Barkarole! レギオン1

(ミスターはどこに行ったのかしら?)
 盗賊騒ぎの後、車掌に礼を言われていたハルの姿が見えない。
 部屋にはいなかったようだし、どこにも見かけない。
 医務室に行くとラグがベッドで眠っていたし、ルキアのほうは盗賊の監視で忙しい。
 ではハルは?
 車内を歩くトリシアはぎくっとして足を止めた。
 二等展望室の隅のほうで、膝を抱えて座り込んでいる黒いものがあったのだ。
「ひっ!」
 悲鳴をあげるとそれが動き、こちらを見た。
 黒くはない。濃茶の長い丈の外套のせいで、ミノムシのように見えただけだった。
 顔色の悪いハルが「んあ?」と不機嫌そうな声をあげて、トリシアを見遣る。
「……なんだ。添乗員かよ」
 面倒そうな口調でまた頭を落とす。気分でも悪いのだろうか?
 トリシアが近づくと、彼は素早い動きで立ち上がり、「しっしっ」と手を振ってみせた。……なんだその態度は。
 ムッとするトリシアを睨み、彼は顔を隠すようにして後ずさる。と言ってもそもそも隅に座っていたのだから、それ以上後退しようがないのだが。
「ミスター、顔色が悪いですが」
「うるさい。あっち行け」
「…………」
 お節介はし過ぎるのはいけない。トリシアは「失礼しました」と頭をさげてそこから立ち去ろうとした。
 ぐらり、と背後で揺れる気配がしたと思ったら、どすんとハルが尻餅をついていた。



「貧血、ですか」
 医務室に連れて行くと、ベッドが占領されていたために、ハルは壁にもたれるようにしてイスに腰掛けられていた。
 彼は気を失っており、トリシアがなんとかここまで運び込んできたのだ。
 医者は頷く。
「貧血だね、どう見ても」
「そういえば……ミスターは普段から顔色が悪くて」
「よくここに来てたよ」
「えっ」
 驚くトリシアに医者は笑う。
「貧血になる体質なんだろう。輸血はよくしていたが、血液が減るほうが早いんだろうな」
「そういう病気なのですか?」
「未知の病気はまだまだある。そうかもしれん」
 初老の医者はニカッと、欠けた歯のある顔で笑う。
 トリシアはそっとハルを見た。
 血液不足に悩まされる病気なんて、初めて聞いた。それでは普段から顔色が悪いわけだ。
(トリッパーだから、かしら……)
 あの異能を目の当たりにしているだけに、彼がただの貧血にはどうしても思えなかった。
「う……」
 目を覚ましたらしいハルは、周囲の様子をしかめっ面で眺めて「あぁ」と小さく洩らした。
「チッ」
 ……舌打ちまでした。
 トリシアのほうを見遣り、じろじろと見てくる。
「おまえが運んだのかよ?」
「はい」
「…………」
 すぅ、と彼は目を細めた。そしてよろめきながら立ち上がる。
 医務室から出て行くハルを、トリシアは追いかけた。
「ミスター! 急に動いてはまた目眩を起こされますよ!」
「…………」
「ミスター!」
「うるせー!」
 ハルは怒鳴り、振り返ってきた。だがすぐにばつが悪そうな顔をして、足を止める。
「こんなの日常茶飯事なんだ。気にすんな。
 あと………………ありがとな」
 小さく、本当に小さく礼を言われた。彼の頬はほんのりと赤く染まっており、色白だからかはっきりとそれがわかった。
「いえ、こちらこそミスターには助けてもらいましたから」
 それに彼はこの列車の客でもある。
 胸を張ってそう応えると、ハルは面倒そうな表情を露骨に浮かべて歩き出した。トリシアもそれに続く。
 部屋に着くと、ハルは振り返ってトリシアを見てきた。
「……今日見たこと」
「はい?」
「……誰かに言っても、どーせ信じてもらえねぇぞ」
「…………それは、ミスターが空を飛んだりしたことですか?」
 小首を傾げて尋ねると、「わー!」と悲鳴をあげてトリシアの口をハルが塞いだ。
「迂闊なこと言ってんじゃねーよ!」
「ふぐっ、しゅ、しゅみましぇ……」
「……はー」
 ハルはトリシアから手を離した。
「口外するんじゃねーよ。どうせ誰も信じねぇけどな」
「ルキア様は信じると思いますが」
