Barkarole! ナイトスカー8

「もうすぐ帝都の『エル・ルディア』です。降車準備を始めてくださいね」
 そう言って、空っぽになったカップと、ソーサーをキャビネットに乗せていくトリシアを、いつもの三人が眺める。
 いつの間にこの三人、ハル、ルキア、ラグは仲が良くなったのだろう?
(……ん? でも仲が良くなったという感じとはちょっと違うような)
「あ、そうだ。自分の連絡先を教えておきますね」
 ルキアが思い出したようにそう言って、ふところから手帳を取り出してメモを書く。3枚ほどページを千切ってトリシア、ラグ、ハルに渡した。
 渡されたトリシアはぎょっとしてルキアに突き返そうとする。
「いただけません、こんなもの!」
「そうだ」
 顔をしかめてトリシアの手からメモを引ったくり、ハルがルキアに突き返す。
「相手の迷惑も考えろ! それにこいつはまだ仕事中だ。ナンパしてるんじゃねーよ」
「なんぱ? とは、なんでしょう?」
 可愛らしく小首を傾げるルキアに言葉が詰まり、ハルは顔に渋面を浮かべる。
 ラグはしげしげとメモに書かれた文字を見ていたが、やがてトリシアに救いを求めるように見上げてきた。
「トリシア、文字、難しい。読んでくれるか?」
「え? はい」
 文字の読み書きができてよかったと思って、ラグに丁寧に教えているとハルがムッとしているのが見えた。
 ……なぜこんなに不機嫌になっているのだろうか、彼は。
(やきもち? そんなわけないわよね)
 だが可能性はある。しかし自分はそれほど美人でもない。彼が興味を持つとは到底思えなかった。
 ハルはぷいっと顔をそむけ、ルキアのメモを見遣って途端、ぎょっとしたように目を瞠る。
「おまえ! 屋敷の住所と、帝国軍の駐屯所じゃねえか!」
「そうですが?」
「自宅はまだいい! 軍に行っても素直におまえに通してくれると思うのか!」
 喚くハルの意見はもっともだった。
 平民が「すいませ〜ん」と言ってあっさり中に入れるようにはできていない。ハルがいきり立つのは当然である。
「通してくれますよ。軍はそんな意地悪なことしませんよ」
 目一杯のきらきらを飛ばして笑顔で言うルキアだったが、ハルはそれに騙されない。
「アホかぁ! 紹介状でもないとおまえに会えるわけねぇだろ! 自分がどんだけ地位の高い軍人か覚えてないのか!」
「紹介状、ですか」
 初耳だと言わんばかりのルキアだったが、彼は考え込んでしまう。
「緊急の用事の時に困りますね……。うーん……。では、自宅のほうにいらっしゃってください」
「バカかー! 貴族の屋敷に行って、『はいどうぞ』って入れてくれるわけないだろ!」
 …………またまたごもっともな意見である。
 ハルがバンバンとテーブルを乱暴に叩いている。気持ちも、わからなくもない。
 ルキアはやはり深く考えていないらしく、「そうですか?」と首を傾げてみせた。
「うちは寛容ですから、大丈夫だと思いますけどね」
「そもそも平民が貴族の屋敷を訪ねるなんて、たいそれたことできるわけねぇだろ!」
 常識を考えろ!
 怒鳴りつけるハルとルキアの遣り取りを見て、ラグが小さく笑う。
「ラグ殿?」
 なにが可笑しいのだろうかと問うトリシアに、彼はメモをふところにおさめながら言う。
「ん? ハルが、少し打ち解けた。だから嬉しい」
「…………」
 そういえばこの三人は、三人とも『変わり者』だ。
 類は友を呼ぶとよく言うが、その通りだった。
 考えてみればこの三人は、他の乗客には打ち解けようとしていない。一度もだ。
 人当たりのいいルキアでさえ、すすんで他人に関わろうとはしない。
(あれ? なんで私だけ?)
 自分は変わり者ではない。普通だ。
 顔の造作だって、どこにでもある平凡なものだし、体だって……そこそこ凹凸があるくらいで目立つほどではない。
 まぁ……どこかしら彼らに気に入られる部分があったのだと自分を納得させて、トリシアはキャビネットを動かして食堂車を後にした。

