Barkarole!U シャングリラ8

 ドアの外で立ち止まったシャルルは会話の途中でぎょっとしてしまう。
「ルキアさんは、殿下の味方なんですか?」
 その問いかけはシャルルに苦いものを思い出させる。王宮の中で、シャルルの『本当』の味方など、存在はしない。
 それを、知っている。知っていても、どうにもならないことも、知っている。
(なにを訊いているのだ、アガットは)
 背後の医者がおろおろしているが、それどころではない。ルキアにこの問いを、シャルルは以前もしたことが何回もある。
 この男は誰にでも平等だからこそ、味方になってくれれば心強い。だが、彼の心を変えたのは彼の妻だけだ。
「いいえ。自分は妻と家族と、民の味方です」
 ……ほらな。
 はぁ、と溜息をつきたくなる。
 ドアをノックしようと拳をあげた時、亜子の声が非難がましく響いた。
「じゃあ殿下の味方はどこにいるんですか!」
「どこにも」
 ルキアは真実だけを口にする。
 それがどれだけ残酷なことでも。
「そんな……! そんなの酷いです!」
 ひどくは、ないのだ。それが当たり前なのだ。心の底から信じる相手を作ってはそれは油断になる。命取りになる。それが王宮というところなのだから。
「酷い、ですか。ではどう思います?」
 からかうような口調のルキアに、シャルルは困惑する。どうしたのだ? ルキアはこういう男ではなかったはずだ。
 他者の心の機微に疎いルキアがお節介をすることは、稀だ。いや、見たことがないと言ってもいい。……シャルルが知らないだけかもしれないが。
「味方を、作ってあげたいです」
 信じられないものを聞いたシャルルは、硬直してしまう。
 だれの? みかた?
(ハ?)
 尊大な態度を忘れて、思わず素で内心、洩らす。
「あなたは味方にはならないのですか」
「よせ!」
 衝動的にドアを開いて会話を遮る。ルキアはわかっていたかのように立ち上がり、振り向いた。その可愛らしい笑顔の裏が見えないので、おそろしい。
 亜子は気配に気づかなかったことにショックを受けたようで恐縮している。
「ファルシオン、アガットは」
「あなたの護衛ですが?」
 さらりと!
 怒りに頭に血がのぼりそうになる。シャルルはこの男のことは気に入っているが、こういうところは大の苦手だ。
 ルキアは「ああ」と懐中時計を見た。第二皇子の前で、なんという不敬なやつだ!
「あ、あの……怪我人は?」
 すぐ背後の医者の声に、存在を忘れていたシャルルは思わず飛び退いた。



