Barkarole! レギオン16

 宣戦布告を、されてしまった……。
 呆然としながらルキアに手を引かれて歩くトリシアの頭はぼーっとしたままだった。
 彼に、告白、された……? のだろうか。あれは。
 いくら鈍くても、目を逸らしていても、間違いようがない。  ルキアはトリシアのことを恋人にしたいと言ったし、娶るのに問題はないとまで言った。
(でも、ルキア様が気にしないだけよね……)
 そんなことを考えていても、先程言われたことに顔が自然に熱くなる。
 生まれて初めて男性に告白されてしまった。しかも、とびきりの美少年に。これでときめかないなら、ちょっとどうかと思う。
 例に漏れず、トリシアの心臓は早鐘のようにやまない音に手が微かに震えてしまう。
 危険だ。頭の中で警鐘が鳴っている。
 ルキアを好きになるのだけはダメだとトリシアの脳内で警告が何度もされている。今までだってあった。だが、今はその比ではない。
(私が……ルキア様を好き?)
 好きになることが? いや、好き、なのだろうか?
 自分の気持ちさえ持て余し気味なのに……。
「あの」
 小さく声をかけると「はい?」と振り返らずにルキアが応えてくる。
「る、ルキアっ、様はっ」
 声が上擦った。情けない。
「わ、私のことが、す、す、すっ」
「す?」
(ああもう、恥ずかしい!)
 真っ赤になりながらなんとか勇気を出して続けた。
「すっ、好き、なのですか?」
「何度も言ってますが、好いておりますよ?」
「れ、恋愛感情でしょうか……?」
「恋愛をしたことがないのでわかりかねます」
 あっさりと言われてトリシアは硬直しそうになってしまう。
(そ、そういえば私も恋愛なんてしたことない……)
 内心、引きつりながらそう考えているとルキアの笑う声が聞こえた。
「怖いのに、傍に居ないと嫌だなんて……不思議な感情ですね」
「え?」
「もしもこの感情に名前をつけるなら……たぶん、『恋』だとは思うのです」
「…………」
「あなたのことが怖くてたまりません」
 楽しそうに言う言葉ではないと思う……。困惑するトリシアのほうを彼は振り向かずに階段を降りていく。
「私は、怖くないですよ。お、怒ったりしない限りは」
「…………そうでしょうか」
 ルキアの真面目な声音にトリシアは不思議そうに軽く首を傾げた。
「また、あんなことになったら…………」
 小さな囁きに「え?」と返す。彼は「いいえ」と小さくかぶりを振った。
「気にしないでください。自分が未熟だと再確認していただけなので」
「ルキア様ほどの人が未熟、ですか?」
「ははっ。買いかぶりすぎですよ、トリシア」
「……そう、ですか?」
 疑いつつ尋ねると、ルキアが軽く振り返ってきた。長い髪がそれに合わせて動く。
「そうですよ」
 笑みを浮かべているルキアは少し目を細める。そして唇に人差し指を当てた。
「静かに。様子がおかしい」
「は、はい」
 小声で応じて頷くトリシアの全身に緊張が走る。そもそも階段を降りてばかりだった。一体どれくらい深いのかもわからない。
 先を歩いているはずの『ヤト』のメンバーと会わないのはなぜなのか……。一本道だったはずだというのに。
「…………魔術で惑わせているのでしょうか……。おかしな感じです」
「惑わせて、ですか」
「単純な動きに合わせて、階段も続くようですね……。あまりに長いのでおかしいとは思っていたのですが」
「階段が、動くんですか!?」
 そんな奇天烈なことが起こるのだろうか?
 びっくりしていると、ルキアは頷く。
「トリッパーの世界では、動く床もあるとか。階段が動いても不思議はありませんよ」
「はぁ……、なんだか想像しにくいですね」
 そういえばあのトリッパーの青年は今頃どうしているのだろうか?