 列車の旅はもう終わる。
 これであの三人ともお別れだ。
 とはいえ、病院に行くのにまだ一緒に行動をすることにはなるだろうが。

***

 帝都『エル・ルディア』に無事に到着し、トリシアは自分の荷物をトランクにまとめて降車する。
 乗客たちはもう降車し、それぞれの目的へと向けて進んでいることだろう。
 けれども。
 トリシアを待ち構えていたのは、乗客の一人、ハル=ミズサだった。そしてその横にはルキア=ファルシオンがいる。驚いたことに、ルキアの背後にはラグもいた。
 目を丸くするトリシアに、ラグは笑顔を向けてきた。ルキアも同じように微笑む。
「ラグとは病院に行ったあとに一緒にあるところへ向かうんです。途中まで同行するのですが、よろしいですか?」
「よ、よろしいも何も、病院まで手配してくださってありがとうございます」
 慌てて頭をさげると、ハルが面倒そうに舌打ちするのが聞こえた。
「じゃあ馬車乗り場に行くか」

 四人は馬車を1台使って、病院まで向かうことになった。
 トリシアは真向かいに座るハルを見遣る。彼は不機嫌そうに頬杖をついて、瞼を閉じている。
 自分の横にはルキアが座り、ハルの横にはラグが座る形だ。
「あの、私の問題とはどういうものなのでしょうか?」
 不安になって、トランクを胸に抱えたまま横のルキアに問うと、彼はすぐに笑みを向けてきた。
「深刻なものではないので大丈夫ですよ。少し後遺症が残っていると思うので、それを取り除くために、魔法院に行きます」
「えっ、病院ではないのですか?」
「そこに『ヤト』の一人である医者がいるのです」
 ぎょっとして硬直するトリシアは、慌てた。
「そこまでしていただかなくて結構です、ルキア様!」
 費用が払えるかわからない。しかも『ヤト』の一人? では貴族ではないか! 身分の低い自分が会うのなんて……。
 ルキアはくすりと笑った。
「変わり者なので、研究室にこもっていると思うので、他の人に診てもらうことになりますよ。安心してください」
「いえ、ですが…………あの、私」
 どもってしまう。
 恥ずかしい。お金がなくて、医療費を払えないかもしれないなんて。
 顔を赤らめていると、ハルが片目を開けていた。
「どした?」
「あ、いえ……」
「金のことなら心配するな。僕がもつ」
 ハルの言葉にトリシアが目を見開く。するとハルはパッと顔を赤らめ、視線を逸らした。
「迷惑をかけたのは僕だから、当然だろ! 変な心配してんじゃねえよ」
「そういうわけにはいきません、ミスター」
 唇を引き結んでそう言うが、ハルは譲る気はないようで、無視された。
 馬車に揺られて大通りを抜け、目的の魔法院のある場所へと向かう。それは、トリシアが足を踏み入れたことのない貴族の住む地区だ。

