Barkarole!U シャングリラ15

「殿下!」
 亜子はその動体視力を使って、シャルルに降り注ぐ攻撃を全て受けた。
 両手で持っている長槍のばねを使って、全ての矢を叩き落す。次に、振り下ろされた長剣を、槍を力任せに振ってしのいだ。
 見事な身のこなしは、彼女の異能のおかげだ。
(あたしが殿下を守る……!)
「おのれぇ!」
 メイドの声に睨みで返し、亜子はふっと息を吐いて一瞬で彼女の背後に移動した。
 ナイフを振り上げてその首筋を切り裂く。ためらいなどはなかった。
 どっと血が噴き出し、返り血を亜子は浴びる。だがそこで手を止めなかった。第二の矢の攻撃に、素早くシャルルの前に戻り、再び槍を振るって叩き落したのだ。
 目の前で倒れるメイドを見遣り、そして駆けつけた亜子に視線を移動させ、シャルルは唖然としたように硬直していた。
「逃げてください、殿下!」
 亜子の声に室内の兵士たちが我に返って一斉に動き出す。マーテットが亜子を呆然と見つめていた。
「アト? なんでここに居るんだ?」
「殿下をお願いします!」
 亜子はそう言って、重たい槍を両腕で構えてメイドたち目掛けて突っ込んでいく。
(腕が痛い)
 攻撃を叩き落した時も、衝撃が腕に響いて痛みが全身に響いたのだ。けれどこれは、己が望んだことだ。決めたことなのだ!
 人の命を奪い、もはや引き返せない場所に今、自分は立っている! 彼を守るためにも、ここは死守しなければならない!
「なにをしている、アガット……」
 ぼんやりとしたようにシャルルが洩らした。その声が遠ざかっていくのを背後で感じていた。
「なにをしている! アガット!」
 責めるような、悲鳴のようなシャルルの声に亜子は笑みが浮かんでしまう。大丈夫。あなたを裏切ることは、あたしはしない。
 第三の矢の雨を、異能をフルに使って突き進む。それでも衣服と皮膚が切り裂かれた。
 矢をつがえた者たちの背後から、別のメイドたちが現れて独特な剣を振り上げてこちらに駆け込んでくる。
(くそっ! あの人数相手じゃ、さすがに……!)
 視界の中で人数を確認することはできない。ただ、己の突っ込む範囲からはずれて皇子を追う連中が出ることは予想できた。
 どこにこれほど居たのかと思わせるほど、彼女たちは現れる。敵として。
 脳裏に何かの影が見えた。頭痛が併発する。けれども、亜子はそれを振り払った。
 目の前の霧が晴れていくような感覚に、知らず、笑みがまた零れた。
「あたしは殿下の護衛だ」
 その小さな宣言は、己自身に向けたものだ。



