Barkarole! ナイトスカー3

 トリッパーの存在は、稀有とされている。
 存在しているほとんどの者たちに会えることは本当に稀で、希少な体験と誰もが思う。
 トリシアはラグに聞かされたトリッパー狩りをしている者たちの存在に驚いていた。
 帝国がその存在を認め、人権を与えられ、平民としての階級もあるというのに……。生存が脅かされているとは。
 それはトリッパーの持つ不思議な知識を得るためなのがほとんどだという。
 トリッパーたちの居た世界の文明は、この世界よりもはるかに高度で豊かなのだそうだ。
 彼らはふいにこの世界に現れるが、現れる場所は決まっているという。
 それは……『遺跡』の近く、もしくはその中だ。
 遺跡というのは、その名の通りのもので、まだこの世界が荒野に呑み込まれる前の文明で作られた建物のことだ。
 ……そう、この世界は一度、大混乱に陥った。
 荒野に呑まれたせいで滅びた国もある。今では帝国が陸地のほとんどを占めているが、昔はそうでもなかったようだ。
 そして……トリッパーがこの世界に現れた。最初に現れた男の名は、明かされていない。
 男は見たこともない外見のためにすぐさま捕まり、混乱する最中で皇帝に色々と助言をしたそうだ。
 次々に現れたトリッパーたちは技術面で優れている者が多かったと聞く。
 この世界に興味を持ち、そして自分たちの知識を役立てたそうだ。
 だからこそ……今の世界が在ると言われている。
 これほど帝国に貢献しているというのに、ラグに言われるまでトリッパーのことを真剣に考えたことがなかった。
 トリッパーは名前を明かされない。つまりそれは……。
(存在を、隠匿されていることと同じ……)
 ルキアは迫害されていないかと心配していたが、ことはもっと大きいのではないだろうか?
 ハルは地学者だと言った。簡単に言えば遺跡を探索する研究者で、各地を見て回るのが仕事だ。
 遺跡。
 なんだが不吉な響きだと、今さら思う。
 謎めいた存在なのだ、トリッパーとは本来。
 考え事をしながら歩いていると、二等展望室にハルが立っているのが見えた。
 懐中時計の蓋を閉じたり開けたり……クセ、なのだろうか?
(邪魔をしたらまたなにか言われそうよね)
 しかし足音は気付かれているだろう。それとも、無視をされるだろうか?
 彼はこちらをちらりと見遣った。掃除道具を持っているのを一瞥され、ふぅんと洩らされる。
「ミスター……」
 声をかけると、ハルはなんだか難しそうな顔をしている。
「あのチビは寝たみてぇだな」
「え?」
「ルキア」
「あ、ああ……はい。お部屋に戻られましたよ」
「うるさくなくて、いい」
 フンと鼻で笑うハルは、ふいにトリシアを見遣った。
「セイオンの坊主から余計なことを聞いたみてぇだな」
「…………」
「……どうでもいいが、パーカーには気をつけろよ」
「え?」
 二等客室に泊まる者の名がどうしてここで出るのだろう?
「あいつはブンヤだ」
「ブンヤ……記者、ということですか?」
 そんな馬鹿な。記者の給料はそれほど良くない。二等客室に泊まるほど奮発する意味はあまりないはずだ。
「いや、探偵に近いのかもしれねぇ」
「タンテイ?」
「あ、いや……そっか。こっちの世界にはない職種だったな。
 探査人だ」
 探査人とは、賃金を貰って一つのものを調べ上げる者のことだ。
 それは人を探すことだったり、謎を解明することだったりと色々あるが、探査人の多くは貴族に雇われ、スパイとして働くことが多い。
 仕事のほとんどは情報収集だ。だがパーカーが例え記者か探査人でも、トリシアには危険はないはずだ。意味がわからない。
「目的が何かはわからねぇが、人殺しだ」
「…………」
 口がぽかんと開き、言葉が出なかった。
 殺人者? あの、どこか抜けていそうな男が?