 大事をとって、この日は早々に屋敷に戻ることになった。帰りの馬車の中で、ルキアはシャルルにくどくどと文句を言われていたが、にこにこと笑顔で聞いていただけだった。本当に理解しているのかわからない。
 屋敷へと戻ると、ルキアは書斎まで来てから今後の用件を尋ねた。
「今日の一件から、アガットは充分に戦えると判断しました。あとは幾つか実戦を重ねればいいと思いますよ」
 気軽に言うルキアに、亜子は青ざめる。実戦? 誰かとまた戦うというのか? またあんな痛い思いを?
(冗談じゃない……)
 気分が悪くなるが、ルキアに言われたことを思い出す。
(逃げてばかりはいられない)
 だったらどうしろっていうんだ! 方法を教えてくれたっていいじゃないか!
 そこまで悔しく思って、我に返る。
(そう、か……)
 手を差し伸べてくれたのが、殿下だった。忘れていた!
 あの日の晩だって、彼が亜子を「立たせてくれた」のだ。方法を、道を指し示してくれるのだ。
(どうしよう……)
 泣きたい。
 じわりと涙が浮かんでしまった。なんとか誤魔化そうと顔を俯かせていると、二人は気づかないようで話が進んでいく。
「そもそもなぜ今日はガイストに頼んだ? おまえが相手になれば……」
「妻に目立つなと言われておりますので」
「おまえというやつは……」
「それもありますが、なんでしたらやってみせましょうか。ちょうどここには三人しかおりません」
 カーテンをさっと閉め、ルキアは窓から外を見遣った。その赤い瞳にヴン、と魔法陣が浮かび上がる。
「狙っている射手などはいないようですね。では」
 窓際から離れてから、彼は俯いている亜子に近づいてきた。視界に入ったルキアにぎょっとして、亜子は慌てて袖で誤魔化すように目元を擦った。
「す、すみません。ゴミが」
「ああ。いいですよ。
 アガット、では異能を発動させてください」
「は、は?」
 きょとんとする亜子に、ルキアは微笑む。
「殺しますよ」
 冷汗がどっと出た。ルキアは本気だ。本気の殺気が向けられている!
 亜子の本能が反応し、髪が真っ赤に染まって瞳が瞬時に金色に変わる。窮屈そうに尻尾が垂れて、彼女はルキアに襲い掛かった。排除しなければならない!
 振り上げた手の爪があっという間に伸びて硬質になる。首を切り裂くつもりでの攻撃を、ルキアは「ははっ」と笑ってかわした。たった一歩で、だ。
 右半身を後方にずらしただけの動きに驚いたのもつかの間、亜子は攻撃を切り替える。ならば、とぐっ、と両足を広げて身を低くし、体勢を変えた。ルキアが「おや?」と不思議そうにする。
 重心を下げた状態からの蹴りだ。ルキアの身長では避けきれまい!
 ルキアはぎょろりと視線を動かし、蹴りが飛んできた方向へと左腕を立てた。同時にそれを支えるように右腕も使う。
 彼の身体が軽く浮かぶ。やった、と思ったが詰めが甘い。そのことに気づいたのは、ルキアが薄ら笑いを浮かべていたのが見えたからだ。
「殺す気でかかってこないといけませんね」
 こちらは殺すと言っているのに。
 気づけば胸元に何か強い衝撃がきて、亜子は床に叩きつけられていた。
 呼吸が難しくて咳を何度かしてしまうが、追撃はない。顔をあげると、ルキアが手を差し出していた。
「すみません。少し強くし過ぎましたか」
「ルキアさん……」
 立たせてもらってから、ルキアがにっこり微笑む。彼が見かけ以上に油断ならず、そして強いことははっきりした。
 だがヒューボルトとの対峙に感じた時よりは緊張感がない。なぜだろう? ヒューボルトには決して勝てないと最初からわかっていたのに、ルキアは倒せると心のどこかで思ったのも確かだった。
 ……何が違うのか、今の亜子にははっきりわからない。
「自分ではこの程度です、殿下。相手にはなりませんよ」
 どこが? という顔をする亜子と違い、どうやらシャルルにははっきりとヒューボルトとの差が「見えた」らしい。
「……そうだったな。おまえが体術にも優れているとはいえ、魔術師だ、ということを忘れそうになっていた」
「聡明な殿下で助かります。体術の訓練にはヒューボルトの部下を使ったほうがよろしいでしょう。剣の扱いでしたらロイが手頃でしょう」
「スペンドも『ヤト』の一人だろうが。陛下の部下を数人も扱っては兄上から苦情がくるぞ」
「短期間でやればよろしいでしょう。とはいえ、本人の覚悟がなければ無理でしょうけれど。ロイもヒューボルトも、彼女が軍属になるなら喜んで手を貸してくれるでしょうね」
 シャルルが真っ青になる。しかし亜子にとっては驚愕の道だった。
「あたしが、軍人に?」
「そうですよ」
「なれる、んですか?」
「? トリッパーに職業規制があるという法律はありません」
 そ、そういう問題ではないと思うのだが……。
 亜子はおずおずと尋ねる。
「でも、あたし……あの、軍人は貴族の方が多いと聞きました」
「そうですね。比率では9割以上が貴族出身ですが、何か問題でも?」
 どうでもいいように言うルキアに、シャルルは絶句している。なぜ彼がこんな顔をしているのかわからない。
「ファルシオン、アガット……もうよい。さがれ」
 静かに、重く呟くシャルルに亜子は驚いた。シャルルは二人に背を向ける。それはどう見ても、拒絶だった。

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