Barkarole! ナイトスカー12

 申請書が受理されたハルは、壁際で待っていたトリシアに気づいて歩み寄ってきた。
「なんだ。まだ居たのか」
 居て悪かったな。
 露骨に顔に文句を出すと、ハルが珍しそうにじろじろ見てきた。
「おまえ、不機嫌な顔もできるんだな……」
「あなた本当に失礼ね!」
 腹立たしさにそう言ってやるが、ハルはやんわりと微笑しただけだ。
 歩き出したハルにトリシアは慌ててついて行く。
「次はどこへ行くの?」
「魔術師のところだ。血液を凝固してもらって、持ち運びをしやすくしてもらう」
 飴玉のように作ってもらうのは、なかなかいい手だろう。
 だが不思議なのは、どこからハルが血液を入手しているかだ。まさか……自分の血ではないだろうが。
 じっと見ているとハルは怪訝そうな顔をした。
「なんだ?」
「……いえ、その血液はどうしたのかと思って」
「輸血用のものだ。病院からわけてもらえるようになってる」
 ああ、なるほど。
(トリッパーだから、政府にその異能とか知られているのね。保護の対象だから、そういう融通もきくのか……)
 納得しているトリシアを一瞥し、ハルは歩き出した。トリシアもそれに続く。

 下町の裏通りを抜ける。ここは南区だ。夜になると娼婦が客を探して道端に立つことが多い。
 娼婦をするにも、職業登録は必要だ。どんな仕事をするにせよ、帝国に居る者はみな、手続きをおこなわなければならない。
 勝手に仕事をしている者は軍に捕まっても言い訳ができないし、許されるべき罪も、許されなくなって死罪になることだってある。
(……そういえばミスター・パーカーは記者だったはず……)
 傭兵として登録されていたなら、兼用で記者としても登録していたにすぎない。
 ハルの世界ではこれを正規職員と、アルバイトと使い分けをするが、この世界では正式職業と、兼業とにわけているだけだ。
(記者で、傭兵……)
 普通は仕事は一つだけだ。他に手がまわるほど仕事がないならともかく。
 傭兵の仕事は多い。それなのに記者を装っていたということは……明らかに相手を油断させるためだろう。
 トリッパーを捕まえる集団『咎人の楽園』。
 けれどもパーカーでさえ生きているトリッパーを見たのはハルが初めてだと言っていたことから、トリッパーはやはりかなり用心深く生活をしているのだろう。
 パーカーは3度ほど、トリッパーの死体を見た。
 このことから、トリッパーはハル以外にも存在しており、今もまだ、どこかにいるはずだと推測できる。
 ちらりと前を歩くハルを見遣った。
(仲間に……同じトリッパーに会いたいってふうじゃ、ないのよね……)
 むしろ関わりたくないとさえハルは感じているはずだ。
 彼は裏通りの細い道を進む。独特の異臭が漂ってくる。舗装もされていないし、このあたりは好きこのんで近づく者がいないからかなり汚い。
 すぐさま看板が出ているのを見つけてハルはその小さな店に入っていった。トリシアも慌ててそれに続いて店内に入る。
 店内はぎょっとするようなものでいっぱいだった。
 干したネズミ。猫の皮も売っている。それに魔術の補助に使う薬品。質の良さそうなものもあれば、濁っていて危ない感じのものもある。
 店は所狭しとそんなものが並べられ、奥のカウンターでは若い男が退屈そうに欠伸をしたいた。
「シェン」
 シェンと呼ばれた男は欠伸の途中で硬直し、ぎょっとしてこちらに視線だけ向けてくる。
 「ああ」とぼやき、彼は欠伸を噛み殺してハルを見遣ってカウンターに頬杖をついた。
 見た目はそれほど悪くない。なぜこんなところで店をしているのだろう?
(親から受け継いだ、と考えるのが妥当だけど……)
 魔術師となるにはそれなりに技術が必要だし、金も必要になってくる。才能があれば無条件で魔法院に入れるが、普通はそうはいかない。
 シェンは帝国人らしい外見をしていた。ハルほどとはいかないが、彼の顔の造作はそれなりに整っている。ただ、髪を伸ばしているのかうなじのところで一つに括っていた。
「ハルか。どした? またなくなったのか?」
「ああ」
 ハルは頷き、輸血用の密閉された袋を取り出す。それをシェンは受け取った。
 瓶も受け取ったシェンは「よっこらしょ」と声をかけて立ち上がり、こちらを一瞥した。
「珍しいなぁ。ハルが女連れなんて。しかもけっこう可愛い」
 可愛い!?
