Barkarole! ナイトスカー14

 寝台車両の自分が使う部屋のドアを開ける。二段ベッドが二つ並んで、狭い室内を占拠していた。
 すでに下の部分はどちらも先客が使っており、ハルは荷物を抱えて上の段のベッドにのぼった。
 トランクをおろし、これからの旅のことを考える。
 やはり弾丸ライナーを使うべきかと思ったが、弾丸ライナーは主要都市でしか停車しないという悪い点がある。
 今からハルが向かう場所は、主要都市ではない。辺境の森の奥深くにある遺跡の調査をするために行くのだ。
 森の中は完全な歩きになるかもしれないし、運が良ければ馬を貸してもらえるだろう。
 ベッドに横たわり、ハルは別れたトリシアのことを考えた。
 ……何か、言うべきだっただろうか?
 だが言葉は見つからない。
 しょせんはただの添乗員と客だった。それだけだ。
(………………)
 密かに「良いな」と思っていたが……いや、それ以上の気持ちはあったが、それは口には出さなかった。
 ルキアのように素直に女性を口説ければこんな苦労はないのに。
(っ、だいたい! どうやって、なに言えってんだよ!)
 女性は男よりも血の匂いがまろやかで甘い。余計に邪険に逃げてきていたのだ。それにいきなり向き合えというのは無理な話だった。
 展望車もないので、外を眺めることができるのは座席車両と食堂車両くらいだ。今、窓があれば外を眺めていただろうに。
(……ありがとな、トリシア)
 秘密を守ってくれて。一緒について歩いてくれて。心配してくれて。
 どれも、この世界に来て初めてのことだった。
 秘密は洩らされ、誰一人とも関わらず、孤独な旅を続けてきた。そんなハルにとっては、涙が出そうなほど嬉しかったのだ。
 信用できない人間ばかりだと思っていたから、特に。
「………………」
 こんなところまで見送りに来てくれて……。
「……バカだよな、あいつ」
 優しくしてやればよかった。でも、どうしてもできなかった。
 それに、気持ちを伝えても自分は旅を続ける。彼女の負担になることがわかっているのに言ってどうするんだ?
 でもなぜか信頼している。
 彼女はハルの秘密をこれからも洩らさないということを。
 また『ブルー・パール号』に乗れば彼女に会えるのだ。それほど悲観することでもない。
 発車のベルが鳴り響き、アナウンスが流れる。
 そして列車が緩く進行を始めた。

 どれほど眠っただろうか。室内は魔術アイテムのランタンが煌々と照らしていたが、室内の人間は気にした風もない。
 起き上がったハルはトランクから財布と最低限必要なものを簡単にまとめてふところに隠すようにすると、二段ベッドの階段を降りて廊下に出た。
 廊下はしん、と静まり返っている。
 列車内を歩き回るか。
 そういえば医務室が設置された車両もないのだ。どれほど『ブルー・パール号』が快適だったか思い知らされる。
 急いでいたからあの列車を使ったが、それなりに高い賃金をとられた、二等車両でも。
 贅沢な旅はしていけないので、もしかしたらあれが弾丸ライナーを使う最後になるかもしれない。
 自分の足音だけが響く中、あまりにも静まり返っていることにハルは不思議に思った。
(みんな眠ってるのか……?)
 そんな馬鹿なことがあるはずない。
 だが座席車両の客は長旅を覚悟するので、荷物を抱えて座席に座るとほとんどそのまま動かなくなる。最低限の力しか使いたくないように。
 食堂車両にも誰もいなかった。
(珍しい……)
 わりと広めの車両では、なるべく多くの人が座れるようにと席の間隔は狭く設計されている。
 コーヒーを飲んでいる客もいないなんて。
 列車は走り続けている。異変があれば急停車でもしているはずだ。
 ハルは食堂車両を通り抜け、そして座席列車に出た。独特の匂いが占めるこの車両は、ほとんどの座席が客で埋まっていた。
 彼らは動かない。ハルが来ても視線を寄越す者はほとんどいないが……まったくいない、なんてことがあるはずない。
「っ」
 鼻を刺激する異臭にハルが慌てて口と鼻を手で覆う。
(なんだこの匂い……。薬品……?)
