Barkarole!U シャングリラ11

 再三の書状にルキアは舌打ちをした。持ってきたオスカーが「おい」と思わず声をかける。
「奥方はそのまま馬車で送らせる。おまえは王宮に来るんだ」
「殿下と一緒にですか」
「当然だろう」
「…………」
「今回の任務を忘れたわけじゃないよな?」
 促され、ルキアは頷く。
「しかし失態ですね。ここは帝都ですよ?」
「確かにな。こんな中枢部で活動されるのは、失態以外のなにものでもない」
 時刻は昼になろうとしていた。だが来訪したオスカーは懐中時計を見て「ううむ」と唸る。
「殿下にはもう少しあとで面会するか。あとでまた来る」
「二度手間ですね、少佐」
「嫌味か!」
 キーッ、と苛立つオスカーに、ルキアはきょとんしてみせた。
「嫌味? 真実しか言っておりませんが」
「ああそうだな! ああそうだよ!」
「少佐、時々わけのわからないことで自分を怒るのは、新たなストレス発散法でしょうか?」
「ぎぃー! ほんといらいらするわ、おまえ!」
「落ち着いてください、少佐。血圧があがりますよ」
「あげてるのはおまえだぁー!」
 人差し指を突きつけられ、ルキアは呆れたように目を細める。
「他者を指差すのはあまり褒められたものではないですよ、少佐。それに、自分は少佐の血圧をあげる魔術は存じてません」
「相変わらずアホでいらいらするっ」
「はぁ」
 疑問符を浮かべているルキアに、オスカーは悔しげな顔を向けた。彼の中でなにか激しい葛藤があったのは、充分に伝わる。――ルキア以外には。
 密室と化している馬車の中で、ルキアは行儀よく座っている。もちろん、どこかに移動しているわけではない。内密な会話を交わすために、馬車を利用しているのだ。
 オスカーは広げていた地図をくるくると丸めてしまうと、ぼそりと呟く。
「フレデリック殿下もまめだな」
「そうですね」
「……あまり嫌ってやるなよ。あの方は次期皇帝だ。仕方ない部分もある」
「嫌っていませんよ。姿を見ると不愉快な気分になるだけです」
「……あ、そぅ」
 大真面目な顔で言うなという表情のオスカーだったが、疲れたように嘆息しただけだった。
「では殿下を連れていったら、迎撃準備に入ります。いいんですか? 辺りが火の海になりますよ」
 平然と言うルキアに、オスカーは苦笑するしかない。
「ほんっとおまえってこういう時はすげー頼りになって、怖い男だよ」



「王宮に避難する?」
 突然のことに驚いたのはシャルルだけではない。亜子もだ。
 亜子は壁際でシャルルから目を離さないようにしていたが、来訪したオスカーとルキアが並んで皇子と対峙しているのは明らかに異常事態だった。
「避難とはどういうことだ」
「申し訳ありません。緘口令が敷かれております」
「余は第二皇子ぞ!」
「我らは皇帝の勅命で動いておりますゆえ」
 オスカーが淡々と言う。ルキアは黙ったまま、なにか考えるように視線を少し伏せていた。
(奥様のことでも考えてる……ようには見えないけど)
 ルキアがちらっと亜子を見た。そして小さくなにか呟く。それだけでも、亜子には聞き取れる距離だった。
(え?)
 驚く亜子は押し黙ったまま、今の言葉の意味を考えてしまう。
(トリシアさんを護衛しろってどういうこと?)
 確かにシャルルの護衛にはルキアやオスカーがつくのだから、亜子よりは頼りになる。けれどなんだかおかしい。
 容姿の目立つ亜子が部屋を出て行くとばれてしまう。だから今は我慢だ。ルキアを問いただす時間はないと考えたほうがいいだろう。
 オスカーは早々にシャルルをこの屋敷から出て、王宮へと行くように促している。シャルルは彼らから少しでも情報を得ようと言葉巧みに応じているが、頑としてオスカーは喋ろうとしない。
(そうだ……『ヤト』の人たちは皇帝の部下で、殿下の部下じゃない)
 やきもきする気持ちのまま、結局シャルルが承諾する形でその場はおさまった。
 部屋を出た亜子はすぐさまトリシアの元へと向かう。彼女は馬車に乗り込むところだったらしく、亜子は慌てて玄関ホールを突っ切った。
 だがそこで兵士たちに邪魔される。いつもは無視されるというのに。
「コナー、どこに行く!?」
「? どこって……」
 槍で脅されるように行く手を阻まれた。亜子はムッとして二人を睨みつける。
「ルキアさんの奥方に挨拶をしに行くんです。それだけ」
「だとしても通すわけにはいかない。今から殿下はこの屋敷を出られる。不審な動きをした者は捕縛するように命令が出ている」
「? は……?」
 意味がわからなかった。
「ファルシオン夫人にはお世話になったからお礼を言うだけです! なんで邪魔するんですか!?」
 この警戒よう……。亜子は二人を押しのけて玄関扉を開いた。今まさに馬車に乗ろうとしているトリシアと目があった。
 彼女は不安そうにしていたが、護衛の兵士が二人も付き添っている。
「アガットさん」
「トリシアさん、あたしも行きます」
 そう言うなり、トリシアの手をとって囁く。
「ルキアさんからあなたを頼まれました」
「え?」
 どういうこと? と首を傾げるトリシアと共に馬車に乗り込む。玄関を守っていた守衛は追ってはこなかったが、なにか妙な気配をまとっていた。
 敵意だ。いつも向けられる感情じゃない。

