Barkarole! レギオン17

 両腕を組んでいるトリシアは、なんだか化粧が派手だった。あんな化粧の仕方はしない。
 マスカラだって……あんなにつけたことはない。ナチュラルメイクが、添乗員のメイクなのだ。
 困惑するトリシアの前にルキアが立つ。
「これも番人の罠ですか。やりますね」
<これも番人の罠。やるわね>
 キキキ、と意地悪な笑みを浮かべる彼女にトリシアが泣きそうになる。
 なんだか……いやだ。いくらなんでも自分に似ている存在が敵?
 ルキアを見ると、彼はじっとトリシアである何者かを見つめていた。
「投影……。ですかね」
「トウエイ?」
「自分の怖いものを映したんでしょう」
 ……ルキアの、怖いもの?
 トリシアが。
<戦うの、ルキア様。私と戦うの?>
「…………あなたはトリシアではありませんので、容赦はしませんよ」
 冷たく言った直後、トリシアだったものは光の線にバラバラにされてぐずりとその場に崩れ落ちた。
 ぼろぼろの炭になって……何事もなかったかのように。
 あまりの速さと冷徹さにトリシアが呆然とする。彼はこちらを見上げてきた。
「……ああ」
 そう小さく呟いて困ったように苦笑いを浮かべる。
「すみません。怖かったですよね」
「……はい」
 素直に頷くと彼はためらいがちに手を握ってきた。
「上に戻りましょう。トリシアにはここは危険ですから」



 もしも、自分という足枷がなければ……ルキアは奥へと進んだのだろう。
 トリシアは己の不甲斐なさに情けなくなってくる。
 やはり自分は何もできない平凡な平民の娘なのだ。
 ホールへと戻ってくると、そこには8人が戻ってきていた。
 いつの間にと驚くトリシアは無視され、オスカーがルキアを見てくる。
「どうだった?」
「あちこちに罠が仕掛けられていますね。我々全員でそれを全て潰しにかからねば、この遺跡は調査できないでしょう」
「おまえもそう考えるか」
 ギュスターヴもそう結論を出したようで「ううむ」と低く唸った。
「ルキア、わかっているな」
「承知しております」
 彼はそう頷き、トリシアを見上げてきた。その視線の意味に、トリシアは怖くなって……彼の手を放そうとする。でも、それができなかった。
 ルキアは無言でトリシアを連れて遺跡の外に歩いて出てきた。雨はもうやんでいた。
「トリシア、『ブルー・パール号』まで送ります」
「……列車は行ってしまいましたよ……?」
 声が震える。
 置いて、いかれる。
 いいや、彼は一人で戦いに赴くのだ。
 もう手助けできない。自分の役目は終わったのだ。
 そもそも手助けできることなど限られているのはわかっていたのに……。
(私は……何を勘違いしていたのかしら……)
 頬が火照る。馬鹿な、愚かな勘違い。
 歩く彼は少し歩調を緩めた。
 魔術で作られたレールまで戻るためには、もう少し歩かねばならない。
「あなたを置いて、列車は去りませんよ」
「そう、でしょうか」
 無茶をした馬鹿な添乗員を見捨てる可能性だって、ある。トリシアの苦笑に、彼は笑った。
「大丈夫ですよ、ほら」
 そう言って指差した先では、レールの上に停車している馴染みの列車があった。
 驚くトリシアに「ね?」とルキアが微笑む。
「え、で、でもルキア様たちはどうなさるんです? ブルー・パール号は待機命令を受けていません」
 ここまで連れて来るのが、役目だったのだ。
 トリシアの焦る言葉に彼は手を強く握ってくる。
「終わったら、迎えの列車が来るでしょう。そのあたりは自分の管轄ではないのでわかりませんけど」
「そう……ですか」
 その役目はブルー・パール号ではないのだろう。
 落胆するトリシアと歩きながら、ルキアは長い髪を揺らして顔を軽くあげた。空でも、見ているのだろうか?
「ブルー・パール号は一旦、帝都に戻ります」
「…………」
「よければなのですが」
「?」
「自分の屋敷で待っていてくれると……嬉しいのですが、それは無理な願いでしょうか?」
「えっ?」
 眉をひそめていると、彼が足を止めた。そして振り向いてくる。真剣な表情だった。
「無理なお願いだとはわかってはいるのですが……望んでしまいます」
「私には……仕事があります」
「そうですね」
 彼は頷き、それから笑った。いつもの、砂糖菓子みたいなふんわりとした甘い笑顔だ。
「自分の今回の任務も、いつ終わるかわかりませんから」
 待っていてくださいとは、言えませんね。
 そう彼は呟き、儚く笑った。

