Barkarole!U シャングリラ16

 時間は少しだけさかのぼる。

 亜子はフレデリックを凝視した。
「今日、シャルル殿下のところを訪ねたのは、ルキアさんに会うためですか……」
 木々が焼ける。葉が焼け落ちる。森にすむ動物たちが火に追われて逃げる。その様子は、ここからは見えない。見えないのだ!
「あなたは、全部知っていますね……?」
 確信を持った声で言う。フレデリックは頷かないだろう。
「敵のことも、どれくらいの戦力かも」
「知ってどうする?」
「…………」
 無言になる亜子が、足元に視線を一度落とす。顔をあげた彼女は部屋を横切って、ドアに近づいた。
 ドアを開こうとして手を伸ばした寸前、フレデリックが怠惰そうな声をかけてきた。
「行くのか」
「…………」
「おまえは人質だ。ここから出すわけにはいかん」
「いいえ」
 亜子は振り向く。
「あたしがいなくても、殿下を殺す気でしょう?」
「どうしてそう思う?」
「殿下を、常にあなたが見張っていたから」
 言い切った亜子を彼はぼんやりとした瞳で見つめ、それから笑った。正解らしい。
「殿下はあなたの影武者なんですね?」
「そうだ。シャルルは私のために存在している」
「あなたが殺されるわけにはいかない理由がある。でも、殿下には『まだ』ない」
「ああ」
「だから殿下を殺す」
「うむ」
 短く受け答えをするフレデリックは、なんでもないことのように声が平坦だ。兄弟としての情などないように。
 フレデリックは明らかに憔悴していたが、それでもシャルルの前に何度か現れている様子だった。血の呪縛で衰弱しているというのに、だ。
 目の前の男は侮れない。彼は次期、皇帝なのだ。シャルルとは目線が違うことに気づかなかった。
 それにしては腑に落ちない。昨日の朝、シャルルは毒殺されかけた。フレデリックの仕業ならば、むざむざシャルルを殺そうとするだろうか? いざという時に利用する影武者なのに。
(訊いても、応えてくれそうにないけど)
「殿下を囮にするなら、あたしが行って守る」
「ファルシオン夫人はどうする?」
「…………」
 亜子は目を細めた。
「危害を加えるつもり!?」
 この男ならやりかねない。監視も含めてルキアは亜子にトリシアを託したのだ。
 目を離すわけにはいかない相手だ。だがこのままだとシャルルはあっさりと殺されてしまうだろう。だがトリシアを放置するわけにはいかない。
「なら、こうする」
 亜子はナイフを鞘から抜いた。フレデリックはなにごとかとうかがってくる。
「あなたをここで殺せば、殿下は死なずに済む」
「…………」
 感心したように息を吐き、フレデリックは淡い笑みを浮かべた。
「やってみるがいい」
「できないとでも思ってるのか!」
 ナイフを投げつけたい衝動にかられる亜子は、ぎりぎりと奥歯を噛み締める。
「あたしはできる。できるんだ」
 ぶつぶつ言いながら、亜子はナイフを手にフレデリックに近づいていく。彼は逃げる様子もない。逃げる必要があるとは思っていないようだった。
 肘置きに頬杖をつき、彼は亜子を眺めている。なんでそんな態度でいられる? 亜子には理解できなかった。
(あたしに人殺しはできないっていうわけ!?)
 頭に血がのぼっていく。怒りで胸元を掻き毟りたくなった。
 シャルルを守るためなら、亜子はフレデリックを殺してもいい気分になっていた。これは間違いではない。正しい選択だと自分に言い聞かせる。
 ぶんぶんと頭を振って、その考えを追い出す。この態度なのだ。なにかあると見ていい。挑発に乗るほうが馬鹿だ。
 苛立ちながら、亜子は顔をしかめて腕をおろす。
「やめるのか」
「あたしが……」
「?」
「殿下にできることなんて、一つしかない……」
「ひとつ?」
 フレデリックは興味を惹かれたように呟く。聞かせろとばかりに促す。
 亜子はナイフを強く握ったまま、悔しそうに言う。
「守るなんて、大きなこと言えない……」
「己の価値を正しく理解しているようだな」
「でも」
「…………」
「でも、あたしは……傍に居ることなら、味方になることなら、できる」
「…………」
「なのに」
 なのにここから動けない。