 馬車と平行するように護衛兵が馬に乗っている。馬車の中にいる亜子は瞼を閉じ、外の会話を聞き取ろうと必死だ。
 なにかが起きている。いや、起きている最中だったのではないか?
 来訪したフレデリックの意図は? そしてルキアの言葉の意味は?
 わけがわからない。だけど考えないと。
「おかしいわ」
 トリシアが揺れる馬車の中で呟いた。
「なにがですか?」
「帰り道を走っていない」
 外を見ずともわかっているらしいトリシアに、亜子は御者たちの言葉を拾うべく耳を澄ます。彼らは会話すらしていない。
 だが確かに彼らは発汗しており、緊張をはらんでいる。ただ送り届けるだけならこれほど緊張することはないはずだ。亜子がいるからか?
「屋敷に向かっていないわ」
「どこへ向かっているかわかりますか?」
「わからない……」
 青ざめるトリシアの掌を握り、安心させるように言う。
「あたしはルキアさんから頼まれたんです。必ず安全にあなたを帰します」
「アガットさん……」
「任せてください」
 言い放ったのはいいが、いい案があるわけではない。御者も含めて、全員敵に違いない。
 トリシアは彼女の屋敷ではなく、違う場所に移動させられている。
 いつ動けばいい? いつ――!?



 質素な馬車が用意され、シャルルはそれに乗り込んだ。乗り込むのはオスカーやルキアもだ。
 影武者は別のルートから王宮に向かうことになっている。
 ルキアが玄関ホールの守衛たちをちらりと見遣り、それから不機嫌そうに顔をしかめた。
「どうした、ファルシオン?」
 ルキアがあまりにも殺気立っているので、シャルルが尋ねるとオスカーが苦い顔をした。
(デライエめ。ファルシオンに何か隠している、いや、バレたのか)
「心配いりません、殿下」
 ルキアはうっすらと笑みを浮かべる。ゾッとするような美貌だ。思わずシャルルはオスカーを見た。
 オスカーは溜息をついて、ルキアの肩を叩く。それだけでなにか通じるものがあるのだろう。ルキアは笑みを引っ込めた。
 移動は迅速におこなわれた。そもそもこの屋敷は王宮とはそう遠く離れていない。
 馬車内は重苦しい空気で満ちている。発しているのはルキアだ。いつも笑顔の彼がこういう態度をとるのは、何かがあるからだろう。
「ルキア」
 さすがにオスカーが注意するが、ルキアは彼を睨むだけで応えない。相当に腹を立てているようだ。
 シャルルも落ち着かなかった。
(アガットの姿が見えない)
 彼女のことが気になるが、口にすることを躊躇われた。彼女を王宮にまで連れていくことはできない。
 だが屋敷に残してどうする?
 亜子が屋敷の者たちによく思われていないことはわかっているが、彼女を不気味がっているのも知っている。
 明らかに見た目が違うのだから、トリッパーだと思われているだろう。今は自分の力で守ってやれるが、いつまでもそうしてはいられない。
(なぜ傍にいない!?)
 非難がましく思ってしまうシャルルは、膝の上の拳を握る。
 この手には、やはり何もないのだ。

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