Barkarole! ナイトスカー4

 イズル駅に停車し、盗賊たちは軍に引き渡された。
 ルキアとラグが下車して軍に引き渡している間、トリシアのほうは…………今まさに状況が理解できない。
 気づけば自分はいつの間にか、見知らぬ場所に立っていた。裏路地に立つトリシアは瞬きをし、そこがイズル駅からさほど離れていないと知った。
 なぜこんなところに自分が立っているのか。
 そして、辺りは完全に闇に沈んでいる。
 真っ青になるトリシアは、静かに呼吸を繰り返す。思い出せ。何が起こったのかを。
 だが、何も思い出せない。どういうことなのかも、わからない。
 夜の寒さに身を震わせていると、足がそこから動かないことにやっと気づいた。
(なんで……)
 早く駅に戻らなければ。ブルー・パール号の発車時刻はもう過ぎただろうか?
「バカ女」
 そう声が聞こえて、振り返る。首だけは動くようだが、下半身はまったくそこから動いてくれない。
「騒ぎになってるぞ、おまえがいないって」
 冷たい非難の声に、トリシアは涙が出そうになる。ハルだ。
 彼は外套を深く着込み、寒さを防ごうとするような動きでこちらに近づいてくる。
「ミスター……」
「…………」
 彼はトリシアの声に安堵したのか空気を和らげたが、すぐに顔をしかめる。
「……おまえ、魔術をかけられたな?」
「……は?」
「薬品の匂いがする……」
「…………」
 ハルの言葉に衝撃を受けて、トリシアは唖然としてしまう。
 魔術?
 しかも薬品を補助で使ったとなれば、正当な魔術師ではない。
「ミスター、あ、足が動かないのです」
 痺れたように動かない足に、トリシアは視線を遣る。
 ハルはこちらにずんずんと近づき、正面に回ってくれた。薄暗い中、彼は顔をしかめたままトリシアの様子をみる。
「あのチビ軍人なら簡単に解除できるんだろうが……。下手くそな魔術を使われたんだろうな」
「どうしたら……」
 涙声になってしまう。このまま突っ立っているのも辛いし、なにより心配をかけている車内の仲間たちに申し訳ない。
 ハルはこちらをうかがうように見て、軽く溜息をついた。
「残念だが、僕は魔術師じゃなくて地学者だ。おまえにかけられた魔術は解けない」
「そ、うですよね……」
「…………」
 ハルはしばらく苦痛を耐えるような顔をしていたが、大仰に嘆息するといきなりトリシアの腰に手をまわした。
「今が夜で良かったな」
 苦々しげに言う彼はいきなりトリシアを小脇に抱えた。
 驚愕の出来事に呆然としていると、ハルは駆け出す。
「……重い」
 文句を洩らし、それでもトリシアを落とすまいとして走る彼をトリシアは身を捻って見遣った。
(なぜ、飛ばないのかしら?)
 人前でトリッパーの能力を使いたくないのだろうか?
「っ!」
 彼は途中で動きを止め、荒い息を吐きながら暗闇を見つめた。トリシアには見えない。何が見えている?
「おまえ……どうしてここに居る?」
「心配して探しに来たんだよ。お手伝いしましょう、ミスター・ミズサ」
 明るい声にトリシアがハッとする。パーカーの声だ。ではこの闇の中で、彼もトリシアを探しに来てくれたということだ。
 ハルは警戒したように一歩後退した。
「おまえがこの女に魔術をかけたな……?」
「は? なんのことだい?」
「…………シラを切るつもりなのはわかった」
 硬い声で応じるハルは闇の中を睨みつけている。
(そうか! ミスターは私と同じ薬品の匂いをパーカーから嗅ぎ取っている……!)
 恐怖と驚愕で目を見開き、トリシアは闇へと目を凝らす。
 こんな裏通りを探すのがそもそもおかしいのだ。ハルはトリシアの匂いを少しずつ感じ取って探しに来たのだが、パーカーは偶然にしては出来すぎだ。
「手伝いはあのチビやセイオンの坊主で充分だ。呼んで来い」
「おやおや。嫌われたものだ」
 肩をすくめる様子がうかがえる。しかしゾッとしてしまった。
 こんな時間までトリシアが何をしていたのかパーカーは知っているのだ。
 自分の知らない間に何が起きたか彼は知っている。こんな時間までトリシアを彼は放置していたのだ。もしや、近くで観察をしていたのかもしれない。
(ミスター・ミズサがトリッパーの異能を使うのを見るためだとしたら……)
 ハルが異能を使わない理由がわかる。
 重そうにトリシアを抱えなおすハルは、意を決したらしく歩き出した。
 彼は暗闇をまったく気にせずに真っ直ぐに歩みを進める。途中でパーカーと合流し、そのまま表通りまで歩いた。
 表通りでは街灯の明かりが点々とあり、トリシアを安堵させた。
 ハルはそこまで来ると、一度トリシアを地面に降ろした。怪訝そうにするトリシアは置いていかれると思って慌てる。
 だが彼は背中を向けてきた。
「ほら」
「え?」
「…………」
 無言になるハルをうかがうと、彼は真っ赤になってこちらを振り返った。
「察しろ、バカ女!」
「はっ、え? あ、はい」
 体勢からして負ぶってくれるつもりなのだと思い、トリシアは彼の首に手を回してしがみつく。足が動かないので体の上半身だけでなんとかするしかない。
「ぐっ、お、おまえ……! 僕を絞め殺すつもりかっ!」
「す、すみません、ミスター!」
 力を抜くや、ハルは立ち上がった。瞬間、よろめく。
 踏ん張って歩くハルを見遣り、トリシアは彼の具合が良くないのではと心配した。
「大変そうだね、手伝おうか?」
 パーカーの再びの問いかけをハルは完全に無視した。
 ずんずんと大股で歩くハルは腰に手を回して、トリシアを安定させるように負ぶった。
「やっぱり重い……」
 重い重いと失礼な!
 文句を言ってやりたかったがトリシアがぐっと堪えた。
 体調が悪いハルに無理をさせているのは自分のほうだ。
 三人はイズル駅まで戻ってきて、ブルー・パール号が停車しているホームまで進む。
「ハル!」
 こちらに気づいたのはルキアだった。だが目の前まであっという間に来てしまったのはラグのほうだった。 なんという身体能力だ!
「ハル! トリシア! 大丈夫か!?」
「大丈夫じゃねえよ!」
 怒鳴り返すハルの顔色は悪く、彼は背中を向けてラグにトリシアを任せた。トリシアを軽々と抱きかかえるラグはきょとんとしている。
 こちらに来たルキアが安堵したように微笑んだ。
「無事で良かったです、二人とも」
「ルキア様……」
 ルキアも相当心配していたようで、トリシアは俯いてしまう。みんなに迷惑をかけてしまった。どうやって挽回すればいいのかわからない。
 ハルはハーッと大きく息を吐き出し、ルキアに言う。
「この女、足が動かねぇらしい。診てやれ」
「ハル?」
 意味を図りかねて目を丸くするルキアの横を通り過ぎ、「あー、重かった」とぶちぶち言いながらハルは列車に乗り込んだ。
 残されたパーカーはルキアとラグを交互に見遣り、にこっと笑う。
「それじゃ、私もこれで」
 笑顔のパーカーを不気味に思って身を縮めていると、ルキアが素早く動いて彼を阻んだ。
「待ってください」
「はい?」
 パーカーはきょとんとし、小柄なルキアを見下ろす。だがルキアはまったく負けていない。
 彼はパーカーを冷徹に見るや、目を細めた。
「なんの目的があってトリシアに近づくのですか」
 直球すぎる質問にトリシアのほうが目を見開く。
「彼女に魔術をかけたのはあなたですね」
 見破っていることにトリシアは仰天した。ハルのたった一言から、ルキアはすぐにそのことに気づいたのだ。さすが『紫電のルキア』と名高い超天才児だ。
「だとして、ファルシオン様に私が裁けますか」
「消し炭にしてやることはできますよ」
 堂々と脅し文句を口にするルキアにパーカーは笑った。
「冗談が上手いですね、ファルシオン様。私は記者です。真実の追究には、どのような犠牲をも払う、ね」
「…………そうですか」
 ルキアは視線を伏せてそう呟き、パーカーに道を譲る。パーカーは飄々とその横を通って列車に乗り込んだ。
 ラグはルキアにそっと近寄り、尋ねる。
「? あいつがトリシアに何かしたのか?」
「…………」
「ルキア!」
「証拠がありません……」
 静かにそう言うルキアはトリシアのほうを見て微笑んだ。砂糖菓子のような笑みにトリシアは全身の力が抜けるのがわかる。
「医務室に行きましょう。ラグ、彼女を運んでください」

