Barkarole!U シャングリラ6

 亜子は2日間ほどルキアと共に行動することとなった。というのも、彼に訓練を受けるというのが名目だった。
 その間のシャルルの護衛は亜子が抜けた状態……つまり、前と同じということだ。
 亜子はあんな目立つ軍人と二日も一緒かと思うと気が重くなった。なにより、シャルルの兄に歯向かった形になったのだ。何かお咎めがあってもおかしくない。
 シャルルの護衛として過ごせるのは七日間。あと三日しか残っていない。
 焦りが生まれる中、貴重な2日をわけのわからないものに使いたくなかった。しかしシャルルの命令を断ることなどできるはずもない。
「アガットは軍人になりたいんですか?」
 にこっと笑顔を向けてくるルキアにぎょっとして、考え事をしていた亜子は慌てて返事をする。
「あ、いえ、そういうわけでは……」
「そうですね。トリッパーで軍属になったという人は聞いたことがありません」
「……ルキアさんは、あの、偏見とかないんですね」
 彼は亜子を興味の眼差しで見たりしない。それは初対面からそうだった。
「偏見、ですか。そうですねぇ……まあ興味はありますけど、それは任務とは無関係ですから」
「え?」
「今は任務中なので、私情はなるべく挟まないようにしておりますよ」
 微笑む少年を、不気味に見る亜子だった。なんだろう……この人物は。
「ルキアさんて、その、魔術の天才って聞きましたけど、あたしは魔術を教わるんでしょうか?」
「うーん。まあ確かに魔術師が攻撃してきたら、魔術で対抗しなければならない時はあるでしょうけど、殿下はあなたにはそんなことは望んでいませんよ」
「は?」
「ああ、着きました」
 がたがたと揺れていた馬車が停車したと思ったら、ルキアがばたんとドアを開けた。そして手を差し伸べる。
「さ、どうぞ」
「ど、どうも」
 こんな扱いをされたことのない亜子はどきどきしてしまう。
 手を添えて降りたそこは、なんとも……。
(え。なにここ。えっと?)
 表現しがたい。今まで見た洋風の家屋や屋敷とは趣が異なる。ここはまるで……ああ、そうだ。学校、だ。
 ざわり、と嫌な気分になる。
 四角い、特徴のない建物。中央都庁にあるものとは何かが違う。うまく表現できないけれど。
(監獄? 違う……なんだろう。要塞、かな)
 近いのはそれかもしれない。
 立ち止まってまじまじと建物を見上げていると、ルキアが「こちらへ〜」と声をかけてきた。正面玄関にはルキアと同じ純白の軍服を着ている屈強な男二人が門番代わりに立っている。
「こんにちは〜」
 挨拶を笑顔でするルキアに気づいて二人の男は何か強い衝撃でも受けたかのように固まり、青ざめてがたがたと激しく震えて敬礼した。
「ようこそお越しくださいました、ファルシオン少尉!」
「ああ、敬礼しなくていいですって毎回言っているのに」
 面倒そうに言い放つルキアはさっさと兵士の横を通り過ぎる。亜子に続いて馬車を降りてきた少年に、兵士たちが不審な目を向けた。
「ファルシオン少尉、そちらは?」
「知人です」
 嘘は言っていない。
 亜子は冷や冷やしながらルキアではなく、背後の少年を振り向く。フードを深くかぶった平民服を着込んだ彼は物珍しそうにしている。
「し、しかし許可なく入れるわけには……」
「許可の申請がいるのですか? 見学者には門戸を開くのが通例だったはずですが」
 鋭いルキアの言葉に兵士たちが詰まる。
「け、見学者、ですか……?」
「訓練に興味があるようなのです」
「わかりました」
 持っていた槍を下げざるをえなかったのは、ルキアに全責任を押し付ける気だからだろう。実際、ここで何が起こっても監督役としてルキアがついていくのだから下級兵士は文句を言うことはできない。
 ルキアにつられて二人は歩く。
「ほうほう、視察に来た時とは違って雑多だな」
 ……そう、隠密でやって来ているのはシャルルだ。わざわざ顔に泥までつけている念のいりようだ。
 先頭を歩くルキアは小さく笑った。
「まあだいたいが男所帯ですからね。普段から小奇麗になどしてませんよ。殿下が来た時は念を入れて掃除したと聞いております」
「そういうものだろうな」
 頷いて自嘲気味に笑うシャルルに、亜子はなんともいえない気持ちになる。
 この人は皇子だから、結局は上辺だけしか見せられないことも多いのだ。
 玄関を通り過ぎた廊下では笑い合う兵士たちの姿も見える。慌しく書類を運んでいる者もいた。本当に色々な兵士がいるのだ。
「訓練場はまだか、ファルシオン」
「そんなに焦らずともすぐ着きますよ」
 ルキアは指を差す。示した先は窓だ。階段を昇っていくらか進んでいた廊下の先の窓の向こうから、掛け声のようなものが聞こえてくる。
 シャルルはそちらにゆっくりと近づいた。亜子もだ。
 窓から見えた光景は、信じられないものだった。現代の日本では、いや、ただの高校生だった亜子には一生お目にかかれない不可思議なものに違いない。
