Barkarole!U シャングリラ7

 訓練場に立つのは二人。一人は純白の軍服。一人は黒と赤を基調にした独自の制服の少女。
 この対決に周囲がざわつかないはずがない。まるで見世物だ。
 亜子は羞恥と嫌悪でいっぱいになりながら、対峙するヒューボルトを見遣る。
 彼はただそこに突っ立っているのに隙というものが存在しない。
「どこからでも攻撃をしてきなさい」
「……と、言われても」
 反論する亜子に、彼はそこで初めて表情を動かした。
「ルキアの話では、シャルル殿下の護衛を暫定的にしているとか。腕には自信があるのではないのですか?」
「…………」
 じり、と足を少しだけ後退させる。勝てる気がまったくしない。どうすればいい?
 異能を使えば自分がトリッパーだと明かすことになる。アレは切り札だと今の亜子にもわかる。むざむざさらすことはない。
 今のこの姿でも殿下を守れなければ意味がない――――そこまで考えて、亜子は呆然とした。
(なに、それ)
 なんだそれは。
 自分はいつから護衛気分に浸っていたのだ。トリッパーであるから特別視をされ、その異能のおかげで護衛に引き立ててもらった。
 視線を、こちらを腕組みして見ているシャルルに向ける。
 彼を命がけで守りたい? いや、自分の命のほうが大事だ。なのになんだこの感情は!
「余所見とはいい度胸ですね」
 ゾッとしたのと同時に避ける。上体を反動をつけて反ったのだ。体の柔らかさがなければできない芸当だったため、周辺の兵士たちから「おお」と感嘆の声があがる。
「しかしその体勢では避けられない」
 ヒューボルトの容赦のない拳が無防備なみぞおちに落ちた。思わずそのままの体勢でどしゃ、と地面に「落ちる」。
「ぐっ、げほっ」
 腹部をおさえて涙の滲む目でヒューボルトから距離をとる。だめだ、素早く動けない。
(体力が足りないんだ)
 攻撃がくるのが見えているのに。
 紙一重で避けたが、次の攻撃を受けてしまう。片腕で防御したが、亜子は見事に吹き飛んだ。
「ふむ。良い目をしていますね。なかなか筋がいい」
 地面の上を滑り、擦り傷を作りながら亜子はその声を聞いていた。
 あたしはこんなところで何をしているのだろう。
(こんな痛くて苦しい思いまでして)
 また我慢するの?
 ガマン?
 亜子はぼんやりとした瞳のまま立ち上がる。
 そこに憎悪がぼんやりと浮かんだ。ざわざわと髪の色が焼けるような赤色に変じていく。
「そこまで!」
 ルキアがそう言って、間に入った。ハッとして亜子は勢いを鎮める。ほー、と長い息を吐いた。
 シャルルが亜子に駆け寄ってきた。体が沈みそうになる亜子を支えてくれる。
「殿下……」
「すまない」
 ……なぜ、あなたがそんなに苦しそうな顔をしているの?
 不可思議になりつつ、痛みでずるずると足をつこうとする亜子を庇うようにルキアがヒューボルトに終了を宣言した。
「15分経ちました、ヒューボルト」
「しかし、時間をもう少しなら延ばせますよ。なかなかいい兵士になることは、保証しましょう」
「ヒューボルト」
 静かにルキアが名前を言うと、彼は肩をすくめて背を向けて去っていった。
 ルキアは身をひるがえすとすかさず亜子たちのもとに駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか」
「ファルシオン! ガイストを相手にするなど馬鹿が過ぎるぞ!」
「彼女の戦闘能力がどのくらいか判断しかねたものですから。ヒューボルトの様子だと、充分合格点にはいっているでしょうね。ただ、スタミナ……体力と筋力が圧倒的に足りません」
 叱責されてはいるのに、ルキアの視線は亜子から外れない。
「よく我慢しましたね、アガット」
「? ルキ、アさ……」
 彼は微笑んだ。
「異能を使わなかったでしょう? ぎりぎりまで」
「っ」
 気づかれていた!
 驚愕する亜子をシャルルが横抱きにして抱えあげた。
「もういいっ! 医務室へ行くぞ、ファルシオン」
「はい」

