Barkarole! ナイトスカー10

(ここで始末する)
 面倒ごとに付き合う気がハルにはない。
 ひゅん、と風切り音が耳に届き、闇夜を見通す目で飛んでくるナイフを避ける。すぐ目の横を通っていくナイフを観察する。
 少し形が変わっている。
(なんでギザギザなんだよ……。当たったらすげぇ痛いぞ)
 最悪な趣味だ。
 小瓶を取り出して一粒口に含む。ふらふらするが、なんとかしないといけない場面だ。
(ちくしょー。一人なら絶対にやんねぇぞ!)
 霧状に肉体を変化させ、あっという間に移動する。ナイフを投げてきたのはローブをまとった女だ。
 隠れていた女の顔を見る気はない。ローブのフードを見遣り、そして目を細めた。
 女はナイフを放つ。遅い。
 着地したハルは口の中の粒を飲み込む。腰に帯びているナイフを取り出し、女目掛けて振り下ろす。
 彼女はこちらに気づいて振り向いた。遅い。
 遅い。遅すぎる。
 だがぎょっとしてハルの動きが止まった。
 見覚えのある顔だったのだ。
 女が笑うのがわかった。女のナイフがローブの中から出され、ハルに直撃した。
 腕に刺さり、すぐさま抜かれる。血液がどばっと溢れ、ハルはよろめいて後方に退がった。
「な、なに……?」
 血が出る腕をおさえ、ハルは疑問を口にする。
 口紅が塗られた唇をニィ、と歪めて女はまたナイフを振り上げる。
 彼女がパーカーの相棒だというのか?
(ふざけんなよ!)
 油断した自分にも腹が立つ!
 ぐらりと目眩がして、その場に膝をついてしまった。
(うえっ、自分の血に酔っちまった……)
 飢餓感がどっと胸の内から広がり、口元を手でおさえる。
「ハル!」
 上からの声にハルはぐらぐらする視界をあげる。目の前の女も視線をあげた。
 トリシアがこの細い横道を建物の上から覗き込んでいるのだ。
(ああ? なんでここにいるんだ?)
 建物伝いで移動したのだろうが、アホなのかこの女。
 女がナイフをトリシア目掛けて投げるのが見えたので、霧状に変化して飛び上がり、トリシアの横に着地し、彼女を引き倒す。
 ナイフがびゅんっと通り過ぎていくのが視界の端で見えた。
 彼女はすぐに飛び起き、ハルのほうを心配そうにうかがってくる。
「なにやってんだ、てめーは!」
 怒鳴ると出血で頭がガンガンとした。最悪だ。
 道を覗くと女の姿が消えている。
(逃げられた……。くそっ)
 倒れた状態になってしまい、ハルは痛む腕のままぼんやりとしてくる。意識が危ない。
「ハル! 大丈夫!?」
「…………」
 答える力がなかった。
 ハルは荒い息を吐きながらなんとか起き上がり、ふところから小瓶を取り出して、中に入っている粒を全部口の中に入れた。
 口の中に広がる味に安堵し、ハルは「はぁ」と息を吐き出した。
「ハル!」
「ぎゃーぎゃーうるせぇな。ちょっと貧血なだけだ」
「なに言ってるのよ!」
 悲鳴じみた声をあげられ、ハルは顔をしかめる。
 今は彼女の存在が毒だ。離れて欲しい。
「………………」
 ハルは肉体を霧状に変化させてそこから逃げた。
 あそこにいれば、間違いなく自分は彼女を襲っていたことだろう。
 かなり離れた場所で実体化したハルは、そのままずるずると地面に座り込んだ。
 大人しくしていればいい。この闇が今は味方をしてくれる。昼間でなくて幸いだった。
「……サリー=ベロニカ」
 襲ってきた女の名前を口にする。ハルにとってはよく知っている相手だった。
「……っ、ちくしょう!」



 何が起こったのかわからないが、ハルが重体だということはわかった。
 トリシアは建物と建物の間が狭いところを跳躍して、ここまできた。なんとか後で降りる方法を探して、地面に降りないと。
 けれども消えてしまったハルのことが気に掛かった。
 彼は腕から大量の血を流していたし、顔色がぐっと悪くなっていた。
 けれどあてもなくハルを探せるわけもなく、トリシアは渋々と宿舎へと向かったのだ。

 翌日。
 トリシアはハルの行方を探そうと宿舎を出ると、向かい側の建物の壁を背に立っているハルの姿が見えた。
 外套で腕を隠している彼は不機嫌そうにこちらを見遣り、目を細める。
「ハル!」
 良かった。無事だった。
 病院に行ったのだろうか?
