Barkarole!U シャングリラ17

「ぁあっ!」
 気合いを入れて槍を振り回し、亜子は攻撃範囲にいるメイドたちを容赦なく吹き飛ばした。受けた傷が片っ端から回復し、消えていく。
 槍が届かないところにいたメイドたちはシャルルを追って行く。
(おも、い!)
 もう持っていられない。痛みに槍を取り落とす。ここで行く手を阻むことは亜子にはできない。
 身をひるがえし、亜子はあっという間に駆ける速度をあげた。シャルルに追いつき、彼を守らねばならない。
 マーテットが居たから少しは安心したが、亜子は目を充血させていく。耳鳴りがする。音を拾いすぎているのだ。異能を酷使し続けるのは、亜子の身体に負担を強いていた。
 背後からの矢の飛ぶ音を聞き分けて、避ける。まるで猫のような動きに、彼女たちは驚き、ざわめいたがすぐに意識を改めて、追撃してくる。
(ううう!)
 耳の痛みに頭がおかしくなりそうだった。
 シャルルを追うメイドの背中にナイフを突き立て、転倒させては前に進む。
 倒せ、もっと倒すしかない!
 あちこちで交戦の音がしているが、そちらに構ってはいられない。亜子の目的は一つだ。それは――。
「アトーっ!」
「! マーテットさん?」
 駆けてくる、白衣をなびかせる男に亜子は目を見開く。舌打ちしたい思いだった。なんで殿下の傍にいない!?
 敵はあちこちから出現し、シャルルを追撃しているというのに。
 廊下を走ってくるマーテットは素早くメスを取り出してはメイドの少女たちに投げつけている。その姿には余裕すら感じる。
「なんでここに!?」
 責めるような口調で合流すると、彼はふいに視線を逸らしてしまう。この雰囲気は、フレデリックにも感じたものだった。
 亜子は腕を掴まれ、無理やりその場に留まることになる。信じられない気持ちでマーテットを亜子は凝視した。
「殿下は……」
 言葉を濁すマーテットの腕を、亜子は力任せに振り払う。
「あんたまで、殿下を見殺しにするのか!」
「そうしろって命令が出てるんだ!」
 マーテットがはっきりと言い放った。亜子はマーテットを睨みつける。
「誰も彼もが殿下に死ねって言う……! 頭がおかしい!」
 ぎりりと歯を噛み締めながら言って、マーテットから一気に跳躍して距離をとる。転倒して動かないメイドたちは完全に事切れている。マーテットが確実に急所を狙ってメスを放った証拠だった。やはり油断ならない。
 彼は医者だ。人体のあらゆることを熟知している専門分野の人間。
「おまえを殿下のもとに行かせるわけにはいかねーんだ、よっ!」
 放たれたメスを亜子は素早く身体を伏せて避けた。相手にするには分が悪い。
「直接手をくださなければいいって言うのか!」
 亜子は叫び、迫ってくるメスをナイフで叩き落す。いくら「ゆっくりに見えて」いても、腕の動きが追いつかない。体力がすでに限界に近かった。普段、運動をしていない影響がここで出るなんて!
「おれっちだって、べつに殿下に恨みはねぇさ」
 その時だ。亜子の耳に、シャルルのうめき声が届いた。きびすを返す。
「殿下!」
「行かせるかっ!」
 マーテットが魔術を使う気配を見せた。亜子はすぐさま近くの窓を突き破って外へと飛び出る。発動した魔術は空振りに終わった。
(殿下、殿下……)
 ごろごろと地面を転がりながら、亜子は音を拾うためにさらに集中をあげた。血がどろりとした感触をさせて鼻から流れ出ていく。
 シャルルはメイドたちに追いつかれた。場所は、どこだ?
