Barkarole!U シャングリラ4

 人は誰もが、他人に期待をし、失望する。勝手に想像して、裏切れば憎らしいと思う。
 亜子は恐怖していた。そっとドアを見る。そのドアが開かれ、お決まりのセリフを言われるのが恐ろしくてたまらない。
 階段をあがってくる音が、足音が近づいてくる。
 怖い!
 そう思った刹那、瞼を開いていた。
 慌てて周囲を見回す。そこは自分に用意された簡素な部屋だった。寝台に寝かされていたらしい。
 汗を随分とかいていた。荒い息を整えていて、亜子は目の前で起きた出来事がフラッシュバックして寝台から転がり落ちるように降りた。
(傷つかないはずがない……)
 殿下にひどいことを言ってしまった。
 謝らないといけない。でも、どうやって?
 亜子はドアの前で立ち竦んでしまう。
 許してもらえるだろうか? いや、そもそも彼は本当に気にしていなかったら?
 また勝手に期待して失望するのだろうか? 身勝手な己に嫌悪した。
 皇子に逆らったのだ。しかも、手まであげてしまった。殺されても文句は言えない。
 覚悟を決めて部屋を出る。廊下は静まり返っていた。だが亜子は足音を聞き取ることができる。
(ん……? 聞いたことのない音だ)
 大勢の足音だが、靴の音が異なる。兵士? でもこの場所を守る兵士たちのものではない。
 その中の一人は足音がやけに静かだ。
(来る!)
 亜子は距離を正確に測って、頭上へと視線を動かした。アーチ状になっている天井だ。これなら。
 壁を蹴って軽々と跳躍し、天井に張り付く。
(……なんか忍者みたい)
 ぷっと心の中で苦笑していると、予想した数分後に真下を通った。天井が高いためにこちらに気づいてはいないようだ。
(足場もあってよかった)
 じっくりと観察する。目を凝らして。
 少し褪せた金髪の青年が先頭を歩いている。豪奢な衣服がまるで殿下を思わせる。しかし……なんだろう? 殿下と違って地味な印象を受ける。
(……?)
 ぞろぞろと数名の兵士を連れて歩いている青年は薄く笑っていた。ぞっとして亜子はその場から動けなくなる。
(な、なに……?)
 なんだろうこの感覚は。
 よくわからない者たちが通ったあと、亜子は静かに床に着地する。
「なかなか見事ですね」
 声にびくっとして振り向くと、いつの間に居たのか美しい少年が立っていた。長い水色の髪をうなじのところで括っている、金縁の片眼鏡をつけた赤い瞳の子供だ。白い軍服を着ているから……軍人?
(き、きれ〜!)
 シャルル以上の華やかさと美貌だ。まるで絵本から抜け出した妖精のようだ。少女のような、それでいて整った面立ちの少年は亜子に近づいてくる。
「アガット=コナーですね?」
「? なぜあたしのことを……?」
「自分はルキア=ファルシオン。皇帝直属部隊『ヤト』に所属する軍人です」
 爽やかな笑顔にくらりと目眩がする。こ、これはすごい威力だ。
(殿下よりすごい子がいるとか!)
 少年は手を差し出している。白い手袋をしている。
「どうぞよろしく」
「あ、は、はい」
 握手するが、なんだか手袋を汚しそうで怖い。どきどきしながら握るとやはり小さな掌だった。
 亜子は怪訝そうにルキアを見る。
「……あの、なんで皇帝陛下の部下のあなたがここにいるんですか?」
 そういえばマーテットもヤトの所属だったような気がしたが、目の前の彼のことが今は一番の問題だ。
 ルキアは妖艶な微笑を浮かべる。
「殿下に帰宅早々呼び出されたのでここまで来たのですが……」
「ですが?」
「面倒なことに巻き込まれそうですねぇ」
 小さく笑う彼は手を放して歩き出す。それは、先程の団体が通った道だ。
「妻にまたお小言をくらいそうですね。べつに面倒事に首を突っ込んでいるつもりはないんですけど」
「つ、妻?」
「え?」
 彼は驚く亜子のほうを肩越しに見て、「ああ」と呟く。
「はい。トリシア=ファルシオン。自分の妻です。3つ年上の可愛らしい女性ですが何か?」
 いやいやいや、そんなことは別に訊いていない。
 ぶんぶんと無言で首を左右に振ると、彼は不思議そうに前を向いてしまう。
(うっそ……。結婚してんの? この年齢で? ど、どう見ても10歳とか12歳くらいにしか見えないっていうか……)
 小学生……?
(小学生でも結婚できるのかな。いや、この世界ならありえるかも……)
 なにせ日本ではないのだ。「あなたの知らない世界」、というやつである。
「あ、あの、ファルシオンさん」
「はい? ああ、ルキアで構いませんよ?」
「じゃあルキアさん、あの、なんであたしのこと知ってるんですか?」
「殿下からの手紙に書かれてあったので。あなたでしょう? 殿下の部屋に現れたトリッパーというのは」
 さらりと言われて、亜子は足を止めた。
 亜子の足音が聞こえなくなったのでルキアも立ち止まって振り向いた。恐るべき、美貌だったやはり。
「違います。あたしは、トリッパーじゃない」
 まずは否定しろとシャルルには言われた。忠実に守ることに意味があるのだろうか?
(あたしはこんなにも、外見が日本人だってのに)
 亜子を見つめるルキアはふんわりと砂糖菓子のように柔らかく笑った。
「そうですね。自分の友人もよくそう言ってましたよ」
「え?」
「ところで、天井に張り付いてなにをしていたのですか?」
「えっ、あ、あれは」
 恥ずかしくなって俯くと、ルキアが歩き出したので慌ててついて行く。
「ちょっと……いつもと違う足音だったから気になって」
「いつもと違う?」
「この屋敷にいる人たちの足音の判別はつくので……」
「それはすごい!」
 褒めてくるルキアに亜子は頬を赤らめた。
「す、すごくは、ないと思います」
「すごいですよ」
 笑顔が愛らしいと亜子は素直に思う。ルキアの笑顔は警戒心を緩める力でもあるのだろうか?
「アガットが先程見たのは、第一皇子と、護衛兵たちですよ」
 さらりと言われて「え?」と亜子は首を傾げた。
 いま、なんて?
(第一、おうじ?)
 確かシャルルは第二皇子だったはずだ。では――――。
 亜子は真っ青になった。
(あの先頭を歩いてた人、殿下のお兄さん?)
 でも似ていない。兄弟と言われても、あまりにも違ってはいなかったか?
 毒を盛られた直後に来訪?
「………………」
 亜子が気づかずに、いや、気づいていたけれど料理のことを口にしていなかったら?
 彼は、シャルルは死んでいた。
 嫌な符号だ。亜子はぐっと足に力を込める。
(そういえばあの時、情報を聞き出せばいいのに殿下はあっさり殺した。それって……犯人を知ってたってこと……?)
「お先に失礼します! 殿下の護衛なんです、あたし!」
 そう言って亜子は駆け出した。のんびり歩いている場合ではないと感じたからだ。

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