 ブルー・パール号に近づくと、エミリが飛び出してきて駆け寄ってきた。
「バカ!」
 そう言って抱きしめてくれる先輩添乗員に、トリシアは涙が出そうだった。
 傍で見守っていたルキアが微笑している。そして彼はエミリのほうを向いた。
「トリシアの行動のおかげで自分は命を救われました。車掌のほうには後で軍からも通達しますので、叱らないであげてください」
「も、勿体無いお言葉ですわ、ルキア様!」
「彼女がいなければ、自分は死んでいました。これは本当です。ですから、おとがめが無しにしてあげてくださいね」
 可愛く微笑む彼は、それから、と付け加えた。
「無事に『ヤト』は遺跡へと入れました。ブルー・パール号はただちに帝都へと帰還するように」
 そう言われて、エミリは表情を引き締めて頷く。
「承知いたしました、少尉」
「では、みなによろしく」
 颯爽と身を翻してルキアは歩き出した。一度も、彼は振り返らなかった。
 あの時と同じだ。
 ブルー・パール号に乗り込む時と同じで、彼はこちらを見ようともしない。
 トリシアは泣き出しそうになる。つい数分前まで、彼のことがたまらなく愛しかったのに、なんだか……とても憎い。
(私、こんなに弱くない)
 気丈に顔をあげて、トリシアは去っていくルキアの小さな背中を見つめた。
(泣くものですか……)
 ぐっと歯を食いしばっていたが、それでも涙が流れてしまった。
 どうか……どうか無事に帰ってきて……! それだけが、その想いだけが、胸を占めていた。