 亜子は鼻血を袖で乱暴にぬぐい、視線を動かす。音のする場所を狙って移動するしかない。早くしなければマーテットが窓から追ってくる。
 城壁の上を這うように亜子は跳躍して移動を開始した。シャルルの呼吸音だけを頼りに、なりふり構わずに壁のでっぱりなどに手をかけて体を持ち上げ、ジャンプを繰り返して進む。
 シャルルは北の塔へと通じる回廊で倒れている。
 一番近い窓を突き破り、中へと侵入した亜子は彼を取り囲むメイドたちの姿に愕然とした。幾つもの刃を突き立てられて倒れているシャルルの姿は衝撃的だった。
「で……」
 絶句する亜子は、呆然と佇む。
 じわじわと彼の身体から血が広がっていく。あれだけの傷があるのだ、出血多量? それとも、ショック死とか……。
 ぶち、と頭のどこかがキレた。考えがめちゃくちゃなまま、亜子の意識が飛ぶ――――。



 呼吸音が響いている。
 単調に、それでも荒く。
 ソレは自身が出している音だと、亜子はやっと気づいた。
「……はぁ、はぁ……」
 いやに呼吸が乱れている。全身が重く、疲労が意識を眠りへと誘いそうだ。
 視界の焦点が合わない。レンズがぼやけているように、みえない。
 何度か瞬きをし、亜子の視線が目標物を捕らえた。
「で、んか……」
 床に広がっている血はおびただしい量だった。亜子は自らも露出している肌や、衣服に血を浴びていることを呆然と確認した。
 膝をつき、呼吸を整えようと、酸素を多く吸い込もうと全身が動く。
 ――――その場で動いているのは、亜子だけだった。

***

 フレデリックはその惨状を眺め、息を吐く。トリッパーの異能がこれほどとは。
 血の海に一人だけ座り込んでいる少女は、こちらに気づいていない。
(……いや、あの娘の『異能』が問題か)
「殿下」
 もっと下がるようにと護衛兵が注意の声を小さく出すが、フレデリックはそれを視線だけで制した。
 北の塔に入り込んだ敵はもういない。そして、そこに通じるこの場所の敵も亜子が全員殺した。逆上して、だ。
 記憶障害がひどいとは聞いていたが、どうやら亜子には記憶混濁のほかの精神障害もあるようだ。トリッパーの例に洩れず、彼女もまた、精神的に傷を負っているようだった。
(いやに逆上しやすいのは、そのためか)
 冷静に分析するフレデリックは、少数の部下を引き連れて駆けつけたヒューボルトを見遣る。彼は場の惨状に唖然としながらも、近づいてきた。
「殿下、ご無事でしたか」
「敵は殲滅したか」
「城内に居た敵はすべて駆逐が完了しました。城外の敵は『ヤト』が総出で交戦中。ルキアが意識不明の重体で発見されました」
 淡々と言うヒューボルトの報告に、フレデリックは頷いた。
「わかった。隠れていたネズミのあぶり出しは成功か。ギュスターヴは『ヤト』を壊滅させる気かと思ったぞ」
「城内に入れ替わりで潜入していた女給たちは、かなりの数だった様子ですが」
「抑え込むのも苦労した」
 目を細めて言うフレデリックは、己の身が長くもたないこと、城内のそれらの勢力を抑え込むことが難しいことをルキアに、含んで伝えたのだ。
 長くは、もたない――と。
 結局は、伝えた当日に敵が動くことが発覚して慌てて対処したのだが。筋書きとしては、なかなかなものだった。予想外だったのは、亜子の存在だけだった。
 大人しくさせている予定だった亜子が馬鹿なことを言うから……。
(傍に居ることだけ、か)
 そうとも。
 フレデリックは、ゆるく手を伸ばす亜子の姿を見る。彼女は、前のめりにそのまま倒れて意識を失った。全身が小さく痙攣していることからも、無茶をし過ぎたことがわかる。
