Barkarole! ナイトスカー11

 ハルは次の遺跡探索に行くための申請書を出しに行くというので、トリシアも付き合うことにした。
 『ブルー・パール号』の準備が整うまで、トリシアは自由だ。
 嫌がるハルに無理やりついて行くことにしたのだが、彼は歩きながら小声で言ってくる。
「昨日の女はサリー=ベロニカ」
「? 知り合いなの?」
「ああ。そっくりさんがいなければ、間違いないだろう」
 どういう知り合いかと思ってしまうが、べつに尋ねるべきことではないだろう。黙っていると、ハルが振り向いてきた。
「……おい、どういう知り合いか訊いてこないのか?」
「? なぜ?」
「い、いや、なぜって……」
 戸惑った様子をみせるハルに、トリシアは淡々と告げた。
「私は怪我をしたあなたが心配だからついて行くだけ。無理をしたらすぐに病院に連れて行けるようにね」
「…………」
「ほかのことに興味はないわ。詮索好きではないから」
 誰だって、触れて欲しくないことがある。他人に強いないかわりに、自分にも強いて欲しくないことだ。だからあれこれと訊いたりしない。
 トリシアを見つめていたハルは嘆息する。
「……んだ、そりゃ」
 ぶつくさと文句を言うハルは一気に機嫌が悪くなったようだ。
(……今の言い方、気に障ったのね)
 だが相手は自分より年上だ。遠慮はしない。
 ハルのことは気になるが、それ以上の仲ではない。
(そうよ。私は普通に心配してるだけなんだもの)
 彼のご機嫌をとるようなことをする必要はない。今はプライベートな時間なのだ。
 ハルは乗合馬車を見つけ、トリシアと共に駆け寄って乗り込む。このまま中央都庁まで行くことになるだろう。
 中央都庁というのは、帝国の大事な中枢機関の集まった場所のことだ。旅の申請書や、職業登録もここでおこなう。
 馬車を降りてから、ハルはまっすぐに目当ての建物を見つけて歩く。トリシアがここに来たのは数度だ。
 相変わらず人が雑多として通りを埋め尽くし、建物は味気のない四角い箱型だ。
 職業登録に初めてここを訪れた時、トリシアはこの場所の雰囲気に馴染めなかったものだ。
(なんか、息苦しいというか……)
 トリシアはハルの背中を見失わないようについて行く。ハルは目当ての建物に入っていくと、受付場所に申請書を持って駆け出した。
(急いでも変わらないと思うけど)
 気分の問題だろう……。それに、ハルは早めに処理をしてもらって、すぐにでも帝都を出たいはずだ。
 命を狙われているのだから、当然だろう。
 15箇所ある受付場所の中で、比較的空いている列に並ぶハルを待つため、トリシアは壁際に寄って背をあずけた。
 遠目に見ても、ハルの顔色は優れない。本来なら得なければならない生き血を彼は吸収していないのだ。当然とも言えた。
(生き血かぁ……)
 想像すると、確かに気持ちのいいものではないが……。輸血と似たようなものと思えば怖くない。
(でも列車内でハルはあれだけ輸血されていたのだから、能力をずっと使ってたってことよね)
 でもなぜ? なんのために?
 部屋に引きこもっていればいいのに、彼とは頻繁に会っていた気がする。
(あれ?)
 ふいに気づいてトリシアは眉をひそめた。
 イズル、マハイア駅で迎えに来てくれたのはハルだ。イズルではいないということで騒ぎになったが、マハイアは騒ぎになる前にハルがやって来た。
 トリシアはハッとしてぎこちない動きでハルを見遣る。
(もしかして……私のため、だったのかしら)
 パーカーと遭遇する機会が減ったのも、そう考えると納得できる。とはいえ、夜間の就寝時間までハルは気を配っていなかったのだから、トリシアが魔術にかけられていても気づかなかったのだろう。
(魔術の補助に使っていた薬品に気づかなかったのも、匂いのほうには気をつけてなかったから……?)
 列車内では換気はするが、やはり匂いがこもる。それをハルがシャットアウトしていたら気づけなかっただろう。
 もしくは、血の匂いにつられそうになるのを堪えていたのだから、他の匂いにまで注意がいかなかったか……。
 考えていくときりがないが、トリシアはハルではないので、彼の真意はわからない。それに、わからないほうがいいような気がした。
(ハルに訊いたら、まず間違いなく怒るか、真っ赤になって否定するわね)
 時々妙に素直になるくせに……わけのわからない男だ。