 痛みに顔をしかめながら、亜子は駆けるシャルルを見ていた。この人は何を考えているのだろうか?
(あたしを戦えるようにしたいのかな……)
 真意がわからないから、余計に混乱する。はっきり言ってくれたほうがましなのに。
 医務室は空っぽだった。シャルルはベッドに亜子を下ろすと医者を呼んでくるとルキアの制止もきかずに出て行ってしまう。
「やれやれ。いつからあんな性格になったのでしょうか。慌てずとも良いのに」
 のんびりと言うルキアは、腹部をおさえてうずくまっている亜子に近づく。
「残念ですけど、自分は治癒系の魔術は不得意なんです。それに、あなたはトリッパーで、どちらかといえば肉体に影響が強く出るタイプとみました」
「?」
「痛いのは少しだけ。傷をご覧になってみてください」
 ルキアの言われるまま、少しだけ上着をめくってみる。痣になるであろうほどの傷が、みるみる消えていくではないか。
「あれでもヒューボルトはかなり手加減をしていましたからね。傷が残るほどとは考えにくかったものですから」
「で、ではなぜ殿下におっしゃらないんですか!」
「あなたと二人で話がしたかったからです」
 ? どういうことだ?
 不思議そうにする亜子に、ルキアはいたずらをする子供のように無邪気に微笑んだ。
「あなたは随分と殿下に振り回されているように見えたので、休憩と……助言です」
「ルキアさん……」
「事情は殿下から聞いていますよ。内密にしろとのご命令なので、どこかに洩らしたりはしません。
 あなたは、身を守るすべがない」
 ぎくり、とした。拳を握り、うなずく。
「自分の友人にもトリッパーがいますけど、彼も苦労したようですよ。この世界に来るトリッパーはみな、苦労するのでしょう」
「…………」
「トリッパーは希少種ゆえに、命をとてもよく狙われるのです。ですから、見知ったよしみで殿下はあなたに命を守るすべを与えようとしているのでしょうね」
「そう、なんですか?」
「さっきも、慢心していたでしょう?」
「慢心……」
 言われてみれば、訓練している兵士たちを見てもまったく怖くなかった。けれど、下町で会ったあの褐色の肌の男には怯えたのだ。
 自分の異能があるから、という慢心があっては……いざという時に油断してしまう。頼ってしまう。
 トリッパーは異能を隠さなくてはならないのだから……。
「……優しいんですね、ルキアさん」
「ふふっ。妻にもよく言われるんですけど、優しくはないと思います。むしろ、残酷だと言われますよ、皆にはね」
「残酷、ですか」
「本当のことしか言いませんからね。今だって、殿下の心中を勝手に話しています。その意味が、わかりますか?」
「……いいえ。教えてください」
「あなたに与えられた猶予は少し。あなたは選ばなくてはなりませんからね、その選択肢を増やしたかったのでしょう」
「選ぶ……。職業、ですか」
「そうです。地学者になるのもいいでしょう。多くのトリッパーはなっています。ですが、旅には命の危険が伴う。どこにいても、です。
 どの職業でもあなたは異質な者として生きていくことになる。あなたは……弱い」
 きっぱりと言い放たれ、亜子は唇を噛み締める。そうだ、弱い。自分は弱い。
 こうもはっきり言われたのは初めてだ。
 残酷だと言われる理由がわかる気がする。ルキアは嘘をつかない代わりに、聞きたくないものも口にするのだろう。
「逃げてばかりはいられないことを、殿下は身をもって知っていらっしゃいますから」
 まるで味方ともとれる言い方に、亜子は呆然としながら尋ねた。
「ルキアさんは、殿下の味方なんですか?」
 彼はちょっと驚いたように目を見開いて、砂糖菓子のようにふんわりと微笑んだ。
「いいえ。自分は妻と家族と、民の味方です」

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