Barkarole! ナイトスカー2

 ラグが動き回れるようになると、彼は盗賊たちの見張りをすることになった。
 次の駅で盗賊たちは軍に引き渡されることになっている。ルキアの手配通りに。
 車内に盗賊がいても、ラグとルキアが交替して目を光らせているのでまったく危険はなかった。
 医務室の掃除に行くと、ベッドの上にハルが転がっていてトリシアはぎょっとする。医者が「貧血」と指差しながら言った。
(肉体の変化……)
 輸血されながらハルは、入ってきたトリシアを邪険そうに見てきた。
 トリシアは澄ました表情で室内を簡単に掃除してそこを出て行く。
 べつに彼と関わる気はない。トリッパーがどんな存在なのか、気にはなるけれど。
 この『ブルー・パール号』という列車も、異界からの技術を応用して作られたものだ。
 異界とはどんな世界なのか。気にはなるのだから仕方ない。
(夢のような世界とは思わないけど、文明はきっと発達しているのよね……)
 すごい世界に違いない。
 トリッパーの能力も、よくはわからないがすごいものだった。
(ミスターは壁というか、天井をすり抜けたし……遠くの音や匂いがわかるみたいだったわね)
 それを隠したがる理由は推測できないが、やはり迫害されるからだろうか?
 二等客室の掃除をしていると、ハルが戻って来た。足取りはよくない。
 話しかけるべきかどうか迷うが、やめておいた。トリシアは彼が通れるように避けて、黙ったままでいる。
 ハルはトリシアからいきなり距離をとった。廊下を端まで避けて、視線まで逸らして歩く。
(ひっ、ひどい!)
 そこまでしなくても。
 嫌われているのはわかった。だからってそこまでしなくてもいいのに。
 腹立たしさと悲しさに表情が崩れそうになるが、堪える。ハルはこちらを一瞥し、疲れたような目つきで言った。
「……あんまり近づくと危ねぇぞ」
「は?」
 彼はそれ以上言わずに、部屋に引っ込んでしまった。
 意味がわからないトリシアは、ただただ混乱するばかりだった。



 一等食堂車で食事をするハルを見かけたのは、しばらくしてからだった。
 ほとんど部屋で過ごしているので珍しい。
 トリシアは彼が注文した野菜サラダをテーブルに置き、立ち去ろうとした。
(あら……また顔色が悪いわ)
 どんどん悪くなっているような気がする。
 彼は窓の外を眺めていたが、視線に気づいて振り向いた。目がばっちり合ってしまう。
「あ……」
 咄嗟のことで声が出ないトリシアに、ハルはふてくされたような表情で目を細めた。
「近づくと危ねぇって言っただろーが」
「ですが……あの、料理を……」
「あぁ……なるほど」
 頷くハルは嘆息してから野菜を食べ始める。そういえば、彼が肉類を食べているところを見たことがない。
(ベジタリアン?)
 あまり凝視するわけにもいかないので、キャビネットを押して去ろうとすると、ハルに腕を掴まれた。
 振り返ると彼が何かを警戒するように周囲に目配せしている。
「ミスター?」
「…………行ったか」
「あの?」
「なんでもねぇよ」
 腕を放してハルは食事を再開した。意味がわからないトリシアは困惑顔のままだ。
 理由を教えて欲しいが、ハルが素直に言ってくれるとは到底思えない。
 仕方なく、キャビネットを押して食堂車を出て行くと、しばらく進んだ先で二等客室に泊まっているパーカーという男と出くわした。
「ああ、ごめんよ」
 彼は気軽に言って避けてくれたが、なんだかじっと見られていて気味が悪い。
「ねえ、ミスター・ミズサとは仲がいいのかい?」
 誰のことかと一瞬思ったが、確かハルのファミリー・ネームがミズサだった。
 トリシアは緩く首を振った。
「いいえ」
「彼、トリッパーなんだろう?」
 好奇心を全面に押し出して訊いてくるパーカーに、トリシアは「さあ?」と答えた。
 ハル自身が公言しないことを言うつもりはない。客の秘密を守るのも、添乗員の役目だ。
 と、ズカズカとこちらに向けて歩いてくるハルの姿が見えた。
 びっくりするトリシアたちを見向きもせずにそのままどんどん三等客車のほうへと進んでいく。
 バン! と強く引き戸を締めて行ってしまうので、思わずびくりとトリシアの肩が震えた。
 パーカーは「なんだいあれ……」と目をぱちくりとさせていた。



 盗賊たちは使われていない三頭客車の一室に閉じ込められている。
 見張りをしているラグのところに様子を見に行くと、そこにはルキアもおり、なんとハルもいた。
 ハルは背中を壁に預け、面倒そうな顔でラグとルキアに何か言っていた。
 出直したほうがいいだろうか。ラグに軽食を持って来たのに。
 だがぴた、と視線がハルと合ってしまう。そうだ。彼は遠くの足音も聞き分けてしまう能力があった!
 引き返すのもおかしいので、トリシアはサンドイッチの乗ったトレイをラグに渡した。
「お疲れ様です」
「ありがとう、トリシア」
 元気に笑って返してくれるラグに、自然とこちらも笑顔になった。
 ルキアは「良かったですね」と呟き、それからハルと共に去ってしまった。
 目で追っていたトリシアの背後で、座り込んだままラグがサンドイッチを食べ始める。
「ミスター・ミズサがここに来るなんて珍しいわね」
「ルキアが寝ないから、文句を言いに来た」
「は?」
「オレも注意した。でもルキア、全然言うこときいてくれない」
「???」
 混乱するトリシアに、美味しそうにサンドイッチを頬張るラグは、説明してくる。
「ルキアは魔術を使うと眠くなる」
「あぁ、そういえば」
「でもここ最近、寝ないで頑張ってる。ハル、それを叱りに来た」
「……そうなの」
 へぇ。意外に親切だと感心していると、ラグが笑う。
「いざという時にルキアが動けないと、みんなが迷惑するってすごく怒ってた」
「…………」
「ハルが怒っても、ルキア、たぶん寝ない」
 ラグは諦めたように言ったが、聞き捨てならなかった。
 もしも寝ていないなら、危険だ。
「……ミスターが怒るのも無理ないわね」
「ハルは短気だけど、とってもいいヤツ」
 ラグはサンドイッチを頬張ってそう主張した。
「トリッパーは、よく狙われる。トリシア、そのこと知ってるか?」
「え? そうなの?」
「そう。トリッパーの知識を欲しがるヤツは多いから。ハルもたぶん、よく狙われたんじゃないかと思う」
「……傭兵の間では有名な話なの?」
「有名だ。トリッパーを捕まえようとする連中もいる」
 物騒なことだ。
 ならば、ハルが周囲を警戒しているのも納得できる。
 あの不思議な力があるならば、トリッパーたちは自衛できるのだろう。ただ……。
(精神に攻撃を受けるって言ってたわね……)
 なんらかの障害がトリッパーにもたらされる。どんなものかはわからないが。
 まるで「代償」だ。
 新たな力を得る代わりに、何かを破壊される。
 ハルはルキアを「似ている」と表現した。それはルキアが分不相応な魔力を持っているために、その反発があるのではと考えたからでは?
 トリシアにはハルの気持ちはわからない。けれど、孤独の寂しさだけは、少しはわかる気はした。

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