 兵士たちと共に逃げるシャルルはわけがわからなくて不審な顔つきになっていた。あの場に亜子が現れたのが理解できなかったのだ。
(北の塔が攻略されたのか? では兄上は……?)
 亜子が一人で逃げてきたとは考えにくい。フレデリックはいいとしても、トリシアを置いてくるとは思えなかったからだ。
 だけど。
 誰一人動けなかった場で、ためらいもなくシャルルを体を張って守ってくれたのは彼女なのだ。
 真っ赤な髪と、金色に光る瞳に兵士たちがおののいたのも無理もない。彼らは突然敵として出現したメイドたちよりも、馴染みのほとんどない亜子のほうに注目してしまったのだ。だから動くのが遅れた。
 明かりのない廊下をひた走る。向かうのは北の塔だ。兄の安否を確かめなければならない。しかしこの選択は合っているのか?
 自分は兄の身代わりとして敵を引き付ける役目なのだ。だが肝心の兄が殺されたのでは意味がない。
「殿下! おれっち、アトの援護につく!」
「!」
 マーテットが並走しながらそう言うが、迷った。
 城のメイドたちがなんらかの理由で反旗をひるがえした今となっては、誰が味方で敵かわからない状態になっている。
 『ヤト』の者たちは血の呪縛で今、シャルルを裏切ることはできなくなっている。そんな相手を傍から離していいのか?
「良い。許す!」
「あいよ!」
 すぐさま引き返していくマーテットを少しだけ目で追い、シャルルは前を向いた。一度は亜子に助けられた命だ。だが……。
 メイドの数など知れたものだ。一緒に逃げる兵士以外は、残って戦っているだろう。
(使用人に化けていたのか?)
 だとしたらとんだ失態だ。
 シャルルはギュスターヴの迂闊さを呪いたくなった。だが考えを改める。
(わかっていたとしたら?)
 王宮内にいる間者が手引きしていたのは、きっとわかっていたのだ。蓮国からここまで少数とはいえ移動するとなると、大掛かりなものになる。
 帝国を敵に回すことを、小国の連中はなんとも思っていない。無闇にこちらが手出しをしないことも理由にある。
 隣国との境目には軍の小部隊が駐屯しているが、それでも戦いを挑んでくるほどだ。通常、『前線部隊』と呼ばれる部隊である。
 困惑するシャルルに考える時間はない。兄の身代わりに殺されるべきなのは、わかっていた。
(「血の呪縛」で確実にこちらの居所がバレてしまうからな……)
 兄と同じ血が流れている者を狙ってくるのはそれが理由だからだ。もちろん、シャルルの命は守られるべきものだし、兵士たちも守ろうとするだろう。だが、優先順位は皇族の中では低い。
 兄の身代わりにされたのは、魔力と生命力が強いから、敵を引き付けるいい囮になると算段されたからだ。
 皇帝がまだその位にいるのなら、世継ぎなどいくらでも作れる。シャルルたち皇子は結局は駒にすぎないのだ。
 背後からの追っ手に、一人、また一人と兵士たちが減っていく。相手の人数がわからない分、シャルルは圧倒的に不利だと考えた。
(何が起こっている……?)
「殿下、お逃げくださ……」
 声が途切れた。すぐ背後の兵士のうめきが聞こえる。だが振り返って立ち止まることは許されない。
 北の塔にまっすぐ向かっていていいのだろうか? 迷いがどうしても消えない。兄は無事なのか? 殺されたなら追撃はないから、きっと生きている。
 ああ、そうか。
 唐突にシャルルはすべてを理解してしまった。
 ギュスターブはこの機会に、王宮内に居る敵国の間者のあぶり出しにかかったのではないだろうか? 一掃するために『ヤト』を集め、シャルルの命を使うことにした。ならば、納得できる。
 逃げ回るだけの役柄を演じろと?
 そしてみっともなく殺されるのか?
 笑いが浮かんでくる。
 第二皇子としてある程度の自由は約束されていたが、兄があまりにも束縛されているから絶望もしていた。いつかあの場所に自分も立つのだとわかっていたからだ。
 こういうシナリオは予想していなかった。
(そうだな……トリッパーを拾うなども、思ってもみなかった)
 あの少女の無事を祈ることしかできない自分を情けなく思う。
 広間から無理やり連れ出される瞬間まで、シャルルは亜子を見つめていた。彼女はこちらを一度も見はしなかった。まっすぐに敵だけを見ていた。
 あの揺るぎない眼差しを、いつ手に入れたのだろう?
 あれだけ隠すことにしていた異能も、あっさりと周囲に知らしめた。それは……シャルルを守るためだ。
 血の呪縛もないのに、なぜだ。
(アガット、生きていろ……)
 余は死ぬ。これは決定事項だ。
 そう思った刹那、背中に鋭い痛みが走った。矢が突き刺さったのだ。
 足がもつれる。それを隣の兵士が支えた。まだ走れる。大丈夫だ。


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