 ハッとしてハルが青ざめる。トリシアにずいっと近づき、威圧的に睨んだ。
「絶対にあのチビには言うなよ!」
「わかっております。ミスターの意に反することなのですね?」
「そ、そうだ」
「かしこまりました」
 頭をさげるトリシアに彼は拍子抜けしたようだ。不思議そうにこちらを見てくる。
「おまえは……気に、ならないのか? 僕のこと」
「? 不思議な力をお持ちだとは思いますが、特には」
「…………」
 不審そうに見られてしまった。どうやらルキアにしつこく付きまとわれていたせいで、疑っているようだ。
「私はこのブルー・パール号の添乗員です。お客様の秘密は守ると誓います」
「あ、いや……まぁ、ならいいが……」
 出鼻を挫かれたような気分になったのか、ハルはすっと身を引いた。そしてトリシアに離れるように言う。
「医者も何か言っていたかもしれないが、僕は極度の貧血症なんだ。あんまり近づくな」
「伝染する病なのですか?」
「いや、伝染は…………しない。これは僕だけの症状だ」
 難しそうな顔で言うハルは、ふところから小瓶を取り出して、中からキャンディを取り出す。あの真っ赤な、濃紅の飴だ。
 彼はそれを一つ口に含んでもぐもぐと動かす。
「……綺麗な飴ですね」
 そう感想を言うと、ハルは顔をしかめた。
「……そんないいもんじゃない。血液を凝固したものだ」
「えっ」
 驚愕に目を見開くトリシアに彼は満足したのか、ちょっと笑みを浮かべた。
「こうして持ち歩いているんだ。倒れないようにな」
「……失礼しました、ミスター。出すぎたことを申しました」
「? 感想を言っただけだろ、変な女だな」
 飴のようなものを食べるハルはやっと安堵したのか、部屋のドアに背をあずけたまま腕組みする。
「おまえ、名前は?」
「トリシアです」
「……ファミリー・ネームは」
「ありません」
「……あ」
 合点がいったのか、ハルが目を見開き、戸惑ったように視線を泳がせた。
「…………わ、悪かったな」
「孤児であることは隠していませんから、どうぞお気になさらずに」
 口ではそう言っても、やはり傷つく。だが顔には出さない。今が仕事中だからだ。
「おまえが気にしなくても、僕は気にするんだ!」
「そ、そうですか……?」
「あ、あのチビも何か言ったか?」
「私の出自に関してですか?」
 こくりとハルが頷く。
 トリシアはルキアとの遣り取りを思い出してふんわり笑った。
「いいえ。ただ名前が可愛いとだけ言われました」
「………………」
 呆然とするハルは、すぐに何かショックを受けたような表情を浮かべて部屋に入ってしまった。
 目の前でバタンとドアを閉められ、トリシアのほうが困惑してしまう。
(な、何か気に障ったかしら?)
 扱い難い客だと思いながら、トリシアは二等客室をあとにした。



 ラグの怪我は比較的軽傷で済んだようで、彼はこの列車の護衛を引き受けた。もちろん、帝都まで。
 とは言っても、ルキアと共同で、だが。
 いつものように掃除をしていると、二等展望室でぼんやりと外の景色を眺めていたハルを発見した。
 彼は手の中に懐中時計を持っており、蓋を開けたり閉めたりしている。
 邪魔にならないようにと通り過ぎようとしたが、窓ガラス越しに見られていることに気づいて足を止めた。
「なんでしょうか、ミスター」
「………………」
 何か言いかけるが、ハルは口を噤んでしまう。そしてくるりとこちらに体の向きを変えた。
 相変わらず顔色が悪く、立っているのも辛そうだ。なぜこんなところにいるのだろう? 部屋で大人しくしておけばいいのに。
 睨まれている?
 不審そうにするトリシアに、彼は視線を伏せてから嘆息した。
「一つだ」
「は?」
 人差し指を一本立てて、彼は顔をあげた。
「質問に一つ、答えてやる。どうだ」
 どうだ、と言われても。
 トリシアは目を見開き、困惑して箒をぎゅっと握った。
 もしかして……昨日のやり取りを気にしているのだろうか? トリシアが孤児だということは、ファミリー・ネームがないことで明確だというのに?