 薬品学には詳しくない。だから何が使われたかはわからない。
 純粋に薬品として使う者よりも、魔術の補助として使う者のほうがこの世界には圧倒的に多い。
 ハルは知っている。この『薬品』というものはトリッパーが作り出したものだということを。
 この世界には元々『薬』しかなかった。植物の根や草や、そんなものから作り出した、本当の『薬』というものだ。
(僕たちトリッパーは、この世界を発展させてはいるが……壊している……)
 元の世界でも、自然を壊す一方だった人間の一人だったのだから。
 エコが声高に言われる中、それでもやはり自然は徐々に失われていっていたはずだ。
 ただの高校生だったハルには自然がなくなっていることも実感できず、自分がその世界に何か貢献している気分も味わったことがない。
 だから実感などわかなかった。
 この世界に来て、元々存在していなかった列車や薬品がトリッパーのおかげで作られたと説明された時は複雑な気持ちになった。
 それは……異界から持ち込まれた技術によるものだ。そして、それは『あってはならない』ものではないのか?
 座席車両は4両ある。前へと進み、引き戸を開けて次の車両へと踏み込んだ。
 こちらも薬品の匂いが充満しており、ハルはとうとう外套を引っ張りあげて鼻と口元を覆った。手では防ぎきれない。
(誰かが魔術を使った……?)
 こんな大勢を眠らせるような魔術を? なんのために?
 数時間もすれば全員目覚めるだろう。
 先頭のほうへ近づけば近づくほど、匂いはきつくなる。
 ということは、一番前の座席車両で誰かが魔術を使い、そのまま薬品を垂れ流しているのだろう。
 止めようという正義感が働くわけもなく、ハルはただ前へ前へと進む。
 嫌な予感がしていたからだ。
 ハルが旅に出るまでの間、襲われたのは一度だけ。
 トリシアと歩き回っても襲われることは一度もなかった。それは不自然で、ハルに余計に緊張を強いた。
 無事に列車まで乗ると安堵してしまった。だから、今余計に緊張している。
 ハルを狙ってあの女が来ている。きっとそれは確かなことだ。
 座席車両の先頭までくると、そこにローブの人物が立っていた。前の座席から順番に、顔を確かめているようだ。
「ちがーう」
 間延びした声が聞こえる。間違いなく、女の声だった。
 だがなんだろうこのざわりと、落ち着かない気持ちは。
(やっぱり僕を探している……)
 ラグならこの惨状に激怒しているところだろう。だがハルは基本的に他者に想いをかけない。
「ちがーう」
 そう言って女は向かい合った座席に座る四人を確認して、上体をあげて首を傾げた。
「いなーい。いなーい。なんだぁ」
 ローブの下に隠しているであろう腕をするりと表に出し、苛立ちをぶつけるように手前の眠っている人間の頬をぶった。派手に客が床に転げ落ちる。
「いなーい、いなーい」
 そう言いながら女は今度は次の座席に移動をする。転がった男の腹を踏んで、まるで何もないような仕草で。
 ゾッとしてハルは咄嗟に身を屈めた。長身のためにどうしても完全に隠れることはできないが……。
(サリー……!)
 だが昔はあんな喋り方をしていなかった。あんな、奇天烈な様子でもなかった。
 本当にサリーだろうか?
 今さらのように自分の記憶力を疑ってしまう。
(こんなところまで追いかけて来やがった……!)
 舌打ちしたい気持ちだった。だから嫌なんだ。トリッパーなんて。
 自分は元の世界ではただの高校生で、この世界に役立つような知識なんて持っていない。
 捕まえても、なんの得にもならないのに、いつも命を狙われる。
 そろそろと引き戸を開けてハルは後ろの車両に移動しようとした。
 と、嗅ぎ慣れた匂いに気づいて振り向く。
「……トリシア?」
 小さく呟く。
 なんでここで彼女の匂いがする?
 怪訝そうに眉をひそめ、サリーのほうを見る。彼女は何かを脇に抱えているのか、ローブが大きくふくらんでいた。
「………………っ!」
 あそこ、だ。
 あそこに彼女がいる。
 サリーが連れ込んだのだ!
 よろめき、ハルは腰を抜かしてそのまま後方の車両へと慌てて移動した。
 移動した先で床に座り込み、頭を抱える。
(ここでもあいつを巻き込むのかよ!)