 言われたことに衝撃を受けてしまうトリシアだったが、ハルが不機嫌な声で考えを遮った。
「さっさと仕事をしろ!」
「へいへーい」
 手をひらひらと振って、シェンは店の奥の扉をくぐって違う部屋へと入っていってしまう。
 残されたハルは手近にあるイスを引っ張ってくると、トリシアの前に一つ置き、自分も違うイスに腰掛けた。
「どれくらい待つの?」
「そんなに待たねぇよ。シェンはああ見えて手先の器用な魔術師だから」
「魔術師……」
 ルキアを見ていたせいか、どうにも信じがたい。
 トリシアの表情からそれを察したのか、ハルが嘆息した。
「あのガキが反則級に強ぇだけだっつーの。あれを基準にしたらシェンが泣くぞ」
「……それもそうね」
「シェンは『小細工』が上手いタイプの魔術師だ。魔法院は中退してるが、店を開いているから、それなりの腕はある」
 それを聞いて、それもそうだとトリシアは納得した。
 魔術の品物を売買するだけでも、魔術の知識は必要とされる。職業登録にも、魔術知識の有無を書く欄があったはずだ。
「どうしてルキア様にやってもらわなかったの?」
 おそらくここはハルにとって馴染みの店の一つなのだろう。だがルキアほど強力な魔術師ならば、あっという間にやってくれる作業だ。
 ハルは顔をしかめた。
「あいつらは金を受けとらねぇだろ」
「?」
 意味がわからなくて眉をひそめてしまう。
「裏はねぇだろうさ。ただの厚意だけでやってくれる」
「……そうね」
「でもそれじゃ、こっちが恩を感じて嫌な気分になるんだ」
 唇を尖らせるハルは腕組みして「フン」と鼻を鳴らした。
 つまり、彼らに貸しを作るのが嫌だ、と言っているのである。
(……なにそれ)
 トリシアならば、利用できるものは利用したいと考えてしまう。だが、ルキアは確かに現実的ではない。
 彼は貴族で、なによりも皇帝という雲の上のような存在に仕えている人物なのだ。気軽に頼みごとなどできない。
「シェンは仕事として請け負ってくれるし、基本的に無関心だ。だからここでいい」
 そういえばハルのことも詮索せずにあっさりと仕事を請け負っていた。
 トリシアは周囲を見回す。……どう見ても薄暗くて不気味な店だ。
「よく見つけたわね、こんなお店」
「ふらふらしてたら、シェンが声をかけてきたんだ。買い物帰りだったらしくて」
 ハルはなんでもないことのように話し出す。
「顔色悪いなぁって言われて、うちの店で休めば? って」
「それでハルは中に入ったの、お店の」
「ああ。本気で疲れてたし、歩き回ってると夜だったから女がとにかく声をかけてきて邪魔だったから」
 娼婦たちのことだろう。
 トリシアは血液不足で消耗しているハルが彼女たちを邪険にあしらう様子が想像できて苦笑いを浮かべた。
「シェンが、輸血パックを見て飴玉状にするのを発案したんだ」
「ぱっく?」
「ああ、こっちではそういう言い方しないな。輸血袋のことだ」
「そうなの。ハルの世界では言い方が色々と違うのね」
「でもだいたいの言語は同じだし、使ってる文字も似たようなもんだ」
 ハルの言葉が意外で目を丸くしていると、彼が不機嫌そうにした。
「まさかトリッパーが全然違う言語や文字を使ってると思ってたのか?」
「セイオンもそうだし、そうだと思っていたわ」
 素直にそう告げると彼は大きく息を吐いた。
「まぁそう思うのも無理ねぇけど……。奇妙なことに、ここでは言語も使用文字も僕のいた世界の、僕の国と似てるんだ」
「そうなんだ……」
 ちょうどそう呟いた時に、ドアが開いてシェンが出てきた。時間にして5分程度。早い、とトリシアは思った。
 瓶には半分ほどの高さまで飴状の血液が詰まっていた。
「ほらよ」
 シェンが渡してくるのを受け取り、ハルは代金を渡した。銀貨一枚。かなりの代価だ。
 シェンはにっこりと愛想良く笑った。
「まいどー!」
 笑うと彼はすこぶる受けがいいように見える。なるほど……儲かっていないと勝手に思い込んでいたが、そうでもないのかもしれない。
 彼はトリシアをまじまじと眺め、にっこりと笑顔を浮かべる。どこかルキアを思わせる、邪気のない笑顔だった。
「ようこそ、魔術店『ルベリー』へ!」
「……はぁ」
「リアクション薄っ!」