(……繊細な方、というか、神経質なのかしら……)
 ちょっと笑ってしまいそうになる。
「なんでも……いいのでしょうか?」
「ああ」
「では……ミスターはやはりトリッパーなのですか?」
「……ああ」
 不機嫌な声で応じるが、嘘はついていないようだ。
「そうですか」
 トリシアが納得して頷き、「ありがとうございました」と礼を言うと、彼は変な顔をした。
「…………それで終わりか?」
「? 質問は一つだけと言われたと思いますが」
「い、いや……そうじゃなくてだな……」
 慌てるハルは真っ赤になって、顔を背けた。「もういい!」と小さく怒鳴って腕組みまでする。
 あれこれと訊かれると覚悟していたのかもしれない。
(私はルキア様ほど興味津々ではないもの)
 過剰に訊いているルキアの様子を見ているだけに、あまりハルを突っつくことはしない。
 ぱちん、と懐中時計の蓋を閉めてからハルは俯いて嘆息した。
「変な女……」
(……むかっ)
 内心腹が立ったが、ここでも顔には出さない。今は「仕事中」、だ。我慢だトリシア。
 自分にそう言い聞かせなければ接客はできない。
「セイオンの坊主の様子はどうだ?」
「あぁ、軽傷で済んだそうですよ」
「あのチビっこ軍人はまぁ……なんとかしそうだよな」
 なにか思い当たることでもあるのか、ハルは渋い顔をしている。
「ルキア様が、また何かしたのですか?」
 尋ねるトリシアを一瞥し、ハルは渋面を崩さずに続けた。
「あの子供は、トリッパーに近い」
「…………は?」
 言われた意味がわからずに眉をひそめると、ハルは少し視線を伏せた。こうして見ると、彼は本当に美形だ。
「トリッパーの特徴を、おまえは知ってるか?」
「……ええ、一応。肉体の変化や、精神障害、ですよね?」
「僕はそのどちらにもかかっている」
 あっさりと告げられ、トリシアは瞬きをした。頑なに言おうとしなかったハルがそれをここで言うとは思わなかったからだ。
「トリッパーは異界の門をくぐり抜けてこちらに来る際に、必ずそういった障害を経る。
 だがあの子供は……生まれた時から異質なんだろう」
「どうしてそう……思われるのですか?」
「見ればわかる」
 真っ直ぐにハルがこちらを見た。
「魔力の高さがまず異様だ。それに、妙な気配も感じる。……まぁセイオンの坊主も似たような気配はするがな」
 それに、と彼は付け加えた。
「育てた親が良かったとしか言いようがねぇな。空気を読まない性格も幸いしてる」
「そうですか?」
「迷惑するヤツはいるが、悪意にさらされても自分の信念は曲げないほど精神状態が安定してるってことだからな」
 ハルの言っていることはちょっと難しい。
 つまり、ルキアは空気を読まないかわりに他者の悪意に気づかないということなのだろう。
「トリッパーは精神にひどく攻撃を受ける。そのせいで、問題が起こる。あのチビ軍人はまさにそれだ」
「……ルキア様に問題はみられませんが」
「『欠落者』かもしれないぞ」
 その単語にトリシアは目を見開く。
 精神的に問題がある者を、世間ではそう呼ぶ。感情の一部分が欠落していたり、浅い反応しかできない者たちのことだ。
 ルキアはとてもそうは見えなかった。トリシアは顔をしかめる。
「憶測でものを言うのはよくないと思います、ミスター」
「……まあ、僕にはどっちでもいいことだ。面倒なことをヤツらが進んで片付けてくれるしな」
 正義感が強くて助かる、と彼は薄く笑った。
「ミスターだって、戦ってくれたじゃありませんか!」
「あれは必要に迫られたからだ! そもそも僕は軍人でもないし、傭兵でもない。地学者なんだからな!」
 鼻息荒く言われて、トリシアはさらに驚いた。
 ハルが地学者? あちこちを旅して、遺跡を調べたり、地理を勉学する?
 ……悪いが、まったくそうは見えなかった。確かに見た目は売れない学者のようではあるが。
「で、ではあちこちを旅して……」
「………………」
「失礼。質問は一つだけでしたね、ミスター」
「ああ」
 腕組みを解いて、ハルはトリシアをまじまじと見つめた。
「おまえ、幾つになる?」
「17ですが」
「…………そうか」
 切なそうに見てくるハルは、すぐに表情を引き締めると歩き出した。立ち去るつもりだろう。
 どうやらここでトリシアを待ち受けていたらしい。……変な客だ。
「僕はもう21だ。……もう、4年か」
 小さな呟きと共に、車両のドアが閉められた。

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