(そうとも……おまえには、それくらいしかできぬな)
 弟をいじめるのも飽きてきた。そろそろ標的を変えるのもいいだろう。
 亜子が伸ばした手の先には、うつ伏せになっているシャルルの姿がある。出血多量からか、顔が蒼白になっていた。
「……殿下。怪我をされていますが」
 ヒューボルトが、フレデリックの右足から血が流れているのを見て小さく言う。フレデリックはどうでもいいとばかりに目を細めた。
「私より、シャルルをなんとかしろ。いくらアレの生命力が異常に強くても、限度があるだろう?」
 昨日の朝も、毒殺されかけたのだ。心配してわざわざ見に行ったのに、馬鹿な弟は自分の仕業だと勘違いしていた。……トリッパーの娘同様、愚かなことだ。
 兵士たちが転がっているシャルルに駆け寄った。その時だ。マーテットが現れて、事情を説明され彼は素早くシャルルの治療にとりかかった。
 足を引きずってマーテットに近づき、尋ねる。
「弟は助かりそうか? マーテット」
「五分五分ですかねー。血を流しすぎですわ。しっかし、この傷でまだ心臓がかろうじて動いているってのがおれっちとしてはすごくてびっくりですけど」
「だから、遊んでも死ななくて良かったのだ」
「あー……歪んだ兄弟愛をどうも」
「愛? 気色の悪いことを言うな。殺すぞ」
「平坦な声で言われると、すげぇこえぇんスけど」
 乾いた笑いを洩らすマーテットから視線を動かし、瞼をしっかりと閉じて自身を守るようにしているシャルルの様子にフレデリックは笑みを浮かべた。
 起きたら教えてやろう。弟の飼い猫がどれほどの動きをしたかを。そして、残酷なまでの現実を。
(どういう顔をするか……。まあ、このまま死んでも構わないが)
 名誉の戦死というのもいいだろう。兄を守って死ぬなど、麗しいではないか。世間的には。
「ルキアの様子を見に行く。ファルシオン夫人も同行させる。連れて来い」
「はっ!」
 素早く護衛兵の一人がきびすを返して走り去った。トリシアは北の塔でまだ眠っている。しかしよくわからない。時間的に、ルキアの居た場所が爆発したのと、彼が現れた時間が僅差だったからだ。

 意識を覚醒されたトリシアを連れてフレデリックはルキアのもとへと向かった。そこで落胆したのは言うまでもない。
 ルキアはけろっとした様子だったのだ。もっとも、顔や身体のあちこちにすすがつき、薄汚れてはいたが。どこまで頑丈なんだ、こいつは。
「あれ。殿下にトリシア」
「ルキア様!」
 駆け寄る妻を思い切り両腕を開いて抱きとめる姿に、反吐が出そうだった。安いラブロマンスを見せられているようで、気持ち悪い。
 腕組みして、王宮内に運び込まれて床に置かれた担架の上に座っているルキアを見下ろす。
「息災なようだな、ルキア」
「いやぁ、心臓が停止していたようで自分は驚きましたけどね」
「笑顔で言うことではない」
「はは。少佐が早く発見してくれたので助かりました」
 ……笑い事ではないと思うが。
(相変わらず気色の悪い子供だ。いじめても楽しくない)
 ルキアを筆頭に、『ヤト』の連中を相手にしてもまったく手ごたえがないのでつまらない。反応をしてくれるのは唯一まともな神経を持つオスカーくらいだが、あまり構うと彼の血管が切れそうになるので控えているほどだ。それにしても。
(心臓が一度止まっただと? では北の塔に現れたのは……)
「…………」
 考えが妙なものに走り、フレデリックは一時的に思考を中断した。幽霊や生霊の存在は否定されてはいないが……ないだろう。……ないと思う。
 もしも生霊ならば、とんでもない根性を発揮していたと思える。妻のピンチならどこにでも駆けつけるというのか?