 がーんとショックを受けたような大仰なリアクションをするシェンだったが、ハルが無表情で冷ややかにそれを見ていることからいつものことなのだとわかった。
「トリシア、気にするな。こいつは女と見ると見境なく口説く悪癖があるんだ」
「おいおいハル! 人を色情魔か何かと勘違いしてないか!」
 ぷうっと頬を膨らませるシェン。見た目はまだ二十代前なので、18か9歳くらいだろう。
 ハルと堂々と話していることから、そこそこ仲は良いようだが……。
(どう見ても『友達』には思えないというか……)
 ハルはあからさまに距離をとっているし、シェンもハルにそれほど興味はないようだ。
 シェンはトリシアのほうに向き直り、にこにこと笑顔を向けてくる。
「なにか魔術で困ったこととか、欲しい品物があったらぜひうちを! 『ルベリー』をよろしく!」
「…………」
 なんだ。宣言か。
 じゃあさっきの「かわいい」発言も真に受けないようにしよう。
 トリシアは「はい」と小さく頷いただけで、それ以上なにも言わなかった。
 シェンは油の差していないブリキ人形のような動きでハルのほうを見る。
「ほ、本当にノーリアクションに近いな……! 手強そう!」
「おまえなぁ……。こいつは僕の連れなんだぞ」
 明らかに怒ったハルの声にシェンがきょとんとする。ハルはトリシアの手を掴み、「ほら」と引っ張った。
「用事は済んだし、さっさと行くぞ。長居する必要はねぇ」
「えっ、ちょ、ハル!?」
 店のドアを力任せ開けて、ハルはさっさと店から出て行く。トリシアも手を引っ張られているので従わざるをえない。
 早足で歩くハルに、なんとか小走りになってついて行っていると、後方でシェンが「またどうぞ〜」と言っている声が聞こえた。
「ハル、いいの? あの店長の人、いい人そうだったけど」
「あいつはアホだからべつにいいんだ」
 ……アホとはまたすごい言い様だ。
(そういえば私のこともバカ女ってよく言ってたわね。ルキア様のこともバカだアホだって……)
 異世界の人はこんな風に口が悪いのかと思ってしまう。ハルだけだと思いたい。
 つまずきそうになった時だ。ハルがぴたりと歩みを止めてからこちらを振り向いた。
「……おまえ、ああいうのがタイプなのか?」
「え?」
「ルキアの時も、名前が可愛いって言われて…………喜んでたじゃねぇか」
 そっぽを向いて洩らすハルの頬は赤い。恥らっているのだろうか?
 トリシアは怪訝そうにしていたが、合点がいった。
「私、異性の好みのタイプとか考えたことがないの」
「あ?」
「お話の中みたいにはいかないし、人にはいい面と悪い面もあって、それをひっくるめて受け入れられるかどうかだと思うから」
 淡々と言うと、ハルは目を丸くして絶句している。
「そりゃ私だって、可愛いと言われればお世辞でも嬉しいわよ。でもお世辞ってわかっているから、浮かれたりしないわ」
「…………おまえって」
 言葉をそこで区切り、ハルは露骨に嫌そうに顔をしかめた。
「かわいくねぇな……」
「…………」
 可愛くない、というのは性格が、だろう。
 はっきり言われるとムッとしてしまうが、当たっているので言い返すのも面倒だ。
 言い返さないトリシアをじっと見て、ハルはばつが悪そうな顔をした。
「…………わるい」
「本当のことだから、謝ってもらう必要はないけど……」
「悪いっつってんだろ!」
「……なぜいつも怒鳴るの?」
 半眼で見遣ると「うっ」とハルが言葉に詰まったように仰け反る。
 そして繋がれたままだった手に気づいて「あ」と洩らしてバッと放す。
 真っ赤になるハルは視線を泳がせ、俯いた。
(……なんでこんなに過剰に反応するの?)
 普通に女性が苦手なのではないだろうか……。
(……まさか私のこと、意識してるのかしら……)
 もしもそうだとして……彼に好かれる要因などあっただろうか? 覚えがない。
 そういう自分はどうなのだろう?
(……うん。まぁ、ハルのことは……嫌いじゃない、けど)
 恋愛感情を持っているかと問われるとわからない。
 トリシアはこの年齢になるまで恋愛をしたことがないのだ。
「ど、怒鳴るつもりは…………ない。悪い」
「…………」
「つい…………」
「つい?」
 耳まで赤い。
 そのことのほうに驚くトリシアだった。

[Pagetop]
inserted by FC2 system