 駆け寄るトリシアに彼は嫌そうな顔をするが、青白いそれで小さく呟く。聞こえなかったので「え?」と問うと、途端に真っ赤になった。
「すまなかったと言ったんだ! バカ女!」
「え? な、なにがすまなかったの?」
「……屋根の上に置き去りにしただろーが」
「…………でもそれは仕方なかったことだもの。ハルは重傷だったんだし」
 それよりも、怪我は大丈夫だろうか?
 うかがうトリシアをぽかんと見てきて、ハルは「……変なやつ」とぼやいた。相変わらず失礼な男だ。
「病院は行った?」
「……行かなくても平気だ」
「手当てしてないってこと?」
 首を傾げるトリシアから彼は目を逸らす。如実に物語るその様子にトリシアは無理やり腕を引っ張った。
「いてぇ! なにすんだ!」
「手当てよ!」
「女子専用の宿舎に入れねぇだろ、バカ!」
「なによ、バカバカっていっつも! そういうハルこそバカよ!」
 無理やり引っ張って宿舎の中に入れて、入口のすぐ脇にある宿舎管理人室のドアを叩いた。
 中から管理人をしているペトラが顔を覗かせる。
「なんだいトリシア、何か用かい? ありゃ、男の連れ込みは禁止だよ」
「怪我をしているんです、この人! 救急箱と、ちょっとお邪魔してもいいですか?」
「おっ、おい! 僕はべつに……」
「ハルは黙ってて!」
 ぴしゃりと言い切るとハルは押し黙り、むっつりとする。
 ペトラは二人を招き入れてくれて、救急箱と包帯を用意してくれた。
 お茶を淹れてくれているペトラは奥にいる。ハルをイスに座らせ、トリシアは「さあ」と言った。
「腕を見せて、ハル」
「……嫌だ」
「見せないならべつにいいわよ!」
 腹が立ったトリシアはハルの腕をむんずと掴み、無理やり外套の下から引っ張り出す。
 乾いてはいるが昨晩の悲劇を衣服が物語っていた。血でべっとりと濡れた袖は乾いてかたくなっている。
 顔をしかめるハルに構わず、袖を力ずくで押し上げると、傷が見えた。だがそれは痕跡にすぎない。
「え?」
 思わず首を傾げるトリシアの前で、ハルはばつが悪そうな顔をしていた。
「ハル、傷跡しかないけど……」
「だから大丈夫だっつっただろ」
「でも」
 ハルはトリシアの手を振りほどく。そして外套の下に腕を隠した。
 どういうことなのか説明して欲しい。心配したのだ、こちらは。でも……トリシアはそれ以上踏み込めなかった。
 ハルとは知り合いではあるが、友達でもなんでもない。どうすればいいのか迷った。
「お茶淹れたよ、さ、どうぞ」
 ペトラがコップにお茶を淹れて戻ってくると、ハルは大人しくお茶を飲んでいた。
 トリシアはハルの横に座り、彼をうかがった。やはり顔色が悪い。貧血症だろうか?
「怪我人なら仕方ないね。ゆっくりしておいき。
 あたしゃ買い物があるから、後は頼んだよトリシア」
「わかりました」
 トリシアが応じると、ペトラは財布を持ち、外に出て行ってしまう。
 二人きりになって、トリシアはどうしたらいいのかますますわからなくなってしまった。
 手当てをしようと意気込んで連れてきたのに、肝心の傷がもうほとんど残っていないなんて。
(トリッパーだから?)