 遺跡に戻って来たルキアを、『ヤト』のメンバーは出迎えた。
「さーてと、じゃあ行くかね」
「さっさと済ませて帝都に戻りましょう」
 それぞれが口々に言い、地下へと向かう。
 ルキアは一度だけ振り向いた。長い髪が揺れる。
「ルキア」
 オスカーの言葉に彼は「なんでもないです」と言い、前を向いて笑った。
「……あのお嬢ちゃんのことか?」
「ええ、まあ。そうですね」
 端的に応えると、オスカーは不審そうに眉宇をひそめた。
「夢中にさせると言ったのに……難しそうだなと思っただけです」
「はあ?」
「だから、彼女を自分に夢中にさせると言ったのです」
 なんてことはないように言って歩き出したルキアを、オスカーは追いかける。
 階段をくだりながらオスカーは「おいおい」と呟いた。
「おまえに夢中にならない女はいないだろ? 外見だけならな」
「? 言っている意味がわかりかねますが、少佐」
「おまえ、外見はすこぶるいいんだよ!」
 苛立つオスカーにルキアは無言になってしまう。だが彼はすぐに真剣な表情で言った。
「彼女はそういった理由で自分を好きにはなってくれないと思いますよ、少佐」
「……じゃあどういう理由だよ?」
 庶民の娘だろうが、とオスカーは険しい表情だ。
「トリシアはああ見えてとても現実的なのです。確約のない言葉を鵜呑みにはしないでしょうね」
「…………」
 階段を降りていくと、先のほうで立ち止まって『ヤト』のメンバーが何か話し合っていた。トラップのことについてだろう。
「あー、めんどくせー。
 つまりはだ、おまえはあのお嬢ちゃんに惚れさせたいわけか?」
「まあ、簡単に言えばそうですね」
 ぎょっとしたようにオスカーは目を見開く。ここでするべき話ではないが、ルキアは至って真面目な表情のままだ。
「……おまえ、変わったなぁ」
「そうですか? 自分ではその変化はあまり感じてはいないのですが……。そういえば、マーテットにもやたら言われましたね」
「今もなんだが、笑わなくなった」
 指摘され、ルキアはオスカーのほうを肩越しに見遣る。
「……よくわかりません」
「いっつもにこにこしてやがってたくせに、時々笑わなくなったろ」
「そういえば今は笑っていません」
 今さら気づいたようにルキアは前を向く。
「もしかして……おまえ、怒ってんのか?」
「怒る、ですか。近い感情かもしれませんね」
「怒るぅ!? おまえが?」
「あの怪鳥はトリシアを傷つけました。自分に恐れを抱かせた。彼女を攻撃したことは……許せません」
「……もしかして、ずっと怒ってたのか?」
「いけませんか?」
 再び肩越しにこちらを見るルキアを、オスカーは恐ろしいものでも見たようにぶるりと体を震わせた。
「……怒ったこと、ないのかと思った」
「ありますよ、怒ったことは。ただ、笑顔を浮かべていないほど激怒、というのは初めてかもしれませんね」
「淡々と言うなよ……」
 怖いぜ、とオスカーが小さく洩らす。それほどまでにルキアの変化は恐ろしい。
「……泣いたのも、そういえば初めてでしたね」
 ぽつりと呟くルキアの声はオスカーの耳には入らなかった。
 あの怪鳥に彼女が襲われ、困惑し、そして……魔封具が壊れた。怒りは勿論あったし、嘆きも悲しみもあったのだ。
 自分が涙を流すとは……思っていなかった。そもそも「泣く」こと自体、まだよくわからないのだ。
 とにかくルキアは、トリシアに何かあれば「泣く」ほど感情が揺さぶられることだけははっきりした。それだけで充分だ。
「少佐、お喋りはここまでです」
「わかってる!」
 どのような罠が待ち受けているかはわからない。それに、何日かかるかも。
 用意した食糧と水だけで足りるかもわからない。だが、それに挑むしかないのも『ヤト』なのだ。
 予定では1週間。それで片付けられれば言うことはない。もっと早ければそれでもいいくらいだ。
 ……だが、犠牲が出ることも覚悟のうえ。
 皇帝直属の精鋭部隊である『ヤト』は地下へとさらに降りていく。待ち受ける罠に、まさに自ら飛び込むように……。
 深い深い闇へと……彼らはただ勅命のために赴く。

 ブルー・パール号は帝都へと帰還した。
 帰還して二週間経っても、『ヤト』の者達は戻ってこなかった。



《ブルー・パール号、発車しますー、発車しますー》
 アナウンスのかかる中、トリシアは車両に片足をかけた状態で背後を振り向く。
 ……もう、しばらくは帝都に来ることもないだろう。今度向かうのははるか西の方角だ。
「…………」
 小さく深呼吸して、トリシアは前を向いて車両に完全に乗った。トランクを置き、それから後ろ手でドアを閉める。
 さようなら……帝都。…………さようなら、ルキア様。
 そっと瞳を閉じて、瞼を開ける。
 彼とは最初から道が交わらなかった。それだけの話なのだ。