 ……いや、よそう。きっとアレは目の錯覚。夢でも見ていたのだ。
 ルキアの傍に居るオスカーは、疲労困憊という様子だった。彼はフレデリックに敬礼をすると、素早く現状を報告する。
「城外の敵はほぼ人間爆弾に改造されていました。残党はわずか。掃討に当たっているのは残る『ヤト』のメンバーです」
「……おまえとしては、不本意だろうなオスカー」
「い、いえ。しかし、作戦の全貌を聞かされていなくて、少々困りました」
 少々どころではないはずなのに、オスカーはそう言う。そう言うしかないのだ。
 オスカーには作戦の半分ほどしか伝えられていなかった。わざとだ。
 『ヤト』の戦力がほぼ城外にあったのは、敵を迎え討つ構えだと知らしめるためだった。シャルルの周囲の戦力は実は実際よりかなり低いものだったのだ。
「まあ敵を油断させるためだ。納得しろ」
「わ、わかっていますよ……」
 渋々という口調のオスカーが、ルキアを発見してから王宮に戻ってくるまで……彼は真実を知らなかったのだ。
「殿下、憔悴が激しいようですが大丈夫ですか?」
 心配するようにうかがってくるオスカーを冷たく見遣る。
「これくらいで倒れるようにはできておらぬ」
「………………」
 呆れたような表情に変わるオスカーだった。だが、フレデリックは強がりでそう言ったわけではない。世間一般には知られてはいないが、皇族は異常に生命力が強いのだ。
 足の怪我も、治りは遅いかもしれないが……動かなくなるようなことはないだろう。
「城内に居たメイドは、やはり蓮国の間者だったのだな」
 ぼんやりと呟く。報告はきているから、間違いはない。
 おそらく、蓮国の第一王女の率いている直属部隊の連中だろう。一体いつから潜り込んでいたのか……。
(あそこの女たちも無駄に戦闘力が高いからな)
 蓮国が活動を起こしたのは、フレデリックの命が長くないと思わせたためだ。偽の情報にだまされて、彼らはまんまと罠にかかった。これはいい機会だと、他国の間者たちも便乗したのだ。
 フレデリックは自分の婚約者の姿をぼや〜っと思い浮かべた。勝気そうな顔で、挑んでくるように見てきた少女をあっさりと見下したら彼女は本気で悔しがっていたのを思い出す。あれはなかなかに愉快だった。
 血の呪縛のせいで、フレデリックの血縁者は『居場所』がわかってしまう。北の塔にもやってくることはわかっていたが、極限まで下げられたフレデリックの生命力に気づくのが遅れて戦力のほとんどはシャルルに向けられていた。
 蓮国はいささか変則的ではあったが、自分たちの戦力を使って挑んできた。だが他国は援助をしたにすぎない。人間爆弾を大勢用意していたとなると、彼らはもはや逃げ出していることだろう。
(結局、馬鹿をみたのは蓮国だったか)
 あの王女はきっと悔しがり、嘆くだろう。そしてフレデリックをますます憎む。ああそうだ。憎んでくれて構わない。
 目の前で妻の背中を撫でて慰めているルキアの姿に、うんざりした。……こんな姿をさらすことになるくらいなら、憎まれていたほうがましだ。
「ん?」
 現れたギュスターヴに、フレデリックは笑った。
「父上はご健在のようだ」
「はっ。殿下もご無事なようで」
「ああそうだ。父上に進言せねばな。蓮国はもう潰しにかかっていいだろう?」
 底知れない暗さをたたえて言うフレデリックに、ギュスターヴは目を細める。
「この遊戯にも飽きた。私の命を使って遊ぶのはやめていただこうかな」
「では、軍をかの国へと向けますか」
「攻め込む口実はできた。準備はできているのだろうが。さっさとやれ」
「御意」
 茶番に付き合うのはここまでにしたい。
 やはり他国を懐柔することなど不可能だ。軍で制圧するに限る。
 実験に付き合いはしたが、結局は駄目だったではないか。
(血の呪縛を交わしたかわりに、間者どもの侵入を見逃していたのか……)
 皇帝の真意はわからないが、どうせ彼はフレデリックもシャルルも、駒のようにしか考えていない。自分がそういう考えのように。
 ふいに、フレデリックは考えてしまう。あのトリッパーの娘がもっと早くにこの世界に現出し、シャルルではなく自分のところに来ていたら……。
 おもちゃにして遊ぶ想像しかできない。
 シャルルだからこそ、彼女はあれほどまでに実力以上の活躍を見せたのだろう。
 思い出せば、亜子は最初からシャルルに肩入れをしていた。無礼な口をきき、睨んできたのだ。生意気な態度に怒りはしなかったが、興味深かった。
 なぜ彼女がそこまで腹を立てるのかよくわからなかったからだ。今は、もうわかっている。
(生き難い世界に来たものだな)
 微かな同情を感じつつ、フレデリックは後始末のことを考えることにした。


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