 訊くべきか? いや、訊くべきだ。ぎゅっと拳を握ってトリシアはハルのほうをもう一度見遣る。
「ハル、昨日のあの人は誰なの? なぜ、あなたが狙われるの?」
「…………」
 難しい顔をするハルはトリシアのほうへ視線だけ遣った。茶色の瞳は表情と違って穏やかだ。
「……僕はトリッパーだ」
「知ってるわ」
「ラグに聞いただろ。トリッパーを狩る連中がいるって。その一人が、昨日の女だ。
 僕はこれまでにも何度か同じように危険な目に遭ってる」
「…………」
「トリッパーを捕まえ、拷問して、異界の知識を売買する傭兵ギルド『咎人の楽園』。その一人だ」
 ハルの言葉にトリシアは青ざめた。
 彼は続ける。
「僕は肉体にも精神にも影響が出てるが、外見はそれほど変わっちゃいない。
 僕は」
 言葉を切って、ハルは言いかけては口を何度か閉じる。それほどに躊躇われる内容なのだとわかった。
「僕は、吸血鬼なんだ」
「きゅうけつき?」
 聞いたことのない言葉だ。不思議そうにするトリシアから視線を外し、ハルは俯いた。
「僕の世界では有名な化物だった。人間の生き血を糧とし、太陽の光を浴びると灰になる。心臓に杭を打ち込めば殺すことができる、化物。
 まぁ僕の場合、完全な変化ではなかったから、太陽の光は多少は辛くてもそれほど影響しないけど」
「生き血が必要、なの?」
「耳もいいし、目もよくなったけど、僕は常に飢えている。血液が不足するんだ」
「…………」
「人込みにいると血を飲みたくてたまらなくなる。特に女や、子供の血が。
 血は、輸血用のものでなんとか誤魔化してるけど、それでも限界がある。動物の血は吐き気がするから飲めない。その代わり、植物から生気をもらえる」
「植物から?」
「ああ。血か植物かって言ったら、そりゃ植物をとる。ただこの荒野の世界では植物は希少だから、サラダを食べる時にしか生気をとれない」
 だから列車内ではいつもサラダばかり食べていたのか!
 驚愕するトリシアだったが、納得してしまった。
 ハルが持ち歩いている血液を凝固したものは、彼の非常食だったわけだ。
「異能を使うととにかく腹が減る。血が欲しくてたまらなくなる……!」
 膝の上に置いた拳をかたく握るハルは、悔しそうだった。
 列車内でほとんど医務室に居たのは、能力を使っていたということだろう。
 彼は能力を使うと「疲れる」と言っていた。だから普段は使わないとも。
「僕は見た目にほとんど変化がないから、よく狙われた。そのたびにこの能力を使って、返り討ちにした。
 殺したことも何度かある」
「ミスター・パーカーも?」
「そうだ。僕は夜のほうが動きやすい。傷の治りも早いし、通常より異能の力が増す」
「…………」
「……怖いだろ。気持ち悪いだろ」
 皮肉な笑みを浮かべるハルは、微かに震えていた。
「おまえが僕の秘密を守ったって聞いた時、マジで嬉しかった。そんなヤツもいるんだって。
 だから…………あんまり言いたくなかった」
「ハル……」
 もし、自分が彼の立場だったら挫けていたかもしれない。
 別の世界に来て、そんなおかしな状態に自分が成って、妙な能力がついて、狙われる生活を送っていたら……。
 ハルの苦悩を理解することはできない。だからトリシアは彼に同情しなかったし、何も言えなかった。
 慰めてどうする? 彼のことを本当に理解できないのに。口ではなんとでも言える。
(……女や子供が苦手って……)
 人間の生き血を今までハルは飲んでいないことになる。
 どれだけ飢えても彼はプライドで人間を襲わなかったのだ。あれだけトリシアが邪険にされていた理由が判明した。
(私に彼を完全に理解することはできない)
 けれど、彼が優しい人だということはわかった。それだけわかれば充分だ。
 トリシアはハルを真剣に見た。
「はっきり言うけど、怖くないし、気持ち悪くないわ」
「…………」
 ハルがこちらを凝視する。その眼差しを、まっすぐに受け止める。
「打ち明けてくれてありがとう、ハル」
「……おまえ、頭おかしいだろ」
 ぼそりと言われてトリシアは眉を吊りあがらせる。
「前から思っていたけど、あなた、口が悪いと思うわ」
「…………」
「あなたはトリッパーだと知られたくなかったはず。私にこれだけのことを打ち明けるのも、すごく勇気がいるはずよ。だから、真面目に答えたのに」
 ハルはきょとんとしていたが、やがて小さく笑った。
「やっぱ、変なやつ」

[Pagetop]
inserted by FC2 system