「……体術訓練か」
 柔道に似てはいるが、格闘技のようにも見える。独特すぎるそれらに亜子はシャルルの言葉を聞きながら様子を眺めた。
 その瞳が金色に鈍く輝く。
(動きが遅い。あれでは、ああ! やっぱり投げられた。あっちは……うん、いい動きだけど、あれじゃあ……)
 観察するだけでいいと思っていたのに、いつの間にか妙なことを考えてしまっていた。ハッとして我に返り、自己嫌悪した。
「次は対魔術訓練か」
「そうですね」
 シャルルの横に立つルキアは腕組みし、瞼を閉じている。眠ってしまいそうな様子もみせるが、彼はうっすらと瞼を開いて軽く嘆息した。
 皇子は苦笑した。
「憂鬱か、ファルシオン」
「それはそうでしょう。あれでは実戦に役立ちませんからね」
 はっきりと告げるルキアに、亜子は不思議そうな瞳を向けた。彼は固かった表情を和らげて微笑むと、それからゆっくりと口を開く。
 整列し、向かい手からの魔術攻撃を受ける者たちの、どこが実戦向きではないというのか。
「魔術師の度合いにもよりますが、小手先の魔術ならあれでよいでしょうが……戦になればあんなもの、嵐の中の木の葉と同じくらいに意味を成しません」
「おまえは手厳しいな」
 シャルルの呆れたような声に、実戦経験があるらしいルキアは目を細める。
「死にたくないならば、と思っているだけですよ」
「おまえの優先順位は民だものな」
「民?」
 亜子の呟きにシャルルは笑ってみせる。肩もすくめた。
「この男は、民を優遇する悪癖があるのだ。軍属の者たちはファルシオンの中では、守るべき者の最下位だ。いや、守る必要も考えておらぬな?」
「悪癖ではありません。義務です」
 きっぱりと言い放つルキアに、シャルルは意地悪く笑う。
「では奥方を人質にとられたらどうする? 民と天秤にかけたらいくらおまえでも揺らぐだろう?」
「揺らぎますが、決断は変わりません」
 亜子は恐怖するしかない。目の前にいるのは幼い少年ではない。彼は軍人で、実戦経験のある兵士なのだ。
(決断は変わらないって……それって、どういうこと?)
 聞いてはいけない。聞いては……。
 ぐら、と視界が真っ暗に一瞬染まる。揺らいだ体に、しっかりと足を床につけて踏ん張った。
 その様子をシャルルが観察していたことに亜子は気づかなかった。
「アガット、あの訓練を見てどうだ?」
「どう、とは……?」
「倒せそうか?」
「…………」
 正直な話、有象無象な輩では話にならないと言わざるをえない。
 黙って目を逸らしていると、彼の手が顎にかかって無理やり顔を向かされる。
「できるか?」
「…………」
 視線を、中庭で訓練している者たちに向ける。その視線がきょろきょろと獲物を探すように訓練する兵士たちの間を動く。
「たお……せ、ます。あそこにいる人たちなら、たぶん」
「ではファルシオン、おまえが相手をしろ」
 ええっ!?
 仰天する亜子に構わずに、シャルルは指名した相手を見下ろした。見下ろされたルキアは不愉快になる様子もなく、笑顔で軽く小首を傾げる。
「自分ですか? 自分より訓練に向いている相手がいますが」
「……確かにファルシオンでは体術に偏りが出るか。では推薦者を呼べ」
「了承しました」
 ルキアはきびきびと歩いて去っていく。その小さな後ろ姿を見送り、亜子は憂鬱な気分で俯いてしまう。
「なぜ戦わせるのかと言いたげだな、アガット」
「殿下……」
「兵士になる気はないのに、なぜだと」
「…………」
 そのとおりだ。シャルルの意図していることがわからない。自分の異能を披露しろと言っているとしか思えないのだ。
 こんな衆目の場で、あの姿に変じろというのか……?
(そんなの、嫌に決まってる……)
 拳を握り締めていたら、ルキアが戻ってきた。白い軍服姿の男がついてきている。髪をオールバックにした、神経質そうな男だった。彼は両腕を腰に隠すようにしている。
「ガイスト! 帝都に戻っていたのか!」
 小声で驚くシャルルはフードを深くかぶる。どうやら見つかってはいけない相手のようだ。
 男は中肉中背ではあるが姿勢がすごく良い。見下ろされるだけでも威圧される。ルキアは彼を紹介した。
「『ヤト』に所属しているヒューボルト=ガイストです。体術なら彼の右に出る者はいません。訓練相手にはうってつけだと思いますよ」
「…………」
 黙ってしまうシャルルを困惑の目で見てから、亜子はヒューボルトと紹介された男を見上げる。彼は観察するように無表情でじろじろと見てくる。
「キミはトリッパーなのですか」
 硬質な声だ。丁寧に喋るルキアとは音の高さも柔らかさもまるで違う。
「違います」
 即座に否定すると、彼は目を細めただけだった。ヒューボルトはルキアを見下ろした。
「15分だ。それだけなら時間を空けられる」
「充分です」
「ではお嬢さん、お相手をしよう」

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