 考えてみれば馬車賃はどうなるのだろうかと思っていたら、手配したらしいルキアがあっさりと払ってしまってトリシアの出番はなかった。
 申し訳なくて頭があがらない。
 着いた場所に降りたトリシアはトランクを持ち、まず目の前に広がる広大な庭園に圧倒された。
 庭園では散歩をしている学生の姿が見える。全員、同じ衣服からして、あれが制服なのだろう。
 初めて見る魔法院の制服や学生たちにトリシアは戸惑い、自分の場違いさに涙が出そうになった。
 学生たちの年齢はばらばらで、トリシアより年上らしい人物も多くみかけた。
「では行きましょう」
 ルキアが先頭に立って歩き出したので、トリシアはついて行くしかない。
 彼はよどみなく庭園にある道を歩き、学舎である建物に近づいていく。建物の大きさにもトリシアは圧倒された。
 豪華絢爛。まるで貴族の屋敷のようなきらびやかを備えながら、厳格さもある不思議な印象を与えるものだった。
 階段をのぼっていくと、そこには大きく両開きにされた鉄の扉があり、その上には文字が書かれていた。
「……?」
 読めないことにトリシアが足を止めると、すぐ後ろを歩いていたハルが「あぁ」とぼやいて小さく言ってきた。
「門をくぐり、学んで世界へ還元せよ。って書いてある」
「読めるのですかミスター?」
「……多少の古代文字ならな」
 フンと鼻息荒く言われて、トリシアは「へぇ」と感心した。
 扉の向こうは広間になっており、そこを多くの学生が行き交っていた。その中をルキアが堂々と通り抜ける。
 学生たちの中ではルキアに気づいて足を止め、こそこそと言い合っている姿も見えた。
(そういえば、ルキア様はここで学ばれたのよね)
 最年少で卒業したというし、あの美貌だ。有名人なのは当然だろう。
 目立つことに抵抗をおぼえながら、トリシアは小走りでルキアに続いた。
 奥へと進めば進むほど、複雑な作りになっている建物に酔いそうになる。それに、すれ違う学生たちが必ずこちらを見てくるのが恥ずかしかった。
 ルキアはまったくためらいもせずに進み、目的地に着いたらしく、一つのドアの前に立った。
 もの珍しそうにあちこちを見ていたラグが、「着いたか」と嬉しそうな声をあげる。ハルは無言だ。
 部屋のドアをノックするとすぐに返事がかえってきた。ルキアがドアを開けて中に入る。続いてトリシアも恐る恐る入っていく。
 そこは個室だった。
「これはルキア様」
 女性だった。奥の机に座っているのは年配の女性だった。白い髪をきっちりと結い上げ、厳しい顔つきをしている。
 白衣を着ている彼女はすぐさま立つと、ルキアに会釈する。貴族らしい優雅な動きにトリシアはびくっとし、またも場違いさを改めて思わされた。
「マーテットは研究室ですか?」
「ええそうですね。本当に困ったものです」
 厳しい声でそう言う。しかも声には棘が含まれているのがありありとわかった。
「マーテットにご用事ですか、ルキア様」
「エラリィ、あなたに用があって来ました」
 そう言ってルキアがにっこりと微笑むと、エラリィと呼ばれた老女がぴくりと片眉をあげる。
 姿勢も良く、背も高い。この人に診てもらうのだとトリシアは緊張して成り行きを見守る。
「まずは紹介をしなければなりませんね。
 こちら、トリシア。『ブルー・パール』の添乗員をしています。その後ろがラグ。傭兵です。彼の後ろにいるのがハル。地学者です」
 紹介された順に頭を下げると、エラリィはつんとして顎をあげる。
「エラリィ=マダス。この魔法院の、魔術医学科の長です。ドアを閉めなさい。話を聞きましょう」
 ハルが素早く後ろ手にドアを閉める。外界の音が完全に遮断され、緊張感だけが漂う。
(長ってことは、その学科で一番偉い人ってことじゃないの! ルキア様、恨みます……!)
 とんでもないことになってきた。自分の身分で会えるような人物ではない。
 ルキアはエラリィを真っ直ぐ見て、緊張感などまったくないように話し始めた。
「ここに居るトリシアに、魔術の後遺症があると思われるのです。エラリィに診てもらうために来訪しました」
「魔術の後遺症? 街病院でも対応できるものではないのですか」
 それに、と彼女はルキアを冷ややかに見てくる。どうやらやはり、あまり歓迎はされていないようだ。
「あなたがなんとかできるのでは?」
「専門分野ではないので、難しいと判断しました。彼女は眠っている間に魔術をかけられ続けた可能性があります」
「毎夜ですか?」
「はっきりしないのですが、永続的にかけられた可能性が否定できないのです。
 まず、イズル駅で『操心』の類いの術で駅外で尋問を受けています。後、マハイア駅で同様のことがありました」
「………………」
 エラリィの視線がルキアから外れ、トリシアに定められる。ぎくっとしたように身を強張らせるが、意に介さないようでエラリィは強い視線を向けてきた。
「状況を説明なさい」
「え……は、はい」
 ここで物怖じしていてはいけない。そう思うが、ここは慣れた列車内ではない。トリシアは自分に起こったことを正確に説明できるか不安だった。
 決意してすぐに口を開く。待たせるほうが失礼になる。
「イズル駅で、『ブルー・パール号』を降車したのですが、降りようと思って降りていません。そして、駅を出て裏通りまで歩きましたが、まったく歩いたことのない道でした。
 そしてその間の記憶が一時的に欠落しました。
 マハイア駅で再び同様のことが起こり、イズル駅での出来事を思い出しました。マハイア駅では列車は自分の意思で降車しましたが、見知らぬ場所へ迷い込んでしまいました」
「…………確かに、永続的に魔術をかけられた可能性は高いですね」
 エミリィは頷き、体の向きを変えた。トリシアについて来いと合図をして、隣接する部屋へと歩き出す。
 ごくりと喉を鳴らしてトリシアはエミリィの開けたドアの向こうへと踏み込む。そこは簡易の診察室だった。
 ベッドが一つあり、その横に背もたれのない丸イスが一つ。
 イスに腰掛けたエミリィは、トリシアにベッドに横になるように言った。トリシアは素直に従う。
 トランクを床に置き、ベッドに横になった。適度に硬いそのベッドには上質なシーツがかけられており、緊張する要因の一つとなった。
「ではトリシア、と言いましたね。今からかけられた魔術を逆算して、ほどいていきます」
「……はい。よろしくお願いします」
「……瞼を閉じ、リラックスをしなさい」
 命令口調で言われるが、トリシアは頷いて肩の力を抜くべく何度か深呼吸を繰り返した。
 瞼を閉じて、数を数え始める。ひとつ、ふたつ、みっつ。ここは慣れた列車の中。私は仕事中。
 思い込むとなんとなく力が抜けた気がする。
「力は抜けたようですね。では始めます」
 ぐん、と下に引っ張られたような感覚が襲ってきた。

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