 フレデリックはしばし亜子を眺めて、口を開いた。
「行くがいい」
「えっ」
 ぎょっとする亜子に、フレデリックは侮蔑の瞳を向けてくる。
「トリッパーとはもっと愉快なものかと思っていた。だが違っていたようだな。くだらない感情に振り回される愚か者め」
「くだらなくて悪かったな!」
「目障りだ。消えろ」
 出て行けとばかりに嫌悪感丸出しで言う彼に、亜子は本気で苛立った。
「トリシアさんをこのままにしておけない」
「くだらん」
「くっ……!?」
 その時だ。亜子の耳に少数だが足音が近づいてくるのがわかった。怪訝そうに耳を澄ましていると、明らかに兵士たちとは靴音が違うことに気づく。
 敵?
 青ざめる亜子は、ナイフを鞘におさめると、腰に佩いている細剣を抜き、用心深く出入り口のドアを軽く押して開く。隙間にそっと近づき、外がうかがった。兵士たちは直立不動の姿勢だったが、歩いてくる8人の女性に呆気にとられたようだ。
 城のメイドの衣服に身を包んでいる彼女たちの姿を確認して、亜子はドアを閉める。
「来たか」
 短く言い放つフレデリックは、イスから立ち上がって剣を抜いた。あまりにも落ち着いた様子に亜子は、この展開もフレデリックの予想通りなのだと気づいた。
「敵……?」
 亜子の呟きを肯定するかのように、ドアの外で兵士たちのうめき声があがる。にぶい音は身体を斬りつけたものだろう。
 敵だ! 身構える亜子を、背後まで来ていたフレデリックが突き飛ばした。
「どけ。邪魔だ」
「っ!」
 よろめく亜子を、ドアのほうまで蹴飛ばそうとする。慌てて距離をとる亜子は、窓際に逃げていたことに気づいた。
 どこにこんな力があるのか。不思議なほど、フレデリックは先ほどの怠惰な様子を一変させて、剣先を向けてくる。
「消えろ!」
 怒鳴り声に反射的に亜子は窓から外に飛び出してしまう。あ、と思った時は遅かった。
 身体が一気に落下していき、視界から眠ったままのトリシアや、すぐさま剣を構えるフレデリックの姿が見えなくなってしまう。渾身の力を使って、亜子は持っていた細剣を室内に投げ入れた。からん、と乾いた音がするがそれだけだ。
 トリシアが起きてくれれば。あの剣で身を守ってくれたら。
(なんでもうまくいくわけはないと思うけど)
 できないなんて、思ってかかってはならない。それでも結果に裏切られることはある。けれど、やらないよりはましだ!
 体を捻り、落下速度を落としてから着地する。素早く音を拾いにかかり、亜子は走り出した。こうなっては戻っても亜子も一緒に殺されるだけだ。
 足音がする。しかも大勢だ。どれも小さく、それでいて硬い音。その音は、王宮の至る所に溢れていた。
 亜子は走る速度をあげる。間に合え!
 廊下を行進するメイドたちの群れを王宮の外側から追い越し、亜子は先回りに成功した。息が切れ、心臓が激しく動いている。だがまだここで根をあげるわけにはいかない。
 久しぶりに見たシャルルは様子がおかしかった。フレデリックと雰囲気がそっくりになっていた。きちんと焦点を合わせないとシャルルに見えない。
(殿下……)
 なにかされたのは明白だった。亜子はハ、としてその耳に音を捉える。よくテレビで見ていた音が、する。
 きりきりと引き絞るようなこれは……弓? 広間のドアの前に到着したメイドたちに、兵士たちは怪訝そうにした。だがあっという間に矢を射られて転倒してしまう。
 敵は弓矢を使う。矢をすべてナイフで叩き落すことはほぼ不可能だ。亜子は急いで視線を周囲に遣った。同時にナイフを鞘から引き抜いて持った。
 飾られていた重そうな槍を見つけてナイフを持ったまま、両手で壁から引き剥がす。そしてそのまま地を蹴って、窓から突っ込み、シャルルの眼前に飛び出した。
 すべてが、合致した瞬間だった。
 亜子は間に合った。
 シャルルに剣を振り上げる女の姿を目にした途端、亜子の神経が焼き切れるほどに怒りが頂点に達した。
 許せない。
 なんでこんな理不尽な世の中なのか。
 許せない。
 殿下を殺すなんて、許せない。


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