 ハルを凝視していると、彼は目を細めた。
「信じようと信じまいとおまえの勝手だ」
「い、いえ……あの、判断しかねます」
「…………」
 ハルはさらに不機嫌そうに眉をひそめ、大仰に嘆息した。
「おまえは僕の能力を知っている」
「存じております」
「僕は範囲は限られているが、その範囲内ならどんな音も、匂いも、気づくことができる」
「………………」
「ただしこれは、能力を不必要に使った時に限る。普段はしねぇ。面倒だし、鬱陶しいし、疲れるからだ」
「さようですか」
「近距離のものは、どうしたって鼻につくし、耳に入る」
 その言葉の意味することにトリシアは青ざめた。
 つまり……人殺しと断定できる何かを、ハルは知っているのだ。知ってしまったのだ!
 目を見開き、ハルを凝視すると彼はそっと視線を逸らした。
「足音が違う」
 ハルは短くそう呟き、顔をしかめる。
「時々だが、足音が違う。セイオンの坊主と、ルキアの前では絶対にしない。
 だが僕の耳は捕らえた」
「…………」
「獲物を狙う、特殊な歩き方だ」
 ……えもの?
 トリシアはその意味を理解するのに数秒必要だった。
 だが馬鹿ではない。すぐに考えが至り、蒼白になる。
「私は何も罪を犯しておりません!」
 今までの人生、まっとうに生きてきたはずだ。何かに狙われるわけがない。
 否定するとハルはこちらを見てきた。
「…………そうだろうな」
 どういう意味でそう言ったのかはわからない。ただハルは、静かに姿勢を正して歩き去った。



 ラグはハルが悪人ではないと言い切った。そしてトリシアも、そう感じている。
 彼は不用意に嘘をつかない人柄だといえた。
 悶々と過ごす列車の中の日々は、トリシアに恐怖を植えつけた。頼りになるあの元気なルキアは完全に休眠状態で、部屋から出てこない。
 今はあの、快活なお喋りがとても救いになるのにとさえ思えた。
 パーカーという男が例え人を殺していても、それが自分に関係があるとは思えない。なにせトリシアは孤児なのだ。縁者はいない。
 狭い列車内では逃げ場がない。トリシアは展望室の掃除の手を止め、窓を見た。
 特徴のない平凡な顔。それに、平均的な体躯。どうしても狙われる要素がない。
 いや、ハルはトリシアを狙っているとは言っていなかった。気をつけろとだけ言ったのだ。
(気をつけるって、どうやって?)
 不安を煽っただけのハルを憎らしく思っていると、展望室に誰かがやってきた。
 横開きのドアが開いて入ってきたのはパーカーだ。思わずぎょっとして身を固めるが、逆に警戒されると思って頭をさげて挨拶をする。
「おはようございます、ミスター」
「おはよう。ミスター・ミズサを知らないかい?」
「存じませんが……」
 なぜ、自分に訊いてくるのだろう。不審に感じてしまうのは、警戒が強く出ているせいだと自分に言い聞かせる。
「ミスター・パーカー、なぜミスター・ミズサをお探しなのですか?」
「絶対にトリッパーだと思うからだよ。私は記者をしているんだ。彼の話をぜひ聞きたい!」
 元気いっぱいに、瞳をきらきらさせて言うパーカーに嘘はないように見える。……見えるだけだ。
「……ミスター・ミズサはトリッパーではないと言っておられましたよ」
「ええ? 本当かい?」
「はい。ルキア様に同じ事を尋ねられ、否定されておりました」
 素直にそのことを言うが、パーカーはううんと唸っただけだった。
「あの容姿、絶対にトリッパーだと思うんだけどなぁ」
 それはそうだろう。あれほどトリッパーの特徴を備えているのだから、そう思うのが自然だ。
「ねえねえ、キミはトリッパーが遺跡と深い関連があるという説を知ってる?」
「は?」
 唐突になんだと目を丸くしていると、パーカーはオーバーな動きで説明してくる。