 ハルの呼吸が荒くなる。どうすればいいのかわからない。
 ラグならば剣で戦える。ルキアなら魔術で戦える。だがハルは「戦い」を知らない。
 彼は戦闘訓練を受けた人間ではない。だから、異能を駆使するしか方法がなかった。
 相手の死角に現れてそこから殺す、というのが常套手段だった。
 だがこの狭い列車の、密閉された空間の中で霧で移動するのは危険だった。
 一度外に出て、サリーの油断をつく。
「っ」
 ぶんぶんと首を左右に振る。
 現実的とはいえない方法だ。
 『咎人の楽園』は傭兵だ。腕に覚えがあるから傭兵になっているわけであって、戦闘技能はハルよりも上なのだ。
 あれこれ考えていると、背後で足音がした。ハッとして顔を振り仰ぐと、引き戸が開いた。
「みぃつけたぁ」
 フードの下から真っ赤な口紅を塗った唇が歪むのが見えた。
「!」
 ハルは振り下ろされるナイフを瞬時に見て取り、霧に変化してあっという間に距離をとる。
 車両の、先頭と、末尾。その位置関係で互いに睨みあった。いや、ハルは睨んだが、相手はどうなのか……。
 彼女はその指をこちらに向けてきた。真っ赤な爪を見て、マニキュアのようなものが塗られていることがわかる。
「その外見……。茶の髪に茶の瞳。もしくは、黒の髪に黒の瞳。この特徴を持ちし者、トリッパー」
 淡々と言う彼女の言葉にハルを表情を動かさない。
 肯定も否定もしない。したところで意味はない。彼女は自分を逃がすつもりなどないのだろうから。
「肌の色は黄色。でも顔色が悪いわねぇ」
「…………」
「それに外見変化もない……。ということは、精神損害のほうがひどいのかしらぁ?」
 ぶつぶつと呟き、彼女は近づいてくる。じりじりと後退するハルを追い詰めるように。
「でも危ないじゃないのぉ。あんなところに座り込んでいたら、ついつい条件反射で殺しちゃうところだったぁ。避けてくれてよかったぁ」
 うふふと笑う女にハルは背後の引き戸に手をかけてまた次の車両に逃げ込んだ。
 逃げてもしょうがないのはわかっている。耳をすますと、相手がいないにも関わらず、サリーが喋っているのが聞こえた。こちらに近づきながら、だ。
(どうやってトリシアを助ける!?)
 なんで巻き込まれてんだよ、あの女!
 またその車両の末尾まで来て振り返る。ちょうど引き戸が開いてサリーが入ってきたところだった。
 彼女は邪魔そうにローブをばさりと後ろへ遣る。
 やはりだ。
 脇にかかえられているのは意識のないトリシアだった。そしてサリーはフードもとった。
 灰色に近い手入れのされていない長い金髪。ローブの下は動きやすそうな衣服だった。まるでゲームに出てくる女戦士のようだ。
 傭兵だと見てわかる、軽装用の鎧も要所にだけ身につけている。
 サリーは栄養失調なのか、貧相な肉体をしていた。腕や足のあちこちは余計な贅肉がまったくなく、女性らしさが見えない。
 細い、という印象が一番強い。
「この女の知り合いのトリッパー」
「……ああ」
 短く答えると、サリーはにぃ、と笑った。不気味すぎてハルが嫌悪を感じるほど。
 ごとん、とトリシアをその場に落とす。いきなりの出来事に目を丸くしていると、サリーは意識のないことをいいことに、トリシアのきちんと結っている髪をむんずと掴んで軽く引き上げた。
「恋人かぁ? トリッパーは一人で行動するはずだぁ」
「ち、違う! 恋人なんかじゃねえ!」
 否定するが、サリーはじろじろとトリシアを見ていた。
「貧相な女だなぁ。女だけど、売ればそれなりに金になる。連れて行こうかなぁ」
 どうしようかなぁ、と洩らすサリーにハルは動けなくなった。
 『咎人の楽園』は確かにトリッパーを狙ってはいるが、闇の売買に手を染めている。人身売買もその中に入っているのだ。
「関係ねぇんだよ、その女は……」
 搾り出すように言うが、サリーはこちらをじぃっと見るだけだ。
「僕が狙いなのか! なら……」
 と、ハルは引き戸を開けて後方へと走り出した。
 食堂車だ。あそこなら視界が広い。障害物は多いが、人はいないはずだ。
 座席車両の四両目を通った時、添乗員とすれ違った。しまったと思って振り向くが、追いかけてきたサリーがナイフを振り上げた。
 あの、ギザギザのナイフだ。
「邪魔ぁ」
 鋭い切れ味を発揮したナイフに、「あがぁ!」という添乗員の悲鳴が重なった。倒れた添乗員はびくびくと痙攣していたが、首から大量の血を流している。
(うっ)
 血の臭いにやられてはまずい。申し訳ない気持ちになりながらハルは食堂車への引き戸を開いた。

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