***

 ハルは列に並んでいた時に、この世界に初めて来たことを思い出していた。
 帝都に来るたびに思い出すのだが、いい加減うんざりしてしまう。
 こうしていちいち申請書を出すのも面倒だし、遺跡調査の報告書を出すのも義務だがやりたくない。
 しかしハルは地学者として登録しているため、遺跡調査の報告書を帝国政府に提出することによって賃金を得ている。
 旅の費用も賄ってもらっているし、こう見えてトリッパーは優遇されているほうなのだ。
 この世界に来て、ハルは名前を変えられ、今となっては元の名前を名乗ることさえ禁じられている。
 トリッパーだと知られないためには偽名が必要だが、それでも孤独はどうしようもなかった。
 一般人に一度、あまりにしつこく尋ねられたのでトリッパーだと認めたら、次の日には命を狙われた。当日、ハルにそのことを尋ねた男は殺されて荒野に死体が捨てられていたことが、後で判明した。
 思い出すと、嫌なことが多すぎる。

 いきなり見知らぬ世界に放り出されたハルは混乱した。
 幸いなことに言葉が通じたので安堵はしたが、見たこともない世界だったことに彼はどうすればいいのか悩んだ。
 ハルが出現したポイントは、ある遺跡の中だった。トリッパーは遺跡に現れることが多いとは、後で聞いた。中には例外もいるようだが。
 調査団にあれこれ言われて、半分も理解できないままに列車に乗せられて帝都まで連れて行かれた。
 そこで色々な手続きを勝手にされて、平民という階級をもらい、法律で保護される立場になった。
 そこまではいい。
 ハルの肉体と精神には明らかに異変が起きており、彼はそのことに恐怖した。
 トリッパーの数は少なく、相談相手すらいない。けれども彼に出た「症状」は、彼の世界でもっともよく知られる現象だった。
 吸血鬼化、だ。
 物語の中にしか存在しないヴァンパイアに自分が成ろうとは思いもよらなかった。
 肉体は常に血液と、植物の生気を欲しがった。荒野に呑まれたこの世界で植物は希少なので、血液のほうでなんとかするしかない。
 野菜を食べることと、医者の元へ貧血だと訴えていくことが増えた。
 他者を見ればその血液の匂いに鼻が刺激され、勝手に身体が欲しがる。それを抑えるために、魔術師に頼んで血液を凝固してもらい、飴のように瓶に入れて持ち歩くようになった。
 肉体が吸血鬼になるのはまだいい。それだけなら、まだ、なんとか理性が追いついた。
 けれども精神のほうに食らったダメージは癒しがたいものだったのだ。
 彼は精神障害を完全に受けてしまい、神経質になり、精神が成長しなくなった。
 それはいつまで経っても心が10代のままということになり、自分の言動が外見につりあわなくなることを危惧していた。
 ハルの予想は当たり、彼の肉体が成長をしても、精神は幼いままだった。幼稚な言動や考えは直らないし、なにより他者に優しくできない。
 大人になればなるほど身につくはずのものが、彼には身につかない。
 心に余裕など芽生えるはずもなく、ハルはそんな自分が嫌でたまらなかった。
 誰かに優しくしたいと考えても、それを実行できるほど「心」が成長していない。
 体の成長が続けば心とのバランスが次第に崩れ、そうなったらどうなるかわからない。
 ハルは恐怖した。
 異界の門をもう一度くぐり、元の世界に戻ればあるいは……!
 その考えにすがるしか方法がなかったのだ。
 それは他のトリッパーにも言えることで、地学者としてあちこちの遺跡を探索するトリッパーは自分の世界に戻ることを望んでいるのだ。
 ハルは地学者になる決意をし、あちこちへと旅をするための旅行者となった。
 ありがたいことに、トリッパーが地学者になって帝国に調査結果を提出することは国にとって有益だったようで、ハルの職業登録はすぐに受理されて地学者になった。
