Barkarole! ナイトスカー13

 ハルの旅立ちは早かった。
 トリシアと別れて2日後には彼はもう帝都を離れることになっていた。

 彼は準備を整えると、見送りに来たトリシアにちょっとだけ嬉しそうにはにかんだ笑みを見せる。
 彼はブルー・パール号に乗らない。通常の鈍速列車に乗って、各駅停車を見ながら旅をするのだ。
 切符を購入して歩いてくるハルを、先回りして待ちうけていると彼は驚いたが……。
「ばーか。なにやってんだよ、おまえ」
 と、どこか嬉しそうに言ったのだ。声が柔らかく、甘かった。
「心配だから、見送るのよ」
「暇なのか?」
「暇じゃないわ。『ブルー・パール号』はあと3日で発車するし」
 肩をすくめるトリシアに、ハルは笑ってみせた。
「ははっ。おまえも働き者だなぁ」
「…………」
 屈託なく笑うハルなど珍しい。ぽかんとしているトリシアに気づき、彼はすぐに顔を引き締め、頬を赤く染めた。
「見てんじゃねぇよ、ばーか」
「……べつに馬鹿じゃないわ。失礼な物言いは敵を作る要因になるわ。控えたほうがいいわよ、ハル」
「へーへー。お説教はいらねぇよ」
 トランクを持つハルの顔色は良くなってはいない。けれど、やはり気分が上向いているようだ。その理由に自分も入っていればいいなとトリシアは思ってしまう。
 悪意はない。好意を、感じている。
 もしもずっと一緒にいたら……また、二人の関係に何か変化が訪れたのかもしれないが、それはもうない。
 彼はここから出発して、南へと向かう。
「そういえば新しい遺跡が発見されたけど、まだ立入禁止だから次へ帝都に戻った時には解除されてるといいんだがな」
「そうなの?」
 ハルが半眼になる。
「新しい遺跡は続々と発見されてる。知らねぇのか?」
「遺跡が発見されるのはわかるけど、一般人にはあまり関係がないからそんな大々的に知らされないわよ」
 腰に手を当ててそう言うと、ハルは大仰に嘆息した。
「はぁ……。まあいいけど」
「……とてもそうは思えない言い方ね」
 嫌味ったらしく言ってやると彼は怒るでもなく目を細めただけだ。
 目の前に停車している列車には続々と客が乗車していく。鈍速の列車は各駅停車のうえ、寝台車両も限られ、あとはひたすら座席車両になる。
 食堂車両も一つしかなく、混雑するので各駅の売店を利用して食べものを買いに行く人のほうが多い。
 ハルは寝台車両を使うらしい。旅に慣れているようだから、長距離の旅のことには熟知しているのだろう。
 トリシアは『ブルー・パール号』以外には乗ったことがない。気にはなるが、快適さは望めないだろうし、仕事が忙しくて乗る暇などなさそうだ。
 乗車口近くで立ち話をしている状態のトリシアとハルは、それでも人目を気にしなかった。
 帝都の駅には人が多い。誰も彼もが急いでいるため、他人に構っている余裕などないのだ。
「元の……世界に戻る手がかりが見つかるといいわね」
 そう、小さく言うとハルが「ああ」と小さく頷いた。
 その表情には、諦めがある。一緒に行って、手伝いたかった。
(……この人は、本当はすごく一人で居るのが嫌なはずなのよ)
 けれどトリシアにはやはり踏み込める勇気がない。嫌われたくないという思いもあったが、邪魔になりたくないと思ったのだ。
(ん? 嫌われたくない?)
 不可思議になりつつ、トリシアはハルの荷物を見遣る。
 右手に持っているトランクはそこそこ大きいが、彼が軽々と持っているところを見ると中にはあまり荷物が入っていないのだろう。
 人間には持ち得ない特殊な能力を手に入れたハルは孤独のはずだ。トリッパーとは、孤独な人のことを言うのかもしれない。
 政府はトリッパー登録をしているはずだが、トリッパーに徒党を組まれるのを恐れているのだろう。