 医務室のベッドの上に降ろされ、トリシアは足を摩る。やはり足は動かない。
 医者を退室させ、ルキアは二人っきりになった室内でそっとトリシアの足に手を遣った。
「魔術の後遺症ですね」
「後遺症、ですか……。あの、ずっとなのでしょうか?」
「安心してください、トリシア。軽度の後遺症です」
 ルキアはにっこりと笑い、それから真摯に見つめてくる。
「どこに居たんですか? トリシア」
「場所は、よくわかりません。駅から近い、裏通りです」
「そんなところで何を?」
「わかりません」
 即答すると、ルキアがトリシアの熱をはかるように額に手を当ててきた。小さくてあたたかい手にトリシアは泣きそうになる。
「記憶がないということは、それに干渉される魔術を使われたのですね。あまり褒められるものではありません」
「ルキア様、私……!」
「魔術にかけられた直後なので足が一時的に動かないだけなので、それほど不安になることはありません。
 ただ……ちょっと熱がありますね」
「…………」
「あなたは被害者なのですから、それほど罪悪感を感じる必要はありませんよ」
 軽く言ってくるルキアは微笑んだ。そうは言われても、自分は彼らに捜索をされていたし、みんなに迷惑をかけたのは事実だ。
 これは仕事で挽回するしかない。それしか、自分にはできないのだから。
 静かに決意をしていると、ルキアが続けて言ってくる。
「あなたが降車する姿は夕方に目撃されています。それほど時間は経っていないので、何もされていないと思いますが……」
「…………」
 初めてそこでトリシアはハッとして自身を見下ろした。衣服に乱れはない。それに、どこにも怪我はなかった。
 安堵して「大丈夫みたいです」と答えるとルキアは頷いた。
「今夜はゆっくり休養するように。それと……」
 顔を近づけてきて、トリシアは瞬きをする。ルキアは神妙にこちらを凝視していたが、すぐにパッと身を引いた。
「なんでもありません。
 ラグ!」
 部屋の外に待機していたらしいラグがドアを乱暴に開けた。顔を覗かせて、心配そうに見てくる。
「ルキア、終わったか?」
「ええ。彼女の部屋に運んであげてください。自分は少々用がありますので」
「わかった」
 ラグはしっかりと頷き、トリシアに駆け寄るとすぐにその体を持ち上げた。

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