 具体的に何をするのかと問われれば、調査団の調査し終わった遺跡を独自の方法で調べることだ。
 異界の人間だからこそ、別の着眼点が求められる。
 ただの高校生だったハルは、それでも遺跡が元の世界の建造物と似通っていることに不思議になりつつ、旅を続けた。
 途中、襲われることも何度かあったが、トリッパーを利用しようとする者が多いのは聞かされていたので難なく終わった。
 気を許して自分がトリッパーだと喋ったのは一度だけだ。いや、トリシアを含めると二度になるのか……。
 信じれば裏切られる、期待していたら、それが損なわれた時の絶望感がより一層増す。
 ハルは諦めるのが早くなり、他者との面倒な関わりを持つことを避けた。トリッパーであることを伏せるためでもある。
 血が欲しくなる自分といれば、襲ってしまう危険が伴われる。人間を襲うのは嫌だった。殺すのだって、本当は嫌だ。
 だがこの世界では命はどちらかといえば軽んじられている。貧富の差が激しく、死人がごろごろと出るからだろう。
 荒野に出れば死体はあちこちに転がっているし、歩いて旅をするのはかなりの馬鹿だ。
 だが列車に乗れないほどの貧乏人は、傭兵を雇うことすらできない。無防備で荒野に出て、獣たちに食い殺されるのがわかりきっている。
 必ず列車を使えと政府からきつく言われていたので、ハルはそれに従った。
 こちらの世界に来てから4年。もう4年。まだ4年だ。
 発見された遺跡はあちこちに点在しており、そこまで行くのも一苦労する。
 初めて殺されかけた時は、荷物すら持たずに霧に変化して逃げた。
 あれは今思えば失敗だった。荷物の中には身分証明をするものがあり、いざという時にトリッパーとして保護を軍に求められることになっていたのだ。
 慌てて戻ったが、とっていた宿の室内は荒らされ荷物を持って逃げられていた。
 結局このことは政府に報告し、のちにその人物は捕まったようだ。
 裏で動いたのは、軍だろう。
 その次からは、異能を使って相手を返り討ちにした。ハルの容姿は目立つし、能力を使えば近づいてくる者の足音を聞き分けられる。
 『咎人の楽園』の傭兵に狙われるのは、実は今回で三度目になる。パーカーの件を含めると。
 そういえば一度に二人がかりで襲われた時は、気が立っていて容赦せずに殺してしまったのだ。
 空腹で辛いのはいつものことだが、あの時は本当に機嫌が悪かった。
 野菜も食べられないような貧しい村に滞在して遺跡の調査をしていた際、やって来た旅行者が敵だった。
 どこからか、ハルのことを聞きつけてやって来たようで夫婦を演じていた。
 観光に来たと言っていたが、明らかにおかしいとハルは見抜き、相手が襲い掛かってきたのを見事に返り討ちにしたのだ。
 あの二人組は、生きている限り追いかけると笑って何度も言った。余計に気に障ったから殺したのだ。
 ……正解だった。
 トリッパーの知識を狙う者は、標的を決めたらしつこく狙ってくる。
 こちらが殺さない限りは延々と追い掛け回されるため、ハルはその状況に慣れてしまったのだ。皮肉なことに。
 だができれば殺したくない。
 だから、相手が手出しをしてくるまではこちらからは干渉しないことにした。
 トリッパーであることを否定して否定して、ずっと否定して。それでも手を出してきたなら……。
 化物に成り果てた末に、なぜ命まで狙われなければならない? 理不尽すぎる。
 孤独は増し、ハルはそれでも……たった一つ、元の世界へ戻る望みだけは、諦めることができなかった。
 なぜなら彼は、元の世界ではただの高校生で、なにもできない子供だったからだ。

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