 そんなことを考えている間にルキアは横の壁に手を触れている。
「魔力が強いほうが惑わされるように仕組まれてますね」
「そ、そうなんですか?」
「はい。魔力の少ない研究者たちは簡単に進めたんでしょう」
「どうされるのですか?」
「どうって……邪魔なので、この魔術を破ります」
「や、破っちゃっても大丈夫なんですか?」
 なんだか怖い。トリシアが不安そうにすると、ルキアがふわっと笑った。
「破る、という言い方は正確ではないですね。『ほどく』という表現のほうが正しいです」
「ほど、く?」
「絡まった紐をほどくのと同じ要領ですよ」
 すっ、と光を集めていた人差し指で円を空中に描く。リン! と鈴のような音が鳴ると同時に魔法陣が周囲に浮かび上がった。
 次の瞬間、ぐらりと足元が揺れて『着地』した。
 周囲の景色が違っている。そこは大きなホールのようになっていた。
「ここは……?」
「…………遺体がありません」
 冷たい目で呟くルキアは不可思議そうだった。
「おかしいですね。研究者たちの遺体は放置してあったはずです。腐臭もしないのは変です」
「ル、ルキア様……」
「やはりここは異常です」
 離れないように、とトリシアに注意をするとルキアは周囲をざっと見渡して唖然とする。
「あれは……?」
 さらに階下へと通じる階段が数箇所あるが、その一箇所からなにかが染み出してきていた。
 黒い影の塊のようなものは「オオオ……」と低く唸りながらこちらへと這い上がってくる。
「トリシア! 退がってください!」
 ルキアが庇うように前に出て影に対峙した。
「あ、あれはなんですか……?」
 じりじりと後退しながら尋ねる。きっとルキアにもわからないことのはずなのに、答えを求めずにはいられなかった。
「さあ? 自分にもわかりかねますが……この遺跡には『番人』がいるようですね」
「番人、ですか……」
 あの怪鳥もだろうか?
 トリシアは自分がルキアの前に飛び出した瞬間を思い出す。無我夢中だったあの時と違って、素直に身体は恐怖している。
(なんだろう……。でも)
 でも。
 ルキアのほうをちらりと見遣る。彼が、とても頼もしい。
 絶対的な自信を持っているわけではないのに。それなのに、彼はこうして自分を安心させることができる。
 半透明の影が触手をぎゅ! と伸ばしてくる。あまりの速さにトリシアの目では追えなかった。
 触手を防いだのはいつの間にか作り出されていたルキアの防御魔法陣だった。目の前に美しいレースのように広がっている模様の円は、薄く光っている。
「怖くありませんよ」
 トリシアのほうを見てルキアは微笑んだ。
「自分がついていますから」
 どこかでそんなに自信が出てくるのだとトリシアは言いたくなる。けれどもルキアは嘘は言わない。
 人差し指と中指を立てた状態で、ルキアは床のあちこちを指差した。示したその場所に小さな魔法陣が広がり、展開していく。
 近づいてこようとする影はそこで立ち止まり、上部に大きく伸びたり縮んだりしていたが近づいてこなかった。
「…………」
 気持ち悪い。なんだこの物体は。
「……ふむ。やってみますか」
 ルキアはひとりごちてパン! と大きく両手を合わせた。引き剥がしたその掌に、光るあやとりがある。まるで籠のようなそれがぶわっ、といきなり急速に広がって広がって!
 黒い物体を包み込んで『蒸発』した。
 じゅわっ、と気化したその魔術に異臭はしなかったが……呆気ない退治法にトリシアが呆然とする。
「やはり液体の塊でしたか……」
 呟くルキアはトリシアのほうを振り向く。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。今のは……なんだったんでしょうか?」
「……想像ですけど」
「はい」
「たぶん、アレが遺体を食べていたのだと思います」
「は?」
 言われた意味がわからずにトリシアは訊き返してしまう。
「ですから、アレが飲み込んでいたのでしょう。液体だとは思いますが意志のようなものはあったのでしょう。ほら」
 指差した先は、アレが通ったあとだ。……ゴミ一つない。
 ……ちりも、何もない。
 通った痕跡すら……ない。まるで波が、すべてをさらっていってしまったかのような静けさ。
 ゾッとして青ざめるトリシアのほうを見ずにルキアは目を細める。
「液体生物と仮に称します。このへんは自分の管轄外なのでわかりませんが」
「あ、あの、デライエ少佐たちは無事でしょうか?」
「無事でしょう」
「本当ですか?」
「それより、自分たちは元の場所に戻りましょう。これ以上進んで合流できなくなるのはよくありません」
 急いで引き返すルキアはふいに顔をあげた。そして顔をしかめる。
「見つかったようですね」
「え?」
 振り返ったそこには、トリシアが立っていた。

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