 いちいち遺跡調査の申請書を出さなければならないのは、行き先を把握しておくためと、彼らを不用意に接触させないためのはずだ。トリシアならば、そうする。
 元の世界にハルが戻ったとしても……彼は自分の状態が治る見込みはないと言っていた。だが、きっと彼は諦めないのだろう。
「じゃあな」
 そう言ってハルは列車に乗り込む。
 トリシアは見送り、何も言わなかった。
 ハルの姿が見えなくなると、トリシアはきびすを返して駅を出るべく歩き出す。
 人込みの中をすり抜けようとしたが、どんっ、と誰かにぶつかった。
「あ、すみません」
 謝るトリシアに、ぶつかった相手は小さく笑う。
「こちらこそぉ」
 間延びした声にそっと相手をうかがう。年上の女性だった。
 旅装束の彼女はそばかすの残る顔をしており、頭の右側の髪だけおさげにしていた一風変わった人だった。
 灰色に近い金髪は手入れをされていないらしく、見た目からしてあまり良いとは言えない。
 だがこういった人物が駅には多くいるし、ハルが使う鈍速列車を使うことが多いのだ。つまり……貧民である。
(あれ……?)
 妙な違和感があって、トリシアは彼女を凝視した。
 どこかで会った?
(おかしいわ。私、記憶力はいいほうなのに)
 でもどこで会ったのか思い出せない。
 困惑するが、それを顔には出さないようにして頭を軽くさげて去ろうとした。
 すると腕をするりと握られて、進めなくなる。
(え?)
 まるで蛇が巻きついたかのような動きだった。
 恐ろしくなってトリシアは彼女のほうを振り向く。
「『ブルー・パール号』の添乗員さんでしょぉ?」
「え……?」
 なぜそのことを知っている?
 背筋を悪寒が走り抜け、トリシアは腕を放してもらおうともがいたが、だめだ。女性の腕力は意外に強い。
 彼女は閉じていた瞼を開けた。細目の彼女の両目は視線が定まっておらず、あちこちと動いていた。
「っ!」
 ひっ、と声を呑み込むトリシア。
 普通じゃない……。どこかおかしい。
 声をあげて周囲に助けを求めればいい。これだけ大勢の人間に囲まれているのだ。
 なのに。
 それができない。
 まるでヘビに睨まれたカエルのような気分だ。
 じっとりと手に汗をかいてくる。
 彼女は顔を近づけ、にぃぃ、と笑った。
「あたしの相棒、パーカーが狙ったお嬢さんだよねぇ?」
「っ!」
 ぎくっとして身を強張らせた途端、腹部に彼女の拳がめり込んだ。
 痛みで意識がすぐにブラックアウトする――――。



 倒れたトリシアを抱えて、彼女は駅の中を悠々と歩いていた。
 目的はトリッパーだ。それにこの女はそのトリッパーと一緒にいた。使えるかもしれない。
 けれど自分はあまり考えるのが得意じゃない。
 考えることはパーカーに全部任せていた。
 自分は言われたことだけやっていればよかったのだ。
 それなのに。
 命令するやつが殺されちゃ、だめだよぉ。
「けけっ」
 軽く笑って彼女は長いローブをさっと身にまとう。フードを深くかぶり、ローブの内側にトリシアを隠すようにする。
 そろそろと歩く様子は異常そのものだったが、誰もその様子に気づくことはなかった。
「たぁ〜し〜か〜、グデル行きの列車だった〜」
 ぶつぶつ言いながら目的のホームまで歩く。
 彼女は停車中の薄汚い列車を見てにやにやと笑う。
 列車に乗り込む。そして手近な座席に陣取り、そこでじっと発車の時間を待った。
 この列車にトリッパーは乗っている。……。
(逃げるつもりかぁ? 逃げすものかぁ)
 逃げられないようにしてやればいい。

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