Barkarole! レギオン15

 石造りの階段には灯りがないので、ルキアが指先に光を集めて先へと進んでいる。随分と下へと続いている。どこを歩いているのかわからない。
 先を進んでいるであろう『ヤト』のメンバーの足音は聞こえてこない。
「あの……私に喋っちゃっていいんですか?」
「何をでしょう?」
「魔封具のこととか、色々です」
「?」
「デライエ少佐は、機密だとおっしゃっていました」
「あはは。少佐なら言いそうですね」
 にこやかに言うルキアは、トリシアの手を離そうとはしない。子供の手のはずなのに、ルキアの手はトリシアより大きい。
「構いませんよ。周知の事実ですし、機密扱いはされていますが、隠す必要性はありません」
「でも……」
「トリシアは自分以上に、そういうことを気にしますね」
「え? そ、そうですか?」
「ええ。あなたは現実主義者ですから、気になりますよね、そういうことは」
「…………」
 その通りだ。
 自分は融通がきかない……現実主義者だ。だから、ルキアとは恋に落ちることはない。彼とは階級も育ちも違う。別世界の人なのだ。
 ……そう、何度も言い聞かせていたのに。
(なんでだろう……。いつの間にか、居心地が良くなってた)
 情けない。
「言えないことは言いませんから、ご安心を」
「あ、はい!」
 慌てて返事をしたので、声が大きくなった。
 あ、と小さく呟くトリシアを軽く肩越しに見てきたルキアは微笑む。
「元気がいいのは良いことですよ。本当に無事だと、自分も安心できました」
 ぎゅ、と手を握る力が強くなる。トリシアはどくどくと鼓動が異常に速く動いていることに気づいていた。
 ルキアの行動に動揺している。もっと心をしっかり持たなければ。
 前を歩く小さな背中。なのに……彼がいれば、と思う自分もいる。
(私、おかしい……)
 絶対におかしい!
 嫌だ、こんな自分は!
 否定の感情が渦巻くトリシアは、ルキアを見つめながら、彼の嫌な部分を挙げていくことにした。そうすれば、きっとこの落ち着かない気分はなくなってくれるはずだから。
(まず、空気を読まないわよね、全然。それにいつも『軍』がどうのって言ってるし……。規律正しいのに、自分のことには無頓着で……)
 髪を結うのでさえ、彼は最初は物凄く嫌がっていたのだ。軍務に必要がないと言い張ってまで。
 無理やり髪を結って、着替えさせた彼はとてもかっこよかった。思い起こしてトリシアはうっとりとしてしまう。
 彼は少尉なのだ。階級があって、美貌もあって、貴族。手の届かない人なのだ。
(ああああ! やだやだ、なんですぐにいいほうに考えを持っていこうとするのよ! ルキア様は私とは身分が違うっていうのに!)
 あれ?
 でもそこで疑問になった。
 かつんかつんと二人の足音が響く中、暗闇を照らす小さな灯り。
(なんで……私、ルキア様が私のこと好意的に見てるっていう前提で考えてるの?)
 おかしな話じゃないか。それこそ。
 彼は確かにトリシアのことを気に入ってはいる。だがそれは、玩具に対してのものと大差はないはずだ。恋愛感情ではない。
 そのことに気づいたトリシアは愕然とし、がくんと足から力が抜けそうになる。
(そ、そうなの、よね……。ルキア様は、私のことを……好きってわけじゃ……)
 あからさまな好意はわかるが……恋愛感情かと問われると疑問だ。苛立つとまで言われたが、オモチャを独占したい子供の心境に近いものではないのか?
 訊けば……応えてくれるだろうか?
 きっと、こたえてくれるだろう。
 仰天して、トリシアは足が止まる。
「トリシア?」
 振り向くルキアを、トリシアは泣きそうな顔で見つめてしまった。彼は驚いている。
「どうしました? やはりどこか怪我をしているのでは……? マーテットは診てくれましたか?」
「……私」
「はい?」
「なんでも、ないです」
「…………」
 ムッとルキアの顔がしかめられる。
「トリシア」
「は、はい」
「前も言いましたが、自分はきちんと言葉にしてくれないとわからないのです。なんでもないなら、その表情はなんですか」
 怒ったように言うルキアはトリシアの手を軽く引っ張って身を寄せる。
「言ってください。ほら」
「…………言えません」
「…………」
 ルキアは睨むようにこちらを半眼で見上げてきた。それは凄みのある美貌で。
「や、やめてください……」
 顔を伏せるトリシアはもう涙声だった。
 彼はずるい。言葉にしないとわからないと言ってくるくせに、そんな顔をされてはこちらが迫力負けしてしまう。
(やだ……。私、ルキア様の顔に弱かったかしら……)
 これほどまでではなかったはずだ。一体いつから?
「トリシア」
 下から覗き込むように見上げられる。半眼で睨んでくるルキアは、爪先を伸ばして身長を、軽くトリシアに近づけた。
「トリシア」
「…………」
 何度も名前を呼ばれて、顔から火が出そうに恥ずかしかった。見上げられる。逃げられない。逃げたいのに、手を握られていて。
「あなたは感情の起伏が激しい。ですが、いつも自身の内部で完結するので、自分にはわかりません。あなたが、何を考えているのか」
「ルキ、ア……さ、ま」
「キスしますよ? 言わないと」
 目を見開くトリシアの唇を、爪先をさらにあげてルキアは奪った。
 素早く身を離し、彼はどこか不思議そうに「ふむ」と呟く。
「な、なにするんですか!」
「なにって、キスです。したくなったので」
「し、したくなったって! な、きょ、許可をとってください! 私、未婚の……」
「あなたを誰かに渡す気はありませんよ」
 さらりとルキアは言ってくる。
 色気のある表情で彼は妖艶に笑う。
「好いていると言ったはずです。怖いですけど」
「ルキア様のそれは、独占欲と同じです! 恋愛感情ではありません!」
「そうでしょうか」
 彼は不思議そうな表情をしてみせた。
「あなた以外の女性を見ても、キスをしたいと思ったことは一度もありませんよ?」
 心臓を撃ち抜かれたような破壊力があった。トリシアは腰から力が抜けてその場に崩れ落ちる。
「トリシア!」
 慌てて支えるルキアを、彼女は情けなさそうに見上げた。
「あ、あなたは……ご自身の持つ威力を、もっと自覚なさってください……」
「はい?」
「ルキア様は」
 トリシアは悔しそうに彼を睨む。
「私より綺麗なんですよ? それに、階級だってある立派な軍人ではありませんか。前も言いましたけど、平民の私と貴族のルキア様ではつりあわないんです!」
「そんなこと、誰が決めたのですか?」
「誰って……じょ、常識ですけど」
「軍律や法律で、貴族は平民を娶ってはいけないとは書かれていません。あなたを自分の恋人にするのに、なにか障害があるでしょうか?」
「世間体という障害があります!」
 はっきりと言ってやると、ルキアはどこか納得したように甘く苦笑した。
「なるほど……。あなたが気にしていたのはそのことでしたか」
「え……?」
「いいでしょう」
 彼は不敵な笑みを口元に浮かべた。珍しい表情に、トリシアは目を見開く。
「そんな『障害』など気にならないほど、自分に夢中にさせてみせましょう」

[Pagetop]
inserted by FC2 system