***

 一ヶ月も経てばそこそこ忙しさに忘れてしまう。思い出してしまう時間を作らなければいい。
 だからトリシアは仕事に没頭した。
(ええっと、今日は一等客車に一人か)
 エミリから割り当てられた仕事だが、気位の高い相手だと緊張はする。困った。
(ううん、何事も勉強よ。がんばれ自分)
 自分自身を励まして食堂車に向かって掃除を開始する。急がなければこの駅で乗り込んでくる客の目に触れてしまう。
(えっと次の駅までは……)
 何分だと思っていたらガタン、と列車が揺れた。
「えっ? 急停止? なんで……?」
 怪訝そうにしつつ箒を動かす。早く掃除を済ませないといけない。
 急停止の理由は後からエミリ先輩に聞こうと思っていると。
 がらりと背後の横開きのドアが開かれた。車掌のジャックだろうか? それともエミリだろうか?
 まあいい。構ってはいられない。とにかく自分の仕事をするだけなのだから。
「精が出ますね」
 声に。
 トリシアの手が止まる。
「すみません。急いで乗り込もうとして、無理に停車をさせてしまいました」
「…………」
 聞き覚えのある声、だ。
 トリシアは全身が震えた。
 姿勢を正し、それでも振り向くことはできない。
「久しぶりに会ったのか、それとも正装で乗り込んだのがいけなかったのか、みなには驚かれました」
 ゆっくりと振り向いたそこには、ゆるく髪を結び、片眼鏡をつけた淡い青い髪の少年が立っている。
 左右非対称の正式な外套に、勲章まできちんとつけ、白い軍服はきっちりと上までボタンがとめられていた。
 麗しい、絶世の美少年だ。一ヶ月半前と大差ないはずなのに…………なんだか色気が増したような気さえする。
「……ルキア…………ファルシオン少尉」
「この格好はなんだか不評のようですね」
 彼はそう言って、トリシアが硬直したままなのをそう勝手に解釈してしまう。
 なぜ驚いているのか理解できないようで、そういうところは相変わらずのようだ。
「いつものほうがいいでしょうか。ですが、家人がきちんとした格好で行けと言うもので、この格好で来たのですが」
「……あの、また遠征のお仕事ですか?」
「軍務ではありません」
 あっさりとルキアは否定した。そして一歩ずつ近づいてくる。
 美貌の少年は笑顔のままだ。そして、手に何かを持っている。小箱?
「申し訳ありません。あなたがこの仕事に生きがいを感じているのはわかっているのですが」
「…………」
「求婚にきました」
 色気も何もない発言にトリシアは目を軽く見開く。
 冗談を言うようなことはルキアはしない。遠回しな言い方も彼はしない。だからこれは本当に本当の……。
 小箱を差し出し、彼は小さく笑った。
「自分はこれからも遠征に出て、あなたに辛い思いをさせるでしょう。ですが、自分と添い遂げていただけませんか、トリシア」
「ルキア……様」
「あなたが好きです。愛しているのです、トリシア」
 目の前に跪かれて、掌をとられる。
 こんな……こんな夢みたいなシチュエーション……あっていいわけがない。
 呆然とするトリシアの前で、小箱がそっと開けられて中が見えた。
 指輪だ。シンプルだが、凝った細工ものだった。
「自分の愛を受け入れていただけませんか?」
「……う、そでしょう? ルキア様」
 嘘じゃない。わかっている。わかっているのに、信じたくない。
 こんな……自分に自信のない女の子を彼が選ぶなんて……。
 涙ぐみながら訴えると、彼は跪いたままとびきりの笑顔を向けてきた。
 甘い砂糖菓子のような、変わらない笑顔。
「自分はあなたに嘘をついたことがありましたか?」
「あ、ありま、せ……っ」
 声にならなかった。
 嬉しくて。
 いつも、居場所を探していた。
 この『ブルー・パール号』が自分の一生の居場所になるのだと思っていた。
 好きになった男性の隣に立てる日がくるなんて……しかも、ルキアの隣に立てる日がくるなんて!
 何度も流れ出てくる涙を手の甲で擦りながら、鼻をすするトリシアにルキアは宣言する。
「いかなる時も貴女を愛し、尽くすと誓います――――可愛い、自分だけのトリシア」


END

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