「彼らには色んな説があるし、異界にすごく興味がわかない?」
「いえ……」
「だってこの弾丸ライナー、それに大陸全土に広がるレール! これらの開発に携わっていたのはトリッパーたちじゃないか!」
 そう言われればそうだ。トリシアはそう思ってしまうが、だからどうしたという感想もある。
 周知の事実だ。魔術機関で動く列車の開発は、そもそも異界からもたらされたものだということは、誰もが知っている。
「トリッパーにお目にかかることなんて本当にないんだ! これはチャンスだよ!」
「……頑張ってください」
 そう声をかけると、掃除を再開しようとした。トリッパーのいた世界には興味はあるが、パーカーに付き合うほど暇ではない。
 記者など、そもそも縁のない存在だ。ゴシップを取り扱う新聞も世の中多く、見るに耐えないものもあるのだから。
 トリシアは記者が嫌いなわけではないが、客の話に真剣に付き合ってやる気は毛頭ないのだ。
「なんでそんなにみんなトリッパーを嫌うんだろう」
 ぼやくパーカーの呟きに、トリシアは片眉をあげた。
「嫌ってはいないと思いますよ。ミスター・ミズサも悪い人ではないと思いますが」
「そうそう」
 彼はにこっと笑った。なんだろう……ルキアの笑顔には邪気が一切なくてむしろ眩しいとさえ感じたのに……。
 パーカーの笑顔になにか嫌なものをトリシアは感じ取った。
「盗賊の事件の時、彼は機関室を取り戻したらしいじゃない? キミもそこに居たとか」
 ぎくりとしたようにトリシアは固まりはしなかった。ハルと行動していたことは、乗務員は全員知っているのだから。
「はい。ミスター・ミズサの機転で、私は盗賊たちから狙われませんでした」
「面白い」
 また、笑う。
 パーカーはずいっとトリシアに近づく。
「盗賊たちは隈なく列車内を探したはずなのに、どこに隠れていたんだい? 二人分も隠れるスペースがこの列車にあるとは思えない」
「ミステリの読みすぎです、ミスター」
「そうかな?」
「私たちは車両の上に避難しておりました」
 素直に言うトリシアに彼は「へえ」と洩らした。
「梯子で上にあがったのかい? すごいな」
「ミスター・ミズサは機転の効く方ですから」
 実際は違う。ハルはその姿を、なんらかの方法を使って天井を通り抜けさせたのだ。一緒にいたトリシアごと。
 だがトリシアは嘘はついていない。否定も肯定もしていないのだから、パーカーには見抜けないはずだ。
「車両の上でずっと機会をうかがっていたというわけか……。機関室まで、車両の上を歩いて?」
「……これは取材なのでしょうか、ミスター」
「あっ、いやこれは失礼」
 ハッとしたようにパーカーは瞬きをし、後頭部を掻いた。
「どうも仕事のクセがついている……。失礼なことをしたね」
「いえ……。仕事がありますので」
 ぺこりとお辞儀をして掃除を再開すると、パーカーは諦めたように嘆息して展望室から出て行った。
 残されたトリシアは掃除をしながら納得していた。
 パーカーは記者だと言ったハルはやはり正しい。パーカー自身もそう言った。
 それにトリッパーに興味があるのは元々のようだった。この列車内で起こった事件を記事にする算段でも考えているのだろうか?
(私が一緒に居たからやたら気にしていたのね……)
 ハルと一緒に行動したことが、パーカーの目をひいたのだろう。
 ならばハルに今後近寄らないようにすればいいのだ。
(でも……)
 気になることは、まだある。
 ハルはパーカーを「人殺し」だと言った。探査人とも。
 ただの記者ではないのだろうか……?

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