぱちぱちと瞬きをし、シャルルは怪訝そうに眉をひそめる。
「この件に関しては、フレデリック殿下があの娘の発言が気に障ったから、と解釈しました。フレデリック殿下は『うるさい。黙れ。殺すぞ』の繰り返しばかりで埒が明かなかったもので」
「………………」
 よくわからないが、亜子は兄を怒らせたのだろうか? 理解不能な兄の思考回路に、シャルルは沈黙してしまう。
「襲撃を受けた際、『邪魔だった』とフレデリック殿下がおっしゃっていました」
「じゃ、邪魔、か……」
 乾いた笑いを洩らすシャルルを気にする様子もなく、ヒューボルトは続けた。
「フレデリック殿下は襲撃を撃破。右足に傷を負いましたが、そのまま撃って出たようです。シャルル殿下がいた廊下に到着した時には、すべてが終わっていたとか」
「…………」
「アガット=コナーはその時すでに、まともに視界も働いていなかった様子。血まみれで座り込んでいたが、到着して1分もしないうちに意識を失ったと報告がきています」
「……そうか」
「殿下はなにか憶えていらっしゃいますか?」
「いや、アガットが駆けつけた時には余は意識がなかった。アガットの姿は見ていない」
「そうですか。詳しくは、またうかがいに来ます。今はお眠りください」
 頭を下げてくるヒューボルトは、部屋を辞去しようとする。だがシャルルが止めた。
「待て」
「? 何かありますでしょうか?」
「…………」
 渋い表情になるシャルルだった。いいのか? いや、決めたのだ。
 彼女が選んだ道を、全力で応援すると。
 たとえどんな道であろうとも、彼女が進むなら背中を押してやる。
 シャルルは決意したようにヒューボルトを見つめた。
「ガイスト、もしもアガットが……」


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